村口和孝氏X藤野英人氏による刺激満載の講演&パネル

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大学のシンポで、村口和孝さんと藤野英人さんによる面白い講演&パネルが開かれた。言わずと知れたベンチャー投資家、ファンド運用者として大成功を収めているお二人だ。

実は前職の東京農工大学技術経営研究科でアントレプレナーシップの講座を持っていた時、ぜひ教室に呼んでトークしてほしかったが、かなわなかったお二人。これもなにかのご縁だ。忘れないうちにメモしておこう。

村口和孝さん 

・これからは未来を積極的に実現してゆこうという「能動的人生」を求めるマインドの人にとっては面白い時代だ。

・ただし、オモシロイ時代にするためには、大企業に「勤めて」他人の言いなりに働くことを良しとする「受動的人生」とは根本的に異なる生き方が問われている。

・そもそも、現代日本は工業時代の組織=規格大量生産のオペレーション中心組織に過剰適応してしまった。そこでは失敗が少なくて平均点がいい人、組織ニーズに素直に反応する「受動的」な人が重要で、そういう人たちが大切にされてきた。

・今の日本は、規格大量生産の重厚長大型工業時代は終焉を迎え、情報やサービスが時代を引っ張っている。組織ではなく、個人の創造性が全面に出やすくなっている。自分なりの事業機会(opportunity)を探してニッチを作ろう。そうすれば自分の仕事を好きになる。

・起業つまりコトを起こすためには、未実現の需給ギャップを見つけて、そこにテコを入れる発想と行動が大事だ。

・サラリーマンは自分の会社が好きだという神話があるが、それは嘘。国際調査によっても日本のサラリーマンは自社に対する忠誠心、愛情、仕事に対するコミットメントが脆弱でカスカスな状態であることが明らかにされている。

 

 

・21世紀は日本人全員が総起業家になってゆく時代だ。いや、世界人口70億人が全員起業家の時代だ。

 

 

藤野英人さん

・2002年から2012年の10年間を見ると、トピックスコア30銘柄のいわゆる大企業グループは平均して株価がたいして上昇していない。ところが、JASDACは43パーセント上昇、東証2部で67パーセント上昇のパフォーマンスだった。

・上場している中堅・小規模企業(1705社)は経常利益が2倍となり、株価も2倍になっている。こういう企業群をこまめに調べ選別して投資をすれば私みたいにうまくいく。

・トピックスコア30銘柄の大企業では30歳台の役員は一人もいない。高齢者によって経営陣が占拠されている。アマゾン、アップル、フェイスブック、グーグルなどでは社長が30代であたりまえ。

・大学生の就職人気は相変わらず、トピックスコア30銘柄を中心にした伝統的なつまりイノベーションが弱い企業群に集中している。

・田舎の両親も知っている企業だから根拠のない安心感があるだけだ。

・東大、早稲田、慶応などの優秀であるとされる学生がそういう企業にこぞって就職するが、内実は惨憺たるもの。社内は高齢化していて、役職も高齢者によって占拠されていて、高いポジションをゲットすることはできない。給与も上がらない。

・「半沢直樹」がウケているのは、実はそういう構造が背後にあり歪んだ病理みたいなもの。あんなストーリーがウケるのは日本だけ。会社がイヤなら、とっとと辞めて起業しろと言いたい。

・だからそういう企業にムリして勤めると人生に疲れて、人生がつまならくなる。人生がつまらない人、疲れた人たちがたむろする企業からはイノベーションは起きませんよ。

・だから、若者達よ、大企業にもたれるのは止めて、心底、好きなことを探そう。好きなことを核にして起業しよう。好きなことをやれば幸せになれるし、成功確率もグンと上がるからだ。人生が面白くなる。

・そして、好きなことを、好きな人と、好きな場所でやる。昨今劇的に進んでいるIoT、AI、テレワーキング技術などの情報通信技術を上手に使えば、実現可能だ。

 

・とくに、東京以外の地方で独特のニッチを取り込んでいるマイルドヤンキー社長が経営している「地方豪族企業」がいい。そういう会社はコア事業をベースに慎重に、M&Aで地元中小企業を買収して業態を拡大してミニコングロマリットを創りつつある。

・とくにそういう会社は介護、福祉、医療分野にも積極的だ。

・リンダ・グラットンかなんかが、「100年人生」とかなんとか叫んでいて日本政府もあんな馬鹿者を呼んだのは皮肉といえば皮肉だ。

・江戸時代までは日本人の大半は食うために副業をやってましたよ。本来の日本人にとって副業はやってあたりまえ。原点に回帰しよう。

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大変知的刺激に満ちたトークだった。

 

起業寺子屋

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起業&社会イノベーションに関するリソースを「起業寺子屋」のページで整理・整頓しました。教材、方法論、論説、新聞記事まとめ、実践事例、カリキュラム、経産省から認定・支援してもらったベンチャービジネス戦略論など、よりどりみどりです。

フィンランド産業のコメは起業&イノベーション

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ムーミンを生んだ国、フィンランド・ウオッチャーとしても今年は記念になる年だ。

Global Competitiveness Report 2012-2013によると、フィンランドのThe Global Competitiveness Indexは堂々の世界3位だ。日本は10位。フィンランド国内の市場は小さく世界54位、日本は4位。フィンランドはのHigher education and training は世界1位、日本は、21位。フィンランドのイノベーションの活発度は、世界2位、日本は5位である。

人口5.6百万人のコンパクトな国ながらも一人当たりGDPはUS$49,350。フィンランドが「産業のコメ」として重視しているものが、起業とイノベーションである。コモディティ化した鉄や半導体ではない。起業とイノベーションが、フィンランドの産業社会を駆動するエンジンだ。

OECDは政策策定や評価にあたって、起業とイノベーションを表裏一体のシステミックな社会的な現象ととらえていて、起業政策とイノベーション政策を隣接した位置づけで括っている。

300万人~1000万人の人口で、国内経済規模は小さく、人件費は高く総じて高コスト体質。でも高コスト体質をカバーする高い付加価値を生み出す高生産性のヒューマンリソースをしっかり育成している国が、現在の高付加価値先進国だ。そのような国は、ビジネス環境、住環境ともに良質で、世界のグローバル企業の幹部、研究者、起業家、留学生、専門職を吸引することができる。

そして、これらのリソースを活用して高い付加価値のモノコトを創りだして、世界に向けてブランド、ソリューション、人材を送り出すことができるのが、高付加価値国家の姿だ。

フィンランド以外にも、スイス、スウェーデン、デンマーク、シンガポール、ニュージーランドなどが入る。これらの国々は、脱工業化しており、ヒューマン・サービス先進国でもある。

ちなみに、目利きの大前研一氏も、これらの高付加価値先進国に注目しているようで、最近、「クオリティ国家という戦略」という本も出している。

大前さんの本には、詳しくは書かれていないことだが、このようなコンパクトな先進国が政策的に重視しているものが2つある。高付加価値国家の「産業のコメ」--それはコモディティ化した鉄や半導体といったモノではなく、起業とイノベーションだ。とくにノルディックの国々は、サービス先進国なので、必然的に、ヒューマン・サービス分野の起業、サービス分野のイノベーションに重点が置かれている。

起業政策(Entrepreneurship policy)とは、主に新しい起業家の出現および新しい企業のスタートアップや成長を促進するサポートシステムや環境作りに関することである(Lundstrom and Stevenson 2002, 2005)。かたや、イノベーション政策(Innovation policy)とは、新たな知識の創造、政府によるイノベーションへの効率的な投資、知識や技術の普及に向けたイノベーション・システムにおける各プレイヤー間の結合の改善、経済価値やビジネスとしての成功に向け知識を変換させていくための民間企業へのインセンティブの設定に関することである(OECD2002, p19 Commission of the European Communities)。

よく知られてるように、フィンランドはGDPに占めるR&D費用の割合も高く、また失業率も近年は下がっているようだ、ところが、1990年代より上記のような起業家政策を増加させているにもかかわらず、初期段階の起業活動は活性化していないようだ。

さらに、フィンランドの起業家は他の北欧諸国と比較して成長志向に乏しいとも言われている。起業の環境は整っているが、フィンランドは起業および高い成長志向の文化を促進することに成功していない、との批判もあるようだ。

いずれにせよ、国と国、地域と地域の社会制度、パフォーマンスを比較考量するデータは、20年前の比でない。マクロ的なデータによって俯瞰して、聞き取り調査、フィールド調査によって個別の事情に分け入っていけば、短期間に面白いリサーチができそうだ。

 

院内起業家だらけのワクワク府中病院

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(2012/02/03 医療サービスマネジメント調査でインタビュー)

病院っていうのは、ワクワクするような所ではない。医療崩壊が喧伝される昨今、そこで働く医療スタッフも疲れ気味だ。でも、生長会府中病院のスタッフはとてもイキイキしている。それが一歩この病院に足を踏み入れた時の第一印象。

それもそのはず、5000万円もの大金をかけて、スタッフがツアーを組んでフロリダのDisney Landまで行って、カスタマーサービス、サービスシステム、サービスの進化のさせ方、コミュニケーションなどを実地に学んだそうだ。(いいなあ)

現場がエンパワーし、ワクワクしている。そのカギは、TQM(Total Quality Management活動)のシステムのかませ方だ。TQMが院内起業家(In hospital entrepreneur)の孵化器のようなハタラキをしている。そして、ワクワク人材が、ヤラサレ感覚なく成果を着実に出している。

<出所:府中病院資料>

この病院には、「サービスクリエーションプロジェクト」(Service Creation Project)なるものが動いており、人材→ソフト→職員部門、建物→ハード→環境部門、業務→プロセス→業務部門、顧客→アウトカム→顧客部門というように大きく分けて、教育チーム、表彰チーム、美化チーム、QC推進チームが活動している。2001年から開始し、2010年には112ものQCサークルが活発に蠢いている。

①抗ガン剤に関わる業務統一化、②産科外来のシステム変更(助産師のスキルアップ→医師と助産師の交互診察システム→助産師外来2診体制)③Drug information業務の標準化など、ボトムアップ、ミドルアップ、トップダウンの上下循環運動、せめぎ合い運動で成果を生んでいる。成果を出すために動いてみる→試行錯誤する→改善する→成果が出る→成果を計測しフィードバック→新たなテーマアップ、というサイクル。

<出所:府中病院資料>

カサカサに形骸化した目標カンリではなく、むしろ、サービス・アクション・リサーチサイクル(service action research cycle)が、5S、TQM、目標管理というツール系のプラットフォームの上で躍動している。

大半の医療機関では、5S、TQM、目標管理などに取り組みながらも、いわゆる「上からのお仕着せ」感覚、「ヤラサレ感覚」で動いているので、アクションリサーチのサイクルが回っていない。

もっとも、医療機関はサービス組織なので、バリューチェンはものつくり製造業のように長くはなく短い。なので、異なった職種間や部門間のダイナミックなネットワーク(dynamic networks of interactions)ができれば、カイゼンはそんなに難しくない。難しいのは、融通無碍なごちゃまぜネットワークを組成させることだ。

組成させるって書いてしまったが、実は、組成させるんじゃなく、自然に組成させる・・・つまり、自己組織性原理をいかにイキイキ発動させるのかがキーポイントだ。このようにして、府中病院は、既存のマネジメントツールをみんなで使いこんで、複雑対応的組織として進化している。

病院というサービス組織を複雑対応的組織に進化させてゆくためのヒントに充満している。

 

 

日刊工業新聞の連載コラム、「異見卓見」第4話

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日刊工業新聞の連載コラム、「異見卓見」第4話を寄稿しました。

『出る杭に起業パワー: 創造的奇人変人のすすめ』です。

第19講:WikiLeaksの超弩級・破壊的衝撃

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 WikiLeaksは“情報・知識戦争の9.11”とも、“超破壊的兵器”とも呼ばれている。外交戦略はおろか、 公共のあり方や企業戦略、情報システムにも、かつてないほど甚大な影響を与えている。破壊的な情報・知識サービスイノベーションをもたらしている異形のメ ディア、WikiLeaksに焦点を当ててみよう。

 

 尖閣諸島沖の中国船による海上保安庁船舶への衝突事件は、YouTubeによって一気に機密・秘匿情報が暴露され、日本中が蜂の巣をつついたような騒動になった。そして昨今は、WikiLeaksが次々と世界のトップレベルの機密・秘匿情報を暴露することを支援することによって、米国政府などが火消しに大わらわとなっている。

 WikiLeaksのホームページによると、「WikiLeaksはNPO(非営利組織)で、重要なニュースと情報を公衆に届けること」で 「WikiLeaksのジャーナリスト(電子ドロップボックス)に情報をリークする革新的で安全、匿名手法を提供している」という。なお、重要なニュース と情報は、以下の領域のものとしている。

戦争、殺人、拷問、拘留
政府、商業取引、企業の透明性
言論の自由、報道の自由への抑圧
外交、スパイ、(カウンター)インテリジェンス
生態系、寄稿、自然、科学
腐敗、ファイナンス、税、交易
検閲テクノロジーとインターネット・フィルタリング
カルトと宗教組織
虐待、暴力、違反行為

 まずは、WikiLeaksがもたらしている現象を振り返ってみよう。それらは大まかに言って5つにまとめることができる。

(1)秘匿情報・機密情報の非対称性の崩壊
 「しろしめす」という大和言葉をご存じだろうか。これは為政者にとって、どのような情報、知識を開示して公衆に知らせるのか、知らせないのかが、統治活 動の本質であるということを示している。通常、為政者や企業経営者は、国民やステークホルダーに対して、自分たちの都合がいいように情報・知識を取捨選 択、加工、編集して流すものだ。つまり、統治する側とされる側との間には、常に情報や知識の非対称性があることになる。WikiLeaksは、この非対称 性をぶち壊している。

(2)秘匿情報・機密情報のオープンソース化
 ソフトウエアの世界にオープンソースがあるように、WikiLeaksによってもたらされている現象は、アプリケーション層にある情報・知識の「オープ ン化」という側面がある。ソースコードを秘匿、占有することで利益を囲い込み、独占的便益を享受しようとするプロプライエタリ勢力へのアンチテーゼがオー プンソース化だとするならば、WikiLeaksの方向性は、秘匿情報・機密情報のオープンソース化とも言える。

(3)WikiLeaksは根本的な情報・知識秩序破壊者
 為政者や経営者は、ガバナンスを盤石なものとするために、莫大なコストをかけて情報の非対称性を構築する。すなわち守秘義務の徹底、秘匿情報へのアクセ ス制限はもちろんのこと、情報通信システム、セキュリティシステム、暗号化システムなどに莫大なコストをかけるのが世の常だ。WikiLeaksは、それ らの投資を一気に外部から無きものにしてしまう。

(4)暗号などの情報秘匿技術が無力化
 暗号化技術と解読技術はイタチごっこのようなものだ。しかし、内部の暴露者、通報者を得ることによって、このイタチごっこのようなゲームは無力化されて しまう。膨大なコストをかけてこれらの技術を確立しても、組織内部で隠密行動をとる暴露者、通報者一人の存在によって、それらは無力化されてしまう。

(5)マスコミの相対化
 既存のマスコミは、為政者によって誘導され、都合のいい情報を公衆に向かって効率よく流す役回りに落ち着くことが多い。この傾向を批判する者が「マスゴ ミ」という言葉を多用するのは、ネットの世界では周知の事実だ。WikiLeaksによって共有される情報は、マスコミによって流通される一般向けに編集 された、ありていな情報・知識とは異質なもので、それらの間にはギャップがある。そのギャップにどう付き合うかがメディアサイドにいるジャーナリストに問 われている。

 以上を押さえたうえで、さらにWikiLeaksによって不利益を被る人々と、便益を得ることができる人々を比較してみよう。WikiLeaksによって困る人々を素描すると、以下のようになる。

 

情報操作によって、しろしめす立場の人々

 まず、困る人々の筆頭格は、為政者、大企業経営者、特定の寡頭勢力など、情報操作によってガバナンスを維持していきたい人々だ。不利な情報・知識がWikiLeaksを介して暴露されると、情報操作が無効になってしまう。

 2010年10月22日、イラク戦争に関する米軍機密文書約40万点がWikiLeaks上で次の声明とともに公開された。「民間人が検問で無差別に殺 されたとの報告や、連合軍部隊によるイラク人拘置者への拷問のほか、屋根に反政府勢力と疑わしい人物が1人いるという理由で、米軍兵士が民間施設を丸ごと 爆破した報告がある」。

 これに反応した米国防総省のジェフ・モレル報道官は「WikiLeaksが法律に背いて情報を流出させるように個人に働きかけ、傲慢に機密情報を世界と共有することを遺憾に思う」とコメント。機密情報の漏洩は不法行為であることを繰り返し強調している。

 アメリカ軍、ペンタゴン、CIAなどの諜報機関、ホワイトハウスは、暴露された証拠に基づき、戦争犯罪、国家反逆罪などの嫌疑をかけられるリスクを負うので、WikiLeaksを激烈に叩かざるを得ないという構図がある。

 WikiLeaksによる「機密情報の違法な暴露」の支援によって、米国の外交のみならず国際社会の利益が損なわれたとするクリントン米国務長官は、 「米国は文書流出に責任のある人々を追跡する」と強烈なトーンで非難した。さらにホワイトハウスは、WikiLeaksの活動を「米国政府に対するサイ バー攻撃」として全面戦争を宣言したくらいだ。それほどWikiLeaksの活動は、情報・知識操作によって統治する立場の人々にとっては不都合きわまり ない。そのような勢力は、実際に創始者のジュリアン・アサンジ氏を拘束した。

 

秘匿情報・機密情報を内輪で発信・共有する人々

 次に困るのが、いわゆるインテリジェンス(諜報)活動をしている人々である。秘匿情報・機密情報を内輪でやり取りして生計を立てている人々だ。公電が、 いつなんどき暴露されるか分からないので、今やテキストで記録を残すことに慎重にならざるを得なくなっている。どんな堅牢なシステムで防御しても、内部か ら意図的に漏洩されたのでは、ひとたまりもない。

 かといって、このネット時代において「人づての情報」だけに頼るわけにはいかなくなっている。秘匿情報・機密情報を内輪で発信・共有する人々の間で、疑 心暗鬼は大きくなるばかりだろう。もちろん、リークされることを見越したうえで、操作的な情報をやり取りするのもこの世界の常道でもあるのだが。

 米Googleは2010年1月、中国発の高度なサイバー攻撃を受けたとする調査結果を公表したが、中国政府はこのサイバー攻撃について、当初は全く関 与していないと声明を出していた。しかし、WikiLeaksによって暴露された公電によると、Googleへのハッキング攻撃は「政治局常務委員会のレ ベルで指揮された」。これを受け、ニューヨーク・タイムズ紙はこの情報提供者に取材し、李長春(中国共産党政治局常務委員会の思想・宣伝担当委員)らが中 国におけるGoogleの事業を抑える作戦を監督してきたと報じた。

 

上記につながり、情報を公衆に向けて流す人々

 WikiLeaksによって困る人々の三番目は、先に述べた2つのグループに連なり、情報を公衆に向けて流す人々、たとえば既存メディアの仕事をする人々だ。

 ただし、事情はそう単純ではない。エスタブリッシュされた欧米マスコミに関与するジャーナリストは、匿名で暴露情報にコメントし、リークされた情報を ニュースソースとして活用している。事実を報道することに使命感を燃やすジャーナリストは、WikiLeaksの情報によって裏を取るだろうが、都合良く 加工・操作された出来合いの情報のみを流すことに慣れているジャーナリストにとっては、困ったことになる。

 

情報操作、世論誘導にフラストレーションを感じる人々

 ここまでは“超破壊的兵器”のWikiLeaksによって被害を受けている人々を見てきたが、その一方で便益を得る、あるいはそう感じる人々もいる。

 たとえば、為政者やその影響下で活動するメディアが自分たちの都合で情報操作をして世論を誘導していることに疑義、不信感、反対意見を持つ人々にとっ て、WikiLeaksは大変貴重な情報源となっている。前述した情報の非対称性のあちら側の人々から見れば、真実に接近する機会をWikiLeaksは 提供していることとなる。

 

ある種の価値観を実現したい人々

 自由を信奉する人々の間には、WikiLeaksを支持する人々が多い。自由の抑圧を嫌い、報道の自由、発言の自由を至上の価値とする人々にとっては、 WikiLeaksに投稿される情報・知識を読み、WikiLeaksをサポートすることが、自らの表現とさえなっている。

 WikiLeaksのサイトによるとWikiLeaksが拠って立つ原理は、「発言の自由、出版の自由の擁護、そして共有化される歴史的記録の改善、新 しい歴史を作るすべての人々の権利を支援すること」ということになっている。世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)の第19条「すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる 手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」がことさらに引用され、この条項を含め世界人権 宣言に賛意を示している。

 

より正確な多くのことを知りたいと願う人々

 上記の価値観や信条に特段のこだわりがなくても、人には、より正確な多くのことを知りたいと願う本能のようなものがある。WikiLeaksからの情報 が知る本能を満たしてくれると受け止める人々にとって、WikiLeaksは新しいジャーナリズムのニュー・モデルとなりつつある。

 WikiLeaksのホームページには、「利潤追求を動機としていないので、他のメディアと競合するという伝統的なモデルに従うことなく、他の出版社や メディア組織と協調的に機能することができる」という記載がある。より正確な多くのことを知りたいと願う人々を抱えている既存のメディアと協調することが WikiLeaksの1つの戦略である。

 もちろん、これらの背後には、既存の情報操作手法によって利益を得てきた寡頭勢力に対抗しようとする別の寡頭勢力の存在を想定することもできるだろう。

           ◇       ◇       ◇

 以上、WikiLeaksは誰の利益となり、誰の不利益になるのかという切り口で分析してみた。

 事態は流動的だ。オンライン決済サービスの米PayPal(米eBay傘下)は、「WikiLeaks」が募金のために利用していたアカウントを永久的 に停止すると発表した。米Amazon.comは同社関連のホスティングサービスでWikiLeaksのサーバーを停止した。米国のDNSサービスプロバ イダーEveryDNS.netも、「WikiLeaks.org」をターゲットにしたDDoS攻撃により、ほかの利用者に支障が出るとしてサービスを停 止したと発表した。米司法省はTwitterに対し、裁判所命令により、WikiLeaksの関係者たちのアカウントに関する情報開示を要求した。

 WikiLeaksはこれらの措置に対し、Twitterで「言論の自由がある自由の地で排除された」と声明を出している。また、WikiLeaksは資金繰りに窮しているとの声明を出し、世界中から資金的なサポーターを募っている。

 注意すべきは、2点ある。1つは「しろしめす側」と「しろしめされる側」の先鋭な対立構造があり、その中間にWikiLeaksが自らをポジショニング している点。もう1つは、それらの双方に、こともあろうに普遍的な価値観として「報道の自由」「発言の自由」「知る自由」「公共の利益」が埋め込まれてい る点だ。同型の価値観をいただく者同士による不断の闘争である点が特異なのである。

 この闘争の次の局面は、さらに重篤な情報の公開によってもたらされることになるだろう。それがどんな情報かは知る由もないが、極秘/特別隔離情報 (Top Secret – Sensitive Compartmented Information)が大量に公開されるとしたら、WikiLeaksを巡る議論の輪がさらに広がり、深まるはずだ。さて普遍的な価値観を勝ち取るの はどちら側なのか、目が離せない。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第19講:WikiLeaksの超弩級・破壊的衝撃:ITpro

第16講:大丈夫か?日本資本主義の未来(勤勉のゆくえ)

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 「日本人は勤勉さを失いつつあるのかもしれない。勤勉さを礎とした、高度成長時代からの社会制度は、このままでは立ち行かなくなる」と多くの人が考えているようだ。そこで今回は、「勤勉」の現状と未来を見立てることによって、日本資本主義の今後の姿を占ってみたい。

 筆者は海外で、よくこんなことを言われた。

「日本人はじっと耐えて、脇目もふらず一生懸命がんばる」
「日本人同士集って本気を出すと、他の国の人々はかなわない」
「日本人の勤勉さが、あの高度経済成長を支えてきたのですね」

 要するに、日本人は勤勉だというのである。前回の「どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神」で見たように、日本人の勤勉さはある種、歴史・文化に刷り込まれてきたものであり、その行動様式は社会や経済のあり方と無関係ではない。むしろ、勤勉の精神が社会や経済のあり方を支えてきたと言ってよいだろう。

 そう思っていた矢先の2008年に、いささか考えさせられる調査結果が発表された。読売新聞社の「年間連続調査」は、「日本の発展を支えてきた『日本人の勤勉さ』について、これからも続くと思う人は35%にとどまり、そうは思わない人が61%に上る」と報じたのだ。

 日本人の勤勉さについては84~91年に5回調査し、今後とも続くと思う人が常に多数派だった。日本人の勤勉さが続くと思わない人の方が多くなったのは 2008年度の調査結果が初めて。特に20歳代では66%に達した。1984年の調査では、「続く」と思う人が59%、「続くと思わない」人が33%だっ たので、この四半世紀で見方の比率がほぼ逆転したことになる。

 どうやら日本人の勤勉さは消失・沈滞しつつある、とまでは言わないが、大いに変質しつつあるようだ。一生懸命、勉強や仕事に励んでもしょうがない。せっ せと勤勉に励んで一体何になるのか――。こんな声が聞こえてくるようだ。要は、勤勉であることの目的、勤勉であることによってもたらされる効用がハッキリ しなくなってきているのである。

 

成長と勤勉

 「成長」は、従来の経済の合言葉、大義名文、呪文だった。1955年から1973年までの18年間、日本経済は成長に成長を重ねてきた。なぜこの時代に 日本経済は高度成長を遂げたのかについて諸説あるが、「需要」「供給」「イノベーション」の3条件が絶妙に組み合わさったことから飛躍的な経済成長がもた らされた点に異論はないだろう。

 新しい価値を市場にもたらして伝搬させるイノベーションが勃興し、付加価値生産にかかわる十分な人、モノ、カネ、情報などの資源が調達可能で、生産された付加価値を消費する需要が拡大を続けるという3つの条件を満たしたがゆえに、飛躍的に経済が成長してきたのだ。

 これらの基調を後押しする社会的イベントも盛大に行われ、特需となった。1964年の東京オリンピック、1965年の北爆から1975年のサイゴン陥落 までのベトナム戦争、1970年の大阪万博(日本万国博覧会)などは特需をもたらした。それやこれやで1968年には国民総生産(GNP)が資本主義国家 の中で第2位に達し、一連の経済成長は「東洋の奇跡」と言われた。

 このように「成長」は戦後長らく日本の背骨を支えてきた。そして勤勉が成長を支え、成長すれば皆が豊かに幸福になるのだ、という確固たる確信と納得が あったのだ。文化人類学者の上田紀行は、「右肩上がりの時代、それは自分自身の個別の『生きる意味』を深く追い求めなくても、ひとまずは幸せにやっていけ る時代だった」と言い、バブル経済とともに崩壊した成長神話の残骸に、「かけがえのなさの喪失」という殺伐とした風景を見る。

 

成長ありきの2軸対立

 社会民主主義的な「ケインズ主義」と、保守自由主義的な「市場主義」はよく対置されて議論される。前者は大きな政府を是認し、市場には欠陥があるからコントロールされるべきと主張。後者はすべてを市場と自由な個人に委ね、政府による介入を拒み、小さな政府を主張する。

 ケインズの祖国イギリスは、第2次世界大戦後はおおむねケインズ派だった。「経済を安定させ、失業などの不均衡を是正するために、政府は市場に介入すべ し」との議論に、真っ向から反旗を翻す向きは少数派。ケインズによれば、経済に不均衡や不安定が付いてまわるのは、市場そのものが“不完全”だからであ る。

 1980年代になって、イギリスのサッチャーとアメリカのレーガンはともに小さな政府を目指した。だが2人が企てたことは、実は市場原理主義のように 「市場の完全性を前提にする」というよりは、むしろ様々な規制を緩和し、民営化を勧め、競争を促進することによって「市場を“完全”な状態に近くしようと する」ことだった。

 サッチャーはケインズの天敵だったハイエクの思想を信奉していたとよく言われる。ハイエクは市場の万能性を素朴に信じようとは言わなかった。むしろ自由 を求めてやまない人間の理性にはどうしようもない「限界」があるから、市場を管理、操作、統制、制御するといった夢物語を追いかけるのを止めにして、一切 を市場に任せようと言ったのだ。

 ハイエクによると、人間とは「高度に合理的で聡明な存在ではなく、きわめて非合理的で誤りに陥りやすい存在」である。だからこそ、決して万能ではない市場に委ねるほうが賢明であると彼は考えた。これをハイエクの「相対的市場主義」という。

 いずれにせよ、ケインズ主義も市場主義も、それらを援用する為政者も引用する論者も、おしなべて「成長」という大義名分を肌身離さず持っていたことには変わりがない。

 

経済成長は幸福を約束しない!?

 経済成長はドグマ(宗教の教義)にも似た至上命題。需要側からも供給側からも、はたまたイノベーションを論じる向きからも絶対的テーゼとして祭り上げられてきた。

 ところが、「はたして、経済成長は人間の幸福とどのような関係があるのか?」という点に飽くなき関心を持つ研究者が出始め、ここ数年は実に興味深いデータが出始めている。

 例えば、次の図1は、経済成長が日本国民の生活全般の満足度に直結しないことを示している。日本の1人当たり実質GDPが伸びても、逆に「生活満足度」は下がっている。

生活満足度と国民1人当たり実質GDP(国内総生産)の推移
図1●生活満足度と国民1人当たり実質GDP(国内総生産)の推移
[画像のクリックで拡大表示]

 

 購買力平価で見た国民1人当たりGDPと「幸福度」の間にも同様の傾向がみられる。平成20年度国民生活白書によると、所得水準が低い国のグループでは 右肩上がりの正の相関を示すものの、全体として相関は弱い。所得水準が高い先進国では、所得の上昇にかかわらず幸福度はほぼ水平、つまり幸福感が高まらな いことが示唆されている。

 もっとも厳密な議論をするためには、さらに膨大なデータの収集と解釈が必要なことについては論を待たないが、上記のデータから示唆されることは実に寒々 しい。「一生懸命、勤勉に働いてお金を儲けて、1人当たりGDPの向上に励んでも、生活満足度や幸福感はさして高まらない」ということだ。

 以前ならば、「一生懸命、勤勉に働いてお金を儲けて、1人当たりGDPの向上に励めば、生活満足度は上がり、あなたは幸せになる」と言われれば、よほど の天の邪鬼でない限り大方は納得した。学校の先生から会社・役所の上司に至るまで、暗黙の合意・了解事項だったのではないか。

 ところが今は、そうではなくなった。

 「諸君はよく受験勉強に耐えて、大学に入った。これからもっと一生懸命勉強して、卒業する暁には、良い会社や研究所に入って、勤勉に働こう!そして給料をたくさん稼ごう! 幸せになるために!」とは、さすがに口が裂けても言えない。

 たぶん、このような素朴な予定調和の物語は誰も純朴には信じないだろう。よしんば、そのようなことを言う人が出てきても、趣味の悪い懐古主義者と間違われるのがオチなのかもしれない。

 

勤勉の目的の問い直しが急務

 一生懸命に勉強し、良いとされる学校へ入り、良いとされる会社に入り、社業に貢献することによって個益、つまり個の利益がもたらされる。公器である会社 が社業を発展させることにより公益がもたらされ、また利益の中から法人税などを収めることで公の利益の増進に直結する。このような勤勉の因果関係が成り立 ちづらくなっているのである。

 筆者は、怠惰に流れやすい自分自身のことを都合よく棚に上げあげつつも、勤勉そのものを否定はしない。「第15講:どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神」で議論したように、勤勉はとても大事な日本人の精神的資産であり伝統であると思っている。だから次のような議論になる。

「勤勉」→「経済成長」→「幸福」

 上記の関係式の中で、「経済成長」が「勤勉」と「幸福」を媒介しなくなってきている。だから下記のように、勤勉の目的となるもの、つまり「経済成長にとって代わる媒介変数」をきちんと探し出して、自覚的に入れ込むことが大事である。

「勤勉」→「○○○○」→「幸福」

 日本社会には「○○○○」について、まだまだ総意などといったものはない。当面、一人ひとりが模索してゆかねばならないところに事の重大さが潜んでいる。

 集団的に深く刷り込まれた経済成長神話に代わって、一人ひとりが「○○○○」を探し、紡ぎ、意味づけていかねばならないのだ。前述した上田の言葉を借りれば、「○○○○」の定まらない状態は「かけがえのなさの喪失」にもつながる不気味なものだろう。

 

新しい資本主義の形は「新しい勤勉」を求める

 元来、近代資本主義というものは空気のようなものだ。肌で触れることもできないし、目にも見えない。図2のように、抽象的な項目で構成されながらも、具体的にその影響下にある人の行動を拘束する。

近代資本主義の構成

図2●近代資本主義の構成

 

 近代資本主義は、目的合理性、労働の目的化、利子利潤倫理を基盤に置く。これらの基盤を下支えするものが「勤勉」であり、絶対性と抽象性を特徴とする私有財産制と、それによって万人が等しく絶対的に拘束される自由契約制によって成り立つのが近代資本主義である。

 ここを押さえておかないと、最近騒がしい「明日の資本主義」「資本主義滅亡論」「資本主義暴走論」など、とめどもない言説の針金細工になってしまうので要注意だ。

 「勤勉」をも俎上に乗せる諜報謀略論は、実は大変マジメな議論なのである。人は何に対して勤勉になりうるのか。経済成長以外に勤勉を誘導する政策的な目標はありうるのか。勤勉を演出し、社員の勤勉に依拠してきた日本的経営の姿はどうなるのか。次回以降に考えてゆこう。

 

    【参考文献】

  • 読売新聞、2008年7月30日
  • 平成20年度国民生活白書
  • 上田紀行、「生きる意味」、岩波新書、2005年
  • 佐和隆光、「市場主義の終焉」、岩波新書、2000年

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ –第16講:大丈夫か?日本資本主義の未来(勤勉のゆくえ) :ITpro