第14講:英語で世界をシノぐ方法(覇権言語ソフトパワーとのつきあい方)

カテゴリー : アメリカ

  日本人がアジア・アフリカの母語を持つ人々とも英語でコミュニケーションをとるのが当たり前の時代となって久し い。だが、読み書きではひけをとらないものの、話すのが億劫という日本人は相変わらず多い。そこで今回は、英語とどのように付き合ったらいいのかを考えて みよう。

 前回はチャイナ的人間関係の話をしたが、筆者は中国の友人と語らう時は英語を使っている。もっとも、世界中どこの人々とであろうが、コミュニケーションのツールは英語になってきている。

 筆者の中国の友人は、北京にある外資系企業の管理職で、海外からやってくるビジネス・パーソンとも英語でビジネスをやっている。

 その友人がショッキングなことを言う。「世界各国のビジネス・パーソンと英語で意思疎通しているのだけど、ジャパニーズの英会話力が最低だ」と。

 たしかに、英語を母(国)語としない人のための英語力総合テスト(TOEFL)の日本人の成績には目を覆いたくなる。なんと、長年、北朝鮮が最下位で日 本はビリから2番目である。中学、高校、大学というように、多くの日本人は6~10年も学校で英語を勉強している。しかも、街には英会話学校が乱立し、教 育ママは幼児向け英会話レッスンにわが子を通わせることが、もう何年もブームとなっている。獲得できる英語リテラシーを英語習得に投じる投資で割り算すれ ば、日本人の英語ROIは極めて低い水準だろう。

 

なぜ日本人は英語がヘタなのか

 自覚があれば、それなりに“英語ベタ”を逆手にとることもできる。だが、英語ベタな日本人は無自覚なままでいると、国際諜報はおろか、異文化間コミュニケーションの現場でおおいに損をしているし、圧倒的に不利になることが多い。

 そう言うと、次のような反論があるだろう。

「わが日本民族は英語民族による植民地支配を退け、それゆえにかつて敵性語であった英語は浸透していないのだ」

「大東亜戦争敗戦後の米国帝国主義に屈しない最後の砦が日本語という言語聖域(言霊)なのだ」

「言語学的に英語と日本語は極端に隔絶しているので、日本人の英語は上達しないのだ」

「学校での英語教育法が間違っているからいけないのだ」

「そもそも英語なんかできなくても生活できる」

 たしかに英語ができない、英語を使いたくない理由は山ほどあるだろう。しかし、ここで重要なことは、消極的にしか英語にかかわらないことで被っている不利益である。そして、ますます影響力を強めている英語の、背後に存在する構造を理解しておくことが大切である。

 英語圏の国々、特に米国と英国にとって英語は「ソフトパワー」の切り札である。ソフトパワーとは、軍事、経済などの力の行使によらず、その国の有する文 化、主義、価値観、政策などに対する理解や共感を広範に醸成することで、間接的に支配力を増長させてゆく力である。ソフトパワーを持つ英語が世界に浸透す ればするほど、英語コミュニティに有利に作用するのである。

 英語ソフトパワーの効用は、英語コミュニティに参加する人口が増えれば増えるほど増加する。したがって、英語を使えるようになると英語ソフトパワーの恩恵にあずかることができる。いわゆるネットワーク効果が英語圏を拡大させているのだ。

 

英語に接する日本人の5類型

 どんな言語でもそうだが、その言語を深く習得し、あるいは内面化するほどに、その言語が使われている地域や国、そして伝統、文化、社会経済の諸制度に愛着、同一化傾向を示すものだ。

 この傾向を熟知する米国寡頭勢力は、この英語ソフトパワーの利用に長けている。せっせと日本から産学官のエリート留学生を受け入れ、ソフトに親米派を醸成してきている。

 英語、特に米語を学ぶということは、この陰微なソフトパワーの影響下に参入しつつ、英語とその背景にある精神、伝統、発想、制度、行動様式を獲得するということである。このあたりの自覚の仕方には、おおむね5通りあると筆者は考えている。

 1番目は、学習の効果が出る前にギブアップしてしまうタイプ。そして日本語という閉じた言語空間、日本という閉じた空間に棲息することを選択する。このような人々を「日本ガラパゴス系」と呼んでいる。

 2番目は、カッコよく話せないが、なんとか聞ける、書けるというタイプ。必要に迫られないと、積極的には英語を用いない人々である。このような人々を「どっちつかず系」という。

 3番目は、その言語に熟達し、その言語の発想様式を取り込んでしまう自分に陶酔するタイプ。このような人々はジェスチャーや表情まで、それ風にするのが心底カッコいいと思っている。留学経験者や外資系企業の日本法人などによくいるタイプだ。「ナルシスト系」という。

 4番目のタイプは、興味の対象が外国語から、その外国語が活用される対象、つまりその文化、制度、その言語で記述される学問へ向かうタイプである。その 対象に傾倒するあまり、へたをするとその言語が使用される海外の大学や大学院まで行ってしまうタイプだ。「思い込み系」という。

 5番目のタイプは少数派。異言語に深く触れることにより、母(国)語に回帰してくるタイプである。この場合、やや過剰な回帰を伴うことが多く、民族の歴史やオリジナリティ、保守思想にまで遡っていくことがある。「伝統リターン系」である。

 

ローカル言語の1つが数百年で“世界語”になった

 いずれにせよ、英語に触れさせ、英語の理解者を増やし、聞いて、読んで、書き、話す、というコミュニケーションを英語で運用してもらうことは、英語圏や英語ネットワークにとって利益となる。

 カエサルがブリテン島に上陸した約2000年前には、英語は存在すらしていなかった。それから紀元500年後あたりから、今の姿とは異なる Englisc(English)が現れた。シェイクスピアがせっせと著作活動にいそしむ頃、500万~700万くらいの人々が英語を用いるようになる。

 その後、英国による植民地支配、産業革命、北米における英語の採用、科学技術の普及などによって、英語は英米のみならず、インド、アジア、アフリカ、南太平洋の島々などの地域にまで広まった。1980年代には7億5000万人に使われるようになった。

 また、マグナカルタ、権利章典、人身保護律、陪審制度、英国コモン・ローを経て独立宣言まで、すべて英語で書かれており、いわゆる権利概念、自由主義、 民主主義理念などは英語の浸透に乗って浸潤してきている。そしてIT、インターネットの出現、普及によって、英語の地位は決定的になりつつある。

 ソフトウエアを記述する言語は基本的に英語のロジックに沿って定められ、世界中のソフトウエア産業で最も使われているのは圧倒的に英語である。普遍的な ニーズを正確に理解して、製品化し、普及させてゆくすべてのフェーズで影響力を持つ言語を押さえれば、圧倒的に有利だろう。そのポジションに英語が納まっ ている。また知的財産権に関連する契約を英語で記述すれば、これまた英語側に有利となる。汎用ソフトウエアとインターネット・サービスの領域で日本発の世 界的なヒットが出ない根源的な理由の1つは、このあたりにある。

 

ますます強固になる英語の地位

 今日、英語を第一言語とする人口は4億人。さらに第2言語とする人口は4億人だ。そして第1、第2言語以外でも英語を使う人口は8億人いる。これらを合わせると約16億人となり、世界中で4人に1人は英語を使っていることになる。

 商談、国際会議、学術会議、国際スポーツイベントなどでは、公用語として英語の地位は高い。さらに、英語を公用語としている国は60以上ある。特にアジア太平洋地域での英語浸透度はすさまじい。もはや英語ができなければ「話にならない」というのが世界情勢なのである。

 そして科学、技術、経営における英語の地位は、他の言語を寄せ付けない。細かなことを除けば近代以降、科学、技術、経営の普及と英語の普及はほぼ同期し ている。これは単なる言葉の表層の問題ではない。これらの領域の専門用語、そして概念は英語で規定され、書かれ、話され、伝達され、共有され、記述される のである。

 だからこれらの領域で勝負しようとすれば、英語ができなければどうしようもない。好むと好まざるとにかかわらず、英語が世界基準、そして世界的価値に着々となりつつあるのだ。

 自分の能力の市場価値を国際的に高めるためには、英語ソフトパワー陣営に与するほうが有利に働く。だからアジア各国のエリート、エリート予備軍たちは英語の習得に余念がないのである。

 

ネット環境は読み書きが得意な日本人に有利

 筆者の周りの日本人ビジネス・パーソンは「話す」ことに自信はなくても「読み」「書き」に自身のある方は多い。この性質を逆手にとれるのがインターネット環境だ。

 海外とのやり取りで最も使われるメディアはインターネット、特にメールである。メールは日本人の特性に合っている。第1に、話すことを回避できる。この メリットは大きい。第2に、交信記録を残して共有できるので、ロジックを押さえておけば、話の勢いやムードで劣位に立たされることなく議論ができる。第3 に、日本人の正確性へのこだわりである。メールならば文法やスペルチェックにいくらでも時間を使うことができるし、それらをサポートするツールは豊富だ。

 実は筆者もこの手をよく使う。英語のコミュニケーションの多くをメールでカバーすれば、読み、書きの面積を拡げることができる。メールで鍛えておけば、 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やTwitter(ツイッター)の英語環境にも十分対応できるようになる。

 筆者の場合、英文契約書の締結といった海外との込み入った交渉事でも、コミュニケーションの7割はメールでのやりとりだ。残りは、電話(テレカンファレンスを含む)が2割、実際に合ってフェイス・ツー・フェイスで詰めるのが1割といったところだろう。

 もちろん、フェイス・ツー・フェイスを疎かにするのではない。読み、書きをネット経由で集中させると、かえって最もリッチなコミュニケーションであるフェイス・ツー・フェイスの価値が高まる。

 ただし、セキュリティの関係で、機密度が高い場合はどうしても対面コミュニケーションに比重がかかるのはいたしかたない。機微に触れるやりとりの王道は対面コミュニケーションである。

 

英語に取り込まれず、英語と付き合う

 このようにネットを上手に利用すれば、「読み」「書き」重視で「話す」を軽視する日本式英語教育でも、案外使えるのだ。ネットでの英語利用を含めて、英語と接してゆく生き方にはおおむね3本の道があるだろう。

 1つめは日本語に徹する生き方。英語に接しない生き方だ。そして日本語に閉じこもるのである。その場合、海外と関係するような仕事には見向きもせず、ひ たすら日本国内でシノいでゆくという生き方である。この方向の人々はすべてに「日本的~」をつけてシノいでゆくことになる。卑屈に英語に接することを断固 拒否するのも立派な態度である。

 2つめは割り切って、英語を道具として活用する生き方。きちんと英語と向きあう道を歩むのである。専門的知識を英語でも理解し運用することを目指す。前 述した日本ガラパゴス系やどっちつかず系を乗り越えていかなければならない。この場合、英語ソフトパワーに身を寄せながら生きてゆくことになる。日本人の 英語の読み、書きのリテラシーは高い。まずはジャパニーズ・イングリッシュを恥じず、堂々と日本的英語で語ろう。

 3つめは、多言語的生き方。これは2つめのシナリオの延長線にある。言語の境界を越境して、時に境界を溶かしつつ、生きてゆく場所を見つけてゆくのであ る。英語に加えて、できればもう1つ使える言語があればいいだろう。英語ソフトパワーの隠微さと機微を十分に自覚しつつ、言語多元的に生きてゆくのであ る。英語に取り込まれず英語を道具として手に馴染ませることが肝要だ。

 覇権国アメリカの地位は微妙に衰退してくるだろうが、英語、米語の比較優位なポジションは当面維持されるだろう。多元的な言語世界と付き合う上で、どのシナリオを選ぶのかは本人の自由。ただし、多言語環境で活躍したい若者には、2つめか3つめのシナリオを勧めたい。

 日本が位置するアジア太平洋地域はおろか、世界における多言語環境の筆頭に位置するのは英語である。「英語に身に寄せることができなければ周りの世界と 絶縁してしまう」くらいの危機感があってもよい。ただし、くどいようだが、健全な間合いをとって、覇権言語である英語ソフトパワーの隠微さと機微を自覚す ることが重要だ。

 

    【参考文献】

  • ロバート・マクラム、ウィリアム・クラン、ロバート・マク二―ル、「英語物語」、1989年

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第14講:英語で世界をシノぐ方法(覇権言語ソフトパワーとのつきあい方):ITpro