羅臼から根室、そして札幌へ(6)~講義など~

<パニアバックに鹿の角。振り返えれば、知床が遠い>

羅臼で無事、知床エクスペディションは、なにはともあれ終わった。

Yくんはこれから自転車で、知床峠を越えて、斜里、網走、紋別と走り繋ぎ、宗谷岬さらには富良野あたりを目指すという。

僕は僕で、これから札幌へ戻り、客員教授を務めている札幌市立大学で医療マネジメントの講義をやり、北海道大学で技術経営系の講演をすることになっている。その講演の後には、飲み会もセットされている。

二日目の夕方、テントを張っている時、バキッという音と共に、なんとテントのポールが金属疲労のため折れてしまったのだ。その場は、折れたパイプの先端を石で叩いて割り、さらにそのまわりを紐でまきつけ、応急処置をほどこして事無きを得た。

しかし、今後ともこのテントで寝れるという保証はない。やむなく、羅臼から根室までの自転車ツーリングは、テント泊ではなく安宿を使うことにして、ともあれ、走りつづけることにしたのである。

知床岬へのコースで桜井さんが拾った鹿の角をいただいて、それをリアのパニアバックにくくりつける。海沿いの羅臼峠を越え2時間も走ると、羅臼岳がだんだんと遠くなってくる。

ここから根室までは低い羅臼峠以外、峠は皆無でほとんどまっ平か、ゆるいアップダウンが続く土地である。大きな街もなく、場所によっては30kmくらい店もない地域だ。

だいたいアクシデントに見舞われるのは、所期の目標を達成した後、気が緩んでいる時が多い。だから、あまりムリもぜず、かといって、ラクもせず普段通りに走ることを基本に置いた。この地域約170kmを2日かけてゆっくり走り、根室についた。

そこで自転車を分解して自宅まで送った。そこからは、花咲線で釧路へ、釧路からは「あおぞら8号」で、釧路本線、石狩線と乗りついで札幌を目指した。札幌ではアカデミアの活動だ。これまでのワイルドなoutdoor活動とは打って変わってindoor系の講義をこなし、飲み会などもあった。

こうして、あちら側の世界から、こちら側の世界へと徐々に帰ってくるのだ。いきなり、東京へもどるより、札幌で、こちら側に足場を置き戻るというのが、救いといえば救いか・・・。

<札幌市立大学で皆さんといっしょに>

医療・保健・福祉サービスのマーケティングという授業を担当している。

授業のしょっぱなは、今回の旅のまとめと報告。

専門的な内容よりは、一連の冒険談のほうがみなの目が輝く。

<北大でのMOT講演の後、皆さんといっしょに>

北大では、もうあちら側の世界とはほとんど隔絶した「技術経営」という世俗的にしてアーティフィシャルな話題だ。

でも、卒業生のIさん、東京から駆けつけてくれたOさん、など旧交を温めつつも、実に楽しいひと時。

ひとり僕だけが真っ黒な顔をしているのが気にならなくもないが・・・。

こうして、こちら側にだんだんと復帰するのである。

                    ***

・・・正直に言うと、だいたい、あちら側の世界(おおむねoutdoorの世界)からイヤイヤこちら側の世界(都市で生活を営むためのミスギヨスギの仕事中心のindoor系の世界)へ舞い戻りつつあるときは、あまりスッキリした気分にはなれない。

ギアチェンジ、発想と行動の転換、密から顕へのトランスファー。まあ、呼び方はいろいろあるが、ここしばらくは、こちら側にとどまって、いろいろなミスギヨスギで凌いでゆくのだ。

・・・こちら側でも、あちら側でも、そして、それらをまたいで自転車操業人生は続くのである。

自転車っていうと、一人で走っているような感じがするが、どっこい、一人では走れない乗り物だ。

自転車を作る工房の主人、パーツを供給する人、ムツカシイ修理を手伝ってくれる人、道を作る人、メンテナンスする人、キャンプ場を管理する人、食料を流通してくれる人、道すがらいろんな旅の情報をやりとりしてくれる人、それに、こんなバカなことを支えてくれる家族、友人など、いろいろな人のお世話になってはじめて走ることができる。

道すがら、手を振ってくれるバイクライダーからは元気をもらうし、飯や飲み物をおごってくれる地元の人だっている。

・・・いろんな方々のヘルプをもらって、繋がり合ってはじめて、サイクリストは一人で走ることができるのだ。豊かなsocial capitalに支えられて、はじめて自転車は前に進むってこと。

いろいろな絆に支えられながらも、一人で前へ向かって走り続ける時には、自分の身の回りで起こるすべての現実を全部まるごと受け入れ、それらと適宜折り合いをつけなければいけない。そしてペダルを廻して、前に進んでいる限りは、なんとかサイクリストは自転車の上でバランスをとり、立っていることができる。

30年以上前、ネパールのカトマンズで逢ったサイクリストに教えられた言葉だ:

Life is like riding a bicycle: you don’t fall off unless you stop pedaling.

あの頃から数えると、かれこれ35年も自転車に乗って走っている。

で、やっと、この言葉の意味が分かりかけてきた今日この頃なので、オレはものわかりがいいほうじゃない。たぶんバカ者である。

そうして、あっちゃこっちゃ走りながら、indoor,outdoor両方の世界を融通無碍に行ききし、双方の世界で新しい境地を切り開いてゆけるのだ。できれば、そんなかかで意気投合できる人に出逢うことができれば尚いいだろう。助けることができる人がいたら、助けてあげたいし、こっちが窮地に陥った時は、助けても欲しい。

そうじゃなければ走れない。

・・・そう謙虚に自覚しているんでもっと走らせてくれよ。

たぶん、こうしてああだ、こうだ言いながら、これからも自転車で走ってゆくんだろう。

心のどこかに知床を、知床に至る道で遭遇したいろんなことを、しかとしまって、時折反芻しながら・・・。

 札幌→知床岬人力移動記<完>

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