AITCS(Assessment of Interprofessional Team Collaboration Scale)日本語版

カテゴリー : 医療サービスイノベーション

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多職種協働チームの活性度、問題を多面的に計測する日本語版AITCSを実装するクラウドベースの調査システムがなんとか出来上がった。

日本の医療機関や地域包括ケアでも多職種協働が注目されている。昔はチーム医療を呼ばれていたが、すでにこの用語は陳腐化している。

協働や連携が必要なのは医療内部に限定されるのではなく、保健、介護、福祉、まちづくりなどを横断するヘルスケア全体≒地域包括ケアシステムに棲息するあらゆる職種や当事者に拡がっているからだ。

だから、チーム医療ではなく、多職種協働なのである。

AITCS(Assessment of Interprofessional Team Collaboration Scale)とは、英語圏で広範に用いられているヘルスケア関連の多職種協働の効果、機能などの程度を客観的・計量的に測定するスケールだ。参考論文1参考論文2

昨年、仕事でカナダの大学に滞在しているときに、多職種協働を看護の視点から研究しているカナダ人研究者たちとわいわい雑談した。その時に紹介してもらったのだ。

ありがたいことだ。

そこで早々に日本語に翻訳して日本語版AITCSを完成させた。さらに界隈の研究者仲間に声をかけて、公衆衛生学、医療コミュニケーション、助産学、精神看護学、ヘルス・インフォーマティクス、医療管理学などの多職種協働の研究チームを造った。

幸いにちょっとしたグラントもとれたので、いい研究になりそうだ。

そして、質問票のセットをクラウド環境に構築して、スマホ、PCでもストレスなくアクセスできるようにした。病院に対して実施して因子の整合性、信頼性などを因子分析手法を駆使して計量心理学的に実証してみた。

なかなかいい。

いまやヘルスケアの現場では、広範なチームでデータ、情報、知識、知恵をシェアして働くスタイルの確立がまったなしの状況だ。

臨床、ライフログ、ヘルスケアの質や安全などに関する、ありとあらゆるヘルスケア情報が生成され、共有され、ストックされ、活用されるプラットフォームが多職種協働チームだ。

ベンチ(研究)とベッド(臨床現場)を横断的に架橋するトランスレーショナルなチームにも多職種協働が求められる。ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、情報技術、認知科学(4つの頭文字をまとめて“NBIC”と呼ぶ)を基盤とした科学技術の分野融合的な収斂させてイノベーションを創発させるのも多職種協働チームだ。

つまり、多職種協働チームが異分野架橋的情報(トランスレーショナル・インフォマティクス)を含むワークスタイルのプラットフォームになりつつある。

しかし、日本では、一般職、主任、課長、部長、経営者といったタテ型の組織価値観、社外・社内といったクローズドな意識が隠微に強く、職種ごとの隠然たるヒエラルキー構造、専門ごとのサイロ構造などが多職種協働チームを阻害しやすい。

そのような日本的文化事情(?)を背景に、とかく抽象論に終始しがちな多職種協働の程度や問題を、日本語版AITCSを用いることによって、実証的に計量化して「見える化」できるので、インパクトがあるツールになるだろう。

 

居心地の良い多様性、米国の学生寮

カテゴリー : No book, no life.

20代のころ、専門分野でとんがり、ディグリーを取るためにアメリカに留学に行った。でも、隠微で鉛のように重い日本というシステムの圧力・圧迫から逃れて放浪(脱システム)することも動機だったように思える。専門を突き詰め、日本から逃避して、知的に放浪する・・・。知的放浪を正当化するためには、東海岸のアイビーリーグに属する大学は都合がよかったのだ。

大学のキャンパスの中にはフラタニティー・ハウスという友愛団体の寮がたくさんある。「面白い日本人がやってきた」ということで、大学キャンパスの西南方向にゆるやかに伸びる傾斜地に立つKappa Alpha Societyのロッジのメンバーとなった。居心地がよかったので、そこに2年間も居ついてしまったのだ。

居心地がよかった理由はなんだろう。

日本人の集団は、だれもが同じように考え、表現し、行動する。またそうするような同調圧力に合わせる規範といったものが、隠微に働く。日本というシステムの内側にのみいると、この摺りこまれた習性にはなかなか気づかない。その一部になりきってしまうからだ。

さて、その友愛団体の寮は、政治主義的には、民主党、共和党、リベラル、さらに尖ったリバタリアン(これが多数派というのも面白い)とばらけていて、人種的には、ワスプ、ユダヤ人、ヒスパニック、黒人、黄色人種とこれまた多様。選考も、政治、経済、数学、物理学、産業労働、心理学、工学、生物学、農学、人間生態、リベラルアーツ・・・、というようにこれまた多様なのだ。

性的嗜好も80パーセントはストレートだったが、20パーセントはゲイ、バイ。

この中間団体はフリーメイソン系のロッジでもあり、よくふらっと放浪者や学問愛好者がおとづれては会議に参加するために数日泊まってまたどこかへ消えてゆく。

皆はそれぞれ異なっていてあたり前。だからお互いの違いを尊重しながらバカ騒ぎやランチキ騒ぎを繰り返しつつ勉学にも励み、ラディカルにプラグマティックに共同生活を織りなしてゆく。

日本にない多様性が実に居心地よかったのだ。

今でも日本人だけの集団や会議に、言い知れぬ違和感を覚えるのは、こういう多様性のなかで、青春のひと時にを謳歌したことによるものだろう。