書き続ける持続的意思=コラムニストの命

秋といえば学会。とある学会に出すペーパー書きで忙しく日経ITProの連載コラムとブログはご無沙汰。

ペーパーは英語。どうしても英文ペーパーに没頭している時は、読みこむ文献も、紡ぎだすアウトプットも英語なので、英語アタマになってしまうことが、日本語から自分自身を遠ざける真因じゃなかろうか。

英語モードのときは、日本語で書いているコラム、ブログのペースがガクんと落ちる。たぶん、相当無理して日本語⇔英語の言語境界を越境しているのだろう。

友人のオランダ人学者に、オランダ語、英語、ドイツ語、フランス語のトリリンガルならぬ、バイの2倍の「バイXバイ・リンガル」がいる。そいつは、日常的に4つの言語を話し、もちろん、それぞれがネイティブ・レベル。羨ましいかぎりだが、書く方になると、満遍なく書けるわけではなく、はやり、オランダ語⇒英語⇒ドイツ語⇒フランス語の順だと言う。

彼曰く、英語で書く日々がつづくと、どうしても他の言語で書くことが億劫になるそうな。

・・・なるほど、それならば、俺の突発性日本語筆不精も許されるだろう?

まあ、そんなことはどうでもいい。英語ペーパーのほうはなんとか終わりそうなので、日本語コラムのつづきに精を出さなきゃならんのだ。

書き続ける意思を持続的に持って、ストライクゾーンの縁のクサイ部分に文章というタマを投げ続けることが、コラムニストのコラムニストたる所以だ。

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