健康増進あるいは美容皮膚科医とのダイアローグ

カテゴリー : No book, no life.

昨夜は美容皮膚科医の田中優子女史と健康をメインテーマとして貴重な座談。美容皮膚科医と意見を効果するのは初めての経験なので、とってもためになった。アイディアの異種混交はイノベーションの契機だ。

さて自分が専門とする医療・健康管理学は主として医療や健康に関する社会システムを観察や考察の対象にする。「私」は、これらの社会システムから距離を置いて観察、分析、評価する。この「私」が健康であればこそできることだ。したがって、「私」は健全に健康でなければならないのだ。

ゆえに、「私」に対するケア≒健康増進(ヘルス・プロモーション)は一人のプロフェショナルとしても、サイクリストとしても極めて重要なことなのだ。

健康増進は一過性のイベントなどでは決してなく、長期に渡って地道に行う習慣のようなものだ。で、今まで健康増進のために習慣化してきたものは:

 
①サイクリング(10代の終わりから現在まで)
②ビタミン類特にc大量摂取(25才以降現在まで)
③瞑想(25才以降40代まではかなり、今はほどほど)
④ファスティング(50代から)
⑤ランニング(50代から)
 
 これら以外の習慣+としては、できるだけ多くの方々と社交や絆づくりの場を持つ。講演など人前で知見を披露する機会を持つ。興味を持つ分野の本を大量に読んで仕事のアウトプットに活かす。ストレスをためない。軽快・陽気な気分をキープする。多様でポジティブ、マインドフルな感情の到来を楽しむ。たまにはドンチャン騒ぎをする。逸脱や越境行為も楽しむ。
 
 大体実年齢よりも最低でも10歳くらいは若く見られる自分なのだが、プロフェッショナルな美容皮膚科医から見ても実年齢マイナス15才くらいに見えるというのは、いやはやといった感じだ。したがって、上記①~⑤の効果はある程度検証されたと思いたいものだ。
 
ただし、正確に言えば「①~⑤プラスアルファの習慣の長期継続→現在の自分が若く見える」という因果関係が完全に立証されたわけではない。健康に関する現象はとても複雑適応的なので、単純明快なリニアな因果関係というものはありえないのだ。
 
だから、健康人生は検証がきわめて難しい実験の様相を呈するのだ・・・。
 
さてさて、スキンケア(直接肌になにかを塗ったりすること)は今までやったことがない。この点については、「男たるもの、女々しい化粧なんぞに凝っていかがなものか、という古い価値観の影響か。毎年夏には北海道自転車ツーリング真っ黒に日焼けしているので、蓄積された皮膚へのダメージは相当なものであるはずだ。このあたりは改善テーマだ。
 
随所に面白い記述を発見。例えば:
 
・腸で免疫細胞の8割が作られている。・・・腸はいわば人体最大の免疫機関。(p70)
 
・セロトニンの90%は腸内細菌が産出している(p71)
 
・ボディは魂の入れもの(p80)
 
・高濃度ビタミンC点滴・・・透明感のある美白肌や肝班改善。免疫力アップによりガン予防やガンの代替療法として注目されている(p89)
 
なるほど!といった感じだ。
 
 

ケアの本質:生きることの意味 ミルトン・メイヤロフ

カテゴリー : No book, no life.

 

ケアってなんだろ?ケアの原点は?生きるってどういうこと?

こんな疑問や反省がときおり首をもたげるたびに、ページを繰ってきた、この本。

年末年始の喧騒や乱痴気騒ぎも過ぎ去り、雪が降り積もるような日にはシンミリとこんなこともつらつらと考えるべし、かと。

この本、もしかして書斎を離れるかもしれないので、線を引き込んだ部分をちょっと書き写しておく。

 

              ***

・「ケアすることは、自分のいろいろな欲求を満たすために他人を単に利用するのとは正反対のことである」(p11)

・「他の人をケアすることをとおして、他の人々の役にたつことによって、その人は自身の生の真の意味をいているのである」(p19)

・「学ぶとは、知識や技術を単に増やすことではなく、根本的に新しい経験や考えを全人格的にうけとめてゆくことをとおして、その人格が再創造されることなのである」(p29)

・「ケアする教師は、学生が自分自身の方法を見つけ、自分の目標を追求してゆくものものと信頼しなければならない。この場合、教師は、学生を助け、励まし、適切な刺激にあふれた経験をさせ、こうした信頼の絆をゆるぎないものにするのである」(p53)

・「相手が成長してゆうくこと、自分のケアする能力。これら二つを信頼することは、未知の世界に私が分け入ってゆくにあたって大切なものを与えてくれる。それは勇気だ」(p65)

・「作家は自分の構想をケアすることにおいて成長する。教師は学生をケアすることによって成長する。親は子供をケアすることによって成長する。」(p69)

うーん、深い。

・「他者が成長してゆくために『私』を必要とするというだけではなく、『私』も自分自身であるためには、ケアの対象たるべき他者を必要としているのである」(p69)

メイヤロフは『私』と相手の共創的関係性について、直裁に、かつ一遍の散文詩のように味わい深く書いている。

・「私が相手をケアするということは、その人が『私』をケアすることの活性化をたすけるのである。同様に、『私』に対する相手のケアが、その相手のために行うこちらのケアの活性化に役立っているし、相手のためにケアする『私』を『強く』するのである」(p85)

・「『私』と離れたなにか、あるいは誰かに役立つことによってはじめて、『私』は自己充足ができるのである。もし『私』が自分以外のだれか、あるいはなにものかをケアできないのであれば、自己へのケアもできないのである」(p106)

・「ケアは、『私』がこの世界で『場の中にいる』ことを可能とするのである」(p115)

・「自己の生の意味を十全に生きるためには、生きることが絶えず未完成であるという特徴を持つこをを、『私』はわきまえておくべきだろう」(150)

・「ケアこそが人間のあり方のなかで最も核心的なものである。『私』はケアをとおして、またケアされることをとおして、自分がいる世界をよく理解できるようになる」(p157)

・「『私』が自己の生の意味を生きるといえるのも、『自分の生を生きる』ことができるといえるのも、『私』がある対象に依存していればこそなのである」(p163)

 

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ケアを原理的にとらえていすぎ、とか、マッチョなケア論だとかいろいろ識者から批判はあるだろう。だが、サービス科学という視点から見た場合、ケアの共創性をこれほど多面的に、かつ統合的に著述して、ある種の人生論にまで昇華し得た本を知らない。

難解な学術用語は出てこない。ひたすらメイヤロフは分かり易い日常語でケアを語るのだ。その意味で、著者メイヤロフは、読者をケアしているし、また読者もまたメイヤロフによって紡ぎだされた文章をケアするように読めるのだ。

案外こんなところに、この本が読み継がれている理由があるのかも。

とかく現代の看護技術論は文字通り、技術に走り勝ちだが、このような人文的な「ケアの本質」論はそれらを補って余りあるのではないか?

 

 

「輪廻転生:<私>をつなぐ生まれかわりの物語」

カテゴリー : No book, no life.

読書の秋にふさわしい一冊の本が友人から届いた。

まれびと・奇(貴?)人の竹蔵史人氏が最近出版した「輪廻転生:<私>をつなぐ生まれかわりの物語」という力作だ。9月20日発行となっているので、今日はそれより4日ほど前になる。

できたてほやほやの新書からそこはかとなく沸き立つようなページとインクの香りが心地よい。

かなり前の話になるが、かの奇人と僕は東工大のとある大学院生向けの上田紀行教授の授業をいっしょにとっていた。授業といっても、学生はたしか4人しかいなかったので、毎回、ワイワイガヤガヤあの世、イタコ、魔術、悪魔祓い、生まれ変わり、聖霊、仏教、ダライラマ、神学理論などの議論に花が咲き、上田先生のオープンかつ談論風発を好む奇特なキャラも手伝って、知的刺激が横溢する豊饒な時間に満ちたクラスだったのだ。

それ以降、ソファに寝袋が無造作に拡げられ、カップラーメンのカラなどが転がっている西7号館の彼の研究室をふらっと訪ねては、霊魂の実在、生まれ変わり、スピリチュアリティなどいろんな話をしてきた。たまに呑んでも、だいたいこのような話題から逸脱することはなかった。この本のモトとなる彼の、丹念な考証と大胆な構成を展開する修士論文も読ませてもらい、静かに唸ったものだった。

さて、この本に俄然注目する理由を3点のみ書き留めておきたい。

一つめは、リベラルアーツの視点からだ。自由に、より善く生きるとはいったいどのようなことなのかに思索をめぐらせるうえで、この本はとても味のある触媒効果に満ちている。イビツな現代日本では、とかく隅っこの隅っこに押しやられ隠蔽されやすい死。だから視点を転換して、死ぬことを基点にして、その前の生を考える。ついでにその後の生も。これバックキャスティング思考の応用。

生まれ変わりに関する古代インドの動向や19世紀のフランスを中心とした心霊運動、そして現代のニューエイジ・ムーブメントが手際よくまとめられ紹介されている。オリジナルの修士論文とは異なり、かなりポイントを絞り込み、分かりやすく噛み砕いた説明になっていると思う。

幸い参考文献リスト(p217~)も充実しているので、それらをたよりに関連する文献を渉猟することもできるだろう。

二つめは、保健医療福祉マネジメントの視点。多死社会の到来、サービス経済化、資本主義の根本的変質を受け日本はケアシフトをとげつつあり、死生観もその例外では決してないのだ。死ぬことがすべてのthe endではなく、死後の世界を受けとめ、生まれ変わりを「心的な構え」として持つことは、キュア(治療)やケア(支えあい)にとって決定的に重要な意味を持つということだ。

死生観の構築こそが、生存転換の、そしてケアシフトの一大テーマを構成する。その際、本書で示されているように、宗教を問わず世界に広く受けとめられている輪廻転生、生まれ変わりのアイディアは新しい死生観の扉を開くことになる。

QOLの向上が見込まれない胃ろう造設術を無理やりやったり、治癒回復の見込みがないにも拘わらず投薬、手術などを過剰に行うよりは、緩和ケア的アプローチのほうが結果としてQOLの維持には資することが多い。「近代病に罹患した日本社会の末期症状」(p214)は案外、地域の病院の臨床現場において顕著だ。

その際の、輪廻転生という生き方・死に方というアイディアは「隠された医療資源」といっていいほどの意味を持つことになるだろう。さいわい本書でも丹念に分析されているように、日本には①再生型(p25~)、②輪廻型(p57~)、③リインカネーション型(p99~)の3種類の輪廻転生の物語、がいささか断片化しつつも文化基層に隠されている。これらを掘り出して、自分にふさわしい死に方、生まれ変わり方を構想するとき、本書は有用なガイドブックになること請け合いだ。

余談めくが、仏教看護のようなアプローチも、②輪廻型(p57~)を前面に押し出せば面白い展開になるだろう。

三つめは、東西古今にまたがる輪廻転生の文脈<コンテクスト>の脈絡だ。江戸時代の偉大な知性、平田篤胤が発掘しテキスト化した「勝五郎再生記聞」がラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によって英訳され西洋社会に伝えられた。この英文テキストに接したイアン・スティーブンソンは、大いに触発され前世記憶の大研究に着手していったのだ。その後スティーブンソンはヴァージニア州立大学に篤志家の財政的援助を得て、輪廻転生、生まれ変わり研究の専門研究所、The Division of Perceptual Studies (DOPS)を設立しているのである。

秋の長夜、この本を片手に輪廻転生、生まれ変わりという観念が伝播していった東西古今のトラジェクトリー(軌道)に思いをはせつつ、ちょっと自分の生死を拡大して眺めてみるのも一興だろう。

 

看護サービスX情報学Xシステム思考

カテゴリー : イノベーション

Nursing Informatics at Kwantlen Polytechnic University

このところ、医療機関の現場や各地の看護協会での講演活動を通して看護と情報学(インフォーマティクス)、システム思考がますます接近していることを実感している。とくに倉敷中央病院で2日間カンヅメになって看護を含む多職種のチーム医療トレーニングをさらせていただいた時に強く感じた。

そもそも医療チームの中の看護業務は、患者の臨床情報のみならず、家族、社会における役割、死生観など非常に広範な情報(定量・定性ともに)を取り込むことによって成立している。「成立」というのは、以下のような一連のフローがアウトカムに集束して初めて成り立つということだ。とくに、近年アウトカム志向の看護サービスが強調されているが、情報の活用とは、成果にむすびついてナンボの世界だ。

さて、ここで注意したいのが、①データ→(意味づけ)→②情報→(編集・構造化)→③知識→(判断・行動)→④問題解決→(具体的な介入)④成果(臨床的効果、患者満足効果などのアウトカム)、という流れだ。(詳しくは拙著「看護経営学」などに詳しい)

ダントツに仕事ができる人たちは、どのような仕事でもこの流れを個人的に確立している。また、組織としても、この流れが組織学習として確立されることになれば、一段と高いレベルの組織の知恵にもなる。

ところが、看護の現場はさながらデータの洪水だ。バイタルサイン、各種検査データ、医師からの指示データ、患者の容態の時系列変化、じょくそうリスクアセスメント・・・数え上げたら切りがない。さらには、専門看護師や認定看護師になってくると、それぞれの専門分野ごとで扱う情報がガラッと変わってくる。同じ医師や看護師であっても専門領域が異なってくると話が通じない、なんてこともよくあることだ。

笑うに笑えない。データや情報に振り回されてしまい、知識、問題解決、成果といったより価値の高いフェーズにまでつながらないのだ。

そして、現代看護ではエビデンスとしての「記録」や問題解決志向(Problem Oriented)の記録といった情報の編集・構造化も強く問われている。行ったこと、考えたことをツラツラ書き記すだけの牧歌的な所感程度の記録はもはや過去の遺物だ。もっとも近年は、看護行為そして看護行為を記述する言語体系を標準化してゆくという動きも顕著である。

日本でも北米看護協会が提唱したNursing Interventions Classificationの日本語バージョンを導入・唱導する動きもあるくらいだ。すべての介入行為は標準的な言語で表現できるのか、という問いについては批判の俎上にあがることもある。たとえば患者の内面・実存的な苦しみ、そしてそれに対する介入の標準化は到底ムリで、だからこそ、物語り=ナラティブに注目すべし、との批判には一理も二理もあるだろう。

いずれにせよ、生成された知識をいかに判断と行動の、手段として活用できるのか、が問われているのである。つまり、具体的な問題が解決され、システムを介して何がしかのアウトカムが成果としてもたらされる必要があるのだ。

それゆえに、看護と情報学とシステム思考は親和性が極めて強く、また近未来の看護は情報学やシステム思考なしではまったく成り立たなくなるだろう。

医療の世界では、ウェラブルな生体情報センシングデバイスや臨床ビックデータの活用などというイノベーションが巻き起こりつつある。これらのイノベーションには大いに期待したいのだが、そのようなイノベーションによってもたらされる情報は、また新たな洪水を巻き起こすことになるだろう。

このような動向に対応するためには、それなりに新しい武器あるいはスキルセットが必要だ。それをひとことで言うと、「看護サービスX情報学Xシステム思考」である。

日本ではほとんど知られていないようだが、アメリカではこの方向での看護教育・研究のイノベーションが著しい。その。データ→情報のイノベーションにより効果的に対応して、知識→問題解決→成果という後半の流れの主人公である人間サイドのスキルセットを高めて行くというものだ。

たとえば、

デューク大学看護学部ナーシングインフォーマティクス

バンダービルド大学看護学部ナーシングインフォーマティクス

 ペンシルベニア州立大学看護学部ナーシングインフォーマティスク

 いずれも、「看護サービスX情報学Xシステム思考」を前面に打ち出したカリキュラムで勝負している。

ヒューマニチュード

カテゴリー : ケア

 

Humanitudeは、英語読みをすればヒューマニチュードと発音するが、フランス語では”h”は発音しないので、ユマニチュードと読む。なので、以下ユマニチュードで。

これは、フランスのイヴ・ジネストとマレスコッティが提唱するコミュニケーションに力点を置いたケアリング手法の体系だ。介護が中心だが、日本の医師や看護師にもこの体系を取り入れて大きな成果を出しているケースが増えつつある。

さて、新生児は、オンギャーと生まれてから(第一の誕生)、家族など周囲の人間との関係性を経て「人間」として成長してゆく。これをユマニチュードでは第一の誕生と対比させて、「第二の誕生」とか「社会的な誕生」と呼んでいる。

第二の誕生では、他者との関係性の中で信頼関係、人間関係、絆などが生る。これば、ソーシャル・キャピタルに近い概念だ。ユマニチュードのユニークな点は、これを4つの人間の基本的な機能、つまり、①見る、②話す、③触れる、④立つ、に分類する。

第二の誕生で大切なのは、愛、優しさ、人としての人権の尊重。人は老いれば、身体機能や認知機能が低下する。これはどうしようもないことだ。このような状態を、ユマニチュードは肯定的に「第三の誕生」と呼ぶ。この点もユニークだ。

このような構えをベースにして、「第三の誕生」以降をケア、支援するものとして、様々な具体的な方法論がある。たとえば、

・介護者や医療者がこれから患者である老人に対して行うことを老人に同じ目線で、ゆっくり、しっかり語りかける。

・正面から患者の目を優しく見つめる。

・患者の身体に触れるときは掴む様な持ち方をせずに触れるようにする。

・赤ちゃん言葉や子ども向けの言葉は使わず、大人として接する、etc…

ユマニチュードの体系は、美しい階層構造を成している。つまり、(1)コミュニケーション方法・技法体系、(2)方法論、そして、(3)哲学である。これらによって普遍性と具体性をソフト・システムとして担保している。参考ブログ、その1その2記事

なので、いろいろなケアリングの場面のケアサービスをデザインできるのだ。緩和ケア、特養、口腔ケア、I在宅介護、訪問看護、デイサービス、ケア付き高齢者専用住宅・・・・・などのケアリング領域もさることながら、案外、ICUやCCUを含めるキュア領域にも活用可能だろう。

さて、サービスの提供者側は、技術的品質を高めるためにクリティカルパス、基準、手順など設計品質の側面から入ることが多い。ところが、顧客である患者が体感する品質は、設計品質ではなく、知覚品質だ。知覚品質は、さらに関係性品質に大きく左右される。

ヒューマン・サービスという観点で見ると、ユマニチュードの技法は、知覚品質と関係性品質の側面から、患者満足を高め、そして臨床的効果を高めることを狙ったものだ。そして、メタ思考を規定する哲学的フレームから、ソリューションとしての具体的な方法論、方法が整っているのが素晴らしい。

医療・保健・福祉の専門分野は、タテ割りのハードスキル教育が幅を利かせている。ややもするとバランスを欠きがちになるこれらの体系に必要なものは、リベラルアーツ(自由文芸七科目という狭義のそれではない)であり、専門分野横断的なソフトスキルだ。ユマニチュードは日本の保健、医療、福祉サービスの足りない部分を真正面から衝いている。

以上のような点から、ヒューマンサービスの新しい方向として注目なのだ。

 

重厚感溢れる「ケアの社会学」

カテゴリー : No book, no life.

やっと読み終えた重量感溢れる一冊。497ページで1ページ2段構えのテキスト構成という大部な本だ。社会学という切り口からケアを見つめ、よいケアとはなにかを徹底的に論述している。

さまざまな先進事例、成功事例、失敗事例が丹念な記述で紹介されている。これら事例に対する参与、足で稼いだ参与的な観察がとてもためになる。

生協福祉、ワーカーズ・コレクティブ、「このゆびとーまれ」、「ケアタウンたかのす」などについての分厚い記述は、なるほど、とても有用だ。

ただし、論理構成の面で、ちょっと気になったところをメモっておく。

「官/民/協/私の4セクターのうち、ケアのプロバイダーが民セクターに属すること、すなわち、市場に依存するオプションはさけたほうがよいとかねてからよいと考えてきた」(p236)とあるように、筆者は過度な民セクター、つまり市場のなかでCSRに担保されるにせよ利潤追求動機でケアサービスがなされることには反対の立場をとっている。

後ろの方では、「福祉多元社会を構成する4つの領域、官/民/協/私は、それぞれポランニの再配分、交換、互報性、贈与に対応する経済領域と考えることもできる」(p456)とも書いている。

協セクターに思い入れのある筆者の上野さんの立場からすれば、この立場自体はもっともなものだと思う。

ところがだ。「ケアとは、ニーズとサービスの交換である」p134と筆者は言うのだが、貨幣を媒介にしてニーズとサービスが「交換」される場は「市場」なのだから、市場を主たる活動の場とする民セクターをどうしても強く含意していまう。

だから、ここは、市場に依存するオプションを避けるという論点から言えば、「交換」であってはならないはずだ。概念構成と論理構成に工夫がいる。たとえば、こんなふうに論述してみたらどうだろう。つまり、

ケアとは与えて手のコンピテンシーと受け手のニーズが共鳴してサービスとして価値共創(value co-creation)されるものである。さらに言えば、ケアサービスシステムとは、与え手と受け手が共に創るサービスを持続的に生存可能なものことにするためのシステムである。

この本の後半の圧巻は、「福祉多元社会」を構想しているところだと思う。官/民/協/私は、対立でも、対抗でも、共存でも、まして、相互補完でもないはずだ。それぞれのセクターが、境界を融通無碍に越境して浸潤し、相互に「価値共創」して、はじめて「福祉多元社会」化にむけてのサービスイノベーションは実現されるはずだ。

こうすれば、スッキリして分かりやすい。

 

『オーラルマネジメントに取り組もう 高齢期と周術期の口腔機能管理』

カテゴリー : No book, no life.

 Photo: 本日、解禁!<br /><br />
出来立てほやほや、少し青くてフレッシュな、『オーラルマネジメントに取り組もう  高齢期と周術期の口腔機能管理』(デンタルダイヤモンド増刊号)が、本日発行となります、何卒よろしくお願い致します!!<br /><br />
私は、編集担当として、脳卒中のオーラルマネジメント、エッセイ、Q&A、最終章、第4章の『歯科以外の職種・現場が期待するオーラルマネジメント』を担当させて頂きました。<br /><br />
この第4章の執筆を分担された、医師、MOT教授(医療コンサルタント)のみなさんは、全国在宅歯科 ・医療連絡会のメーリングリスト参加され、この3年間の交流、意見交換を通して、適格な提言、アドバイス、コンサルティングを頂戴しており、ぜひ、ご覧頂けましたら幸いです。<br /><br />
急性期医療、回復期リハビリ、地域医療、地域包括ケアという、大海へ漕ぎ出すための、羅針盤が本書の、役割のひとつでもあります。

今度、拙文を寄稿した本のナレソメはちょっと変わっている。なんとメーリングリストから生まれた本なのだ。

専門的な話はこの本に譲るとして、僕は、健康・医療サービス、サービス・イノベーション研究、分野横断的ものことつくりの専門家(?)として、一般社団法人「全国在宅歯科医療・口腔ケア連絡会」というネットワーク組織のアドバイザーをボランティアでやっている。

北海道から沖縄まで、歯科医、医師、歯科衛生士、看護師、栄養士、作業療法士、介護福祉士、大学教員、コンコンサルタント・・・・いろいろな医療系の専門職が、オーラルケアについて、ああだ、こうだ、ワイワイガヤガヤやっているうちに、本を書こうという話が持ち上がり、紙媒体を提供する出版社=デンタルダイヤモンドと御縁が生じ、今年の始めくらいから、企画ができ、拙文1本を提供したというものだ。

一冊の本を書くには、それなりの新しい知見、独創的なアイディア提案、最新動向への洞察、類書にはない切り口・入口の新規性が問われる。

これらの作業をひとりでやるとなると、けっこうシンドいのだ。でも、ネットの時代では、複数のプロフェッショナルが、濃度・密度の濃い、コンテキスト(文脈)に立ち、動態的にイシューを分かち合い、イシューに密接に関係する粘着力が強いコンテンツを紡ぎだすことができる。

おりしも、医療界では「チーム医療」の大合唱だ。口腔ケアという領域でも、もちろん新しいカタチのチーム医療が強く要請されている。そんな状況に投げ込む本も、やはり、チームアプローチ=チームによる価値共創があっている。

編集という知のデザインは、イシュー(コンセプチュアルなテーマ)Xコンテキスト(文脈、流れ)Xコンテンツ(論点、方法論、方法、提言、分析、オピニオンなど)の掛け算だ。医療のような変化が激しいイシューに取り組むには、ダントツのライターが一人で得組むよりは、複数の専門分野を持ったプロが、集合知を出し合って取り組むほうが、結果として、いいアウトプットをエレガントに濾しだすことができる。

このような下地に、ネットは実によくマッチするのではないか。

そうした知がやがて臨界域にまで達すると、たぶん、集団的な表現欲求も一皮むけて、新しい媒体を得るに足るくらいのエネルギーを持つにいたるということなんだろうか?

いずれにせよ、新しいコンテキストに新しいコンテンツが乗るっていることを体感した。内容もさることながら、新しいwriting styleを得たのはけっこうな歓びである。

 

 

 

地域のケアリング・ハブを目指す愛媛大学医学部付属病院

カテゴリー : ケア

<副病院長・看護部長の田淵さんらとともに>

このところ年に数回脚を運んで、講演、コンサルティング、コンピテンシー、職務満足調査などの共同研究プロジェクトなどのソリューションを分かち合っている愛媛大学医学部付属病院

写真は前回お邪魔した時のもの。いわゆる院内レストランだが、そのメニューの充実ぶり、質の高さに感動した。本格的な釜めしを供するまでに進化している。食材としてのメニューの質の高さもさることながら、レストランのホスピタリティ、「おもてなし」度合いも、さすがに高い。

医薬、医療機器、診断方法、治療方法など、医学・医療に関わる多様なテクノロジーが複雑に集積する大学病院は、まぎれもなく地方診療圏の拠点病院だ。その意味で、大学病院のマネジメントは医療技術マネジメントとほぼ同義。ただし、技術を活用、利用、応用するのは人なので、ヒト階層のマネジメントがきわめて大事になってくる。

医療・保健・看護・福祉サービスの後方システム、サービス・サポートシステム、サービス・マネジメント・システムづくり、サービス改善など、いわゆる「ことつくり」系のお手伝いをしている。

 

<田渕さん発案のうちわ>

医療界では、臨床の医療チームと患者が直接価値を共創する医療サービスそのもの核心部分=core layer、それらをとりまく各種マネジメントサービスの第2次階層(secondary layer)、そしてさらには患者・家族・関係者のためのホスピタリティサービス=第3次階層(tertiary layer)に分ける医療サービス・モデルがよく用いられる。

この区分けに従えば、たしかに院内レストランやちょっとした「うちわ」などはtertiary layerの第3次的サービスではある。第3次的サービスの質の高さは、1~2次サービスにある程度比例するのではないか?!

気持ちの余裕、品格、そこはなとない気遣い、いたわりの気持ち、おもてなしのセンス、・・・・。

そういったものが組織風土やケアリング文化などを醸成してゆくのだから、第3次的サービスとひとくくりにするのは、ずいぶん近視眼的すぎるのかもしれない。

 

近畿中央病院での講演@サンシティパレス塚口

カテゴリー : ものつくり

ちょっと前の話(2012年3月17日)になるが、近畿中央病院から招待講演に呼ばれた。その近畿中央病院は、すぐ至近にある高額所得者(ストック面)向け介護付き有料老人ホームのサンパレス塚口と、「医介連携」を行っている。その流れで、近畿中央病院での僕の講演がサンパレス塚口で行われたのだ。

格差が拡大しつつある社会において、ストック、フロー両面で裕福な階層にターゲットを絞り込んだ介護付き有料老人ホームである。入居者には、関西財界で名の知れた企業の元社長、役員が多いという。

設計はすべてアメリカのランドスケープアーキテくトを起用し、日本にゴマンとある介護付き有料老人ホーム特有の無機質なクササを排除し、高級ホテルのアメニティを彷彿とさせるシックでエレガントな雰囲気に満ちている。壁、窓、調度品、庭にいたるまで、一貫性のあるケアリング・コンセプトで、デザインされている。

講演会の前の晩と翌日の朝食は、サンパレス関塚の運営会社ハーフ・センチュリー・モアの社長、金沢有知さんとご一緒した。有知さんは金沢富夫氏の息子さんで、その昔、アメリカに渡る前、僕は金沢富夫氏が経営していた会社に勤めていたことがある。

そんなことから、温故知新となったのだ。

さて、入居者は、孤独になりがちだという。いかに、信頼、相互扶助、絆といったソーシャル・キャピタルを入居者間、そして入居者の従業員のネットワークの中に共創(co-create)していくのかが今後の課題だと伺った。そのために、CRM(カスタマー・リレイションシップ・マネジメント)システムなどを導入して、従業員の間で、個々の入居者の生活ログなどを共有してキメ細かなサービス開発の途上にあるそうだ。

高齢化が急速に進む一方、格差も拡大している日本。ここに入居している方々は、そんななかで、なんとかシノギきり、潤沢なストックを活用して、人生の折り返し地点から後半のライフスタイルを良きものにしたいと願う階層が中心だ。

サンパレス塚口は、そのようなニーズに対してのサービス・オファーリングである。

介護と、まちづくり、地域開発は、従来、まったく個別に行われてきたが、ハーフ・センチュリー・モアの取り組みは、なるほど、自由市場における民間イニシアチブによる、それらの統合という面がある。介護サービスのトップニッチ市場での、ひとつのケアサービスイノベーションの試みなのだ。

                                                 ***

ここでのケア・サービス・イノベーションの姿をちょっと一般化してみると:

ケアシステム=(モノ、コト)

Care System = ( Creating thinghood,  Caring relation )

where,

モノ→ハードウェア→ ケアリング・デザイン&アメニティ・デザイン

 (建物、屋内外施設、部屋、風呂、廊下、中庭、ガーデン、図書室、レストラン、ティールーム、などなど・・)

※ケアシステム実現のためのモノツクリの課題

コト→関係性:ソーシャル・キャピタル→ ヒューマン・サービス・デザイン&ケア共創のための関係性マネジメント

 (入居者間関係、入居者従業員間関係、地域の医療機関間関係・・・・)

※ケアシステム実現のためのコトツクリ=関係性つくりの課題

                                                 ***

・・・のようになるのではないか?

いずれにせよ、古い記憶がよみがえり、新しいモノゴトのシャワーに触れたような、とても印象深い講演だった。

 

院内起業家だらけのワクワク府中病院

カテゴリー : アントレプレナーシップ

(2012/02/03 医療サービスマネジメント調査でインタビュー)

病院っていうのは、ワクワクするような所ではない。医療崩壊が喧伝される昨今、そこで働く医療スタッフも疲れ気味だ。でも、生長会府中病院のスタッフはとてもイキイキしている。それが一歩この病院に足を踏み入れた時の第一印象。

それもそのはず、5000万円もの大金をかけて、スタッフがツアーを組んでフロリダのDisney Landまで行って、カスタマーサービス、サービスシステム、サービスの進化のさせ方、コミュニケーションなどを実地に学んだそうだ。(いいなあ)

現場がエンパワーし、ワクワクしている。そのカギは、TQM(Total Quality Management活動)のシステムのかませ方だ。TQMが院内起業家(In hospital entrepreneur)の孵化器のようなハタラキをしている。そして、ワクワク人材が、ヤラサレ感覚なく成果を着実に出している。

<出所:府中病院資料>

この病院には、「サービスクリエーションプロジェクト」(Service Creation Project)なるものが動いており、人材→ソフト→職員部門、建物→ハード→環境部門、業務→プロセス→業務部門、顧客→アウトカム→顧客部門というように大きく分けて、教育チーム、表彰チーム、美化チーム、QC推進チームが活動している。2001年から開始し、2010年には112ものQCサークルが活発に蠢いている。

①抗ガン剤に関わる業務統一化、②産科外来のシステム変更(助産師のスキルアップ→医師と助産師の交互診察システム→助産師外来2診体制)③Drug information業務の標準化など、ボトムアップ、ミドルアップ、トップダウンの上下循環運動、せめぎ合い運動で成果を生んでいる。成果を出すために動いてみる→試行錯誤する→改善する→成果が出る→成果を計測しフィードバック→新たなテーマアップ、というサイクル。

<出所:府中病院資料>

カサカサに形骸化した目標カンリではなく、むしろ、サービス・アクション・リサーチサイクル(service action research cycle)が、5S、TQM、目標管理というツール系のプラットフォームの上で躍動している。

大半の医療機関では、5S、TQM、目標管理などに取り組みながらも、いわゆる「上からのお仕着せ」感覚、「ヤラサレ感覚」で動いているので、アクションリサーチのサイクルが回っていない。

もっとも、医療機関はサービス組織なので、バリューチェンはものつくり製造業のように長くはなく短い。なので、異なった職種間や部門間のダイナミックなネットワーク(dynamic networks of interactions)ができれば、カイゼンはそんなに難しくない。難しいのは、融通無碍なごちゃまぜネットワークを組成させることだ。

組成させるって書いてしまったが、実は、組成させるんじゃなく、自然に組成させる・・・つまり、自己組織性原理をいかにイキイキ発動させるのかがキーポイントだ。このようにして、府中病院は、既存のマネジメントツールをみんなで使いこんで、複雑対応的組織として進化している。

病院というサービス組織を複雑対応的組織に進化させてゆくためのヒントに充満している。

 

 

アメーバになった病院

カテゴリー : ケア

(2012/2/03医療サービスマネジメント調査のためインタビュー)

まさか、病院という建物がアメーバのように半透明になったわけではない。

松下記念病院は、京セラ式の「アメーバ経営」を独自に医療機関向けにカスタマイズした手法をフル活用することで、おおいに成果を上げている。山根哲郎病院長の柔軟なリーダーシップに負うところが多いと思う。

さて、失礼を承知で言えば、病院には多くの「伏魔殿」があるが、その一つが「看護部」という組織だ。「看護部」は、通常、直接サービスを発生させる部署ではなく、入院、外来、オペ室などが行っている直接的な看護サービスに対して、人事、総務、教育、システム支援、調整、目標管理、イノベーションへの対応支援などのサービス・オン・サービス(service on service)を行っているサービス管理のための部門だ。

その業務の本質は、病院経営全体へのサービスを行う管理部門(昔は事務部ということが多かった)と同型である。

山根病院長は、その本質に気づき、「看護部」を事務部門へ統合した。ただし、本質に気がついただけでは、ここまでの変革はできないだろう。大方の「看護部門」は、「事務部門に統合~~」と聞いた瞬間に拒否・拒絶反応を示すのは目に見えている。

スタッフの時間あたりの生産性の見える化がカギだ。

収入、経費、時間の3要素で時間当たりの付加価値を計測して、見える化すると、そのプロセスで、各スタッフや部門が、自律的に時間当たりの付加価値を高めるように、整理・整頓・清掃・清潔・躾などの改善活動に積極的に取り組むようになったという。

その結果、直接的に収益を生み出さない「看護部」の性格と問題が明らかになった。そして、多くの議論の末、「看護部門」は「事務部門」に統合された。

こう書いてしまうと簡単なようだが、その変革を可能にしたのは、精神論、使命感、ヤル気といった抽象的なものではない。ツールつまりメソドロジー(方法論)である。

マネジメント、経営には適切なツール(メソドロジー)が必要で、それによって得られたデータを共有することによって、やりとりのダイナミックなネットワーク(dynamic networks of interactions)、ひいては自律的な医療チームが自己組織的に生まれ、組織変革に結びついてゆくのである。松下記念病院の場合は、そのためのツール(メソドロジー)が京セラ式の「アメーバ経営」だ。

組織の基本=5Sという組織と仕事の基本となるカイゼン志向のワザ(メソドロジー)と、マネジメントを刷新していくイノベーション志向のワザ(メソドロジー)=京セラ式の「アメーバ経営」を融合させたという点で、大変参考になると思う。

換言すれば、ワザありとワザありの掛け算で、一本だ。日本のような複雑な医療環境を持つ先進国で、複雑適応的システム(complex adaptive system)へと変革してゆくためには、合わせ技が必要だ。

複雑適応的なメンタルモデルを持つリーダーが、自己組織性を着火させるようなモノゴトを、そっと組織のなかに仕込み入れ、いろんなエージェントを巻きこんで、組織変革をやらせてしまうという組織デザイン思考(organizational design thinking)が必要だ。

日本の医療機関で複雑適応的システム(complex adaptive system)を体現している組織を調べることは興味深い。