進化生態医学

20年以上前になりますか、自分で初めて本を出版して以来、仕事のひとつとしてノンフィクション・ライター(出版暦はこちら)ということになっています。そんなこともあり、仕事がらいろいろな著者から本を頂きます。

ぎょっ、でも新たな学問体系の樹立を宣言するような志の本は初めて!こりゃ、すごいわ。

さて、このテキストブックは、医学部の学生むけに書かれた非売品の本(現時点では)です。知識の総量は格段に増えながらも、依然として基礎科学、基礎医学、臨床医学というようにタテ割り、細切れにバラバラに教えられていることに危機感?を覚えた日医大の先生方が、新しい学問体系として「進化生態医学」として取りまとめたものです。

医学生のみならず、医学研究者、イノベーション研究者、生命科学、生命倫理、宗教学、文化人類学、医療サービスマネジメント、死生に関する価値システムの視点からでもオモシロく読めるはずです。いやいや、医と他領域の境界の視点からこそ、強烈な洞察を得ることができると思います。

この本は、生命、進化、社会、医学、医療、経済、人口、文化、文明に関する知識を、分野横断的な、俯瞰的実践知としてリフレームして読者に語りかける構成になっています。その構成は、著者たちはほとんど意識していないようですがリベラルアーツの大著です。

さて、アタシの読み方(目線)は、保健・医療・福祉のサービスマネジメント、とりわけ、大変化のトランジッション・マネジメント。

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未曾有の大量死、人口減社会の鳥羽口。
疾病構造の大変化、長寿がゆえの生涯、慢性疾患の増大、孤独死、無縁死の増加。
GDP=一人当たりの生産性X人口とざっくりみれば今後、日本のGDPは伸びず縮小してゆく。
医療・保健・福祉・介護の連携ではなく、いずれ統合へ向かうシームレスなケアサイクルの確立。
 
均衡から混沌へ、そして次の均衡へいたる前人未到のパスづくり。
基盤、プラットフォーム、組織、人間の階層モデル。
経済、文化、科学技術、生態系、社会制度、現場、人材のマクロ、メソ、ミクロにまたがるトランジッション・マネジメント。
 
かつての明治維新がそうであったように、組織化・制度化された社会システムも、ある時を契機に急激かつ非線形に変化することがある。これを社会システムの大変遷、変化、チェンジをトランジションと考えます。
 
そうとらえれば、保健・医療・福祉サービスのトランジショナル・マネジメントの展開が今こそ必要。
 
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キュア→ケア
 
病院中心→地域・在宅
 
直す医療→支える医療
 
要素還元→全体論
 
質システム→価値システム
 
専門的「個」→補完的チーム
 
・・・というような二項比較でちょい軽く論ぜられることが多い昨今ですが、次のような言説には、ビンビン来ます。

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「人類は「種の生存」と「個の生存」を相互の関係を最大化することにより繁栄、即ち人口の増加を図ってきた。つまり進化の過程で生物的に獲得した生殖可能窓(15-50才)を最大限利用すること、そして文化発展過程で社会的に獲得した生存技術大系(生産系交流系維持系)を用いて環境限界要因を乗り越えることにより生存を図って来た。これらの相互作用の結果が人口容量(Carrying Capacity)である。言い換えると相互作用による均衡状態が、その時点で発展した文明による生存能力と人口容量を決めて来たのだ。その転換の過程が生存転換の歴史である」

「強力な生存技術つまり近代産業により、平均寿命が伸延し、生殖可能窓が最大限利用された結果、欧日では人口が4-5倍に増加した。平均寿命は欧州で1910年頃、日本では1947年に50歳を越した。たった100-200年程度で一挙に倍の70-80歳に達している。そしてあと10年で日本を先頭に生殖後人口が過半数を越す。近代の期間では生殖可能窓、第2の人生が中心であったものが、生殖後期間第3の人生が中心となる。つまり日本が38億年の生命の歴史に抗して生殖後人口の価値観を基本とする社会を初めて創造することになるのである。  

「では近代とはどういう時代だったのか。一言で表せば「第2の人生を中核」におき、「第2の人生の価値」を最大化する社会であった。欧州での近代化により19世紀には平均寿命は40歳台に差し掛かり、人類史上初めて15から50歳の生殖可能窓が最大限に開き、第2の人生を有効に利用する条件が整ったことになる。「家族」のありかたでは、優良な労働力を生み出し支えるために、生殖の器械である妻と生産の機械の一部をなす夫からなる標準家族の形態が、「経済」のありかたでは資本と資源を投入し、効率よい生産と市場による交換で利潤を生み出す近代産業が、ともに第2の人生を中心に転回させる構造となっている。「医療」は50歳までつまり第2の人生を中心とする単一疾患単一エピソードに対応し、より良い労働力や生殖力の確保を目指して体系化された。これらの方向を「国民国家」単位で国際的に競った結果、物質的生産性が急速に高まったのである。一部の少数派を除いて個人、家族、社会、国家の価値観は共有され、個人の努力や家庭の活動が、産業や国家の発展につながる手ごたえのある構造となっていた。その時点で手ごたえがなくても国の未来、子供の将来が豊かになること信じてがんばる未来型の価値観の世界であったといえよう」

「これからあとは死ぬだけの第3の人生では、それぞれの個人にとっての現在型の価値観の世界に突入する。このような新たな価値を検証し個人、家族、社会、国家の在り方を模索することが必要となっている」

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