居心地の良い多様性、米国の学生寮

カテゴリー : No book, no life.

20代のころ、専門分野でとんがり、ディグリーを取るためにアメリカに留学に行った。でも、隠微で鉛のように重い日本というシステムの圧力・圧迫から逃れて放浪(脱システム)することも動機だったように思える。専門を突き詰め、日本から逃避して、知的に放浪する・・・。知的放浪を正当化するためには、東海岸のアイビーリーグに属する大学は都合がよかったのだ。

大学のキャンパスの中にはフラタニティー・ハウスという友愛団体の寮がたくさんある。「面白い日本人がやってきた」ということで、大学キャンパスの西南方向にゆるやかに伸びる傾斜地に立つKappa Alpha Societyのロッジのメンバーとなった。居心地がよかったので、そこに2年間も居ついてしまったのだ。

居心地がよかった理由はなんだろう。

日本人の集団は、だれもが同じように考え、表現し、行動する。またそうするような同調圧力に合わせる規範といったものが、隠微に働く。日本というシステムの内側にのみいると、この摺りこまれた習性にはなかなか気づかない。その一部になりきってしまうからだ。

さて、その友愛団体の寮は、政治主義的には、民主党、共和党、リベラル、さらに尖ったリバタリアン(これが多数派というのも面白い)とばらけていて、人種的には、ワスプ、ユダヤ人、ヒスパニック、黒人、黄色人種とこれまた多様。選考も、政治、経済、数学、物理学、産業労働、心理学、工学、生物学、農学、人間生態、リベラルアーツ・・・、というようにこれまた多様なのだ。

性的嗜好も80パーセントはストレートだったが、20パーセントはゲイ、バイ。

この中間団体はフリーメイソン系のロッジでもあり、よくふらっと放浪者や学問愛好者がおとづれては会議に参加するために数日泊まってまたどこかへ消えてゆく。

皆はそれぞれ異なっていてあたり前。だからお互いの違いを尊重しながらバカ騒ぎやランチキ騒ぎを繰り返しつつ勉学にも励み、ラディカルにプラグマティックに共同生活を織りなしてゆく。

日本にない多様性が実に居心地よかったのだ。

今でも日本人だけの集団や会議に、言い知れぬ違和感を覚えるのは、こういう多様性のなかで、青春のひと時にを謳歌したことによるものだろう。