第18講:日本的経営あるいはジェームズ・アベグレン博士との対話

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 日本的経営が揺らいでいる。半世紀にもわたり日本的経営について観察、助言、論評してきたジェームズ・アベグレン氏との邂逅(かいこう)を下敷きにして、日本的経営にかかわる問題を考えてみたい。日本的経営を支えてきた人事制度とその運用に焦点を絞り込む。

 

 異邦人の観察眼は、しばしば当地で生まれ育った人間では気がつかないような本質を射抜くことがある。特に社会的現象については、社会に暗黙裡に飲み込ま れずに、相対化して分析することができるからだ。その意味で日本の経営事象を「日本的経営」としていち早く分析・記述して、世界へ伝達したジェームズ・ア ベグレン博士の功績は大きい。

 ウィキペディアによると、『ジェームズ・アベグレン(James C. Abegglen、1926年 – 2007年5月2日)は、アメリカの経営学者、経済学者。日本企業の経営手法を「日本的経営」として分析し、戦後の日本の企業の発展の源泉が、「終身雇 用」「年功序列」「企業内組合」にあることをつきとめた。また、「終身雇用」という言葉の生みの親として知られる』と紹介されている。

 だが実は、アベグレンは自ら進んで「終身雇用」(Life-time employment)という用語を用いていたわけではなく、「終身の関係」(Life-time commitment)という用語を使っていたことはあまり知られていない。終身において雇用が誰にでも適用される(つまり誰も失業しない)という「終身 雇用」の制度は存在し得ないが、通俗説として一人歩きしてしまったのだ。

 アベグレンの「終身の関係」(Life-time commitment)というとらえ方は、複雑な社会的現象を説明するための概念であり、社会科学で用いられる理念型(イディアルタイプ)のようなものだ。

 また上記では「アメリカの経営学者」としているが、博士は1997年に日本国籍を取得しているので、正確には「アメリカ生まれでその後日本人となった経営学者」とでも書くべきだろう。なぜ、細部にこだわるのかといえば、生前の博士と筆者は交流があったからだ。

 アベグレンの日本企業研究は、日本的経営の究極的特徴を労使関係、あるいは人的資源管理にあると見立てた経営学者の占部都美(うらべ くによし)によっても注目され、その後の日本人による日本人のための「日本的経営」研究とその実践に先鞭をつけることになった。アベグレンなかりせば、世 界的文脈での「日本的経営」は無きにも等しかったのである。

 

日本的経営は欧米の経営に収斂するのか

 日本的経営論には2つの大きく異なった立場がある。収斂(しゅうれん)説と非収斂説である。収斂説に立てば、工業化と都市化が進むことによって日本社会 も欧米的な社会のパターンに収斂していき、日本的経営はその特殊性を次第に失って欧米的な経営管理制度に変化していくとする。その一方で非収斂説は、工業 化によって同じ近代的な生産技術が導入されても、それは必ずしもその国の伝統的な社会や文化を変革するものではなく、その国の社会や文化に適合した独自の 経営管理制度を生み出すものであり、それらが有効に働くとする立場である(占部 1978)。

 アベグレンは非収斂説の立場で一貫している。「いかなる社会においても、経営組織が効果的であるためには、(その社会の根底にある価値基準や人間関係の パターンと)整合しなければならないということは自明の理である」として、以来、2004年に出版した「新・日本の経営」の中でもこの立場は一貫してブレ がない。

 「社会の根底にある価値基準や人間関係のパターン」については、この連載でも歴史や宗教について書き連ねてきたように、明らかに欧米と日本の間には相違がある。その違いを腹に落とさなければ、日本的経営の奥底を諜知することはできないだろう。

 第15講:どうした?勤勉の倫理と日本的資本主義の精神までの連載でも描写したように、日本社会の根底にある価値基準は、神と人間が循環する多神、多層、多元的なメンタリティーとして、雑多な宗教が折り重なるように習合してできた、特殊な心象基盤の上に作られていった。

 そこでは、「みんな一緒にがんばる」「みんなで分けあう」「世間さまに恥ずかしくないようにする」といった人間関係のパターンとともに、「お天道様が見 ている」「働くことは当たり前」「ご先祖さまのおかげ」「神様、仏様を畏れ敬う」「足るを知る」といった価値基準が暗黙的に共有されてきた。人格的一神教 の影響が微弱だった日本では、人間の上に神はいないし、人間の下に奴隷もいない。ましてや神と人間との契約もない。どこまでも人間が中心にいる人間関係の パターンなのだ。

 日本的経営のあり方は、このような日本社会の根底にある価値基準や人間関係のパターンに多くを負っている。と同時に、それらの価値基準や人間関係のパターンを維持する社会的な装置が日本的経営をいただく日本企業でもある。

 アベグレンの言説を借りれば、日本企業と従業員の関係は、このような価値基準や人間関係パターンを包含する「社会契約」を基礎として出来上がっている。 そして、これが日本的経営の骨格をも作り上げた。ゆえに日本企業は、特定の成果を生み出すことを至上目的とする機能体ではない。自らの存続を目的とし、組 織構成員の価値基準や人間関係パターンを維持するための共同体、という性格が色濃い。

 アベグレンも指摘するように、欧米、特にアングロサクソン系の研究者や経営実務家は世界各国の制度が「収斂」すると論じることが多い。日本では「収斂」というと各国の制度が中間領域のどこかに近づくようなイメージで語られることが多いが、これはナイーブな認識だ。

 そうではなく「収斂」というのは、正しく適切とされる「英米型の制度に近づくこと」を意味する。よって「各国の違いは解消されなければならず、日本の雇 用制度と経営手法が英米型に変化する、あるいは変化させられて近づくことによって解消されてゆくはずだ、そうあるべきだ」というのが「収斂論」である。い わゆる「グローバライゼーション」も「収斂論」の系譜に立った見方である。経営収斂説が欧米において支配的なことの背景には、絶対的な唯一神の教義を頂く 世俗世界の経営という現象さえも収斂させていこうという、ある種の脅迫的な観念を見過ごすわけにはいかないだろう。

 余談だが、現実の世界には頑迷強固な価値判断としての「収斂論」も存在する。新会社法、改正独禁法、郵政民営化法などの「改革」を「要望」した『年次改革要望書』も、その根底には操作主義的な「収斂論」が息づいていることを知るべきである。

 

共同体としての「カイシャ」

 さて価値基準や人間関係のパターンは、人事制度とその運用によって顕著に現われる。すなわち、とかく抽象論に終始しやすい日本的経営論を現場目線で議論をするためには、人事制度の変化を見る必要がある。

 「終身の関係」を労使で共有する人事制度は、あくまで正規従業員が中心である。正規雇用者数は、1997年をピークに減少している。そのため、雇用者全 体に占める非正規雇用者(パート、アルバイト、契約社員、派遣社員など、期間を定めた短期契約で雇われる職員)の比率は1995年以降高まり、非正規化の 急激な進展という結果をもたらした。非正規雇用者数は1995年に1000万人を超え、2006年には1707万人となり、「役員を除く雇用者」の中で 33%を占めている。

 私見によると、戦後の日本企業の人事制度は下の図のようにおおむね20年サイクルで大きな変化を遂げてきている。筆者はこれを「人事制度20年周期変化説」と呼んでいる。

人事制度20年周期変化説
図●人事制度20年周期変化説

 

 日本的経営を支えてきた日本的人事制度は過去に、年功主義、職能主義、成果主義(meritocracy)と変遷してきている。この変化を追跡することによって日本的経営の変化をとらえることができる。

 ちなみに2010年代には4つの「?」マークを入れてある。「?」はいったいどうなるのか、という疑問を留めながら続きを読んでいただきたい。

 

生活保障:1950年代からの20年

 この時代、米国のモノづくり技術を積極的に導入して、第二次世界大戦の敗戦の焦土から日本は復興しつつあった。新産業が勃興して企業は組織的な拡大にま い進した。機能体の衣をまといつつ国民の生活を保障する共同体として企業が登場したのだ。この時代の人事理念は「生活保障」に尽きた。

 役職が最も目に見えるステータスだった。拡大基調にある組織では、係長、課長、部長、役員というようにタテ方向に上がっていける機会は多く、単純な職階制度がとられた。「社員は仲間。善き仲間に厳密な評価は不要」と考えられ、暗黙的な人柄、人格、年功評価が中心だった。

 賃金も年功給がベースとなり、その上に役職給が乗るという構造が中心だった。ベースアップは、賃金表の書き換えと定期昇給によるものだった。イケイケドンドンの時代、人事制度は単純なものだった。

 「一社懸命」に働けば、役職も得ることができる。そして会社は社員という仲間の輪を拡大し、囲い込んでいった。独身寮、世帯寮にはじまり、厚生年金、失業保険など企業が負担する福利厚生や社会保障の提供が普及した。

 一方、農村共同体が崩壊し、企業に雇用される都市住民が急増していった。こうして企業は、機能体でありながらも代替的な共同体(Gemeinde)とし て発展していったのである。そこでは、善き仲間の一員でいること、その仲間から仲間とみなされることが、なにより重要なことだった。いわゆる同調圧力がう まく機能したのだ。

 この時代の人事制度の分析・記述は、日本の組織を相対化して観察することができる外国人の視点が中心だった。その代表格がアベグレンである。こうして 「終身の関係」(Life-time commitment)、年功賃金(Seniority-based wages)、定期雇用(Periodic hiring)、企業内訓練(In-company training)、企業内組合(Enterprise union)などの理念型が立てられた。

 

年功能力主義:1970年代からの20年

 1970年代からの20年間は、オイルショックなどを契機として拡大基調に陰りもあったが、この時代を通してモノづくり企業は躍進した。1980年以降 は、雇用者に占める非正規雇用者の比率が上昇を続けている。このような時代に正規雇用向けに登場してきたのが、「職能資格制度」である。

 職能資格制度は日本ならではのユニークな制度だ。職能資格制度とは、従業員の職務遂行能力(略して「職能」)の程度に応じて会社や会社グループの閉じた空間にのみ有効な「資格」を付与する制度である。

 1970年代を中心にして企業社会に流行し、一部上場企業のうち9割くらいが、この制度を運用しているといわれる。「年功的な人事を見直し、能力基準の 人材登用を可能にする」「役職にとらわれることなく、人の能力を基準にして処遇する」「人を重視する人本主義の具体的な制度への反映」などという言説が流 行ったものだ。

 一言でいえば、過去の主流すなわち職階・年功主義に対するアンチテーゼとして登場し、普及してきたのが職能資格制度だ。しかし運用を経て、年功運用的色彩が織り込まれ、年功資格制度になってしまった。その背景をまとめると、次のようになる。

 

  • 社内職能資格には標準滞留年数がある。能力が急進すれば職能資格も急上昇するはずだが、社内職能資格は急上昇しない。逆に能力が劣化しても、職能資格が落ちることはまずない。
  • 人事評価は、職務遂行能力に対して公正になされることが期待されたが、職場では明確な優劣をつけることがはばかられる。評価における中心化傾向(評価結果が評価スケールの中間付近に集中してしまう傾向)が顕著となった。
  • 職能資格の付与は年功的になる。そして職能資格にリンクしている職能給は、結果として年功給になっていった。

 こうして役職によるモチベーションはかなわなくとも、職能資格の付与とモチベーション維持策が行われるようになったのだ。長期安定雇用を前提にした共同体の仲間感覚の維持は、まだまだこの時代の大きなテーマだった。

 この時代には職能資格制度の理論家として楠田丘や弥富拓海、弥富賢之などの活躍をみる。また経営学の領域で日本的人事が研究対象とされるようになった。 以上の第1期(1950年代~)、第2期(1970年代~)を通して、日本的に特殊な制度が普及したこともあり、日本的経営の「非収斂説」が幅を利かせ た。

 

成果主義:1990年代からの20年

 1990年代からのグローバライゼーションが昂進した時代、それまでの共同体としての企業組織に「成果主義」すなわち機能体の原理が持ち込まれるようになった。その背後にあるのは新古典派経済学であり、それらによって理論武装した市場主義だった。

 企業を成り立たせるシステムとして人事制度は反応性が鈍く、変化するのは遅い。しかしながら、この時代は収斂圧力が強く顕れ、多くの企業が人事制度の改 革に着手している。外需依存型のグローバル企業はおおむね海外人事を成果主義に対応させ、その流れを日本に持ち込み、本丸の人事制度を「成果主義」的に変 更するような手法をとった。

 この時代には、バブル期(1986~1991年)に抱え込んだ「設備、債務、雇用」という3つの過剰を解消するリストラが一般的になった。先に述べたよ うに、正規雇用者数は1997年をピークに減少している。雇用者全体に占める非正規雇用者の比率は1995年以降さらに高まり、非正規化の急激な進展とい う結果をもたらした。

 非正規雇用者数は1995年に1000万人を超え、2006年には1707万人となり、「役員を除く雇用者」の中で33%を占めている。ちなみに女性の 場合は53%である。これらの非正規雇用者は多くの場合、外縁から日本的経営を支えながらも、日本的経営がもたらす直接的なメリットからは疎外されるとい うアンビバレントな位置にいる。

 グローバル経済とのインタフェースが大きな企業ほど、必然的に成果主義の要素を人事制度にも取り込むことになっていった。第1期、第2期は共同体の原理 が中心だったが、この時代の中心概念は機能体の原理だったためである。こうして、日本的経営は異質な非日本的要素と初めて向き合い、対峙することになった のだ。

 そもそも成果を計量的に測定するためには、「職務(Job)」の内容が確定している必要がある。だが、共同体でありつづけた日本の組織に、職務という概 念はなかった。はじめに人ありきで、仕事は人のまわりに融通無碍に形成される。職務は、非属人的・先験的に日本の組織には存在し得ない。

 だから、仲間を思いやりながら人間中心に仕事を進める人々にとって、欧米企業のように「職務記述書(Job Description)」を書くということは、実は異文化経験だったのだ。余談だが、こんな話がある。

 「日本人もアメリカ人も、失業以外のことで仕事の不安を感じることがある。日本人は職務記述書を書くときに、アメリカ人は職務記述書がないときに」。

 

機能体への体質転換剤としての成果主義

 米国では、機能組織としての企業経営、人事制度運営の蓄積がある。よって1980年代以降、米国発のHuman Resources Management(HRM)系のコンサルティング会社が日本でもクライアントを持ち始める。職務分析(Job Analysis)、職務評価(Job Evaluation)、目標管理(Management by Objectives)、成果主義賃金(Pay for Performance)といった手法が本格的に和風にアレンジされ、日本の大企業を中心として移植された。当初は在日欧米企業を中心として、そして前述 したような経緯で日経連(日本経済団体連合会)の所属企業までもが顧客リストに載り始めたのである。

 日本企業が軽視してきた「職務」という機能体の価値観を組織に移植し、もって、職務等級、成果評価、成果立脚型賃金をシステムとして日本企業に埋め込む作業は、要するに、共同体に機能体原理を持ち込む試みである。

 アベグレンはさほど厳しく糾弾しなかったが、共同体には良い面と共に弊害をもたらす面があることも事実だ。共同体の内と外に別々の規範を当てはめる二重 規範(ダブルスタンダード)は、度重なる不祥事やそれらのもみ消し事件の温床となった。なまぬるい仲間主義が馴れ合いを呼び、ホワイトカラーの生産性が低 い一因とも指弾された。また、共同体体質では過去の慣習や因習を否定する自己改革ができないとの批判も根強かった。

 よって、「大胆な戦略実行力が共同体的企業組織にはないのではないか」とトップが判断する企業は、こぞって成果主義という異質を注入したのだ。

 

成果主義の蹉跌

 日経ビジネス(2009年5月11日号)の特集「成果主義の逆襲」には、成果主義に関する次のようなアンケート結果が掲載されていた。

 

  • 「勤務先が成果主義型の制度を取っている」と答えた944人を対象に、勤務先の成果主義の成否を聞いたところ、「失敗だった」とする回答は68.5%に達し、「成功だった」という回答(31.0%)を大きく上回った。
  • 「成果主義に基づく自身の評価に満足しているかどうか」については、「不満である」が43.3%、「満足している」が16.2%。
  • 「職場に何らかの弊害が発生したかどうか」については、「発生した」が65.7%に達した。
  • 「失敗の要因は制度と運用のどちらにあると思いますか」という問いには、「制度そのものより運用上の問題が大きい」とする回答が66.0%、「制度そのものの問題が大きい」は32.5%だった。

 このようなネガティブな反応の本質は、共同体原理が発する「機能体原理への拒絶反応」から生まれている。異質に対する共同体の免疫反応がことさら強かったのは自明の理である。

 成果主義は、株主利益を合理的に追求する圧力を経営者にかけつつ、企業価値を上げることには貢献したのかもしれない。だが会社共同体の内部に向かって は、価値基準や人間関係のパターンの希釈化、希薄化を招き、外部に向かっては、人件費の変動費化の名のもとに非正規雇用者を大量に生みだしたのだ。

 

人本主義という普遍的非収斂説

 しかしながら1990年代の日本的経営論では、大胆な言説の展開がみられた。バブル崩壊までの短期間ながらも経済的に空前の繁栄をみた背景には、日本が相対的に非階層化され、民主化された企業社会を創り出したとする「人本主義」という言説である(伊丹 1993)。

 アベグレンの著書の熱心な読者であった経営学者の伊丹敬之は、資本主義に対照させて「人本主義」という独自の用語を用いて、日本企業の平均的な特徴を三 つのキーワードで説明する。それは、企業の概念で言えば「従業員主権」、組織内分配の概念という点では「分散シェアリング(分配)」、市場取引の概念では 「組織的市場」だ(伊丹 2009)。

 日本経済がバブルの崩壊で低迷してきたこの時代は、アメリカ経済が逆に好調だった。アメリカ型のカネの論理を中心とするヨコモジ経営手法が圧倒的な脚光を浴びていた時代に、伊丹は大胆不敵にも資本主義と対置するかたちで「人本主義」を主張したのだ。

 伊丹は、資本主義は「カネを経済活動のもっとも重要な資源と考え、その資源(カネ)の提供者のネットワークをどのように作るかを中心原理として企業シス テムが作られるもの」とする。それに対置される「人本主義」は、「ヒトが経済活動のもっとも重要な資源であることを強調し、その資源の提供者たちのネット ワーク、つまり人材を提供し、取引をしている人々のネットワークを安定的につくり、それを維持・発展させることこそ大切、と考える原理」であるという(伊 丹 2009)。

 明らかに非収斂説に立っているが、「日本の特殊性を示す言葉」では語らずに、「人本主義」の経済合理性には普遍性があるとした。すなわち、人本主義=普遍的非収斂説の登場である。

 

日本的経営の次は、共同体原理の発展的復活

 企業と従業員によるギブ&テイクの「場」としての職務(Job)を確定し、目標管理でさらに精緻化し、目標の達成度に見合った職務給を支給する、という 成果主義の方向性は、共同体原理と鋭く対立し、被雇用者側に不満をもたらした。第1期、第2期の郷愁と決別できていない正規社員、管理職、役員にとって、 この不満は深く、暗く、そして大きなものだ。

 アベグレンは、筆者との対話でも非収斂説を明快に展開し、アメリカ的な機能体原理を過剰に移植することや、グローバリズムという名のアメリカ中心収斂説 に警鐘を鳴らし続けた。「日本社会の根底にある価値基準や人間関係のパターンを大事にしないと、コミュニティとしての日本企業は崩壊するぞ」と。

 さらに、アベグレンはこう言うのだ。真に業績のいい日本企業は、一見前時代的で、古く、日本的な価値観を組織の奥底に温め、共有し、次世代に継承してきているのだと。

 資本主義のあり方が大きく問われている昨今だ。その中でも日本資本主義の行き方が問われている。日本的経営なくして日本企業はない。また、日本企業なく して日本資本主義もない。日本的資本主義の明日を占うためには、日本企業、なかんずく日本の企業社会の根底にある価値基準や人間関係のパターンを映し出 す、人事制度とその運用を注視しなければなるまい。

 日本的経営にとって、2010年代の4つの「?」は大きく重い。技術立国・日本の方向模索期と重なる時代に、日本的経営に次なる発展があるとすれば、グ ローバル化に即妙に対応しながらも、絆、縁、信頼、触れ合い、分かち合い、といった共同体原理の発展的復活にある。機能体・共同体の異種原理混合によるハ イブリッド化の時代を通過しなければ、日本的経営の新たな地平線は見えないだろう。

 

    【参考文献など】

  • ジェームス・アベグレン、占部都美監訳「日本の経営」、ダイヤモンド社、1958
  • ジェームス・アベグレン、山岡洋一訳「新・日本の経営」、日本経済新聞社、2004
  • 占部都美、「日本的経営論批判」、国民経済雑誌138巻4号
  • 平成20年版「労働経済の分析」(労働経済白書)
  • 伊丹 敬之、「人本主義企業―変わる経営変わらぬ原理」、筑摩書房、1993
  • 伊丹 敬之、「日本企業の人本主義システム」、平成21年宮中講書始の儀におけるご進講

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ –第18講:日本的経営あるいはジェームズ・アベグレン博士との対話 :ITpro

第17講:若い世代が追い求める、「勤勉」と「幸福」の間にあるもの

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 先月、「Everyone a Changemaker―世界を変える社会イノベーション―」というシンポジウムが開催された。趣旨は題名の通り、各自が“チェンジメーカー”になって、 それぞれのできる範囲で社会を良い方向に変えていこうというものだ。今回はこのシンポジウムを振り返りながら、変質しつつある日本の「勤勉さ」について改 めて考えてみたい。

 

 筆者はこのシンポジウムの開催に関与している。告知後、2日足らずで参加申し込みが殺到し、300人以上の会場が満席になってしまった。正直なところ驚 嘆している。しかも、そのほとんどは20歳代、30歳代の若い世代である。社会イノベーション、社会起業家、社会的企業というテーマは、若い世代を惹きつ けるようだ(ちなみにこのシンポジウムに参加した人々がTwitterで自主的に感想や意見を言い合って共有している。Twitterのハッシュタグは#titchange#socentjpなど)。

 社会起業家とは、「社会の問題を見つけて定義し、新規性の強い事業アイデアを繰り出して持続的に取り組み、その事業を普及させ、社会に大きなインパクト を与えるような変革の担い手」である。そのような担い手によって成される変革のことを「社会イノベーション」という(具体例は後述する)。

 このように書くと、「わざわざ起業と社会起業、企業と社会的企業を区別する必要などないのではないか」という疑問を持つ向きもあるかもしれない。もっともな疑問だ。そのような疑問を抱きながら続きを読んでいただきたい。

 このシンポジウムでは、第一線の社会イノベーション実践者、支援者が一同に会した。そして、社会イノベーションについて非常に幅広く、また深く議論した(このシンポジウムの詳細な報告書がアップされる予定のサイトはこちら)。拙論では、社会イノベーションや社会起業という現象が何を意味するものか、を考えてみたい。

 

勤勉と自殺

 前講の『大丈夫か?日本資本主義の未来(勤勉のゆくえ)』で述べたように、現下の日本では、「勤勉」→「経済成長」→「幸福」という図式が成り立たなくなってきている。このような状況のなか、「経済成長」に代わり、「勤勉」→「○○○○」→「幸福」という図式を埋める何かを模索する動きが徐々に広まりつつある。

 幸福とは何かを古典や哲学を引っ張り出して、薀蓄(うんちく)している場合ではない。そんなことよりも、「幸福」ではない人がとる行動、すなわち自殺件数に注目すれば、少なくとも日本社会が「幸福」から遠いことは自明だ。

 日本の自殺率の高さは、欧米先進国と比較するとダントツ。さらに範囲を広げて比較すると日本は、ベラルーシ、リトアニア、ロシア、カザフスタン、ハンガリーに次いで自殺率は世界第6位だ。

 NPO法人ライフリンクの清水康之代表はこう嘆ずる。「かつて交通戦争で亡くなる人の数が1万人を超えて、『交通戦争』と呼ばれた時代があったが、今や自殺で亡くなる人は年間3万数千人。日本社会は今、『自殺戦争』の渦中にいると言うべきだろう」。

 社会の規範が崩れ、人と人を結ぶ紐帯が消失する現象は、東欧の旧共産主義国で見られたが、社会主義体制の崩壊を見なかった日本でも、これに匹敵するような現象が発生しているのだ。

 急性アノミーとは、信頼しきっていた者に裏切られることで生ずる致命的打撃を原因とし、これによる心理的パニックが全体社会的規模で現れることにより、 社会における規範が全面的に解体した状態をいう(小室 1991)。いわば、今の日本が直面しているような無規範状態である。

 これについて一点のみコメントする。前講までに述べてきたように、日本人は一神教による絶対的な規範と規準を超越的な位相に持たず、規範・規準らしいも のは人間と人間の間に存在する。人はそれを「人と人との絆」「人間関係」「空気」「他人の目」「世間体」とも呼ぶ。これらの内実が崩れることは、日本の社 会にとって致命傷となる。

 NPO法人ライフリンクが実施した「自殺実態1000人調査」によると、68項目の危機要因に対してパス分析や重回帰分析を駆使した結果、自殺の「危機 複合度」が最も高い要因を「うつ病」、危機連鎖度が最も高い経路を「うつ病→自殺」と特定した。その上で詳細な自殺の危機経路パターンを16通りにモデル 化している。

 たとえば被雇用者ならば、「配置転換→過労+職場の人間関係の悪化→うつ病→自殺」「昇進→過労→仕事の失敗→職場の人間関係の悪化→自殺」。自営業者の場合ならば、「事業不振→生活苦→多重債務→うつ病→自殺」というように。

 共通する経路を抽出してみると、おおよそ「過剰なストレス→仕事でのつまずき・失敗→収入閉塞→人間関係の脆弱化・崩壊→うつ病の罹患→自殺」というようになる。

 私見を述べると、勤勉のメカニズムは自殺のメカニズムに似ている。つまり、勤勉のメカニズムとは、「(1)ストレスにうまく対処して元気で健康→(2) 休まずに働く→(3)収入を得る→(4)家族・地域・会社などでの人間関係を維持する→(5)いきいきと生活を続ける」ことである。

 勤勉のメカニズムが自殺のそれと異なる点は、最後の「いきいきと生活を続ける」が最初の「ストレスにうまく対処して元気で健康」にフィードバックされて、ぐるぐると循環していくことである。

 とすると、勤勉と自殺は表裏一体の主題である。勤勉は首尾一貫感覚(身の回りの世界が首尾一貫していると感じること)の発露であり、自殺は首尾一貫感覚の喪失である。自殺は日本的社会空間に存在する。勤勉もまた然り、日本的社会空間に存在する。

 1998年以降、年間3万人を超えて、衰える勢いのない自殺者の数は、日本人的勤勉の足元の崩落を予兆している。

 

今後急増する「行き場」がない人口

 いずれにせよ、物質的な充足、経済成長、従来型の雇用、世の中にある既存のソリューションのみに答えを見出すのではなく、「勤勉」→「経済成長」→「幸 福」という図式における代替的な媒介項目を求めている人たちが社会イノベーションや社会起業に活路を見出しつつあるのではないだろうか。

 かたや「経済成長」に代わる媒介項目を模索する若者が浮き足立って、社会起業カリスマに表層的に熱狂しているのではないかという、冷めた見方もある。また社会イノベーションという包括的な説明概念だけでは、実際のソリューションにはならないという批判もあるだろう。

 しかし、筆者は社会起業や社会イノベーションの動向は時代の必然であると見立てている。そこにはいくつかの構造的な背景が作用しているのである。

 第1の構造的背景は、人口構造の変化のモメンタム。広井良典が指摘するように、特に戦後、農村から都市へ人口移動が大規模に起こり、都市で働く人のコ ミュニティは「会社」と「核家族」となっていった。こうして、人は生まれてからの15年くらいと、定年退職して死ぬまでの年月を地域に埋め込まれたコミュ ニティで暮らすが、壮年期の働き盛りは会社、役所、団体などで雇用されて過ごすというパターンが出来上がってきた。

 さて、日本全体に占める「子供+老人」の割合は、1990年から2000年を底にして「ほぼきれいなU字カーブ」を描くとされている。戦後、出生率の低 下により「子供+老人」の割合は減り続けていたが、1990年代を境に高齢化の勢いが上回り、「子供+老人」の割合は増勢に転じた。戦後から高度成長期を 経て最近までは、一貫して地域とのかかわりが薄い人々(生産年齢人口)が増え続けた時代であり、それが現在は、逆に地域とのかかわりが強い人々(子供+老 人)が一貫した増加期に入る、その入口の時代なのである(広井 2009)。

 こうして今後増え続ける老人人口と、相対的には減少傾向にありながらも明日の社会を担う子供人口の居場所は、核家族、学校、医療・福祉施設などの既存の 場だけでは対応できなくなりつつある。新しい場やコミュニティづくりが人口構造変化の圧力によって要請されているのである。

 

共同体の包摂と排除

 若者が社会起業や社会イノベーションに関心を示す第2の構造的背景は、壮年期あるいは生産年齢の人々の受け皿となってきた企業体質の変化だ。資本主義の 主要な担い手たる会社は、高度成長期において擬似的な、あるいは代替的な共同体として、広義の社会保障の提供者だった。しかし、1980年代以降、より明 確には1990年代以降、徐々に能力主義や成果主義といった人事戦略を採用するようになり、共同体というよりはむしろ機能体としての性格を強めてきてい る。

 会社は勤勉の製造・維持装置だったが、そこでは勤勉の経路がいつのまにか自殺の経路と並走するようになってしまった。共同体の機能体化のコストは決して小さいものではない。

 皮肉な言い方になってしまうが、本来は機能体でありながらも、日本社会の特殊事情により共同体として位置づけられてきた会社が次第に換骨奪胎され、機能体としての性格を強める中、企業社会を巡る雇用関係と社会的責任(CSR)のあり方が問われている。

 そして共同体としての家庭や地域が薄弱なものとなり、共同体としての会社が機能体化するプロセスの中で、共同体から排除され、どこにも帰属しない、ない しは所属できない人々が増大した。これは、「失業」「低所得」「住宅難」「ニート」「非正規雇用者」「格差社会」「健康格差」「家庭崩壊」「無縁社会」と いった言葉で語られる社会的な問題を引き起こしている。

 これは、共同体のありかが急激に変遷してきた末にたどり着いた、日本のソーシャル・エクスクルージョン(社会的な排除)と言えよう。企業、核家族、地域が包摂の程度と範囲を狭め、その結果、排除されつつある「コミュニティ」なき社会の問題となった。

 

35歳前後をピークとする世代の内面の変化

 第3の背景は、35歳前後をピークとする世代の内面の変化だ。昨年NHKの番組「“35歳”を救え あすの日本 未来からの提言」が実施した、35歳を対象とした1万人へのアンケート結果は意味深長だ。いわゆるロスジェネ世代(就職氷河期世代)にとって、長期安定雇 用制度の利用度・信頼度は低くなっていて、「転職経験がある」は66%、「会社が倒産するかもしれない」が42%、「解雇されるかもしれない」が30%と なっている。

 有名な「マズローの欲求階層説」によると、人間の欲求は、「生理欲求→安全欲求→社会欲求→承認欲求→自己実現欲求」というように、複層的に高まってゆ くという。だとしたら、社会起業を目指す若者たちは、雇用、職業選択、生活にかかわる道筋の不安定さに苛まれつつも、自らの社会欲求、承認欲求、自己実現 欲求をひたすら満たしたいと突き進む群像なのかもしれない。

 個人主義的性向を持ち、新たな価値を創出、獲得することに貪欲で、既成の権威には懐疑的ながらも、自己の権利は主張し、脱物質的でもあり、自然志向的。そんな若者を「ポストモダン的人間」と呼ぶのもよかろう。

 しかし、人格的一神教のような絶対的な規範と規準を超越的な位相に持たず、規範・規準らしいものは人間と人間の間に存在させる日本人は、西欧のように宗 教(キリスト教)を合理化あるいは近代化させた経験はない。その意味で、西欧的価値基準から見れば、日本人はいくらポストモダン的人間を気取っても、実は 精神世界の深淵はプレモダン世界の住人でもある。

 そのようなポストモダン、プレモダンがないまぜとなった文明人の出現は世界史における日本の特異性でもあるが、このアンビバレンスの中に、ある種の危うさ、もろさ、傷つきやすさが伴うことに自覚的になるべきだろう。

 これらのアンビバレンスをことさら自覚するのでもなく隠すのでもなく、以下に羅列するような社会的問題解決の当事者として「新しい勤勉」と「新しい幸 福」を媒介する「何か」を求め、そこにのっぴきならない「生きる意味」さえも求めてやまない人々。35歳前後をピークとして前後に拡がる世代で社会イノ ベーションに活路を見出す人々の内面は、このように複雑である。

 俯瞰すれば、静かだが抗えない人口・企業・産業の構造変化に対する一つの社会的反応が、社会イノベーションであり、社会起業の動きである。社会イノベーションや社会起業を支援するという意志や行動は、以上の意味合いにおいて、複雑さへの対応なのである。

 

新しいコミュニティ、新しいサービス

 社会イノベーションないしは社会起業を取り巻く動向の特徴は、従来の行政、民間企業、伝統的な非営利活動が十分に対応できてこなかった領域の社会問題に 対して、斬新なソリューションを提供していこうとすることだ。ただし、「新しい公」のような既成概念に矮小化してしまうと、コトの本質が見えなくなるので 注意してもらいたい。

 もちろん、そこには単一の解があるわけではなく、保健・医療・福祉、街づくり、環境保全、自然保護、森林保全、過疎対策、農村活性化、教育、能力開発、 セーフティーネット、文化・芸術、地域経済活性化、消費者保護、雇用支援、弱者救済、障害者支援、貧困対策、災害救援、人権擁護、男女共同参画、科学技術 振興、地域安全、国際協力…など、多種多様なテーマが広がっている。

 ここに重要なテーマが潜んでいる。上記の多種多様なテーマ、あるいは社会起業のビジネスモデルが提供するものは、製品・商品というより、断然サービスが中心である。経済エンジンの主題は、「モノ」→「エネルギー」→「情報」→「サービス」と変わってきている。

 日本のGDP(国内総生産)の70%はサービスセクターが生み出しているほど、近年の経済のサービス化は顕著なものだ。その中でも、社会イノベーションは公共財、準・公共財、私財の領域を融合する新しいタイプのサービス創出を狙ったものが多い。

 

システムとスケールアウトが求められる

 社会起業家を支援するアショカ財団の代 表であるビル・ドレイトン氏の話に耳を傾けよう。アショカ財団の研修生(アショカ・フェロー)として選ばれた人々の5年後を追跡調査すると、その97%が プロジェクトを継続しており、88%の人のアイデアが他の組織に伝播している。さらに55%のアショカ・フェローのアクションが、発展途上国を中心とする 国家政策にまで影響を与えている。つまり、社会に対するインパクトが甚大なのだ。

 アショカ・フェローの審査にあたっては、新しいアイデアを持つこと、クリエイティビティがあること、起業家としての能力・資質、問題解決へのコミットメント、アイデアの社会的インパクト、倫理観と信頼を徹底的に調べ上げる。

 ここで注目されるものはシステムとスケールアウトである。地道に地域密着型で行動する「草の根」市民運動も大事だが、卓越した社会起業家は、ソリューション提供のシステム化と多様な地域への展開というスケールアウトを実現している。

 もっとも、この点については「チェンジメーカー~社会起業家が世の中を変える」の著者である渡邊奈々氏も指摘している。社会起業家の定義をあまり拡張す るのではなく、少なくともソリューション提供のシステム化と多様な地域への展開というスケールアウトを実現している起業家にのみ「社会起業家」という言葉 を使っていこうというものである。

 

チェンジメーカーを生み出す土壌

 膨大な人数におよぶ社会起業家を審査、育成してきたアショカ財団の経験によると、社会起業家は10代のうちに何か「違うこと」をしており、その経験がまた別の経験を呼び、結果としてシステミックな変化をもたらす社会起業家に至るという。

 「違うこと」をやることは素晴らしいし、「違うこと」から差異、価値が生じる。周りとはちょっと違うことをやる人のことをチェンジメーカーという。

 「チェンジメーカーになるための一番大きな壁は自覚の壁である」とドレイトン氏は静かに語る。

 他人を変えることは難しくても、自分を変えることは多分それほどには難しくないだろう。その意味で、だれもがチェンジメーカーになれるはずである。そして、卓越した社会イノベーションをもたらす社会起業家は、豊かなチェンジメーカーの裾野があって初めて出現するものだ。

 シンポジウム「Everyone a Changemaker」のキーノート・スピーチで、渡邊奈々氏は「86%の高校生、54%の中学生が自分はダメだと思っている」という現状に警鐘を鳴ら した。ドレイトン氏が言うように、自己肯定感、自己効力感がなければ社会に向ける眼差しは暗く屈折したものになるだろう。「ダメ」から「デキル」へ反転さ せるようなギア・チャンジが求められている。

 チェンジメーカーを生み出す土壌をどのように耕して行ったらいいのか。大きな課題だ。ドレイトン氏は近々、11~20歳の子供を対象に、チェンジメイキ ングを実践させ、持続的な変化を起こすトレーニング・プログラムを行うという。そして、アショカ財団はJPMorgan Chase Foundationから約23万ドルの助成を受けて、日本でも若者向けの社会起業支援に乗り出す。

 

同調圧力、違い、イノベーション

 たしかに第15講の『どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神』 で触れた「みんな一緒にがんばる」「みんなで分けあう」「世間さまに恥ずかしくないように」「みんなの目を気にしながら生きる」ことは日本的勤勉の倫理を 維持する上で看過できないが、「周囲と同じようにしなければならない」という隠微な同調圧力は「違い」を排除する方向にも作用する。

 そこに自助努力の原則が強く刷り込まれれば、成功も失敗も自分のせいになってしまい、「とりあえず周囲と同じような方向で頑張る」ということになりかねない。

 経済学者のシュンペーターはイノベーションの源泉を「新結合」に求めたが、結合されるべき「違い」が排除されていたのでは、今の日本でイノベーションが 創発されるべくもなかろう。シンポジウムのパネルディスカッションで司会を務めた渡辺孝東京工業大学特任教授が指摘するように、現在日本の起業活動は OECDで最も低いレベルにある。

 日本の社会は、「周囲と同じような振る舞いをする人々を大切にして、周囲と違ったことをやる人を疎む傾向が強い」と感じるのは筆者だけではないだろう。 周囲と異なること、違うことを尊重しない環境からは異質は発生しない。異質なものが萌芽しなければイノベーションも生まれない。イノベーションの沈滞と 「違い」を排除する暗黙の同調圧力とは無関係ではあるまい。

 さてドレイトン氏は嬉しそうに、メアリー・ゴードン氏が始めた「Roots of Empathy」の話をする。彼女は学校からいじめをなくす活動をしている。アショカ・フェローになってからたった4年で、ゴードン氏のプログラムを採用する学校は2校から2000校に増えた(この活動を日本語で紹介しているサイトはこちら)。

 彼女たちがやっていることは、いたって簡単。教室に赤ちゃんを連れていき、「先生」と大きく書かれたTシャツを赤ちゃんに着せて、その子が何を言おうとしているのかを生徒たちに考えてもらい、話し合ってもらうだけ。

 大学に依頼して実施した追跡調査の結果、この活動により、いじめの件数は激減した。大きなインパクトである。言葉の通じない赤ちゃんとの触れあいを通して、「相手の身になって考える」というアイデアがすべての始まりだったそうだ。

 違いを気にする学生に対してドレイトン氏はこう言う。「まずは学生の方々に伝えたい。誰もやっていないことをやりなさい。そうすれば比較をされないですよ」。

 

「所得階層別の価格設定」という常識破り

 「資本主義を人間化する」。シンポジウムで、このなんとも刺激的な演題でプレゼンテーションしたのはデビッド・グリーン氏。人間のために資本主義を活用するという話だ。

 「人生の時間の使い方は二つ。一つは、生きている間に自分に返ってくること。地位、名誉、お金などです。もう一つは、人類全体の向上、より良い世界に貢献することです。私は後者を選んだだけです」 と自己紹介する。

 グリーン氏は、オーロラボ(Aurolab)社を起業し、インドなど開発途上国で初めて人工水晶体レンズ、手術用縫合糸、医薬品、眼鏡を、貧困層にも届く価格で生産している。オーロラボはこれまでインドのアラヴィンド眼科病院などで、1000万人の途上国の患者に医療サービスを提供してきている。

 68億人の政界人口の底辺をなすボトム・オブ・ピラミッド(最近ではボトムという表現を嫌い、ベース・オブ・ピラミッドと呼ばれる)に対するケアサービスによってQOL(生活の質)は着実に改善されている。

 戦略は大胆かつ前例がないものだ。一番安い価格を無料に設定することで、一気に需要を顕在化させる。

 多くの人は水晶体が曇ることによって失明する。目が見えるようになるためには手術によって水晶体を交換しないといけない。そのための水晶体を途上国の医療機関にオーロラボが破壊的廉価で納入しているのだ。

 グリーン氏が実践してきたことは、技術経営の視点から事後的に見ればオーソドックスな手法だ。

(1)技術移転して、価格設定権を握る。
(2)ヘルスケア・サービスを持続的に提供する。
(3)投資家からファイナンスを受ける。

 ただし、驚愕の価格戦略を推進している。途上国を市場としている彼のビジネスでは、「一物一価」「一サービス一価」を否定して、所得階層のセグメント別 に価格を設定している。貧困層に属する3分の1の顧客に対しては無料、それ以上の層の3分の1に対しては正価の3分の2で販売する。富裕層の顧客(全体の 約3分の1)は、高い価格(正価)を喜んで払ってくれるという。

 ヘルスサービスのアプリケーション・レイヤーは、薬品、医療材料、診断機器などの物質レイヤーと、診療、看護などのヒューマン・サービス・レイヤーの2 層から成り立つ。オーロラボは、物質レイヤーの水晶体などを破壊的廉価で製造、流通させ、途上国のヒューマン・サービス・レイヤーに新規医療技術を学習さ せる。これにより従来は一部の富裕層しかアクセスできなかったヘルスサービスを、途上国の地域に一気に伝搬させるイノベーションである。

 詳細は、講演記録を読んでいただくとして、グリーン氏のビジネスは、技術が持続可能性をドライブすることを如実に立証している。重要なことは、技術をい かに画期的なビジネスモデルの中で活用するかだ。彼らはまず、医療用品の製造に莫大なコストがかからないという前提からスタートし、オーロラボ製品のマー ジン率を低く抑え、サプライチェーンを整備し、コストを削減し、品質管理を徹底し、持続可能なビジネスとして展開しているのだ。

 

ビジネスモデルの骨格にCSRはあるか?

 「社会的企業と一般企業の差は?」との会場からの質問に、グリーン氏はこう答える。

 「私は、最近は自分たちのことを社会的企業とはあまり言わなくなりました。高ボリューム・低マージンモデルのビジネスを市場の中で行っていることが社会に受け入れられているだけなのです」。

 人々が真に求めているものごとを、求めやすい価格で、アクセスしやすい場所で提供するという企業経営のイロハを実践することが、結局は社会的存在になる ということだ。同様に、そのための起業ならば、あえて社会的という形容詞を付ける必要もないということだろう。学説的にも社会イノベーション学派とよばれ る系統では、社会イノベーションの担い手として営利、非営利は特に問うていない。

 フィランソロピー(社会貢献活動)、CSRという概念は、企業のコアコンピタンスやビジネスモデルの骨格に埋め込まれて初めて社会的企業となるのである。コアとなる事業に付帯させて行うCSRが散見されるが、それは決してCSRの本質ではない。

 このような文脈もあり、現在米国では、社会イノベーションや社会起業が、ビジネススクールや専門職大学院、学部レベルはおろか、いろいろな学校や地域に おいて大変な勢いで広まっている。もちろんそこには、昨今のマネー資本主義の暴走に対する複雑な情念も付随しているのだが。

 

「バスレなし」のシュンペーターの予言

 マルクスの労働価値説を真っ向から否定した経済学者バヴェルクを師とするシュンペーターは、マルクスを超えようとする言説を展開した。マルクスをはじめ予言をハズすのが経済学者の常だが、シュンペーターの恐ろしさは、今のところ彼の予言にハズレがないという点にある。

 さて「資本主義はその欠点のゆえに滅びる」と書いたマルクスの逆張りで、シュンペーターは「資本主義はその成功により滅びる」と意味深長なことを書いた。

 シュンペーターは「創造的破壊」というコンセプトを思索の真ん中に据えた。そして、創造的破壊を推進する資本主義のエートス(行動様式)が衰弱し、資本 主義の屋台骨ともいえる私有財産制と自由契約制が形骸化すれば、キャピタリズムは衰退し、やがては終焉を迎えるだろうと予言した。

 創造的破壊とは不断に古いものを破壊し、新しいものを創造して絶えず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変異である。

 シュンペーターによれば、資本主義の生命線であるイノベーションの担い手=企業家(起業家)が官僚化された専門家へ移行するにしたがい、資本主義の精神は萎縮し、活力が削がれてゆき、やがて資本主義は減退する。

 ここからが重要だ。あまり知られていないが、企業家(起業家)は主要な活躍の場を産業分野から次第に公共セクター、非営利セクターに移行させてゆくだろうと彼は書いている。シュンペーターもまた社会起業家の活躍を予見し、社会イノベーションを含意しているのである。

 1931年に日本を訪れ、京都にも遊び日本社会も垣間見たシュンペーターだが、今の日本の状況を見通していたのだろうか。若い世代が追い求めているものは、不思議と彼の予言と符合する。

 

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ –第17講:若い世代が追い求める、「勤勉」と「幸福」の間にあるもの :ITpro

第16講:大丈夫か?日本資本主義の未来(勤勉のゆくえ)

カテゴリー : アントレプレナーシップ

 「日本人は勤勉さを失いつつあるのかもしれない。勤勉さを礎とした、高度成長時代からの社会制度は、このままでは立ち行かなくなる」と多くの人が考えているようだ。そこで今回は、「勤勉」の現状と未来を見立てることによって、日本資本主義の今後の姿を占ってみたい。

 筆者は海外で、よくこんなことを言われた。

「日本人はじっと耐えて、脇目もふらず一生懸命がんばる」
「日本人同士集って本気を出すと、他の国の人々はかなわない」
「日本人の勤勉さが、あの高度経済成長を支えてきたのですね」

 要するに、日本人は勤勉だというのである。前回の「どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神」で見たように、日本人の勤勉さはある種、歴史・文化に刷り込まれてきたものであり、その行動様式は社会や経済のあり方と無関係ではない。むしろ、勤勉の精神が社会や経済のあり方を支えてきたと言ってよいだろう。

 そう思っていた矢先の2008年に、いささか考えさせられる調査結果が発表された。読売新聞社の「年間連続調査」は、「日本の発展を支えてきた『日本人の勤勉さ』について、これからも続くと思う人は35%にとどまり、そうは思わない人が61%に上る」と報じたのだ。

 日本人の勤勉さについては84~91年に5回調査し、今後とも続くと思う人が常に多数派だった。日本人の勤勉さが続くと思わない人の方が多くなったのは 2008年度の調査結果が初めて。特に20歳代では66%に達した。1984年の調査では、「続く」と思う人が59%、「続くと思わない」人が33%だっ たので、この四半世紀で見方の比率がほぼ逆転したことになる。

 どうやら日本人の勤勉さは消失・沈滞しつつある、とまでは言わないが、大いに変質しつつあるようだ。一生懸命、勉強や仕事に励んでもしょうがない。せっ せと勤勉に励んで一体何になるのか――。こんな声が聞こえてくるようだ。要は、勤勉であることの目的、勤勉であることによってもたらされる効用がハッキリ しなくなってきているのである。

 

成長と勤勉

 「成長」は、従来の経済の合言葉、大義名文、呪文だった。1955年から1973年までの18年間、日本経済は成長に成長を重ねてきた。なぜこの時代に 日本経済は高度成長を遂げたのかについて諸説あるが、「需要」「供給」「イノベーション」の3条件が絶妙に組み合わさったことから飛躍的な経済成長がもた らされた点に異論はないだろう。

 新しい価値を市場にもたらして伝搬させるイノベーションが勃興し、付加価値生産にかかわる十分な人、モノ、カネ、情報などの資源が調達可能で、生産された付加価値を消費する需要が拡大を続けるという3つの条件を満たしたがゆえに、飛躍的に経済が成長してきたのだ。

 これらの基調を後押しする社会的イベントも盛大に行われ、特需となった。1964年の東京オリンピック、1965年の北爆から1975年のサイゴン陥落 までのベトナム戦争、1970年の大阪万博(日本万国博覧会)などは特需をもたらした。それやこれやで1968年には国民総生産(GNP)が資本主義国家 の中で第2位に達し、一連の経済成長は「東洋の奇跡」と言われた。

 このように「成長」は戦後長らく日本の背骨を支えてきた。そして勤勉が成長を支え、成長すれば皆が豊かに幸福になるのだ、という確固たる確信と納得が あったのだ。文化人類学者の上田紀行は、「右肩上がりの時代、それは自分自身の個別の『生きる意味』を深く追い求めなくても、ひとまずは幸せにやっていけ る時代だった」と言い、バブル経済とともに崩壊した成長神話の残骸に、「かけがえのなさの喪失」という殺伐とした風景を見る。

 

成長ありきの2軸対立

 社会民主主義的な「ケインズ主義」と、保守自由主義的な「市場主義」はよく対置されて議論される。前者は大きな政府を是認し、市場には欠陥があるからコントロールされるべきと主張。後者はすべてを市場と自由な個人に委ね、政府による介入を拒み、小さな政府を主張する。

 ケインズの祖国イギリスは、第2次世界大戦後はおおむねケインズ派だった。「経済を安定させ、失業などの不均衡を是正するために、政府は市場に介入すべ し」との議論に、真っ向から反旗を翻す向きは少数派。ケインズによれば、経済に不均衡や不安定が付いてまわるのは、市場そのものが“不完全”だからであ る。

 1980年代になって、イギリスのサッチャーとアメリカのレーガンはともに小さな政府を目指した。だが2人が企てたことは、実は市場原理主義のように 「市場の完全性を前提にする」というよりは、むしろ様々な規制を緩和し、民営化を勧め、競争を促進することによって「市場を“完全”な状態に近くしようと する」ことだった。

 サッチャーはケインズの天敵だったハイエクの思想を信奉していたとよく言われる。ハイエクは市場の万能性を素朴に信じようとは言わなかった。むしろ自由 を求めてやまない人間の理性にはどうしようもない「限界」があるから、市場を管理、操作、統制、制御するといった夢物語を追いかけるのを止めにして、一切 を市場に任せようと言ったのだ。

 ハイエクによると、人間とは「高度に合理的で聡明な存在ではなく、きわめて非合理的で誤りに陥りやすい存在」である。だからこそ、決して万能ではない市場に委ねるほうが賢明であると彼は考えた。これをハイエクの「相対的市場主義」という。

 いずれにせよ、ケインズ主義も市場主義も、それらを援用する為政者も引用する論者も、おしなべて「成長」という大義名分を肌身離さず持っていたことには変わりがない。

 

経済成長は幸福を約束しない!?

 経済成長はドグマ(宗教の教義)にも似た至上命題。需要側からも供給側からも、はたまたイノベーションを論じる向きからも絶対的テーゼとして祭り上げられてきた。

 ところが、「はたして、経済成長は人間の幸福とどのような関係があるのか?」という点に飽くなき関心を持つ研究者が出始め、ここ数年は実に興味深いデータが出始めている。

 例えば、次の図1は、経済成長が日本国民の生活全般の満足度に直結しないことを示している。日本の1人当たり実質GDPが伸びても、逆に「生活満足度」は下がっている。

生活満足度と国民1人当たり実質GDP(国内総生産)の推移
図1●生活満足度と国民1人当たり実質GDP(国内総生産)の推移
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 購買力平価で見た国民1人当たりGDPと「幸福度」の間にも同様の傾向がみられる。平成20年度国民生活白書によると、所得水準が低い国のグループでは 右肩上がりの正の相関を示すものの、全体として相関は弱い。所得水準が高い先進国では、所得の上昇にかかわらず幸福度はほぼ水平、つまり幸福感が高まらな いことが示唆されている。

 もっとも厳密な議論をするためには、さらに膨大なデータの収集と解釈が必要なことについては論を待たないが、上記のデータから示唆されることは実に寒々 しい。「一生懸命、勤勉に働いてお金を儲けて、1人当たりGDPの向上に励んでも、生活満足度や幸福感はさして高まらない」ということだ。

 以前ならば、「一生懸命、勤勉に働いてお金を儲けて、1人当たりGDPの向上に励めば、生活満足度は上がり、あなたは幸せになる」と言われれば、よほど の天の邪鬼でない限り大方は納得した。学校の先生から会社・役所の上司に至るまで、暗黙の合意・了解事項だったのではないか。

 ところが今は、そうではなくなった。

 「諸君はよく受験勉強に耐えて、大学に入った。これからもっと一生懸命勉強して、卒業する暁には、良い会社や研究所に入って、勤勉に働こう!そして給料をたくさん稼ごう! 幸せになるために!」とは、さすがに口が裂けても言えない。

 たぶん、このような素朴な予定調和の物語は誰も純朴には信じないだろう。よしんば、そのようなことを言う人が出てきても、趣味の悪い懐古主義者と間違われるのがオチなのかもしれない。

 

勤勉の目的の問い直しが急務

 一生懸命に勉強し、良いとされる学校へ入り、良いとされる会社に入り、社業に貢献することによって個益、つまり個の利益がもたらされる。公器である会社 が社業を発展させることにより公益がもたらされ、また利益の中から法人税などを収めることで公の利益の増進に直結する。このような勤勉の因果関係が成り立 ちづらくなっているのである。

 筆者は、怠惰に流れやすい自分自身のことを都合よく棚に上げあげつつも、勤勉そのものを否定はしない。「第15講:どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神」で議論したように、勤勉はとても大事な日本人の精神的資産であり伝統であると思っている。だから次のような議論になる。

「勤勉」→「経済成長」→「幸福」

 上記の関係式の中で、「経済成長」が「勤勉」と「幸福」を媒介しなくなってきている。だから下記のように、勤勉の目的となるもの、つまり「経済成長にとって代わる媒介変数」をきちんと探し出して、自覚的に入れ込むことが大事である。

「勤勉」→「○○○○」→「幸福」

 日本社会には「○○○○」について、まだまだ総意などといったものはない。当面、一人ひとりが模索してゆかねばならないところに事の重大さが潜んでいる。

 集団的に深く刷り込まれた経済成長神話に代わって、一人ひとりが「○○○○」を探し、紡ぎ、意味づけていかねばならないのだ。前述した上田の言葉を借りれば、「○○○○」の定まらない状態は「かけがえのなさの喪失」にもつながる不気味なものだろう。

 

新しい資本主義の形は「新しい勤勉」を求める

 元来、近代資本主義というものは空気のようなものだ。肌で触れることもできないし、目にも見えない。図2のように、抽象的な項目で構成されながらも、具体的にその影響下にある人の行動を拘束する。

近代資本主義の構成

図2●近代資本主義の構成

 

 近代資本主義は、目的合理性、労働の目的化、利子利潤倫理を基盤に置く。これらの基盤を下支えするものが「勤勉」であり、絶対性と抽象性を特徴とする私有財産制と、それによって万人が等しく絶対的に拘束される自由契約制によって成り立つのが近代資本主義である。

 ここを押さえておかないと、最近騒がしい「明日の資本主義」「資本主義滅亡論」「資本主義暴走論」など、とめどもない言説の針金細工になってしまうので要注意だ。

 「勤勉」をも俎上に乗せる諜報謀略論は、実は大変マジメな議論なのである。人は何に対して勤勉になりうるのか。経済成長以外に勤勉を誘導する政策的な目標はありうるのか。勤勉を演出し、社員の勤勉に依拠してきた日本的経営の姿はどうなるのか。次回以降に考えてゆこう。

 

    【参考文献】

  • 読売新聞、2008年7月30日
  • 平成20年度国民生活白書
  • 上田紀行、「生きる意味」、岩波新書、2005年
  • 佐和隆光、「市場主義の終焉」、岩波新書、2000年

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ –第16講:大丈夫か?日本資本主義の未来(勤勉のゆくえ) :ITpro

第15講:どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神

カテゴリー : スピリチュアリティ&宗教

 社会主義に勝利したかのように見えた資本主義だが、このところ資本主義に吹きつける風は冷たい。アメリカ発の強 欲・金融資本主義の崩落現象後の悪あがきに怒るマイケル・ムーア監督は、舌鋒鋭くキャピタリズムをこきおろす。さて、日本の資本主義はどうなるのか。そこ を見極めるためには日本的資本主義の来歴を知る必要がある。

第7講:ユダヤの深謀遠慮と旧約聖書』で触れた「創世記」では、働くことは原罪の対価であるという見方で一貫している。また古代ギリシャのプロメテウス神話でも、人間は神の庇護から離れ大地から命の糧を自分たちで得ていかなければならないという途方もない苦役を課せられたという話が出てくる。

 アリストテレスは、働くことは市民を腐敗させると説いているし、ソクラテスは、健全な市民は商業などに従事すると友情や愛国心を失うので市民による労働 を禁止すべきだと主張している。プラトンは、人間の働きの中で最も高貴なことは哲学すること、次に戦争をすること、最も価値が低いことは労働である、と 言っている。労働は奴隷のものであったのである。

 かたやヘシオドスは「労働は恥ではない。働かないことこそ恥だ」と述べ、パウロは新約聖書の中で「落ち着いた暮らしをし、自分の仕事に励み、自分の手で 働くように努めなさい」(テサロニケの信徒への手紙)と言った。このように古い時代の西洋社会では、労働について賛否両論があるものの、否定的見解に立つ 見方が支配的だった。

 

働くこと=労働の換骨奪胎

 働くことについてネガティブな見方が大勢を占めていた西洋社会だが、近代の契機は、この労働観の大逆転から始まった。よく知られているように、マック ス・ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(以下、プロ倫と略す)の中で、西洋近代の資本主義を発展させた原動力を、カルヴィニズ ム(プロテスタントの一派)の宗教倫理から生まれる禁欲であるとした。

 嗜好品、アルコール、娯楽、セックスを断つというような禁欲ではない。この点は誤解のなきよう。それぞれの職務の労働に一生懸命、専心して励みながらも、世俗的な富の追求や過剰な消費には距離を置いて慎むといった行動的禁欲(aktive askese)である。

 宗教改革の指導者カルヴァンの予定説は絶望的な説だ。つまり、救済される人間は前もって予定・決定されており、人間の意志や努力でこれを変更することは 絶対にできない。禁欲的にせっせと労働に励み、この世に神の栄光をあらわすことによって、「自分は救われている」という確信を持つことができるようになる というのだ。

 ヴェーバーは、このような一見積極的な金儲けに反するようなピューリタンの行動様式(エートス)こそが、実はその富の蓄積の推進力となり、ひいては近代資本主義の基礎となり得たと論じる。『第9講:イスラームの葛藤』で述べたように、契約更改の概念とともに、行動的禁欲に支えられた労働の絶対化が西洋社会の近代化に大いに貢献している。

 もっぱら奴隷が労働を担当し、労働が蔑まれていた地域から人格的一神教が発生している。そして奴隷制度の変質・散逸とともに労働が奴隷でない人々も行う ようになるにしたがって、働くことの意味も変化する。「働くこと」が「労働」として位置付けられるようになるのは、実は近代以降だ。

 

「日本的勤勉の精神」の源流

 さて、日本ではどうか。日本神話の最高神、天照大神は熱心に機織りをして「働くこと」を実践している。なんと神様が汗を流して働いているのである。これは、人格的一神教では絶対にあり得ない情景だ。そしてこのような風景は、単に日本神話の中の話で終わることではない。

 一例のみ挙げる。現代でも皇居には天皇陛下が稲を栽培する水田があり、天皇陛下自ら田植えや稲刈りをなさる。君主を仰ぐ国家は多いが、天皇のように、自ら水田に入り稲を育てる君主は空前絶後ではないか。

 さて、1990年代のバブル崩壊に至るまで、日本経済は世界から「奇跡」とまで讃嘆されるほどの経済成長と栄華を体現していた。そこで、大東亜戦争の敗戦後、この怒涛のような経済発展を説明するのには、日本資本主義の構成原理を説明する必要性が急浮上してきた。

 しかしながら、日本は断じてキリスト教国家ではない。日本には、マックス・ヴェーバーが近代資本主義の精神と呼んだ敬虔なプロテスタントの世俗内禁欲の 行動様式(エートス)は存在しない。なんといっても日本では、一神教キリスト教徒の人口は1パーセントとて超えたことがないのだ。こうして、日本の資本主 義が発生した仕組みをどうのように説明したらよいのかが、日本の知的社会の一大関心事となっていったのである。

 こうして、カルヴィニズムを中心とする敬虔なプロテスタントの禁欲のエートスを代替する日本的に宗教的なるものの存在を説明して、もって日本資本主義と西洋に発展した近代資本主義に同型の原理を見出してゆこうとする研究が始まった。

 ただし、戦後の知識社会を総舐めにしたマルクス主義の唯物史観のひな形に、日本近代資本主義を無理やり押し込もうとした試みはあまり良いことではなかっ た。そんな中にあって、日米でのヴェーバー学の系譜は、タルコット・パーソンズ、大塚久雄、そして小室直樹といった研究者に継承されてきている。

 

ヴェーバー以前に生まれた日本の先駆者たち

 さて「プロ倫」でマックス・ヴェーバーが「資本主義の精神」と呼んでいるものは、だれかに強制されたり、誘導されたりするものではない。自生的、歴史的に形成され、人々の内面にひたひたと、しかし確実に浸透してゆく。

 常々筆者は、日本でのヴェーバー学の系譜では、大塚と小室の間に実はもう一人、有益な補助線のような論者がいると見たてている。故・山本七平である。山 本は、論拠と解釈と主張とを混合させるエキセントリックな言説を好んで用いたためか、あまりに鋭いことを論じたためか、学術的系譜の中には積極的には位置 付けられてはいないのだが…。

 山本は、敬虔なプロテスタントの禁欲のエートスを代替する「日本的に宗教的なるもの」として、純粋に日本文化圏において自生的、歴史的に形成され、人々の内面に浸透し、助長し、推し進めてきた行動様式を見出した。それは、「日本的勤勉の精神」であるという。

 『第5講:仏教に埋め込まれたインテリジェンスの連鎖』でも鈴木正三と石田梅岩には軽く触れたが、この文脈から今一度、正三と梅岩の人となりと思想を振り返ってみよう。

 

農業即仏行を説いた鈴木正三

 鈴木正三(1579-1655)は、もともと徳川家臣の身分だったが、42歳のときに突然出家して僧侶に転じた。著作活動に熱心な人であり、武士だった 頃からせっせと自分の考えを書物にまとめている。代表作の「万民徳用」では、仮名書きのやさしい和文で「人々の心のもち方が自由になり、人々が心の世界の 中で自由に振る舞うことができるようになるためならば、南無阿弥陀仏と念仏を唱えるのもよし、座禅をしてみるのもよし、さらには、毎日、自分に与えられた それぞれの職分=仕事に、精一杯打ち込んで働いていけば、それが、人間として完成していくことになる」と説いた。

 正三の遺稿「反故集」の中には、「自分は遁世の身となって、師匠を求めたが、師匠とすべき人を見出す縁がなかった」と書かれている。この一文からは、正 三の凛とした気概と隔絶した自信がうかがえる。そして、どの宗派、どの教団にも属さず、自由な立場で当時の葬式仏教や檀家仏教のあり方を手厳しく批判し、 民衆のために実際の生活に密着して、役立つ新しい仏教の教えを説いたのであった。

 正三は、坐禅とともに念仏を重視して「禅よし、念仏よし」と説いた。「正三の仁王不動禅」といわれるように、「仁王像や不動像のように厳しい心、激しい 心を持って坐禅をし、その気持ちを一日中持ち続けよ」と言った。念仏については「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、息を引ききり引ききり、強く念仏せよ」と か、「眼を見すえ、拳を握り、きっと胸を張り出して、南無阿弥陀仏と申せ」と言っている。

 

平易な言葉で民衆に語りかける

 正三は、密教門に伝わる荘厳行者法という観想法の一端を説明していることから、開祖空海を頂く真言密教に関する行法についても相当の身体知があったはず。だが正三の巧みなところは、そのような難解な特殊用語は民衆に向かって一切用いなかったことである。

 「仏法と渡世の術は同じで、各々の職分の中に仏法を見出せ」と説いた。有名な職分説である。そして「一鍬一鍬に、南無阿弥陀仏を唱えて耕作すれば、必ず仏果に至る」とも熱く説いた。

 当時の商人は士農工商と言われるように身分制度の最下層に置かれていた。商人はモノを売るだけで利益を得る卑しい存在だと考えられていたからだ。ところが正三は、真っ向からこの考え方を否定した。

 「身命を天道によって、一筋に正直の道を学びなさい。正直の人には、諸天の恵みが深く、仏陀神明の加護があり、災難を防ぎ、自然に福をまし、衆人が敬愛し、浅くなく万事思ったとおりになるようになる」と述べ、正直な商売こそが仏道修行であると説いたのだ。

 

正直と農業即仏行

 正三は「正直」についても定義した。つまり「私欲に専念して、自他を隔て、人を抜いて、得利を思う人には、天道のたたりがあって、わざわいをまし、万民のにくみをうけ、衆人が敬愛することなくして、万事思ったようにはならなくなる」と。

 正三は、自分のみが名声を得たり、自分の財産を増やすことのみを求めたりすることを強く戒めた。このような行いは、結局、地獄道、餓鬼道、畜生道の三悪 道(さんなくどう)の悪しき業を増長させるだけで、天道に背き、必ずそのとがめを被るのだ。次の一文に正三の考えがよく表れている。

 「一筋に正直の道を学ぶべし。正直の人には、諸天の恵み深く、仏陀神命の加護有りて、災難を除き、自然に福をまし、衆人愛敬、浅からずして万事心に叶うべし」

 私欲を捨て、「正直」を愚直なまでに貫き通し、各自の職業に誠心誠意励むことが、お天道様、仏陀神命に沿うことになり、結局は「福」をもたらすことになるのである。

 

日本資本主義の精神

 マックス・ヴェーバーが西洋に生まれた年よりも285年もさかのぼり、日本に誕生した鈴木正三は堂々と天職観念、世俗内禁欲、利潤追求行為を肯定した。すなわち、ヴェーバーに類似した議論を日本的に宗教的なるものを背景に提示したのは括目に値する。

 いや、マックス・ヴェーバーは、あの学術用語に溢れた難解な文章を書いて、もっぱらヨーロッパの知的社会に向けて持論を提出したのに比べ、鈴木正三は分かりやすく民衆に向けて説いた。社会に対する普及・インパクトという点では、正三の言説を過少評価できないだろう。

 もちろんマックス・ヴェーバーが生まれる3世紀も前に誕生した正三は「プロ倫」を読んでいるはずもない。しかるに、正三は島原の乱の後、天草地方の復興 のため派遣されていて、実務の暇を見ては「破切支丹」を丹念に執筆して、キリスト教の教義を理論的に批判しているのである。

 ここに正三思想の真骨頂がある。プロテスタンティズムにまったく依拠しない、日本的に宗教的なるものを基盤に天職観念、世俗内禁欲、利潤追求行為の条件付き正統化を行った鈴木正三は、日本資本主義の精神的基礎を提示したことになる。

 元来、原始仏教以来、仏教は僧院での僧の労働と経済活動を一切認めてこなかった。原始仏教を主として分析したヴェーバーは、仏教に「働かざる者、食うべ からず」という新教的禁欲の発露を一切認めずに、仏教を資本主義の精神から最もかけ離れた宗教のひとつとさえ論じたのは、当然の帰結である。

 ところがヴェーバーの言説など、微塵も知るはずがない鈴木正三は、この命題とは真逆の「農業即仏行」であると断言し、「一鍬一鍬に、南無阿弥陀仏を唱えて耕作」することが、救済(因縁解脱)を保証すると説いた。

 ヴェーバーにとっては、仏教徒の農業・労働はブッダの栄光を増す救済ではまったくあり得ない。しかし、『第5講:仏教に埋め込まれたインテリジェンスの連鎖』で述べたように、大衆部が上座部から分派して創作経典を流布して元来の仏教の姿とは似ても似つかない発展経路をとるようになった大乗仏教が、鈴木正三を得て、日本の近代資本主義成立の契機に接続されたことは歴史の珍妙なるところか。

 

商業資本主義のエートスを見出した石田梅岩

 もう一人、マックス・ヴェーバーより早く日本に出現し、日本資本主義のエートスを商業の立場から説いた実践家がいる。石田梅岩(1685-1744)である。鈴木正三が没してから30年の後に梅岩は生まれた。

 石田梅岩が活躍した時代は、日本史の区分では江戸時代中期に当たる。この時代、徳川幕藩体制の経済システムは石高制と兵農分離制で支えられていた。城下町と農村との間の生活用品と農産物との交換を成立させている市場を「藩領域市場圏」という(岡崎哲二 1999)。

 梅岩が活躍した時代には、地域の工業として問屋制家内工業が各地に浸透、勃興している。また、銀山などの鉱山開発、鋳造にかかわるイノベーションが進んで金・銀・銅が盛んに生産され、貴金属や貨幣の鋳造量が飛躍的に伸び、マネーサプライが増大した。

 綿布、生糸、砂糖、絹織物はかつて輸入に頼っていたが、国内での生産体制が確立され、様々なコモディティ、物資が市場を通して潤沢に流通されるように なった。いわゆる市場経済が貨幣の流通によって著しく進展したのである。徳川吉宗は、加熱する経済を抑えるために、今で言うところの総需要抑制政策(享保 の改革の倹約令)を発動したくらいの勢いだった。

 1730年(享保15年)には、全国の年貢米が集まる大阪の堂島に、堂島米会所が設立されている。堂島米会所では、米の所有権を意味する「米切手」とい う証券が売買されていた。また、正米取引(現在の現物取引に相当する)と帳合米取引(現在の先物取引に相当)も活発に行われるようになっていた。

 また敷銀と呼ばれるある種の証拠金を差し入れることによって、先物取引さえもが行われていた。このような動きにともない、社会の初期資本主義化によっ て、貨幣経済が進展し、町人、役人の生活に金銭が占める位置が大きくなり、そのため拝金主義や贈収賄が横行し始めたのも、この時代である。

 このように日本で、はつらつたる初期近代資本主義が急速に勃興し、デリバティブ(金融派生商品)のはしりのようなものが登場し、金融制度改革、財政政策が盛んに行われるようになった1730年(享保15年)、石田梅岩は独自の道徳哲学(石門心学)を唱え始めたのである。

 石田梅岩は、丹波国(現京都府亀岡市)の農家の二男に生まれた。幼少時代に京都に出て商家に奉公したが、仕事に慣れず15歳の時、帰郷の憂き目に遭って いる。梅岩は、複雑な内面の葛藤を抱えたまま、それを解決できずに成人してしまった自分を自覚していたのだろう。23歳の時、再び意を決して京都に出る。 そして中年になるまで黒柳家という呉服商に奉公し続けた。

 なんとも地味なキャリアだ。ただし、働きながら読書に多大な時間を割き、旺盛な知識欲は儒教、仏教、神道などを吸収していった。

 そして45歳の時、突如、京都の御池を上がったところの質素な家屋で「性学」の自主講座を開いた。そこで梅岩は心を尽くし、性を知るとする独自の倫理学「性理の学」を唱える。現代に知られる「心学」は後年、梅岩の弟子たちが命名したものである。

 前述したように、梅岩に先行する思想家として正三がいた。梅岩と正三の最も大きな差はなんだったのか。それは梅岩が、前期資本主義が勃興する時代に、長 年商家のビジネス現場で商業取引のディテールを熟知していたことである。さらには、実践的商人道の重要性とは裏腹に、社会的な地位が不当に低いことからも たらされる、深くて暗いコンプレックスの心の襞を深く理解していたことである。

 

職分説で説明しきれなかったもの

 鈴木正三は、徳川幕藩体制下で武士階級としてキャリアを積んでから出家し、いわゆる研究と社会改革者の道に入った。しかるに梅岩は、商業出身のキャリアを背景に、市井の講談教育者的な研究者になった。

 つまり、正三の「職分説」が士農工商のうち商人の職分を適切に説明できなかったのに対し、梅岩は営業、利幅の獲得、顧客管理、在庫管理、そして商業活動 の細部を理解していて商人・商業の職分を雄弁に説明できたのである。こうして梅岩は「商業の本質は交換の仲介業であり、その重要性は他の職分に何ら劣るも のではない」という主張を論理的に、かつ分かりやすく行い、商人、町人の圧倒的な共感を得たのである。

 余談だが、その自主講座というのがなんとも型破りなものだった。謝礼や受講料は一切受け取らず、入るも自由、去るも自由の、今で言う生涯教育のオープン カレッジのようなものだった。その講座のやり方は、一方的な講義ではなく質疑応答とクラス・ディスカッションを中心としたものだった。

 毎回の授業で教師役の梅岩が毎回課題を出す。そして次回までに受講者は答案を作成し、持ち寄って討論し、梅岩が様々な角度からコメントを出し、総括するといった今日のビジネススクールのケーススタディのようなスタイルだった。

 現在、日々仕事に追われながらも向学心の強い人々が、社会人向けビジネススクールや技術経営専門職大学院に集まっている。なんと、250年も前の京都に 実践的な無料の生涯教育の場ともよぶべきナレッジ・コミュニティがあったのだ。ビジネススクールの範を欧米にのみ求めるのではなく、250年前の日本の叡 智にも学ぶべきものがある。

 さて、1739年(元文4年)、4巻2冊から成る都鄙問答(とひもんどう)は、このような実践的かつ知的に沸騰する場から生まれた。門下生がわざわざ梅 岩をめぐる質疑応答を整理して、問答形式で編さんしたのである。それを関西の湯どころ、有馬温泉に持ち込み、師と学生が交わりながら内容を確認して書物に したという凝りようである。

 当時は、商人の営利活動は世の中の妬み、恨みの対象でさえあった。拝金主義や贈収賄の風潮が世の中全体を覆う中、梅岩は「商人の売買は天の佑け」「商人が利益を得るのは、武士が禄をもらうのと同じ」と述べて、商行為の正当性を正々堂々と説いたのだった。

 梅岩は、営利活動を否定するどころか、積極的に肯定し、商業倫理そして商業活動の持続的発展の論点から、本業の中で社会的責任を果たしていくことを説いた。そこに石心門の今日的、世界的な文脈での意味があるのである。

 

健全な資本主義の進化に必要な抑制的・禁欲的な対抗倫理

 正三と梅岩の思想はユダヤ・キリスト教の系譜にあるプロテスタンティズムとは異質。しかし、西洋と東洋の一角に発生した近代資本主義の背骨としての働きには共通項がある。

 それは、自己膨張する欲求によってもたらされる、とめどもない拡大再生産、富の追求を抑止するマインドセットとしての働きである。このマインドセットが近代資本主義には必要なのだ。近代資本主義は、抑制的・禁欲的な対抗倫理が機能してはじめて萌芽、発展の途につく。

 さて、西洋に始まり、西洋の拡張としての米国、日本などを経て発展してきた資本主義の次の大きな舞台の1つは中国だ。中国共産党が文化大革命の時代に、 断固否定した儒教を今日熱心に復活させている。中国の指導部は、社会主義市場経済という異形の体制下で資本主義を発展させるためには、抑制的・禁欲的な対 抗倫理がなければならないことに気が付いている。社会主義はその対抗倫理を提供することはできない。それゆえに、孔子を中心とする儒教の復活を画策してい る。

 統治、支配する側の論理、規範が濃厚な儒教にどこまで民衆のマインドセットとしての役割が果たせるのかは疑問だ。また、中国共産党の指導による孔子のリ バイバル、普及は、自生的に大衆のマインドセットの中に浸透する性格のものではない。今後、中国の資本主義の行く末を予見するためには、それを支える基幹 のマインドセットをこそ正しく知るべきだろう。

 

日本人が空気のように吸い込んできた独自の倫理観

 話を日本に戻す。人格的一神教が発生した奴隷制度とは無縁だった日本では、人間の上に神はいないし、人間の下に奴隷もいない。ましてや神と人間との契約もない。どこまでも人間が中心なのだ。

 神と人間が循環する多神、多層、多元的なメンタリティが、雑多な宗教が折り重なるように習合してできた特殊な心象基盤の上に作られていった。「お天道様 が見ている」「働くことは当たり前あたりまえ」「みんな一緒にがんばる」、「みんなで分けあう」「ご先祖さまのおかげ」「神様、仏様を畏れ敬う」「世間さ まに恥ずかしくないように」「足るを知る」ことが空気のように浸透し、その空気を日本人は吸って働いてきた。

 無論、高度経済成長、平成バブル経済とその崩壊の過程で、このような心象が蹂躙され複雑骨折したかのようにも見えるが、それはそれとして別講で詳細を検討することとする。

 かつて先人が築いた日本的勤勉の倫理と日本資本主義の精神を再点検することが重要だろう。そこには資本主義再構築のヒント、新しい働き方についての示唆が隠れている。

 歴史と思想の襞に隠れているものにスポットライトを当て再発見して活用してゆく。これもまた諜報的な教養の生かし方である。

 

    【参考文献】

  • 岡崎哲二、「江戸の市場経済」、講談社新書メチエ、1999年
  • 山本七平、小室 直樹、「日本教の社会学」、講談社、1981年
  • 山本七平、「日本資本主義の精神」、ビジネス社、2006年
  • 石田 梅岩、「都鄙問答」、岩波文庫、2007年
  • 鈴木正三記念館

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ –第15講:どうした? 勤勉の倫理と日本的資本主義の精神 :ITpro

第14講:英語で世界をシノぐ方法(覇権言語ソフトパワーとのつきあい方)

カテゴリー : アメリカ

  日本人がアジア・アフリカの母語を持つ人々とも英語でコミュニケーションをとるのが当たり前の時代となって久し い。だが、読み書きではひけをとらないものの、話すのが億劫という日本人は相変わらず多い。そこで今回は、英語とどのように付き合ったらいいのかを考えて みよう。

 前回はチャイナ的人間関係の話をしたが、筆者は中国の友人と語らう時は英語を使っている。もっとも、世界中どこの人々とであろうが、コミュニケーションのツールは英語になってきている。

 筆者の中国の友人は、北京にある外資系企業の管理職で、海外からやってくるビジネス・パーソンとも英語でビジネスをやっている。

 その友人がショッキングなことを言う。「世界各国のビジネス・パーソンと英語で意思疎通しているのだけど、ジャパニーズの英会話力が最低だ」と。

 たしかに、英語を母(国)語としない人のための英語力総合テスト(TOEFL)の日本人の成績には目を覆いたくなる。なんと、長年、北朝鮮が最下位で日 本はビリから2番目である。中学、高校、大学というように、多くの日本人は6~10年も学校で英語を勉強している。しかも、街には英会話学校が乱立し、教 育ママは幼児向け英会話レッスンにわが子を通わせることが、もう何年もブームとなっている。獲得できる英語リテラシーを英語習得に投じる投資で割り算すれ ば、日本人の英語ROIは極めて低い水準だろう。

 

なぜ日本人は英語がヘタなのか

 自覚があれば、それなりに“英語ベタ”を逆手にとることもできる。だが、英語ベタな日本人は無自覚なままでいると、国際諜報はおろか、異文化間コミュニケーションの現場でおおいに損をしているし、圧倒的に不利になることが多い。

 そう言うと、次のような反論があるだろう。

「わが日本民族は英語民族による植民地支配を退け、それゆえにかつて敵性語であった英語は浸透していないのだ」

「大東亜戦争敗戦後の米国帝国主義に屈しない最後の砦が日本語という言語聖域(言霊)なのだ」

「言語学的に英語と日本語は極端に隔絶しているので、日本人の英語は上達しないのだ」

「学校での英語教育法が間違っているからいけないのだ」

「そもそも英語なんかできなくても生活できる」

 たしかに英語ができない、英語を使いたくない理由は山ほどあるだろう。しかし、ここで重要なことは、消極的にしか英語にかかわらないことで被っている不利益である。そして、ますます影響力を強めている英語の、背後に存在する構造を理解しておくことが大切である。

 英語圏の国々、特に米国と英国にとって英語は「ソフトパワー」の切り札である。ソフトパワーとは、軍事、経済などの力の行使によらず、その国の有する文 化、主義、価値観、政策などに対する理解や共感を広範に醸成することで、間接的に支配力を増長させてゆく力である。ソフトパワーを持つ英語が世界に浸透す ればするほど、英語コミュニティに有利に作用するのである。

 英語ソフトパワーの効用は、英語コミュニティに参加する人口が増えれば増えるほど増加する。したがって、英語を使えるようになると英語ソフトパワーの恩恵にあずかることができる。いわゆるネットワーク効果が英語圏を拡大させているのだ。

 

英語に接する日本人の5類型

 どんな言語でもそうだが、その言語を深く習得し、あるいは内面化するほどに、その言語が使われている地域や国、そして伝統、文化、社会経済の諸制度に愛着、同一化傾向を示すものだ。

 この傾向を熟知する米国寡頭勢力は、この英語ソフトパワーの利用に長けている。せっせと日本から産学官のエリート留学生を受け入れ、ソフトに親米派を醸成してきている。

 英語、特に米語を学ぶということは、この陰微なソフトパワーの影響下に参入しつつ、英語とその背景にある精神、伝統、発想、制度、行動様式を獲得するということである。このあたりの自覚の仕方には、おおむね5通りあると筆者は考えている。

 1番目は、学習の効果が出る前にギブアップしてしまうタイプ。そして日本語という閉じた言語空間、日本という閉じた空間に棲息することを選択する。このような人々を「日本ガラパゴス系」と呼んでいる。

 2番目は、カッコよく話せないが、なんとか聞ける、書けるというタイプ。必要に迫られないと、積極的には英語を用いない人々である。このような人々を「どっちつかず系」という。

 3番目は、その言語に熟達し、その言語の発想様式を取り込んでしまう自分に陶酔するタイプ。このような人々はジェスチャーや表情まで、それ風にするのが心底カッコいいと思っている。留学経験者や外資系企業の日本法人などによくいるタイプだ。「ナルシスト系」という。

 4番目のタイプは、興味の対象が外国語から、その外国語が活用される対象、つまりその文化、制度、その言語で記述される学問へ向かうタイプである。その 対象に傾倒するあまり、へたをするとその言語が使用される海外の大学や大学院まで行ってしまうタイプだ。「思い込み系」という。

 5番目のタイプは少数派。異言語に深く触れることにより、母(国)語に回帰してくるタイプである。この場合、やや過剰な回帰を伴うことが多く、民族の歴史やオリジナリティ、保守思想にまで遡っていくことがある。「伝統リターン系」である。

 

ローカル言語の1つが数百年で“世界語”になった

 いずれにせよ、英語に触れさせ、英語の理解者を増やし、聞いて、読んで、書き、話す、というコミュニケーションを英語で運用してもらうことは、英語圏や英語ネットワークにとって利益となる。

 カエサルがブリテン島に上陸した約2000年前には、英語は存在すらしていなかった。それから紀元500年後あたりから、今の姿とは異なる Englisc(English)が現れた。シェイクスピアがせっせと著作活動にいそしむ頃、500万~700万くらいの人々が英語を用いるようになる。

 その後、英国による植民地支配、産業革命、北米における英語の採用、科学技術の普及などによって、英語は英米のみならず、インド、アジア、アフリカ、南太平洋の島々などの地域にまで広まった。1980年代には7億5000万人に使われるようになった。

 また、マグナカルタ、権利章典、人身保護律、陪審制度、英国コモン・ローを経て独立宣言まで、すべて英語で書かれており、いわゆる権利概念、自由主義、 民主主義理念などは英語の浸透に乗って浸潤してきている。そしてIT、インターネットの出現、普及によって、英語の地位は決定的になりつつある。

 ソフトウエアを記述する言語は基本的に英語のロジックに沿って定められ、世界中のソフトウエア産業で最も使われているのは圧倒的に英語である。普遍的な ニーズを正確に理解して、製品化し、普及させてゆくすべてのフェーズで影響力を持つ言語を押さえれば、圧倒的に有利だろう。そのポジションに英語が納まっ ている。また知的財産権に関連する契約を英語で記述すれば、これまた英語側に有利となる。汎用ソフトウエアとインターネット・サービスの領域で日本発の世 界的なヒットが出ない根源的な理由の1つは、このあたりにある。

 

ますます強固になる英語の地位

 今日、英語を第一言語とする人口は4億人。さらに第2言語とする人口は4億人だ。そして第1、第2言語以外でも英語を使う人口は8億人いる。これらを合わせると約16億人となり、世界中で4人に1人は英語を使っていることになる。

 商談、国際会議、学術会議、国際スポーツイベントなどでは、公用語として英語の地位は高い。さらに、英語を公用語としている国は60以上ある。特にアジア太平洋地域での英語浸透度はすさまじい。もはや英語ができなければ「話にならない」というのが世界情勢なのである。

 そして科学、技術、経営における英語の地位は、他の言語を寄せ付けない。細かなことを除けば近代以降、科学、技術、経営の普及と英語の普及はほぼ同期し ている。これは単なる言葉の表層の問題ではない。これらの領域の専門用語、そして概念は英語で規定され、書かれ、話され、伝達され、共有され、記述される のである。

 だからこれらの領域で勝負しようとすれば、英語ができなければどうしようもない。好むと好まざるとにかかわらず、英語が世界基準、そして世界的価値に着々となりつつあるのだ。

 自分の能力の市場価値を国際的に高めるためには、英語ソフトパワー陣営に与するほうが有利に働く。だからアジア各国のエリート、エリート予備軍たちは英語の習得に余念がないのである。

 

ネット環境は読み書きが得意な日本人に有利

 筆者の周りの日本人ビジネス・パーソンは「話す」ことに自信はなくても「読み」「書き」に自身のある方は多い。この性質を逆手にとれるのがインターネット環境だ。

 海外とのやり取りで最も使われるメディアはインターネット、特にメールである。メールは日本人の特性に合っている。第1に、話すことを回避できる。この メリットは大きい。第2に、交信記録を残して共有できるので、ロジックを押さえておけば、話の勢いやムードで劣位に立たされることなく議論ができる。第3 に、日本人の正確性へのこだわりである。メールならば文法やスペルチェックにいくらでも時間を使うことができるし、それらをサポートするツールは豊富だ。

 実は筆者もこの手をよく使う。英語のコミュニケーションの多くをメールでカバーすれば、読み、書きの面積を拡げることができる。メールで鍛えておけば、 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やTwitter(ツイッター)の英語環境にも十分対応できるようになる。

 筆者の場合、英文契約書の締結といった海外との込み入った交渉事でも、コミュニケーションの7割はメールでのやりとりだ。残りは、電話(テレカンファレンスを含む)が2割、実際に合ってフェイス・ツー・フェイスで詰めるのが1割といったところだろう。

 もちろん、フェイス・ツー・フェイスを疎かにするのではない。読み、書きをネット経由で集中させると、かえって最もリッチなコミュニケーションであるフェイス・ツー・フェイスの価値が高まる。

 ただし、セキュリティの関係で、機密度が高い場合はどうしても対面コミュニケーションに比重がかかるのはいたしかたない。機微に触れるやりとりの王道は対面コミュニケーションである。

 

英語に取り込まれず、英語と付き合う

 このようにネットを上手に利用すれば、「読み」「書き」重視で「話す」を軽視する日本式英語教育でも、案外使えるのだ。ネットでの英語利用を含めて、英語と接してゆく生き方にはおおむね3本の道があるだろう。

 1つめは日本語に徹する生き方。英語に接しない生き方だ。そして日本語に閉じこもるのである。その場合、海外と関係するような仕事には見向きもせず、ひ たすら日本国内でシノいでゆくという生き方である。この方向の人々はすべてに「日本的~」をつけてシノいでゆくことになる。卑屈に英語に接することを断固 拒否するのも立派な態度である。

 2つめは割り切って、英語を道具として活用する生き方。きちんと英語と向きあう道を歩むのである。専門的知識を英語でも理解し運用することを目指す。前 述した日本ガラパゴス系やどっちつかず系を乗り越えていかなければならない。この場合、英語ソフトパワーに身を寄せながら生きてゆくことになる。日本人の 英語の読み、書きのリテラシーは高い。まずはジャパニーズ・イングリッシュを恥じず、堂々と日本的英語で語ろう。

 3つめは、多言語的生き方。これは2つめのシナリオの延長線にある。言語の境界を越境して、時に境界を溶かしつつ、生きてゆく場所を見つけてゆくのであ る。英語に加えて、できればもう1つ使える言語があればいいだろう。英語ソフトパワーの隠微さと機微を十分に自覚しつつ、言語多元的に生きてゆくのであ る。英語に取り込まれず英語を道具として手に馴染ませることが肝要だ。

 覇権国アメリカの地位は微妙に衰退してくるだろうが、英語、米語の比較優位なポジションは当面維持されるだろう。多元的な言語世界と付き合う上で、どのシナリオを選ぶのかは本人の自由。ただし、多言語環境で活躍したい若者には、2つめか3つめのシナリオを勧めたい。

 日本が位置するアジア太平洋地域はおろか、世界における多言語環境の筆頭に位置するのは英語である。「英語に身に寄せることができなければ周りの世界と 絶縁してしまう」くらいの危機感があってもよい。ただし、くどいようだが、健全な間合いをとって、覇権言語である英語ソフトパワーの隠微さと機微を自覚す ることが重要だ。

 

    【参考文献】

  • ロバート・マクラム、ウィリアム・クラン、ロバート・マク二―ル、「英語物語」、1989年

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第14講:英語で世界をシノぐ方法(覇権言語ソフトパワーとのつきあい方):ITpro

第13講:中国人と仲良くする方法(チャイナ的人間関係への棲み込み)

カテゴリー : アメリカ

 様々な矛盾を抱える中国だが、今後中国市場は日本企業を含め外資系企業にとって何としても食い込みたい金城湯池だ ろう。中国ビジネス成功の秘訣は「人間関係」だが、日本語でいう「人間関係」と決定的に異なる「チャイナ的人間関係」の機微を知らなければ、チャイナ社会 への食い込みは無理だ。そして食い込むためには「棲み込み」が必要となる。

 昨年、中国の清華大学と大連理工大学を訪れて、学術や財界で活躍する方々と親しく意見を交換する機会を持った。中国人の方々と囲む会食は楽しいものだが、よく話題になるのがビジネスパートナーの作り方、人間関係の構築方法である。

 国と国、企業と企業、大学と大学、すべての関係性の出発点は個人と個人のやりとりから始まる。文化・歴史・商習慣の背景が異なると、もちろん行き違いは多くなる。だからこそ、この行き違いのリスクを軽減させることによるメリットは計りしれない。

 真のビジネスパートナーとは、「第12講:古今東西、CIAの対日工作にまで通底する『孫子』の系譜」で論じたような共同謀議、つまり、共に謀(たばか)りを企てるほど親密かつ戦略的な関係のことをいう。中国企業と競合して謀りを企てたり、知的財産権がらみの偏頭痛を被っている企業ももちろんある。筆者の周りにもまた中国ビジネスで悲惨な目に遭っているケースは多い。

 日本企業側の経営戦略の稚拙さもさることながら、おうおうにして人間関係のハンドリングで過ちを積み重ね、結果としてビジネス面で泣きを見ることが多 い。そこで今回は、前回の講義で紹介した『孫子』の『用間篇』に続き、「チャイナ的人間関係」の機微について考えてみよう。

 

チャイニーズ・ビジネス達人のコンピテンシー分析

 とある大企業に鮫島寛一(仮名)という中国ビジネスについて達人級の黒幕的なプロがいる。この人物は、中国政府、中国共産党、企業、大学に独自の人脈を持ち、この人がいなければ、その会社の中国ビジネスはまったく進まない状況だった。

 その企業は、第二、第三の鮫島氏を育成しようと躍起になっており、その人材開発プログラムづくりの一環として鮫島氏のコンピテンシー(能力特性・行動特 性)を分析してくれと筆者に依頼してきたのだ。そこで、異文化対応型ハイパフォーマ分析(high performer analysis)を行うことになった。

 まずはコンピテンシーについて少々解説しておきたい。

 コンピテンシー研究に関しては、人的資源管理論(human resources management)における蓄積が顕著である。その世界的な学術的潮流の中核に位置しているのは、「Hay McBer」と呼ばれる、人的資源や組織行動のマネジメントに特化したコンサルティング・ファームである。ハーバード大学のマクレランド教授が創設した会 社である。

 ロバート・W・ホワイトは有機体のメタファを組織論に延用することが流行った1950年代に、コンピタンスを「環境と効果的に相互作用する有機体の能 力」と定義した(White 1959)。しかし、マクレランドはコンピテンシーを、「達成動機の研究を基盤にして人的資源に内在する適性である」ととらえたのである。それゆえに、コ ンピテンシー(competency)とコンピタンス(competence)は似た用語ではあるが、術語としては異質なものであり両者は異なる。

 マクレランドの系譜で初期のコンピテンシー研究をリードしたボヤティスによれば、コンピテンシーとは「動機、特性、技能、自己イメージの一種、社会的役 割、知識体系などを含む個人の潜在的特性」である(Boyatis 1982)。その系譜を発展的に継承した中心的研究者でマクレランドの系譜に立つライル・スペンサーによれば、コンピテンシーとは、「ある仕事や場面で、 外部基準に照らして効果的、もしくは優れた業績を結果としてもたらす個人の基礎を成す特性」を指す(Spencer 1993)。

 ライル・スペンサーの本は、「コンピテンシー・マネジメントの展開」として日本語訳されており、人事関係あるいは部下をお持ちの読者ならば必読書として 薦めたい。実は筆者とスペンサーは、同じHay Groupにいたこともあり、ベルギーなどで会っては教えを請うたり、議論したりしてきた間柄だ。

 さて件の鮫島氏には、リーダーシップ、対人関係能力、イニシャティブといったコンピテンシーには人を抜きんでたものが備わっている。しかし、彼に潤沢に 備わっていて、他の中国ビジネス担当者に欠落しているものは、濃密なチャイナの古典と社会に対して、自分を放ち、棲み込むくらい積極的で濃密、かつ極めて 特異な属人的性向である。

 彼は高校生のころから漢文、漢籍(中国の書籍)に親しんでいて、中国の要人と接するたびに仕事のことはさておき、中国古典に関する意見、知見を交換して きたのだ。不明な部分があれば手紙で質問したり、後日、研究して新しい解釈を開陳したり、という具合に。鋭い質問に相手が答えられない時は、その相手は、 大学の先生や読書人(知識階級に属する人々)を紹介する。そうして、鮫島氏のまわりには、自然と人脈が形成されることとなった。

 こうして鮫島氏は、インナーサークルの機微な情報・知識を共有するキーパーソンになっていった。必然的にビジネスも彼のまわりに属人的に形づくられるようになっていったのだ。

認識人、関係、情誼、幇会とともに深まる人間関係

 「そうか、中国の古典を学んで、その知識を中国人に開陳すればいいのか」と思われる向きもあろうが、それはあまりに短絡的だろう。鮫島氏は、中国の古典のみならず、中国の人間関係の法則を熟知しているのだ。

 中国では、宗族と呼ばれる親族集団の内か外かで、まったく人間関係が異なる。宗族とは、共通の祖先を持ち父系の血縁で結ばれていると考える人々によって 組織された集団である。彼らは同じ姓を持ち、祖先祭祀や族譜(一族の家系記録)の編纂などの活動を行う。また、同じ姓の男性と女性とは結婚できないという 同姓不婚の原則がある。

 宗族外にいる日本人としては、中国ビジネスを進展させるためには、インナーサークルの人間関係、つまり「認知人(レンシーレン)→関係(クアンシー)→ 情誼(チーイン)→幇会(パンフェ)」と呼ばれる人間関係の濃密さを絶対的に強めてゆく集団に受容される必要がある。ちなみに認識人とは日本語の「知人」 に近いニュアンスを持つ。「関係」は文字通り、認識人よりも特定の文脈で深い仲、つまり関係を持つ仲。さらに情誼は深い人情と誠意とともに濃密な利害関係 を共有する仲である。「幇会」は、より強固で排他的な仲間関係となる。

 認識人→関係→情誼→幇会に連なる非公式的な人間関係はいわばチャイナ社会の法則(図1)。外延部では契約が権利義務の関係を規定する が、中心に向かうに従って契約ではなく人間関係そのものが権利義務を左右するようになる。チャイナ社会が、いまだ法が支配する法治社会ではなく、人間関係 が支配する人治社会であるといわれる、1つのゆえんがここにあることに注意されたい。

 チャイナ社会の法則

 
図1●チャイナ的人間関係

 

 売官、土地の使用権利の不正移転、貸付金の私的流用、課税を違法に減免してキックバックを得る、密輸、汚職、贈収賄といった腐敗現象が、全国の中国共産 党組織や警察組織にまで蔓延している。これらの腐敗は、幇会が穏密に発達していることと無関係ではない。中国の腐敗分子の特徴は、インフォーマルな利益共 有集団を形成して不正な利益を獲得するシステムを囲いこむことであり、そこには幇会の原理が発動している。
 
 腐敗は共産党が管掌する人事部門、行政の中心である省委員会、宣伝部、民法院、検察院、公安局まで広範囲、かつ深部にまで及び、腐敗を作るのは共産党党 員がほとんどである。だから、中国では、共産党党員を対象に紀律(規律)違反、法律違反ケースの受理、調査、処分を行う専門部局である紀律検査機関を設置 せざるを得なくなっている。

 ちなみに中国企業や行政機関との契約でトラブルを起こす外資系企業が後を絶たないのは周知の事実。チャイナ社会での契約は、認識人→関係→情誼→幇会と いうように、人間関係を深めてゆく入口に建てる“一里塚”みたいなものだ。つまり契約の締結は、本格的な関係構築を始めるスタート・ラインくらいに思って おいた方がいい。そして関係が濃密なものになるに従って、法治主義の要の契約の位置づけは薄くなり、代わって前述した幇会的な人治主義が断然優位となって くる。チャイナ社会における契約の位置づけは、「第7講:ユダヤの深謀遠慮と旧約聖書」で解説したような、西側諸国のユダヤ・キリスト教的「契約」に淵源する資本主義の契約関係とは異質なものだ。

 社会主義市場経済の大きな矛盾は、市場経済によってもたらされる利益を、社会主義を推進する共産党組織内の幾千万もの幇会が不正に搾取し、その腐敗を共産党が摘発するという自家撞着の構造にある。

 その上で「チャイナ的人間関係」に入るためには、認識人、関係、情誼、幇会に関する深い理解とともに、特殊な文脈へ自らをディープに埋め込むことが必要 不可欠だ。鮫島氏は、四書五経(『論語』『詩経』など儒教の書物の中で特に重要とされるもの)をはじめとする漢籍に関する教養がその契機となった。

 今日では、論語などを積極的に学校の授業に取り入れて儒教の再評価が進んでいるものの、中国共産党は、長年、特に文化大革命期には「儒教は革命に対する 反動である」として儒家思想を徹底的に弾圧した。よって、学齢期が文革期と重なっていると、知識人でも四書五経の知識は限られている。

 「ほほう、中国人でも知らない古き良きことを深く知っている鮫島はたいした者だ」と思う隣人が次第に増え、「日本鬼子」(リーベングイズ)と悪口を言う代わりに、四書五経や武経七書について彼と語り合う人々が増えていったのだ。

チャイナ的人間関係は制度変革を超越している

 「幇」には、公式的・公開的な「幇派」と非公式的、秘密主義的な「幇会」とがある。さらに幇派には、血縁(同姓の親戚グループ)、地縁(省、県、郷、 村)、業縁(業種、業界、専門職)がある。幇会には、政治的な利害を共有するもの(洸門、三合会、致公堂など)と非公然的な反社会的勢力(天地会、海陸山 など)がある。
 幇派、幇会のいずれにせよ、「幇」の性質として一度契りを結んで仲間になれば、強固に排他的な仲間関係(自己収束的な集団)を形成していく。幇は中国に 独特な行動様式を形成してきており、幇という集団が消長する歴史が千数百年間も繰り返されてきている。チャイナ社会のシステムを維持する方向で作用してき たのだ。

 湯武討伐、易姓革命、儒学官僚支配、共産党一党独裁のように中国社会の体制を外形的に規定する原理は変遷してきたが、幇は中国社会に内在していて一貫して機能してきたと見立てることができる。つまり、幇はチャイナ社会を形成する内在的な社会システムなのだ。

 

暗黙知の次元と棲み込む力

 さて、ビジネスのリテラシーといえば、だれしもが、戦略、マーケティング、財務会計、人的資源管理、アントレプレナーシップ、統計の活用、オペレーショ ン、リーダーシップといったようなビジネス・スクールのコア・カリキュラムのようなものを思い浮かべるだろう。こうした汎用的で一般的なナレッジに、その 会社独自の文脈が加わって、その人なりのビジネスのリテラシーが形成される、とよく説明されたりする。

 しかし、同じようなカリキュラムで学び同じようなビジネスの文脈に身を置いても、中長期的には仕事の出来、不出来に雲泥の差が生じるのは、何かほかの決定的に重要な要素があるからである。その1つが「対象に棲み込む力」である。

 この「対象に棲み込む力」は図2のような式となる。つまり、いくらカリキュラム的な形式知を頭に詰め込んでも、a=棲み込み係数が低ければ、y軸の実践力は高まってこない。Y=aX+bの直線の周辺に沿うように、スパイラル状に実践力は高まっていく。

 対象に棲み込む力としての実践力

図2●対象に棲み込む力としての実践力

 

 この実践力という特殊な力は、新規プロジェクト立ち上げ、起業、イノベーション創発のような特別の機会に力を発揮する。しかし、この特殊能力は言葉でスンナリと説明できるような代物ではない。とても暗黙的なのだ。

 マイケル・ポランニーは、ゲシュタルト(形態)は認識を求めるときに能動的に経験を編集するプロセスで形づくられ、その形成と統合こそが「暗黙の力」 で、その暗黙の力が進化の動因でさえあると意味深なことを言った。石井淳蔵は、ポランニーの暗黙知を下敷きにして、優れた経営者やマネージャが新しいビジ ネスモデルや新規事業を生み出すメカニズムに迫っている。その際のキーワードが「対象に棲み込む力」である。

 石井によれば、扱っている製品、サービス、顧客、市場データなどは「近位項」に相当する。そして、棲み込んだ結果、そこに生まれる関係性、画期的発明、 新規ビジネスモデルなどが「遠位項」となる。棲み込む対象は実はなんでもよい。近位項とは、部分の性質や特徴で、遠位項とは部分が統合された全体である。 近位項は手がかりでもあり、遠位項は手がかりによって得られる全体的な成果である。

食い込みの前に首尾一貫した「棲み込み」あり

 鮫島氏の場合は遠位項がビジネスにおけるダークないしはグレーゾーンを含むチャイナ的人間関係、大陸における新規ビジネスの創出。鮫島氏は近位項と遠位 項を無意識的に行ったり来たりしながら、社内はおろかグループ企業を含めても他を圧倒する断トツの中国ビジネス実践力を体得していったのだ。

 紹興酒を片手に目を細めて笑いながら中国ビジネスのツボを語る彼は、なんとも言えない清濁併せ呑むような首尾一貫した雰囲気を放っている。彼が持つもの は、人生の当事者として身の回りの世界に首尾一貫した意味のある一体感(sense of coherence)であり、人生を手中にしている感覚だ。首尾一貫感覚とは、自分と身の回りの世界に十全な一体感を持ち自分の存在を有意味なものとして 受けとめる健康的な感覚である。

 中国ビジネスの文脈に食い込む以前に、首尾一貫した棲み込みがあったのである。そしてその棲み込む対象は、チャイナ社会の人間関係。このような暗黙的で ありながらも特殊な実践力を持つ人材は、旧来の学校秀才タイプにはあまり出現しない。なぜなら、カリキュラム的形式知の記憶に長けていても、対象を選び、 そこに棲み込むパワーが欠けていたのでは文脈に応じた断トツの成果を生み出せないからだ。

 

ビジネスの足腰としての棲み込み力、諜報謀略力

 『孫子』の『用間篇』では、敵対する対象に棲み込む力に焦点が置かれるが、アライアンス、パートナーづくりといった対象に対する友好的なかかわり方でも、対象に棲み込む力は重要な役割を発揮するのである。

 グローバル市場で各国のベンチャー企業、大手企業が覇権をかけて激しく競合し、企業同士の合従連衡は盛んになる一方だ。特に今後は中国企業によるM&Aをテコにした事業展開に弾みがつくだろう。

 このような情勢で、ビジネス展開における棲み込み力、諜報謀略能力の有無が企業戦略を大きく左右することとなる。このような特殊な棲み込み力、諜報謀略能力を保持する人的資源を確保することが競争優位に立てるか否かを決するのである。

 「日中友好」のスローガンを叫ぶのではなく、現場で「日中友好」を展開するのは実は生易しいことではない。いかに社会主義市場経済の現場の奥底に蠢く 「チャイナ的人間関係」に接触し、関与していったらよいのか。さらには、どのような機微を織り込んで人間関係を構築していったらよいのか。諜報謀略論から 見るチャイナビジネスへの棲み込み、食い込みは重い課題だ。

 

    【参考文献】

  • Robert White, “Motivation Reconsidered: The Concept of Competence”, Psychological Review 66:297-333
  • Richard Boyatzis, “The Competent Manager: A Model for Effective Performance”, Wiley-Interscience、1982年
  • ライル&シグネ・スペンサー 、「コンピテンシー・マネジメントの展開―導入・構築・活用」、2001年
  • 石井淳蔵、「ビジネスインサイト」、2009年
  • シンガポールのチャイナ社会を分析したレポートして「華人社会について ~華人社会の三角関係~」(PDF)が示唆に富んでいる。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第13講:中国人と仲良くする方法(チャイナ的人間関係への棲み込み) :ITpro

第11講:キリスト教国家アメリカ中枢の黙示録的思考

カテゴリー : アメリカ

 多元・多層・多神的な日本の宗教的心象からは、一神教世界で起こっている社会的現象がなかなか理解できない。もちろん宗教のみがすべての社会現象の説明 関数ではない。だが重要な要因であることに間違いない。そこで今回はアメリカという国の宗教的側面の一端を議論していきたい。

 2005年の「世界主要国価値観」に関する調査によると、「あなたの生活にとって神はどの程度重要か」という問いに対し、「非常に重要」と答えたアメリ カ人は回答者のうち55%、「まったく重要でない」が5%。日本人は「非常に重要」が5.4%、「まったく重要でない」は12%である。

 米世論調査会社ギャロップの調査では45%のアメリカ人は「神が人間を創造したと信じている」と回答している。また35%のアメリカ人は「進化論には根 拠がない」と答えている。また定評のあるハリス調査では、54%のアメリカ人は進化論を信じていないという結果を伝えている。3分の1から半数くらいのア メリカ人が進化論を信じていないという事実に驚く日本人は多い。

 第7講で 扱った「創世記」によると、世界は神によって6日間で創造された。これらの記述を真理として信じることを「クリエーショニズム (creationism)」と呼んでいる。クリエーショニストは、自分たちの真理を否定する「進化論」を敵対視してきたのである。「進化論」を受け入れ ることは「クリエーショニズム」を否定することになり、それは神の実在を否定することにつながるからだ。

 1925年にテネシー州デイトンで行なわれた通称「モンキー裁判」は有名だ。当時のテネシー州には「バトラー法」という法律があって、神による創世を否 定する説、理論を公立学校で教えることは禁止されていた。ところが高校教師のジョン・スクープ氏が進化論を講義した。そのかどで彼は罷免されてしまった。

 彼は自分を罷免した学校側を告発したが、結局、バトラー法に違反したとして有罪判決を受けたのだ。「人間は神が創造したものである。人が猿から進化したと子供に教えるのはとんでもない」ということを審理したのでモンキー裁判と呼ばれた。

 日本ではダーウィンの進化論は常識の一部で、世界は神によって6日間で創造されたとする旧約聖書の物語を真に受ける人は少ないが、アメリカは日本の真逆である。

 2007年の米国国勢調査によると、米国人口に対する宗教人口比率は、プロテスタント51.3%、カソリック23.9%、正教0.6%で合計75.8% を占め、キリスト教は圧倒的な多数派である。そのうちバプティスト、ペンテコステ派などプロテスタント保守派は25%でアメリカ人の4人に1人となる。カ ソリックや正教を加えれば宗教保守はおおむね3人に1人くらいと見積もられる。

 その宗教保守が政治的に特に大きな影響力を行使したのは、2004年のブッシュ大統領再選だった。

 

ファンダメンタリズムはキリスト教ならではの特徴

 聖書に書かれていることを、そのまま真実、真理として信じる人々は一般的にファンダメンタリスト(fundamentalist)と呼ばれる。宗教保守 のなかでも最右翼にあると言われる。原理主義は、ファンダメンタリズムの訳語であり、元来はキリスト教根本主義のみを指す用語である。

 キリスト教ファンダメンタリスト(Christianity Fundamentalist)は神学的には、福音派キリスト教に含まれる。聖書に記述されたことをすべて神の直接的な啓示と受け入れて、聖書の言葉通り に信仰する。ただし、米国内で特別視されているわけではない。キリスト教徒であれば、ファンダメンタリストの心象は多かれ少なかれ共有できるものである。

 キリスト教原理主義者は、聖書の無謬性を信じ、聖書の記述を「御言葉によってのみ」(sola scrptura)、逐語霊感的に直解する。マリアの処女懐妊、キリストの代償的贖罪死、そしてキリストの体の復活、イエス・キリストの再臨を純粋に徹底的に信じる。

 ファンダメンタリズムが成立するための条件は、確定した正典が存在し、かつ外面的行動に関する規範がなく、加えて内面の信仰のみを重視する、ということだ。ここにキリスト教のみにファンダメンタリズムが成立する神学的な理由がある。

 ここで思い出していただきたいのが、第7講の 「一神教、契約の民」の節で説明した「一神教の基本方程式」(下図)。この図式の左側に「法律」とある。ユダヤ教、イスラームなどの一神教では信仰する対 象として啓典と法律(律法、法源)と1セットとなる。ユダヤ教の啓典トーラーは外形的行動に関する命令を含み、行動指針としてのタルムードが整っている。

 

図●一神教の基本方程式

コラム画像

出典:橋爪大三郎氏の講義資料より

 第9講で も確認したように、イスラームでは「クアラーン(コーラン)」をいかに敬謙に読みこんで信仰しても、ただそれだけでイスラームたるわけではない。ハディー ス、イジュマーなどの法源を守らなければならない。よって本来はイスラームには厳密な意味合いでのファンダメンタリズムはありえない。

 確定した正典がない仏教にも原理主義はありえず、また元来経典宗教でもない神道にも原理主義はまったく微塵もありえない。

「原理主義」の通俗的意味あい

 それでもマスコミは、しきりとイスラーム・ファンダメンタリズム(Islam fundamentalism)という呼称を喧伝する。しかし、上記の理由により、この通俗的用法は実は厳密な意味では正しくない。

 イスラーム・ファンダメンタリズムという語法は、キリスト教勢力が敵対するイスラームに対して投げかけた、なにぶんイメージ誘導的な言辞であることに注意されたい。

 よってここでは、通俗的なイスラーム・ファンダメンタリズム(イスラーム原理主義)とは通説に従い「イスラームの原理に従順に従い徹底的にイスラームに忠実であるべきだという主義」としておこう。

 すると、第9講でまとめたように、イスラームでは聖と俗の区別がなく聖が浸透し、西洋で発達した政教分離を受け入れる余地はない。すなわち神聖政治(Theocracy)がイスラームの必然的帰結である。まさにイスラーム革命後のイランの体制である。

 

宗教右派と極端な言説が横行したブッシュ政権

 キリスト教ファンダメンタリストと福音派(エヴァンジェリカルズ)の関係は微妙だ。教義的にはキリスト教ファンダメンタリストは、福音派に内包されるが、その関係は協調的でもあり対立的でもある。両派のサブグループによっても主張の違いがあり、複雑な関係を呈している。

 福音派は回心(コンバージョン)、つまり神に背いてきた自らの罪を認め、聖霊によって霊的に新しく生まれ変わる個人的で強烈な信仰体験を経て、自覚的に キリスト教徒になった「ボーン・アゲイン」の総称である。聖霊によって新しく生まれ、キリストと結びつく霊的な洗礼を受けたことを指しており、聖霊による バプテスマ、聖霊のバプテスマとも言う。

 第43代米大統領のジョージ・ブッシュ氏は、39歳でボーン・アゲインとなり、アルコール依存症から立ち直ったと言われている。そのブッシュ氏は、 9.11テロ後の演説で「十字軍」という表現を使って深刻な非難を買ったのは有名なことだ。ブッシュ氏の演説には「神の思し召し」「善と悪」「神の摂理」 といった表現や聖書からの引用が直接的、間接的なものを含め、極めて高い頻度で使われた。

 ちなみにブッシュ政権下で司法長官だったアッシュクラフト氏は筋金入りのファンダメンタリスト。アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に属している。祖父 も父も南部出身の牧師。キリスト教ファンダメンタリズムを建学の理念とするボブ・ジョーンズ大学で「独立戦争を戦った人々は、宗教的信念によってそうした のだ」と演説した。彼は同性愛、人口妊娠中絶、ポルノを不道徳であると断罪し、死刑制度を強く擁護した。

 国防次官代理でウサマ・ビンラディンやフセイン大統領の追跡・討伐が任務だったウィリアム・ボイキン中将もまた強烈なファンダメンタリト。軍服のまま宗 教集会に参加することを常とした。「われわれの敵はサタン」「彼らが戦いを仕掛けてくるのは、我々がキリスト教国だからだ」という発言を繰り返した。

 「なぜビンラディンやフセインがわれわれを憎むのか。その答えは1つ。われわれがキリスト教徒だからである」とまで演説したとき、ロサンジェルス・タイムズは「将軍が戦争を宗教言辞で粉飾」と非難した(2003年10月16日号)。

 ボイキン中将は米軍を「神の軍隊」と呼び、ブッシュ氏をして「神が任じた大統領」と演説で語った。そしてボイキン中将は軍の指導部の命令ではなく、「私は神の命令を受けている」とまで言い放った。

終末論的な黙示録的思考

 米国は世界に覇を唱えるべきではなく、謙虚な国家になるべきだ、とソフトな孤立主義者を演じていたブッシュ氏は、あっという間に聖戦意識に燃える十字軍戦士に変貌した。サヴァイバル誌は、このブッシュ氏の変貌を「劇的で180度の転換」と評論したほどだ。

 世界の救世主と自らを見たて、強大な軍事力を行使するアメリカの行動様式はなにもこの時に始まったことではない。「善と悪」「正義と不正義」「光と闇」 「敵と味方」といった二項対立の図式の中で一方的にアメリカを「善」「正義」「光」に見たて反キリストの敵に対峙するといった黙示録的思考は20世紀のア メリカに通底している。

 黙示録的思考とは、主として「ヨハネの黙示録」の記述を間違えのない未来預言と受けとめ、絶対的正義=光=キリストが、絶対的悪=闇=反キリストを殲滅(せんめつ)することが予定されているという二元的、二項対立的な世界観の大前提を置く思考様式のことである。

 20世紀が終わりに近づくにつれて、終末が間もなく到来しそうだという「待望」が保守派キリスト教に広まっていった。敬虔なキリスト教徒にとって、終末は恐怖に満ちた破滅ではなく、祝福すべき救済を意味する。だから待望なのである。

 良識ある人々は、前節で紹介したような政権内の要人達の発言に眉をひそめはしても、あからさまに非難するようなことは控えるようになっていった。そのような人々が非愛国者の烙印を押されかねないほどの異常な雰囲気に飲まれていたのである。

 「原理主義の特質こそ、実に9.11以後のブッシュ政治の中核であり、それは人であろうと、組織、行動、イデオロギーであろうと、一種の政治的現実を、2つの対立項として描き出す」とデイビッド・ドムク氏は論じる。

 この黙示録的思考に支えられた行動様式のスイッチを入れるのが、「だまし打ち」によって自らが不当な攻撃を受けたとする特殊な被害者意識である。米国寡 頭勢力は、この特殊な被害者意識を操作することを深く学習している。この意識はかつて「真珠湾のだまし打ち」という米国内向けプロパガンダ的言辞として操 作された。そして9.11の件でも、この特殊な意識の蠢動は寡頭勢力の操作対象であった。

 第8講で述べたように、旧約聖書のヨシュア記にまでさかのぼることができるこの特殊な深層感情は、愛と平和の維持を担保する攻撃本能の発露でもあることに注意されたい。

 宗教社会学者のマシュー・ロスチャイルド氏は指摘する。「イラク戦争とは、ネオコンに説得された福音派キリスト教徒のブッシュ氏が、ソ連崩壊後の世界で、アメリカを『自由の守護者』として捉えなおし、テロリズムの種を捲く『ならず者国家』討伐に乗り出した戦争である」。

 一般にネオコン(新保守主義)とは、外交政策において自由主義覇権論をとなえ、独裁政権に対して直接の武力介入による転覆などを唱導する急進的な集団である。ネオコン、福音派、キリスト教原理主義が9.11の危機を眼前にして、特異な共時現象を起こしたのである。

戦争の正しさの基準としての正戦論

 戦争は人々を不幸にする。しかるにキリスト教は宗教戦争を引くまでもなく様々な戦乱、様々な争いの主要な当事者の1つになってきた。だからキリスト教 は、戦争が宗教的、道徳的に正しいか否かを審査する基準を議論し、あてはめようとする正戦(just war)論を発達させてきた。

 筆者が在籍していたアメリカの大学でも他大学でも、正戦論はリベラル・アーツとして位置付けられ、軍事大学院や外交を講ずる政策大学院では専門科目の一環として、高校においてさえも初歩の正戦論はカリキュラムの1つとして組み込まれている。

 まず、戦争が正しいものであるか否かは、2つに区分される。

 1つめは、戦争を始めるにあたって7項目に集約される規準を満たしていること。(1)自衛が目的であるという正しい理由がなければならない。(2)正義 の比較優位、つまり相手より自分達に正義が存在するということ。(3)国の最高議決機関による開戦の承認と決定が必要。(4)戦争の目的は平和の復旧とい う正しい意図のもとにあるべき。(5)勝てる見込みのある戦争のみを行う。(6)平和的な交渉を尽くした後の最後の手段でなければならない。(7)戦争に よって得る便益は、戦争によって引き起こされる邪悪さと損害に釣り合ったものでなければならない。

 2つめは戦争中の戦闘行為についての規準で、大きく3つに分かれる。(1)戦闘員と非戦闘員を厳格に区別し、非戦闘員や非戦闘員が居住する地区を攻撃し てはいけない。(2)偶発的な市民の殺傷は軍事的な利益と照らして釣り合わなければならない。(3)不必要、過度な殺戮や破壊を制限するために最低限度の 軍事力を行使しなければならない。

 イラク戦争開戦にあたっては、この正戦論が徹底的に議論された。だが、戦争をリードしたネオコンの関心は、むしろ正戦論に合致するような情報操作による 開戦の正当化であり、正戦論に抵触しないような戦闘行為に関する情報操作、情報統制だったとされる。喧伝されたイラク国内にあるとされた大量破壊兵器はい まだに発見されていない。2004年10月には、アメリカがイラクに派遣した調査団が「イラクに軍事的に意味のある大量破壊兵器は存在しない」との最終報 告を提出した。ブッシュ大統領は退任直前のインタビューで「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」 と述べ、CIAなどの諜報活動で入手した大量破壊兵器の情報は誤っていたことを認めた。

 

親イスラエル感情と黙示録的思想

 キリスト教原理主義者だけではなく、穏健な福音派にも共通するものが黙示録的な終末信仰と、それに立脚したイスラエル支持の特異なメンタリティである。 多くの福音派にとって、イスラエル共和国の建国は聖書に予定された「ダビデ王国の復興」であり、イエス・キリストが再臨するためには、イスラエルの存続は 犯すことのできない条件である。

 黙示録的な終末信仰では、世の終わりの前には中東地域で大戦争が起こるとされている。それも神に予定された計画であると。この文脈のなかでは黙示録的思考を共有する人々にとって、イラク戦争はまさに「聖書預言の成就」と映るのである。

 ブッシュ政権の親イスラエル的な政策の背景には、このような親イスラエル的な原理主義者や福音派の強い支持があった。神の摂理とともに存在するイスラエ ルを支援するのは、彼らにとって自明なことであり、福音派の団体、組織、教会などが莫大な献金や寄付をイスラエルに与え、占領地へのユダヤ人入植を熱心に 協力してきたのである。

オバマ政権で抑圧される宗教右派

 2009年3月、オバマ大統領は人の受精卵が分裂する過程で取り出す特殊な細胞「ES細胞」を使った医療研究を助成する大統領令に署名した。「生命倫理の一線を越える」として拒否権を発動したブッシュ前政権との違いを際立たせた。

 4月のプラハでの演説では、広島・長崎への原爆投下を指す「核を使用した唯一の保有国としての道義的責任」に触れ、「核のない、平和で安全な世界を米国が追求していくことを明確に宣言する」とまで述べた。

 また、オバマ大統領は6月にカイロで「私はアメリカと世界中のイスラーム教徒の間の新しい出発を求めてここにやってきた」と演説した。この演説では何度 も「クルアーン」の言葉を引用するなど、イスラーム社会への和解の姿勢を鮮明に打ち出すことにも腐心。「無垢の人を殺戮する者は人類のすべてを殺戮するも のである」という「クルアーン」の言葉を引用して、改めて過激主義者との闘いを継続する決意を表明した。

 「アメリカはイスラーム社会全体と戦争をしているわけではないし、将来においても決して戦争をすることはない。しかし、わが国の安全に重大な脅威を及ぼ す過激主義者とは断固として対決するつもりである」と言い、イスラーム世界とイスラーム過激主義者の間に明確な一線を引いている。イスラーム過激主義者と いう用語のみをオバマ大統領は使っている。

 広島、長崎への原爆投下を「日本人に対する神の懲らしめ」と賛美したのは、米福音派連合のハロルド・オケンガ師や長老派でファンダメンタリストのカー ル・マキンタイヤー師である。イラク戦争を熱烈に支持した伝道師ジェリー・ファウウェルやバット・ロバートソンはレーガン時代には、核戦争を終末予言と結 びつけ核兵器禁止運動、核兵器抑制運動、核兵器廃絶運動を「反キリスト」と決めつけたほどだ。

 いわゆる共和党を支えてきたキリスト教ファンダメンタリスト、福音派を含む宗教右派は、民主党のオバマ大統領の登場で抑圧され、フラストレーションをつのらせている。この集団的フラストレーションというリスク要因が反動に転じて顕在化する時が、厄介である。

 国際機関、国際企業の幹部はおろか、アメリカの動向に関心を抱く向きにとっては、ぜひとも比較宗教の視点からのインテリジェンス・リテラシーを磨くことが今後の重要なテーマとなる。

 

    【参考文献】

  • マーティ・アプルバイ、「原理主義と国家:その組織、経綸、戦闘性を考察する」、1993年
  • 栗林輝夫、「キリスト教帝国アメリカ」、2005年
  • 藤原聖子、「現代アメリカ宗教地図」、2009年

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第11講:キリスト教国家アメリカ中枢の黙示録的思考 :ITpro

第10講:日本の多層・多神教の心象風景

カテゴリー : イノベーション

 日本では神道系の信仰を持つ人々が約1億600万人。仏教系が約9600万人。キリスト教系が約200万人。その他が約1100万人。合計すると2億 1500万人となり、なんと日本の総人口の2倍となってしまう。話を単純にすると、1人あたり2宗教かそれ以上。ゆえに通説では、日本は多神教の国である と言われる。

 しかし、一神教と二項対置させ多神教をとらえるのは、元来、一神教側からの見方だ。安直に日本を多神教の国と見るのはいかがなものか。多神的であると同 時に、歴史を通して幾重にも宗教的なるものが埋め込まれ、積み重なり多層的な姿を形成している。すなわち、日本の宗教的な風景は多層・多神教的な姿の上に 立っている。

 プロテスタント、カソリック、その他の会派を含めても、日本のキリスト教の信徒は全人口の0.8%で少数派。前の講座では、原始キリスト教の話をしつつ 少々脱線してミトラ教について一言したが、日本ではキリスト教はマイノリティ、そしてミトラ教はさらに歴史の陰に隠れた微細な存在である。たぶん、読者に とってもミトラ教について読んだり聞いたりしたことのある方々は至極限られていることだろう。

 しかしながら、諜報謀略講座ではマイノリティ、歴史の隅に追いやられた存在、文明の縁にかろうじて痕跡をとどめるような密やかな存在に注目する。そうした陰に隠れたような存在から大勢、主流を逆照射することによって、通常では見えないものが立ち現れてくるからだ。

 

イランでは12月25日はミトラの誕生日

 年末年始の風景。クリスマス・イブの12月24日になれば、街にはクリスマス・ツリーが立ち、ジングルベルの歌が響き、商店街やレストランは人で溢れ る。一週間くらいして年があけると、クリスマスを祝っていた人々はこつぜんと神社仏閣に馳せ参じ初詣をする。年末年始の一週間の風景には、日本の姿が凝縮 されている。

 イラン人の方に会って親しく情報交換していた時に、面白い話を聞いた。イランでは12月25日を、シャベ・ヤルダ(Shab_e_yalda)と呼ぶ。 シーア派イスラーム(イスラム教)が多数派を占めるイランでは、イエス・キリストが神の子であることも、三位一体説も断固否定される。12月25日はイエ ス・キリストの誕生日としてではなく、ミトラ教の幼年神ミトラの生誕祭として祝うのだ。

 キリスト教世界では陰に追いやられてきたミトラ教だが、シーア派イスラームでは習俗の古層にとどまり、現代にまで温存されてきている。イランではいまでも女の子が生まれると、ミトラ(ミスラとも発音されるが以下ミトラと表記する)から名前をとることが多い。

 これほどまでにミトラ教のミトラは、シーア派イスラームを奉じるイランの人々にとっても親近感があり、身近な存在なのである。

キリスト教に習合されたミトラ教

 いったいミトラとはどのような神様なのだろうか。第8講でも紹介したようにキリスト教世界では、ミトラは習合されながらもその存在自体は、決して歓迎さ れない宗教だった。ちなみに習合とは、教義、宗教思想、神話、信仰対象の取り入れや融合が大規模に起こり、2つあるいはそれ以上の宗教の間で、どちらの宗 教ともつかない両方・複数の宗教の要素を併せ持った宗教が成立するような事態である。

 いまでもローマの市街地、郊外からミトラ教の遺跡が発掘されることはあるが、長いキリスト教の歴史を通してミトラ教は反キリスト、タブーの烙印を押され てきたにも等しかった。したがって、学問の世界でも真正面からミトラ教を研究することは憚られ、ミトラ教に関する知的蓄積は極めて少ない。

 ミトラ教のルーツは、紀元前2000年頃の古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にある。ミトラ神は太陽神、契約神、戦争神などの多彩な顔を持 ち、古くからペルシア、西アジア、インド西北部に浸透していた。その後、アレクサンダー大王の王朝のもとでギリシャの影響を強く受けることとなる。

 前200年頃までには、地中海世界にまで伝搬を果たし、西方ミトラ教が成立してゆく。しかし、紆余曲折の後にローマ帝国がキリスト教を国教にしてからは 弾圧や抑圧を受けはじめ、一気に勢力が衰微してゆく。しかし、元来秘密宗教的な色彩が強かったミトラの教えは、わずかにボゴミール派やカタリ派、そしてグ ノーシス派にも習合されつつ細々と継承されてゆくことになった。

 キリスト教とユダヤ教の差異を説明する要素としてミトラ教の教義が初期キリスト教へ加わったと解釈するとスンナリゆく部分が多々ある。

 たとえば幼神ミトラは12月25日に岩窟の中で生まれたという説話がある。これがキリスト教に採用、習合され、キリスト誕生の日となった。岩窟のマリア伝説とも符合する。

 このほかにも、キリスト教がミトラ教から摂取したものは多様だ。たとえば、教団内の堅い連帯、洗礼、堅信礼、日曜日の神聖視、厳格な道徳律、禁欲と純潔の重視、無欲と自戒、歴史の始まりにあった大洪水、霊魂の不滅説など。

 

東方へ伝わったミトラ教の数奇な運命

 このように古代ペルシアを中心として地中海世界の西方に伝搬していったミトラ教は衰退の憂き目にあったが、東方へ伝搬していったミトラ教の運命は異なっ たものになっていった。前300年くらいまでに中央アジア、インドを経て伝わっていったミトラは大乗仏教へ習合され、その後中国へ伝搬し弥勒教になる。

 6世紀には、朝鮮半島を経て仏教や道教と習合して、断片的に日本にまで到達したのである。第4講では、渡来民秦氏を扱ったが、あの時代以降、仏教化されたミトラ教とともに、聖牛の供儀、伎楽(七位階の秘儀の一部)、占星術などが持ち込まれたと見立てられる。

 中国を経て日本にやってきた弥勒を讃える真言、「オン マイトレーヤ ソワカ」にもミトラの痕跡がとどまっている。ミトラ=マイトレーヤである。

 今日でも沖縄地方に見るミルク信仰は、ミトラ→ミロク→ミルクと変遷してきたなごりをとどめるが、中国経由ではなくベトナム経由で伝搬してきたものである。石垣島で今でも歌われている「ミロク節」という歌には、つぎのような一節がある。

     「大国の弥勒が、島にこられました。
     末永くご支配ください、島の主様、島の主様」

 大国とはベトナムを指す。

日本に伝わったゾロアスター教

 法然(1133-1212)は浄土宗の開祖。もともとは比叡山で天台密教を修行していたが、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を研究し、だれでも簡単に救済する方法はないのかと模索し、浄土宗による仏教イノベーション、仏教改革の着想を得た。

 「南無阿弥陀仏」の念仏ならば文字が読めない農民、差別された人々でも唱えることができる。またどんな悪人でも念仏を唱えれば、往生できると説いた。

 法然の仏教イノベーションの訴求力はすさまじく、農民、庶民、武士、貴族まで幅広く受け入れられた。しかし、叡山の既成勢力から迫害に会い、島流しになってしまった。面白いことに、法然の母親は第4講で述べた渡来氏族の秦氏系である。

 さて、阿弥陀仏の出自はなんなのか。阿弥陀仏はAmitabha(無量光)、Amitayus(無量寿)の音訳だ。阿弥陀仏は大乗仏教で登場した「ホト ケ」で、原始仏教とは無関係。その起源はゾロアスター教(拝火教)のイラン系の信仰に由来する。光明の最高神アフラ・マズダーが無量光如来、無限時間の神 ズルワーンが無量寿如来の原形である。

 西方極楽浄土は、ゾロアスター教の起源であるイラン地方、もしくは古代バビロニア地方が背景になっていると推定される。阿弥陀の本籍地は日本から見ても遥か西方のイラン地方なのである。

 

日本的な多層・多神教の心象風景

 このように、ミトラ教やゾロアスター教の来歴をひも解いてみると、ユーラシア大陸奥地で発生した宗教が陸や海を経て伝搬し、幾多の習合を通して、極東の島国日本にたどり着き、密やかに定着していることが分かる。

 一神教の世界でも、多層・多神教の世界でも習合は発生してきた。ただし、習合を記憶にとどめるか否かの態度には差がある。

 多層・多神教の風土では、宗教の習合は必然に近いものとして受け入れられる。そして歴史の濾過(ろか)を通して深層意識にまで降りるので、そこで生活する人々にはホトケ、神々の来歴は表面意識で明瞭に自覚されることは少ない。

 一方、一神教の風土では、それぞれの宗教、宗派の当事者たちは、自らの宗教、宗派の正統性を主張するあまり、自分たちと相いれない宗教、教義、説話、来歴は消し去ろうとする。末梢されるがゆえに、神々の来歴は人々に記憶に留まることは稀である。

ダイバーシティ・マネジメント

 昨今、「ダイバーシティ」のあり方がマネジメントでも頻繁に議論されるようになっている。ダイバーシティとは、違いを受け入れ、尊重して、活用していく こと。そこでは、「かくあるべし」と画一的なものを強要するのではなく、それぞれの個性や特徴を尊重し、多元的なスタイルを共存させていくことが求められ る。

 とすると、日本の多層・多神教の心象風景には、一神教世界に比べて、元来、豊かなダイバーシティ・マネジメントの土壌がひろがっているのである。ダイバーシティ・マネジメントの基本は多様性や多元性を認め、重複と冗長性を許容することである。

 一部にダイバーシティ・マネジメントの先進プラクティスとして、アメリカに学ぼうとする動きがあるようだ。たしかにアメリカは競争優位の源泉として、多民族、多人種、多才能、多ワークスタイルを尊重する人的資源戦略を推し進めている。

 しかし、これはむしろ、多様性や多元性を積極的に認めてこなかった過去への反動という側面が強い。人種、民族、性別、年齢、出自による差別は、一昔前の アメリカではまかり通っていたのである。まして宗教的には、キリスト教原理主義に代表される宗教右派が歴史の要所、要所に首をもたげ、差別を通り越して、 甚大な影響力を国政の中枢においてさえも行使してきている。

 次回はキリスト教原理主義を諜報諜略論の俎上(そじょう)に載せることとしよう。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第10講:日本の多層・多神教の心象風景 :ITpro

第9講:イスラームの葛藤

カテゴリー : イノベーション

 「9.11」の一件、米国によるアルカイーダ討伐、イラク戦争、そして昨今のイランの反政府運動、新疆ウイグル自治区での混乱状況など、最近はイスラー ム(イスラム教)がよく話題に上る。国際情勢を読むとき、イスラームに関する知識は必須だ。しかし、通常の日本人にとってイスラームは実感が持てるほど身 近なものでもなく、マスコミを通して紹介される情報は断片的なものが多い。 

 イスラームというと、なんとなく砂漠の民が一心不乱にメッカに向かって祈りを捧げる風景を思い浮かべる向きも多いだろう。またイスラーム圏の動乱やデモ の風景を恣意的な文脈で流布するユダヤ・キリスト教圏のマスコミによって、「イスラーム=暴力的」といったイメージが広く植えつけられつつある。

 いずれのイメージも正確とは言えない。元来素朴なイメージしか持っていない対象は格好の操作対象となりやすいので要注意なのだ。そこで、今回はユダヤ・キリスト教とならぶ一神教の代表格であるイスラームに触れる。

 

商業的、都市的なイスラーム

 イスラームは、砂漠の遊牧民にみられる血縁主義や遊牧的な非合理性からほど遠く、都市的な商業主義、ビジネス的な文化風土から生まれ、育まれたものである。

 世界3大宗教と言われる仏教、キリスト教、イスラームの始祖である釈迦、イエスとムハンマドには、1つの際だった人格的な違いがある。それは、ムハンマドは都市で活躍した起業家的な国際商人のバックグラウンドを持つということ。

 さて、ビジネスの基本は「契約」。この契約の重要性、世を生きてゆく過酷さをきちんとわきまえ、信義をもって取引に臨み、嘘をつかない、裏切らない、騙 さない、約束を守り、才知を発揮して、自分の利益と同時に相手の利益も尊重する、という都市で行われるビジネスの道義を原初的に反映した宗教がイスラーム である。

 イスラームの開祖であるムハンマドに対して、神が下した啓示の言葉を記録することで成立したとされる一冊の書物が「クルアーン」だ。以前は「コーラン」とカタカナ表記されていたが、近年はアラビア語の原語の発音に近づけて「クルアーン」と書かれる。

 クルアーンには商人が頻繁に使う語句や表現が頻繁に登場する。例えば「稼ぎ」という言葉。クルアーンは、人がこの世で行う善行や悪行を「稼ぎ」と表現する。これはキリスト教にも仏教にもないビジネス的メンタリティの発露だ。

 

「片手にコーラン、片手に剣」というレトリック

 「片手にコーラン、片手に剣」というイメージ誘導的な言説は、十字軍などでイスラームと敵対したヨーロッパから拡がって、今や日本人の間にも広まって久 しい。「イスラームに改宗するか、さもなければ死を選べ」といった強制的に改宗を迫るような非宥和的、戦闘的な面が故意に誇張されがちである。

 実は、この種の記述はクルアーンにはない。逆に、クルアーンには「宗教には無理強いは絶対に禁物」(2章257節)とあり、改宗にあたっては「叡知と立派な説教によって説得すること」(16章125節)が義務づけられる。

 イスラーム学の権威、井筒俊彦はこう述べている。「信仰のない人間に『警告』を繰り返し、いくら警告してもどうしても聞き入れないばかりか、暴力で反抗し、積極的にイスラームを阻害しようとする人の場合だけ、宗教の名において殺すという考え方なのです」。

 イスラームには「聖典の民」「啓典の民」を尊重するという制度、気風がある。すなわち、イスラームを信仰しないユダヤ教、キリスト教の信者でも、租税 (人頭税)を払えば、従属的ながらも被保護者(ジンミー)というイスラーム共同体の一員として地位が保障される。イスラーム共同体維持のための貴重な財源 として、ジンミーの役割は大きかった。

 だが、アラビア半島からオリエント地域に急拡大したイスラーム初期の大征服時代に、ジンミーの扱いは頭痛の種だった。というのも、イスラームへの改宗者 があまりにも多く出てしまうと人頭税を徴収することができなくなってしまい、拡大したイスラーム共同体の台所、財政が枯渇してしまう。サラセン帝国の財政 を健全化するために、むしろ、イスラームへの改宗を抑制する方策がとられたくらいだ。

 「信ずる人々よ、ユダヤ教やキリスト教を友としてはならない。彼らはおたがい同士だけが友人である」(第5章51節)とは言うものの、無差別的に、無制 限に非イスラームの人々を殺傷してもよいとする奨励は、イスラームには見当たらない。言うまでもなく、イスラームとイスラーム過激派を混同してはならない。

 

高純度で完成された一神教イスラーム

 旧約聖書の場合、モーセ五書だけでもヤハウェスト、エロヒスト、祭司文書作成者、申命記文書作者など、異なった系統の伝承が後世のユダヤの学者によって編纂されたという学説が、異論はあるものの一定の支持を得ている。

 新訳聖書でも福音書には4つの違った伝承があり、多様な使徒行伝、書簡、手紙などで構成されている。これら以外にも外典は多く、第6講の「語られ得ぬ法華経の来歴」で紹介したトマス行伝(トマスのインド伝道と殉教を記述)も新約聖書外典として扱われている。

 仏教に至っては、仏教徒が、膨大な量の経典を御釈迦様の言葉であるかのような言説を用い、つまり、「仏説」や「如是我聞」という文言を挿入して、自由に 解釈することを通り越えて自由に創作してきた。後世登場した大乗非仏説に対しては、「宇宙に遍満する仏性を超常的な感性で聞き届け、解釈することを如是我 聞という」というような言説さえも持ちだして弁解をしている。ことの詳細は第6講で議論した通り、大乗経典が成立した時点で、すでに解釈者・創作者不詳の 宗教的フィクションが複雑、多様に混入していたのである。

 これらに比べれば、「クルアーン」はアッラーの言葉のみを直接記録した聖典として、単一にして単純明快。後世の自由な解釈の余地は残すものの、編集や創作が入り込む余地は、仏教経典、旧約・新約聖書に比べてほとんどないに等しい。

 ただし、個人が自由気ままにクルアーンを解釈して法的判断を下すことは、非常に慎重に取り扱われてきている。これを学術用語では「イジュティハード」というが、ここでは一言するにとどめて詳細は次回以降に議論しよう。

 もし解釈が難しい場合は、神の啓示を記録したとされるクルアーンに、ムハンマドの言行録の「ハディース」を加える。これらの法源で解決しない場合は、イ スラーム法学者の判断を仰ぐイジュマー、そしてイスラーム流の精緻な論理体系であるキヤースなどが重要な法源として参照される。

 イスラームでは、宗教的な戒律、社会規範、国家の法律が一致している。こうして第7講で言及した一神教の基本方程式が高い純度で整然と成立することを志向するのである。整然と成立するというのは、イスラームでは聖俗の区別がないということだ。

 この感覚は日本人には理解しがたい。つまり、イスラームの伝統的な価値観では、イスラームの規範が社会の隅々にまで行きわたり、あらゆるところにイスラーム精神と規範が浸透することを目指す。ここにおいて「聖」と「俗」の区別はない。実はこれが重要な意味を持つ。

 

キリスト教との先鋭な対立

 「宗教には無理強いは絶対に禁物」だが、イスラームでは主張すべきは断固として主張される。イスラームにとっては、キリスト教の教義は矛盾をはらんでおり、非難・反論の的であり続けている。

 最後にして最大の預言者ムハンマドは人間である。父と子と聖霊、というキリスト教の三位一体の教義はイスラームにとって激烈な攻撃対象となる。イスラームは、イエス・キリストを「神の子」とするキリスト教の根本教義を、偶像崇拝とみなし断固否定する。

 イスラームによればイエスは人間の預言者であり、キリストに神性を認めることは絶対に許すべからざること。「『神は、すなわちマリアの子のメシアであ る』などと言う者どもはすでに信仰に背いている」(第15章17節)のである。もし、イエスが神、あるいは神の子であるとすれば、唯一の神以外に2人目の 神が存在することになってしまう。まして、キリスト教の三位一体説によって説明される事態は、イスラームにとって、三人の神の並存ということになってしま う言語道断の教義と映る。

 また、元来、多神教の素地や地母神信仰の伝統が濃厚だったヨーロッパへ伝搬していったカソリックではマリアの人気は高い。しかし、イスラームから見れ ば、マリア信仰・尊崇も理解しがたいものであり非難の対象となる。もっとも、キリスト教の中でもアリウス派は、イスラームと同じようにキリストは一介の人 間にすぎないという見解をとっている。

 イスラームにはユダヤ・キリスト教のような贖罪思想はない。現世の幸・不幸は神がすでに決定しているという予定説をとるが、「現世で善行を積めば来世で救済される」という因果律の論理をとる。

 

完全すぎたイスラーム教義が足かせとなる

 イスラーム社会を比較宗教学など社会科学の立場から分析する際に、「イスラームでは宗教的な戒律、社会規範、国家の法律が一致している」としばしば指摘 される。キリスト教の場合は、「神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ」という理念が進展して、アウグスティヌスの「神の国」「地の国」という二王 国論へと継承され、「聖」と「俗」が分離されていった。

 ごく大まかに言えば、ユダヤイズムとヘレニズムの底流を抱く西洋文明は、聖俗を峻別する二王国論が社会システムの基礎となり発展してきた。時を経て中世 においては教皇と国王が並立し、やがて封建貴族に勝利した絶対王政の時代には国王が立法権を占有。やがて17世紀を迎えると、絶対王政の国王の権利を市民 が剥奪する清教徒革命・名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命などの市民革命を経て、立憲体制、民主主義が紆余曲折を経て実現してきている。

 ここで誰もが大きな疑問に直面する。一神教としての完成度の高さを誇るイスラームがなぜ近代国家を樹立できず、一方、多くの矛盾をはらんだキリスト教がなぜ近代国家を成立させることができたのであろうか。

 その理由の1つは立法権のあり方にある。最後の預言者ムハンマドが登場してしまった以上、これ以上預言者は現れない。すると「契約」の更改もありえな い。近代の重要な社会システムである立法という機能とその展開において、イスラームは宗教的な戒律、社会規範、国家の法律が一致するため、伝統主義の足か せから自らを脱却させる自明の論理を容易には導き得なかったのである。

 西洋では、司法、立法、行政の三権を分離させ、民主主義で国家を運営するネーション・ステート=近代国家の概念が、歴史の荒波に揉まれながらこうして 徐々に出来上がってきた。その過程で生じた社会思想イノベーションのマルクス主義とて、その論理構成はユダヤ教の予定説をなぞったようなものだ。理性によ る思考の普遍性と不変性、人間本来の理性の自律を主張するとされる啓蒙思想も、ユダヤイズム、ヘレニズム、社会システムとしての二王国論の潮流がなければ 萌芽しようもなかった。

 また学問体系も、神学を支える哲学の周辺に自由七科(三学が文法・修辞学・弁証法、四科が算術・幾何学・天文学・音楽)が発展してきた。しかし、これら の体系から分離、発展した実用的な世俗領域でのテクノロジーが大いに興隆して、近代に至っては産業革命を誘発した。この時点で、経済と科学技術の発展にお いて西洋はイスラーム社会を凌駕してしまった。

 

聖と俗の分離か統合かが分かれ目

 このように、聖俗を分離するか否かの違いは、西洋社会とイスラーム社会の歴史的な発展経路を決定的に別々なものにした。

 イスラームでは聖と俗を分離することは教義的にできない。国際商人が出自のムハンマドが創始したイスラームではあったが、そこから近代資本主義は発生し なかった。マックス・ヴェーバーが論じるごとく、実務的な商業活動とは縁遠かったパウロらが始めたキリスト教は、後世、カソリックとして停滞したが、その 反論・抵抗運動として生まれたプロテスタントに近代資本主義の発生の契機が見られた。

 これぞ歴史の皮肉というべきか。

 しかし、このようなイスラームの伝統的制約に対して改革を提唱する知識人もいた。例えば、エジプトの知識人、ターハー・ホセインは政治と宗教の分離を説 いたが、伝統派から強烈な反発を食らった。イランではアメリカ合衆国の支援を受け、脱イスラーム化と世俗主義による西洋的な近代化政策を進めた皇帝モハン マド・レザー・シャーが国外に逃亡して、1979年にイスラーム革命が成就したのだった。

 イスラームとキリスト教。2つの一神教の教義の差は決定的だ。しかし、過去、現在の葛藤、紛争を教義の違いのみに帰属させてしまうのはいささか短絡的だ。また、単に文化や文明の衝突というように抽象化してみせることも危険な論法である。

 教義は、歴史の長きによって社会の襞や人々の深層意識に深く埋め込まれ、制度に反映されてゆく。こうして、ある特定の言語、文化、制度に生まれついた人 は、それらが提供する枠組みを通して世界を見ざるを得ない。無論、為政者や経営者もその世界観から自由ではないということを自覚しておくべきだ。

 

真摯な一神教間の対話への努力

 同志社大学 研究開発推進機構 客員フェローのバーバラ・ブラウン・ジクムンド氏は、「キリスト教の歴史は、偏見や人種差別、反ユダヤ感、ネイティヴィズムなど、宗教的偏狭性や固定観念に満ちています。イスラームも同じく暴力や宗教的排他性に満ちています」と言う。

 そして「一神教は他のすべての宗教の正当性を否定するような世界観を余儀なくされているので、神学的な問題が生じ」ると嘆ずる。他のすべての宗教の正当性を否定するような一神教の世界観が問題なのである。

 他のすべての宗教の正当性を否定するような世界観を持つ者同士が、共感を伴う真心の対話をすることなどできるのだろうか。ゆえに、ジクムンド氏が在籍す る同志社大学の「一神教の学際的研究」プロジェクトが世界の一神教のオピニオン・リーダーを招いて誠実な対話の機会を創造しようと努力していることは特筆 に値する。

 かくして人間行動の奥底を見極める諜報謀略論としては、イスラーム、キリスト教の葛藤と憎悪の歴史の背景に潜む教義、社会システム、制度の違い、そし て、極めて困難が予想される両者の対話のディテールに、多大な関心を払うのである。ただし、知識人がアカデミアの場で理性をフル活用して「対話」するの と、利害の対立が抜き差しならない緊迫した状況で「対処」するのとは根本的に異なる、という認識のもとで。

 宗教的多元主義とともに生きている現代の一神教信者は、個人的な信仰は1つの選択であるとし、他宗教、他の一神教を否定する極端な独善・排他主義はとら ない。問題は、多元主義を容認しない過激な原理主義者が性急にとろうとする「対処」の方法だ。これらをどうマネジメントしてゆくのかは、企業経営を超えて 「文明のマネジメント」とでも呼ぶべき大きな課題である。

 

第8講:一神教における愛と平和と皆殺し

カテゴリー : イノベーション

 多くのキリスト教の牧師や神父はパウロの「ローマ人への手紙」や創世記の有名な部分を熱心に解説する。しかし、彼らがあまり積極的に言及したがらないテ キストがある。それは旧約聖書の「ヨシュア記」である。ヨシュア記は、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記から成る「モーセ五書」に次ぐくらい 重要なテキストとされる。

 ヨシュア記とはイスラエル民族によるカナンの地の征服物語である。モーセの後継者ヨシュアが、イスラエル民族を指導して、ヨルダン川を渡りエリコの戦い を遂行、先住民を皆殺しにして約束の地カナンを征服し、シケムで神と再契約するまでの記述である。マックス・ヴェーバーは、「モーセ五書と士師記とを連結 させるためにBC400年頃までにヨシュア記は編集された」として、ヨシュア記を含めて「モーセ六書」にすべしとの考えを示している。

 さて、ヨシュア記は日本人には理解しがたい部分が多い。もし、キリスト教の入信希望者を前に牧師や神父がヨシュア記の解説を始めたとすれば、びっくり仰 天して入信を諦める人々が続出するのは必定だ。ヨシュア記は大量殺害、皆殺し、ジェノサイド(特定の人種・民族・国家・宗教などの構成員に対する抹消行 為)のオンパレードで、愛と平和の対極にある物語だからだ。

 しかし、この物語を読み解くコツは、皆殺しを愛と平和の「対極」ととらえるのではなく、それらは分かち難く「表裏一体」を成していると腑に落とし込むこ とである。これは一神教を信奉する人や国の、ある側面を理解することにつながり、一神教の国の企業とビジネスをするときのインテリジェンスの機微を得るこ とにもなる。

 

残忍、無慈悲な大量殺害は神の栄光を増す

 ヨシュア記のテキストをひも解けば、すさまじいまでの大量殺害に満ちあふれている。一部だけを読んでみよう。

 「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。ときの声をあげよ。主はあなたたちにこの町をあたえられた。町とそのなかにあるものはこ とごとく滅ぼしつくして主にささげよ。(中略)金、銀、銅器、鉄器はすべて主に捧げる聖なるものであるから、主の宝物蔵に収めよ。角笛が鳴り渡ると、民は ときの声をあげた。民が角笛を聞いて、一斉にときの声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も 女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼしつくした」(ヨシュア記6:16~21)

 「主はヨシュアに言われた。『おそれてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も周辺の土地もあなた の手に渡す』(中略)その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。ヨシュアはアイの住民をことごとく滅ぼし尽くすまで、投げ槍を差 し伸べた手を引っ込めなかった」(ヨシュア記:81~26)

 「ヨシュアは命じた。『洞穴の入り口を開け、あの五人の王たちを洞穴からわたしたちの前に引き出せ』。彼らはそのとおりにし、エルサレム、ヘブロン、ヤ ルムト、ラキシュ、エグロンの五人の王を洞穴から引き出した。五人の王がヨシュアの前に引き出されると、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、 彼らと共に戦った兵士の指揮官たちに、『ここに来て彼らの首を踏みつけよ』と命じた。彼らは来て、王たちの首を踏みつけた。ヨシュアは言った。『恐れては ならない。おののいてはならない。強く雄々しくあれ。あなたたちが戦う敵に対して、主はこのようになさるのである』。ヨシュアはその後、彼らを打ち殺し、 五本の木にかけ、夕方までさらしておいた」(ヨシュア記10:22~26)

 

「殺すなかれ」はユダヤ・キリスト教の内輪だけ?

 殺してはいけないという戒律はユダヤ教徒の内側にのみ有効で、異教の民には適用されない。神が殺せと命ずれば、それは絶対的な命令である。人間の判断が 入り込む余地は微塵もない。もし、人が倫理や感情を持ちだして神の命令にそむけば瀆神(とくしん)となってしまう。したがって、命令=契約を素直に、忠実 に実行するのが正しい信仰の姿なのである。命令=契約に対して一切の疑義をさしはさむことはできない。

 かつてソドムの件(前講を 参照)では、神を値切ったアブラハムであったが、「ひとり子イサクを焼いて犠牲(いけにえ)にささげよ」という神の命令には忠実に従った。実際のひとり子 殺しは結局実行されなかったものの、内面の信仰としては忠実に実行された。ここにおいてイサクの犠牲という贖罪(しょくざい)は行為と内面の信仰という二 つのパートによって構成されるのだ。後に出現したキリスト教は、イサクの犠牲のアイデアから、「行為でなく内面の信仰が優越する」というアイデアを導出し た。さらに後世に及んでは、内面の信仰は「信仰の自由」へと拡大され、近代デモクラシーにつながっていく。

 こうして救世主の受難、贖罪死というキリスト教の根本的な教義が確立していった。キリストの贖罪死によって絶対的無制限の愛(アガペ)が表出、発動されて人類の原罪は許された、とするアイデアの契機は旧約聖書に由来する。

 ここで注目すべきは預言者第二イザヤである。第二イザヤが活躍した時代は、バビロン捕囚末期にバビロニアがキュロスII世率いるアケメネス朝ペルシャによって倒された時代だ。捕囚されたユダヤ人達も、同王からの解放令を受け取った時期にあたる。

 第二イザヤが「自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられた」(第二イザヤ書2:53:12)という物語は預言者の代理贖罪的な死の記述である。信仰の立場から、この記述は、後のイエス・キリスト出現の預言が含意されているとして重要視されている。

 比較宗教学の立場から、「苦難というものを、このように、この世界の救済に役立つべき手段として、熱烈に栄光化した」のが第二イザヤであるとマックス・ヴェーバーは喝破する。

 犠牲(いけにえ)の対象が動物から人間へ、他人から自分の子へ、自分の子から預言者へ、そして預言者から神の子へと、キリスト教が生成される過程も含め、極限的に展開してゆく。この物語の展開は弁証法的ではあるが、強迫的な神経症を伴うストレスの表出でもある。

 「他人の罪のために罪なき犠牲として自由意思によって死につく『神の僕(しもべ)』」(マックス・ヴェーバー)というイノベーティブなアイデアは、贖罪 思想とメシア(救世主)思想とを融合させていき、新宗教であるキリスト教の突出した構成要素となっていくのである。そしてユダヤ教ではユダヤ民族を単位と する集団救済が眼目だったものの、キリスト教では個人救済となっていき、普遍性を獲得する契機をつかんでいく。

 しかし、無制限大量殺害の精神は、旧約聖書を参照しなければならなかったキリスト教にも継承されることとなった。「僕」とはいったい誰なのか、という素朴ながらも根本的な疑問を置いたままで。

 

「皆殺し」と「愛と平和」を表裏一体のものにした

 大航海時代の歴史に接すると、「なぜ善良なキリスト教徒が残忍の限りをつくして原住民の大虐殺にいそしんだのか」と誰しもが疑問に思う。だが、神の命令 だから虐殺するのである。それ以上でもそれ以下でもない。「あなたの敵を愛」(マタイによる福音書5:44)する人が敵を殺しても、神の命令なので矛盾し ないのだ。「隣人にかぎりなき奉仕をする人」が大虐殺に手を染めても、両方とも神の命令である以上、矛盾しない。

 異教徒に接した航海者や宣教師は、確認のため、ローマ教皇あてに「異教徒は人間か否か」との問い合わせを頻繁に送った。その回答は、「人間ではないの で、殺すも奴隷にするも自由である」ということが中心だった。よって神の命令の確証を得たキリスト教徒が現地を征服すると、原住民をいともたやすく滅ぼし てしまう。その後、アフリカから連れてきた奴隷をその土地に輸送して強制労働をさせ、利潤を上げることが一般的となった。

 罪人として滅ぼされた、おびただしい数の異教徒は、拡張された犠牲の「僕」として予定されていたのであろうか。

 ちなみに、このような個々のケースが集約されて近代国際法の萌芽となった。伝統的な国際法は、非キリスト教諸国に対しては非常に過酷で、植民地政策を正 当化する法的効力を持っていた。特に「先占の原則」(早期発見国が領有権を有するとする原理)のため、「未開国」は自動的に「無主の地」とされ、発見国が 植民地を自由に設定できることになっていた。

 「そうは言っても、人殺しを熱心にすすめるのは宗教らしくない」と日本人なら思うだろうが、その考え自体が一神教のなんたるかを理解していないことの証 左である。教義(ドグマ)は絶対なのである。ドグマの影響外の人々の視点から「ドグマにかられて狂信に走っている」と見えても、狂信している本人にしてみ れば、教義に忠実に従っているにすぎない。

 特定のドグマを濃密に共有する集団において、その外部に対する皆殺しは、その集団内の愛と平和の維持を担保する。その意味で、「皆殺し」は愛と平和の「対極」ではない。「皆殺し」は、愛と平和と「表裏一体」なのである。

キリスト教に習合されたミトラ教

 教義(ドグマ)が絶対性を帯びるためには正統性が不可欠である。初期キリスト教は、正統性を主張することにもずいぶんと腐心している。キリスト教の発生母体として古代ユダヤ教をとらえることは一般的となっているが、実はキリスト教の母体は古代ユダヤ教のみではない。

 キリスト教の一つの発生母体でもあり、競合相手でもあった宗教にミトラ教がある。フランスの宗教史家、思想家ジョゼフ・エルネスト・ルナンは、「もしキ リスト教が何らかの致命的疾患によってその成長が止まっていたならば、世界はミトラ教化していたであろう」とさえ言っているくらいだ。

 ローマに現れた時期はキリスト教もミトラ教もほぼ同時期だった。だが、313年にコンスタンティヌス1世(306 – 337)がキリスト教を公認した時点(ミラノ勅令)で、ミトラ教は国教から除外された。しかしその後、方向は一定しなかった。ギリシア哲学に傾倒し、教養 ある賢帝だったユリアヌス帝(355 – 361)は、キリスト教ではなくミトラ教に帰依し、ミトラ教の復興に尽力した。その後グラティアヌス帝が382年に出した勅令でミトラ教を含むすべての密 儀宗教は全面的に禁止された。この時期にキリスト教がミトラ教から摂取したものは数多い。

 一例を挙げよう。キリスト教で最も重要な日、12月25日は、上記のコンスタンティヌス1世が「イエスの誕生した日である」と宣言したことに由来する。 しかし、その前に在位したオーレリアン帝は、同日を「ミトラの誕生日」であると公式に認めていた。しかるに、キリスト教勢力が正統性を確立してゆく過程 で、ミトラ教は非正統的なカルト、あるいは反キリスト教的なものとして追いやられていった。

 教義(ドグマ)は絶対的なものだが、教義を確立するまでには、機微なインテリジェンスが駆使されたのである。皆殺しのインテリジェンスもあれば、「皆殺 し」と「愛と平和」を表裏一体化させるインテリジェンスもある。ユダヤ・キリスト教を奉じる個人や国と接するとき、一神教の世界に出かけてゆくとき、ある いはこれらの圏域の企業とビジネスをするときは、気持ちのどこかに以上の議論が示唆するものをとどめておくとよいだろう。

 【参考文献】

  • マックス・ヴェーバー、「古代ユダヤ教」

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第8講:一神教における愛と平和と皆殺し:ITpro

第7講:ユダヤの深謀遠慮と旧約聖書

カテゴリー : イノベーション

 「なぜユダヤ人は○○なのか?」――。この問いは、歴史上おびただしい数の言説を生み出してきた。また、ユダヤ・キリスト教の伝統が希薄な日本にも、ユダヤ商法や奇怪な陰謀論の類の本が多数出ていることは不思議である。

 今回は「なぜユダヤ人はインテリジェントなのか?」という問いを立てることにする。ここで言う「インテリジェント」とは、もちろん諜報謀略論としての 「インテリジェンスを持つ人」を指す。インテリジェンスとは、「個人、企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす多様なデータ、情報、知識を収集、 分析、管理し、活用すること、ならびにそれらの素養、行動様式、知恵を総合したもの」である。

 さて、「なぜユダヤ人はインテリジェントなのか?」という問いに戻ろう。この問いに対して、人間のエートス(行動様式)を歴史の長きにわたって規定する マインドセットとして宗教をとらえれば、目線は、ユダヤ人にとってのユダヤ教、その経典である旧約聖書に向くことになる。そして、これらがユダヤ人のビジ ネスにどう影響しているのか、その点に注目してもらいたい。

 

卓越するユダヤ人

 筆者の周りにはユダヤ人がたくさんいる。ユダヤ人が創設した米国の大学院に通っていたときは、クラスの4分の1くらいがユダヤ系だった。当時住んでいた 「Kappa Alpha Society」という学生友愛組織のロッジの近くに、「Young Israel」というユダヤ人の学生寮があり、その筋の集まりやパーティにちょくちょく顔を出していた。かつて在籍していたコンサルティング・ファームに もユダヤ人が多数働いている。筆者が社長を務めていた会社では、ユダヤ人がたくさんいる米国企業とタフな交渉を行い、業務提携をした。そして技術経営や人 的資源論の一端を専門としている今、この分野の学者や研究者にもユダヤ人は多い。

 ユダヤ人は、おしなべて努力家で優秀な人々だ。世界のユダヤ人口は1300万~1400万人で、そのうち530万人がイスラエルに、それとほぼ同数がアメリカに住んでいる。アメリカの人口はおよそ3億1500万人だから、ユダヤ人の比率は1.7%程度ということになる。

 だが、その人口構成比とは裏腹に、ビジネス界で活躍するユダヤ人は多い。例を挙げてみよう。ラリー・エリソン(オラクルCEO)、マイケル・デル(デル 創業者)、マイケル・アイズナー(元ウォルト・ディズニー会長)、ジョージ・ソロス(投資家)、アラン・グリーンスパン(前米連邦準備制度理事会議長)、 故ピーター・ドラッカー(経営学者)、アンディ・グローブ(インテル創業者)、スティーブン・スピルバーグ(映画監督)、ロナルドとレオナードのローダー 兄弟(化粧品エスティローダーの歴代会長)など、そうそうたる顔ぶれである。

 話を単純化して、母親がユダヤ人である人をユダヤ人とする。するとユダヤ系のノーベル受賞者の数は、全体の18%から25%くらいといわれている。人口に比べて、異常に高い比率だ。

 世界の五大宗教であるキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、儒教のうち、ユダヤ人が直接的にキリスト教を構築し、イスラム教の成立にも間接的に影 響している。今日の西洋文明を築きあげるにあたって、ユダヤ人は一つの“インテリジェンス・エンジン”の役割を果たしてきたといってもいいだろう。

一神教、契約の民

 さて、キリスト教の祈りの言葉を「天にましますわれらが神よ」と日本では書く。しかし、これは大いなる勘違いである。キリスト教の「God」は、日本の 「神」と単純に置き換えられる存在ではない。大方の日本人は、神社仏閣でお祭りするカミサマと、キリスト教やイスラム教のカミサマを区別できておらず、混 同している。ユダヤ人やユダヤ教、旧約聖書を理解する第一歩として、このあたりの話から始めることにしよう。

 ユダヤ教やキリスト教、イスラム教は、それぞれ「一神教」である。ユダヤ教は「エホバ(ヤーウェ)」、キリスト教は「父なる神」、イスラム教は「アッ ラー」を信じている。このため、「本当の神は誰なのか?」ということで三つの宗教は争っていると考えている日本人は意外に多い。だが、すべて間違いだ。実 は三つの神は同一の存在である。

 多神教の日本神話では、神様と人間は血がつながった親戚の関係にある。日本の神々は太古、日本列島の島々、日本人、農作物などを産んだ。だから、日本人 は神々の末裔である。また、人間が死んでから神になることもある。天満宮に祭られている菅原道真、東照宮に祭られている徳川家康、乃木神社に祭られている 乃木希典など枚挙にいとまがない。だから日本人は神々の元でもある。

 たいていの外国人はこのことを知るとビックリ仰天する。また、日本人としても、このような神と人間が循環する物語の類推で、一神教をとらえてしまうと根本的な大間違いとなってしまうので要注意だ。

 一神教においては、創造主たる神が絶対的な中心であり、神によって創られた人間は、救済されるためには神との「契約」を絶対に守らなければならない。な んといっても、この「契約」の特異な位置づけが一神教を理解するための勘所だ。唯一神への信仰は、ほかの神々をことごとく否定するという形でしかありえな い。この契約を死んでも徹底的に守り抜くことが信仰なのである。

 預言者の人間が神の声を聞いて書きとめたものが旧約聖書、コーラン。ここのところを社会学の橋爪大三郎は、次の図ように「一神教の基本方程式」として図式化する。

図●一神教の基本方程式

コラム画像

出典:橋爪大三郎氏の講義資料より

自然に対する支配が正当化され、経営管理責任を負う

 「神は彼らを祝福して言われた。『生めよ、ふえよ、地に満ちてこれを従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』。神はまた 言われた、『わたしは全地のおもてにある種をつけるすべての草と、種をつける実を結ぶすべての木とをあなたがたに与えた。これはあなたがたの食物になるで あろう』」(創世記1:28:1)

 ユダヤ教では、神との契約のもと、自然資源の使用権、収奪権がユダヤ人に与えられた。自然にはたらきかけ、自然を加工して支配することが正当化された。 攻撃的で排他的な戦闘神の性格をも合わせ持つ神によって、自然に対する経営管理責任(スチュワードシップ)が宣言されたのだ。ここから自然支配が正当化さ れ、諸資源を利用した生産、製造、流通、商業などのイノベーションが大いに進展した。

 だが、身勝手な自然の収奪や破壊も行われてきた。この点に関しては、キリスト教国内でもたびたび激しい議論を呼んできた。米カリフォルニア大学教授でキ リスト教徒でもあるリン・ホワイト氏は『機械と神』の中で、今日の科学技術の過剰利用による自然・環境破壊の軌道を歴史的・思想的に説き起こし、その起点 にあるのがユダヤ・キリスト教だと述べて一大議論を巻き起こした。

神が相手でも、巧みな交渉で“値切る”

 旧約聖書から、ユダヤ人のインテリジェンスの根本にあると感じる一節を取り上げたい。

 今でも悪や堕落の象徴としてしばしば言及されるソドムとゴモラは、死海のほとりにある悪と快楽と退廃の都だった。そこでは、男色、異常性愛、乱痴気騒ぎ に溺れていたという。その結果、神はこの町にすさまじい怒りの鉄槌を下すのである。だがその前に、神はアブラハムにこう告げる。

「ソドムとゴモラの罪は非常に重いと訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が果たして私に届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう」(創世記18:20-21)

 そこでアブラハムは、「50人の義人がいれば、ソドムを滅ぼさないか」と神に問い、滅ぼさないという神の言質をとった。すると彼は、巧みに神と交渉を始め、滅ぼさない条件となる義人の人数を40人、30人、20人というように値切っていったのである。

 ちなみに「義人」というのは日本人にとってわかりづらい概念だ。神との契約を順守し、敬虔な信仰心に満ちあふれ、神という絶対的な規準を前にして義しい(ただしい)人のことをいう。

 神は絶対的な存在ではあるが、人間が交渉できないほど超絶的な存在ではない。交渉の余地はある。絶対的な神に対して畏怖の念を表明しながらも執拗に交渉するアブラハムには、神をも操るような大胆不敵にして機微なインテリジェンスの香りが漂う。

 神とでさえも交渉するユダヤ人にとってみれば、人間と交渉し自ら期待する成果を得ることくらいは朝飯前だ。たしかに、義人でなくてもユダヤ人のビジネス 交渉は巧みを極める。交渉相手の心のひだ、優位点、劣位点の細部を読みながらも、相手に対して敬意、畏敬の念を演出しつつ、自らの意図を貫徹させようとす る気風を感じるのは筆者だけではあるまい。

 あいまいな落とし所を当初から想定し、まず仲間となってから話を開始し、ハラを割って話し合えばわかり合えるだろうと信じている日本人の“内輪の交渉スタイル”とは対照的だ。

 寄留者としての厳しいサバイバル

 ユダヤ人の特異なまでのたくましさは、民族の歴史からも感じられる。

 ユダヤ人はセム語族の古代ヘブライ語を話す人々の子孫である。約4000年前、ユダヤ人の父祖アブラム(後にアブラハムと呼ばれる)は、シュメール地方 のウルという町からカナンの地に移住した。アブラムの家系はイサク、ヤコブ(イスラエルと改名)と継承され、十二部族の基となった12人の息子が現れ、息 子のうちの一人がユダ。この名にちなんで「ユダヤ人」という名称が用いられるようになった。

 さて、ヘブライ人(ユダヤ人の別称)という呼称はハビル(アピル)の民に由来する。ハビルは土地を所有することが許されず、不安定な身分で、抑圧・差別 されてきた「寄留者(他人の土地を借りて一時的に住む者)」として、前2000年紀のオリエント各地の文書にもしばしば登場している。彼らの来歴はとても 古い。

 聖書に精通する社会学者のマックス・ヴェーバーも「古代ユダヤ教」の中で、「寄留者」(ゲーリーム)としての性格にヘブライ人の本質を見出している。ユダヤ系として自らの出自のあり方をも問うこととなった大著である。

霊魂の否定と現世志向

 その後、寄留者としてエジプトで抑圧、差別された時代に、アメンヘテプ4世(アクエンアテン)が突如始めたアテン神を唯一神とする一神教にも、ヘブライ の人々は複雑で屈折した気持ちで接していたのだろう。ユダヤ人フロイトは、アテン神から一神教の着想を得たモーゼがヘブライ人に一神教のアイデアを伝えた と説いている。しかし、寄留者としての劣等コンプレックスに苛まれるがゆえに、自らを抑圧したエジプト出自のアイデアをすべて受容はしない。こうしたこと も、死後の世界を夢想したエジプト人の霊魂(sprit)を自覚的に捨てた一つの理由ではなかろうか。

 霊魂や死後の霊の存在の否定は、現世志向の合理主義に結びついてゆく。ちなみに、いくつかの日本語訳の旧約聖書では、霊がよく登場するという反論もあろ う。たとえば、「はじめに神は天と地を創造した。地は空漠として、闇が混沌の海の面にあり、神の霊がその水の面に働きかけていた」(創世記1-1,2)な どである。

この霊と訳された部分は神の息吹(ルーアッハ)であり、霊と訳すのはいかがなものか。学術的な信頼度が高いThe Oxford Annotated Bibleでは神からの風(a wind from God)となっている。霊の概念を多用する後世のキリスト教勢力が、その価値観をもとに編纂したとき、作為的にspiritと置き換え、それを後年、日本 語訳者が霊と日本語にしてしまったのだ。

 

寄留者としての結束

 神との契約というアイデアは、ヘブライ人集団が常に劣位となる寄留者として複雑な契約関係に苛まれてきたことに根源を持つ。不安的な身分のもと、現世の 世俗での抑圧されがちなヨコの契約関係に対してわき起こる劣等コンプレックスが、神とのタテの契約の中で民族単位での選民的な権利義務関係という他民族を 超越し突出した尖鋭な形に転換される。

 寄留者として抑圧され差別されながらも、生き延びてゆくためには周辺の民族、部族の動向、攻守同盟、祭祀同盟、利害関係には常に細心の注意を向けるよう になる。そして自分たちに有利なように操作、利用することもよく行われた。この当事者能力の特異な高さは、時を経てシェークスピア作品「ベニスの商人」に 登場するシャイロックのイメージとなり西洋人の間には今なお根強い。

「寄留者(ゲール)を愛しなさい:あなた達がエジプトにおいて寄留者であったからである」(申命記10:19)

 こうして寄留者、被差別民としての出自をあえて粉飾することもなく決して忘れず、同朋に対しては惜しみない援助を要請するのである。

 ところが、アブラハムに遡るヘブライ思想から逸脱したユダヤ人は、ヤーウェとの契約に従順ではなくなった。見かねたヤーウェは、ユダヤ人に警告し、彼ら を再び信仰に立ち返るよう導くため、預言者を遣わした。特にイザヤ、エレミヤ、エゼキエルの3人は偶像崇拝のゆえにユダヤ民族が間もなく受けることとなる ヤーウェからの処罰について警告した。

 実際、西暦前586年に強国、バビロニア帝国がエルサレムに侵攻してその神殿を破壊し、その国民を捕囚として連れ去った。バビロン捕囚だ。信仰が足りず神との契約不履行ゆえに災厄に見舞われたとユダヤ教では説かれる。

 

米国の覇権産業に息づくユダヤのインテリジェンス

 後にモーセの律法やヘブライ思想の根幹は徐々に忘れ去られ、各派固有の解釈や主張の相違により、セクト間の対立、軋轢が増していった。かたやローマ帝国 の圧政下で、ますます民衆は疲弊し、閉塞した状況に置かれるようになった。このような状況のもと、メシアに関する預言ゆえに、ユダヤ人の救済者に対する期 待は大いに高まっていた。このような時にユダヤ人のイエスが登場するのである。

 流浪して土地を持てず、寄留民でいつづけたユダヤ人は、結局のところ土地などの固定資産でなく自分自身のインテリジェンスを資本化する方向で生き残りを 図ってきた。今風にいえば、ヒューマン・キャピタル(人的資本)だ。ちなみに人的資本論に関する洞察を深めたカール・ベッカー教授(ノーベル経済学賞を受 賞)もユダヤ系だ。

 古代世界の常識だった霊魂を否定するという心象は、唯物論的な合理主義にユダヤ人を接続することにもなった。この唯心論と唯物論を役割分担させて合理の 世界に同居させる現世主義的な特異なインテリジェンスは、古代から現代にいたるまでのユダヤの人々の行動様式に通底しているように思われる。

 私見だが、米国IT産業をはじめとする先端的な覇権産業には、以上述べたようなユダヤの心象、気風、インテリジェンスが脈々と継承されている。それらの米国産業と競合、取引をする日本勢は、そこをしっかり理解しておくことが肝要だ。

 

    【参考文献】

  • イザヤ・ベンダサン(山本七平)、「日本人とユダヤ人」
  • マックス・ヴェーバー、「古代ユダヤ教」
  • 木村凌二、「多神教と一神教」

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第7講:ユダヤの深謀遠慮と旧約聖書:ITpro

第6講:語られ得ぬ法華経の来歴

カテゴリー : イノベーション

 「法華経」は、だれによって、なぜ、どのようにして書かれたのか。「諜報謀略論」の視点からこの問いに答える試みは本邦初と思う。諜報謀略論は新たな発 見や異質な発想をもたらし、奇想天外、意外なことがらを浮き彫りにする。そこから、人の心を揺さぶるインテリジェンスの粋を感じていただきたい。

分裂したグループが法華経を創作した

 そもそも啓示宗教であるユダヤ・キリスト教では、経典テキストを確定するために並々ならぬ努力がなされてきた。そして確定された経典テキストに対する解釈の違いが公会議で議論され、正統・異端を生んできた。

 だが仏教では、仏陀入滅後、経典テキストを確定するために「結集」(数百人の僧が集まって経典の内容を議論する会議)が数回開かれたが、その後はかなり 自由に経典テキストが創作された。経典テキストの創作が自由ならば解釈も自由。だから、ユダヤ・キリスト教の言説に起こったような正統・異端の議論をその まま単純に仏教に当てはめることはできない。

 さて、このような実情を基本としながらも、法華経創作の背景には、当時のインドの社会経済事情と仏教教団が抱えていた問題がからんでいる。社会が複雑に なれば、人の悩みも複雑になる。そんな人々の悩みに対して、仏教はどう行動すべきか。民衆に対して新しい仏教をアピールする必要性を、伝統的なグループ 「上座部」から分離した改革派の「大衆部」は痛感していた。

 しかし、大衆部は「戒」(仏教信者の行動規範)のみならず、上座部の経典(正統・保守系)を使用することはできない。そこで、大衆部は思案した。つま り、読んでいてあまりメリハリがなく、面白くもない上座部の経典よりも、「情感に満ち満ちた、きらびやかな描写、臨場感、躍動感溢れる言説でマーケティン グしたほうが、仏教を普及させるという大義に沿う」と考えたのだ。

 このような事情のもとで、法華経を含む大乗経典が創作された。例えるなら、法華経は仏教教団という秩序と社会のカオスの縁から生まれた突然変異のようなものである。

法華経と原始キリスト教との奇妙な符号

 ただし、突然変異と言っても、瓢箪(ひょうたん)から駒のように法華経がポンと出てきたわけではない。実は、大衆部の僧らがあるものを参照した(影響を受けた)と考えられている。それは、原始キリスト教の福音だった可能性がある。

 こう言ってしまうと、「仏教のなかにキリスト教が入っているわけがあるまい!」「そんな、とんでもない!」という反応もあるだろう。

 しかし、一概にそうとも言えない理由がある。ちょっと面白いので紹介させていただく。「法華経」をフィクション・ライティングしたときに参照したのは原始キリスト教だったということの根拠として、(1)時代背景と(2)「法華経」の論理構成をあげてみよう。

 まず時代の背景。西暦50年から150年にはキリストの十二弟子の一人のトマスがインドに布教に来ていたとされ、原初的形態をとどめた原始キリスト教(現在よく見る西欧化、白人化されたキリスト教とは異なる)が急速に教線を拡大していたのである。

 傍証をあげる。現在でもインドのケララ州に行けばトマスが建てた教会堂が公式に保存され、口承、口伝のたぐいがたくさん残っている。法華経の成立時期とトマスによるインドへのキリスト教伝道の時期は符号するのである。

 次に論理構成。拡大著しい新興宗教のキリスト教の隆盛を横目でみながら、「法華経」フィクション・ライターはキリスト教の言説戦略を大いに参考にした可能性が高いのだ。法華経の論理構成と初期キリスト教の福音の論理構成は同型だからである。

 法華経は「一乗妙法」を説く。すべての人々を平等に救済する唯一の教えであるとしている。法華経は「久遠本仏」を説く。これは永遠の救い主が仏であると いう宣言である。法華経は「菩薩行道」を説く。法華経の教えを一生涯かけて他者に伝道することがなによりの救済への道だという教えである。

 法華経は、一乗妙法、久遠本仏、菩薩行道を、法華経の真実性、絶対性、優位性とともに、これでもか、これでもかと繰り返し説く。この経典を読む人間は、 法華経のゆらぎの世界に心酔し、魅せられる。このテキストは読む者を引き込み、法華経の内在的論理、情念を信者に浸透させる工夫に満ちている。その意味 で、たしかに法華経は創作仏教経典における画期的なイノベーションだった。

 イエス・キリストのみを救い主として心の底から信じ、十字架による罪のつぐないを受け入れ、確信し、ひたすらイエス・キリストを信じ、その教えを他者に伝えることで誰もが等しく救済されると福音書は説く。法華経と福音書の論理構成は同じなのである。

 法華経の構成論理は、上座部系の経典には全く見られず、仏教の脈絡からは隔絶したものであり、かつ福音書の論理構成と同型である。ゆえに法華経の構成論 理は仏教本来の思考様式から生まれたものではなく、外部の福音書に本源があり伝播した可能性がある。この仮説をにわかに「とんでもない考え」として排除は できないだろう。

 カオスの縁には新たな知識の創発、突然変異が頻繁に立ち現れるものだ。法華経は、こうしたカオスの縁に突然発生したゆらぎのようなものだ。このゆらぎは、めぐりめぐって後世に多大な混乱をもたらすことになったのだが。

「如是我聞」という虚偽の文言

 創作物語としての法華経は原始キリスト教の福音から伝播された論理構成を利用して生成されたと考えることができるだろう。しかし、状況証拠が中心で、立証に必要十分な根拠が整っているとは言えないので、ここでは原始キリスト教伝播説をいったんは横に置いておこう。

 しかし、法華経に多用されている「如是我聞」という虚偽の文言には逃げ道がない。この点は非常に重要だ。

 「法華経」フィクション・ライターは、独自のストーリーを作り上げ、「如是我聞」=「是くの如く我聞けり」=「私はこのように直接お釈迦様からお聞きし ました」と虚偽の言説を埋め込んだのである。仏陀直説の正典に見せかける偽装工作と呼ばれてもしかたがあるまい。結果として、「如是我聞」というフレーズ は、おおいなるノイズとなったのだ。

 お釈迦様から直接聞いてもいないことを、勝手に聞いたことにしてしまった。諜報諜略論の立場から厳しく言えば、法華経は当事のインドの布教対象の民衆に対する欺瞞(ぎまん)工作の産物であり、未来に向けた共同謀議のノイズだったのである。

 もっとも、今も昔もインドというお国柄は歴史を事実に基づいて記述するという民族意識は希薄のようだ。なんでも混ぜこぜにして未来に向かって解き放つ、 おおらかな文化基盤に立っている。だから「法華経」フィクション・ライターには、欺瞞や共同謀議をしでかしたという意識はあまりなかったのではないか。カ オスの縁にいた大衆部にとっても、法華経が未来に向かってどのような影響を及ぼすかについては、予測できなかったとみるべきだろう。

 むしろ、仏教を再構築して、変化する社会の悩める大衆に対して、救済の手を差し伸べようという宗教的情熱が行き過ぎたのかもしれない。そこに上座部へのねじれた感情が作用して、ことに及んだのかもしれない。

「如是我聞」の謀略効果は甚大極まる

 さりとて、隋の時代に全仏教経典の価値を調べた智顗(ちぎ、538 – 597年、天台智者大師)、そしてそれ以降の仏教者は、「法華経」フィクション・ライターの、無邪気といえば無邪気、狡猾といえば狡猾、遊び心といえば遊 び心から作られた欺瞞工作のようなゆらぎ、ノイズにはまってしまった。智顗は非常に実直な人物で、カオスの縁にいた大衆部の心性、法華経に埋め込まれたゆ らぎ、ノイズを見抜けなかったのだろうか。

 インドの「法華経」フィクション・ライターの共同謀議による経典捏造(ねつぞう)の社会的インパクトは広大無辺といっていほど甚大なものであった。仏教 経典のデファクト・スタンダードとして、ユーラシア大陸東部のほぼすべての地域で広く流布し、漢語はもちろんのこと、チベット語、ウイグル語、モンゴル 語、満州語、朝鮮語にまで翻訳されて、異言語、異文化へ伝播した。2000年という長きにわたる歴史に浸透させることに成功したからだ。ユーラシア大陸の 東端を越え、日本でも大きな影響を及ぼしたことは前回述べたとおりである。

 「北京で今日、蝶が風の中で羽ばたいて空気をそよがせるとすると、それが1カ月後にニューヨークで嵐となる」という例え話がある。このような現象はバタ フライ効果と呼ばれる。カオスの特徴としてよく言及されるため、聞いたことがある読者もいるだろう。バタフライ効果とは、初期値の小さな差が思いもよらぬ 差となって結果に表れることを指す。

 1900年くらい前に、「如是我聞」という4文字が物語に加えられ、それが仏教経典になった。約1900年後に、遥か東方の日本で選挙が行われ、その仏 教経典をかつぐグループに関連する政党が政治の動向を左右している。事後的に歴史を振り返れば、法華経の来歴にはありありとバタフライ効果が見てとれる。

 当初、予測されていなかった運命をたどることになった法華経。わずかな創作というゆらぎが、めぐりめぐって、時代を超えて、途方もない大変異を多様な地域に及ぼしたのである。

インテリジェンスが増幅させた歴史的バタフライ効果

 この欺瞞工作、ノイズ挿入を仕掛け、後の世に途方もないバタフライ効果を放った一派は、天才インテリジェンスの集団である。

 「いったい何千万人、何億人の人々が法華経を読み、心が救われ、法華経のかなたに極楽浄土を夢見ながら死んでいったのか」と想いをめぐらせてみても、だ まされた後味の悪さをおぼえるというより、空しさが残るだけだ。事実として、法華経は仏陀の直説と信じられ、信仰されてきたからだ。

 現在インドにおいては、仏教は衰微してヒンドゥー教に取り込まれている。もちろん法華経の人気もからきしない。一方、日本では、法華経が歴史的なバタフ ライ効果により興隆した。法華経を創作して後世に伝播させたインテリジェンスの天才達は極楽浄土からこの不思議な風景を見下ろしてニヤニヤ笑っているのだ ろうか。あるいは地獄に堕ちて、事の顛末を見上げて苦しみもがき懺悔しているのだろうか。

 人間の行動様式を規定する宗教の中には、機微に触れる高度なインテリジェンスの足跡を数多く発見することができる。そして高度なインテリジェンスは経営 にも求められる。ゆえに、インテリジェンス経営を目指す経営者は、自覚的に身の周りの宗教に触れてみることをお勧めする。そこには「人を心から動かせる文 化、仕組み」があり、経営者として宗教から学ぶものは大きいのである。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第6講:語られ得ぬ法華経の来歴:ITpro

第5講:仏教に埋め込まれたインテリジェンスの連鎖

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 前回、仏教に縁のある厩戸皇子(聖徳太子)と秦氏について語ったので、このあたりで世界3大宗教の一角を占める仏教を諜報謀略論の俎上にのせる。抹香臭 い話はさておき、仏教の歴史に埋め込まれたインテリジェンスを解きほぐしていきたい。近現代の社会に甚大なる影響を及ぼした仏教思想の底流には、「個人、 企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす情報・知識を収集し、活用する」というインテリジェンスの連鎖が存在する。

 

宇宙の不変法則を説いた仏教

 まずは仏教の基本から。仏教とは歴史的に実在した仏陀釈尊が説いた法と教えを実践する宗教である。シャカ族の王子、ゴーダマ・シッダールタは放浪の旅に 出て悟りを開き、釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)と呼ばれるようになった。一神教では「God」が真理だが、釈尊は宇宙の不変法則(因果律)をダルマと とらえ、それを真理とした。

 では、仏教の真理とは。
これあれば、かれあり。これ生ずれば、かれ生ず。
これなければ、かれなし。これ滅すれば、かれ滅す

諸行無常 → 万物は常に変化して終わりがない。
諸法無我 → 万物は「因縁」の作用によって生じるので実体、実在はない。
涅槃寂静 → 煩悩が吹き消された悟りの世界(涅槃)は最高の安らぎである。
一切皆苦 → すべては苦である。

 最初の3つの命題が三法印で、一切皆苦を加えて四法印という。以上は教えである。釈尊は、輪廻転生からの解脱を最重視し、プラクティカルなメソドロジ (修行法)を残している。四念処法、四正勤法、四如意足法、五根法、五力法、七覚支法、八正道、である(雑阿含経「応説経」)。例えるなら、専門職大学院 の7分野における全35講座の実践的なトレーニング手法のようなものである。

 以上が本来の仏教の基本の基本なので、ぜひ覚えておこう。

 さて、釈尊の入滅後、100年くらい経ってから仏教教団は分裂した。「上座部」という伝統的秩序を保つ集団から独立して、新しく改革派の「大衆部」とい うグループが形づくられたのだ。これを仏教学の分野では根本分裂という。仏教学者の中村元が推察するように、当時のインドでは、農業、商工業、人々の往 来、貨幣経済が急速に発達しつつあり、格差も広がり社会状況が混沌の様相を呈し始めていた。

 その後、教団は様々な部派に分岐。それに伴い、いろいろな経緯があり、たくさんの経(経典)や論(論文、学説)が創作され世に出てきた。法華経が書かれ たのは、釈尊滅後からほぼ500年後のことで、紀元前50年から紀元前150年くらいのことである。そして創作された多くの経や論は北の方向に伝わって中 国へ伝搬した。

 

仏教の普及を促した、天台智者大師のインテリジェンス

 時は経て、隋の時代の中国。智顗(ちぎ、538 – 597年、以下尊称の「天台智者大師」とする)は、インドから中国に伝わってきた仏教経典に精通する博覧強記の僧である。

 お釈迦様が説いた言説を記録した経典はすべて尊いはずなのだが、あまりにも膨大で、短い一生ですべての経典を読むことは凡人ではできない。どの経典にプ ライオリティを置いて読んでいったらいいのか。信者にどのように説いたらよいのか。天台智者大師は、このような切実な疑問と課題に直面した。

 そこで七難八苦の末、天台智者大師は、仏教の全仏教経典の価値を判定したのである。これを教相判釈(きょうそうはんじゃく)という。経典の品定めである。ただし「大きな前提」を天台智者大師は設定した。

 すなわち、「すべての御経はお釈迦様が説いたことがらを記述した正当なテキストである」と。

 この大前提のもとで、天台智者大師は次のように経典の価値を判定した。お釈迦様は、最初に華厳経をお説きになった。その教えが難しいため人々が理解でき なかったとして、次に平易な阿含経をお説きになった。そして、人々の要望に応じて、方等経、般若経をお説きになった。最後の8年間で法華経と涅槃経をお説 きになった。そして入滅の前、最後に説いた法華経がお釈迦様の最も重要な教えであるとした。これを五時教判(ごじきょうはん)という。

 天台智者大師ほどの高僧が苦心してこのような結論を下したので、隋の仏教界はもちろん、大方はその教えに従った。そして遣隋使や渡来民を通して仏教を摂 取した日本も、天台智者大師の教えに沿って仏教を信仰するようになったのである。606年に聖徳太子(厩戸皇子)が法華経を講じたと日本書紀は伝えてい る。

 仏教伝来前の日本には輪廻転生の思想はなかったので、日本仏教は「輪廻転生からの解脱を図る」という、そもそもの仏教の目的からズレてゆくことになる。

 それ以降、華厳宗、法相宗、律宗、天台宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗、融通念仏宗、浄土宗、時宗、浄土真宗、真言宗をはじめとするいろいろな仏教 の宗派が生まれた。仏教は今も昔も世界宗教ではあるが、昔のほうが、ワールド・バリュー(世界価値)として慄然と光り輝いていた。

 特に日本では法華経の人気が高い。法然、親鸞、日蓮など鎌倉仏教の祖師も法華経をひたすら信じて、信仰した。曹洞宗の祖師である道元は、「只管打坐」(ただひたすら坐禅すること)を成仏の実践法として重視したが、その教学的裏づけは法華経に立っている。

「農業・商業=仏行」という仕掛け

 平成の現代においても、法華経を信仰する仏教教団は非常に多い。天台智者大師の教相判釈に加え、法華経はわかりやすさ、直裁さ、強烈さ、美しさが民衆の心をとらえる。法華経には、情念の深いところに染み込むように魂を奮い立たせるような力さえある。

 法華経は長い歴史を通して、大きな影響を日本社会に与えてきた。

 天台智者大師の法統と血脈(けちみゃく)を継承する最澄は、当然のこととして法華経を根本聖典とした。その後、鎌倉時代の宗教改革者、日蓮は「南無妙法 蓮華経」と唱えさえすれば仏性を得ることができるとして、“時代に対するレジスタンス”と宗教的情熱をもって説きまわった。

 江戸時代には、鈴木正三(1579 – 1655年)が「仏法と渡世の術は同じで、各々の職分の中に仏法を見出せ」と説いた。これは職分説と呼ばれる。「一鍬一鍬に、仏を唱えて耕作すれば、必ず 仏果に至る」と農業即仏行を説いた。また石田梅岩(1685 – 1744年)は、享保年間、拝金主義や贈収賄の風潮が世の中全体を覆う中、「商人の売買は天の佑け(助け)」「商人が利益を得るのは、武士が禄をもらうの と同じ」と述べて、倫理に根差した商行為の正当性を説いた。「商人は二重の利を取り、甘き毒を喰らい、自ら死するようなことをしてはならない」と説いた。

 正三、梅岩は法華経を頻繁に引用しているので、法華経は行動様式の側面から間接的に日本資本主義の成立に寄与している。ちなみにアメリカの社会学者ロ バート・ベラーは、梅岩の「倹約の奨励や富の蓄積を天命の実現と見る考え方」をマックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で とらえたカルヴァン主義商業倫理と同型とみなしている。

 

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に観音菩薩の姿を見る

 宮沢賢治も激しく日蓮を敬慕する法華信者であった。特に賢治は「観音経」に強く傾倒した。「観音経」は、「法華経」の「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五」の略称だ。

 観音菩薩は、さまざまな姿に変身して、すべての人々のあらゆる悩みや苦しみを救ってくれる万能の救済者である。「雨ニモマケズ」は、この万能の救済者を モチーフに、「現実世界で素朴に生ききりたい」と強く、純朴に念じる、賢治の内部世界の文学的自己表出である。ちなみに英語世界に向けてロジャー・パル ヴァースは「雨ニモマケズ」を“Strong in the Rain”と訳して大好評を得ている。

 2.26事件の北一輝や、A級戦犯の大川周明など国粋主義憂国の烈士たちも、日蓮宗の信徒として『立正安国論』に依拠して法華思想に傾倒した。アジア、 日本を植民地化しようと目論む西洋列強を「野蛮の外夷」と呼び、日本を法華経の仏国土と見なす国粋主義日蓮宗のイデオロギーは、近代日本の排外主義にもつ ながっている。日本書紀の「掩八紘而爲宇」を援用して、八紘一宇・五族協和思想を説いた田中智学(たなかちがく)は、立正安国会を設立、後の国柱会となっ てゆく。

 これらの系譜の中心的教義も法華経である。賢治のほかに、高山樗牛や石原莞爾も国柱会の主要メンバーだった。石原莞爾は弁証法的戦争論を書き記し、実践 した日本帝国陸軍の戦略家である。石原の戦争を弁証法的に論ずる「最終戦争論」は英訳されて欧米の軍事学大学院でも熱心に読まれている。

 このように法華経はジャパナイズされた日本仏教の系譜はおろか、後世の日本資本主義成立という一大事、その後の政治経済、昭和の改革運動、国粋主義の展 開、八紘一宇・五族協和思想を背景にもつ満州国建国にまで深く、広く影響している。戦後は、法華経系の新興宗教が多数設立されるなど、日本社会全体に対す る影響力は大きかった。

 

仏教の“ウソ”を見抜いた富永仲基の大乗非仏説

 しかし、天台智者大師が設定した「大きな前提」、つまり「すべての御経はお釈迦様が説いたことがらを記述した正当なテキストである」は、実は間違いだった。近年、内外の研究成果により判明した。日本に伝わった中国経由の仏教の正当性、正統性が問われる一大事である。

 日本国内の科学的仏教研究家として際立つのは富永仲基(とみながなかもと、1715 – 1746年)である。彼は「出定後語(しゅつじょうこうご)」で大乗非仏説を合理的に論証してみせたのだ。富永仲基が用いた加上説とは、後代に生まれた学 説はその正当性を示すために、必ず先発の学説を抜こうとして、より古い時代に起源を求め、複雑さを増すというある種の法則である。

 仲基は加上説をフル活用して、より古い経典の教説に異なった教説を加上(累積的に加えながら)しながら発展してきたことを実証的に分析した。その合理的 な分析の結論として、大乗仏教の経典は後世に創作されたと主張したのだ。仏教界は論理的に反論することなくいきりたち、彼を排撃し、のちには黙殺した。

 富永仲基はオシント(一般公開情報)を用いた文献考証の天才である。天台智者大師でさえも気づかなかったことを論理の力で立証した業績は特筆ものだ。そ して次に述べる欧州の仏教研究に先駆けて通説を真っ向から否定し、大乗非仏説を論考した鋭い洞察力は日本の誇りとなるはずであった。

欧州の仏教学者も「偽物」と判定

 さて海外の研究成果は、明治時代に、欧州の仏教研究から生まれた。経典宗教であるユダヤ教、キリスト教の宗教学的研究はテキスト・クリティーク(史料批 判)と呼ばれる経典テキストの真偽判定、来歴判定、本源性判定を徹底的に行う。欧州の研究者たちは、この手法を容赦なく仏教テキストにもあてはめたのだ。

 富永仲基が没してから1世紀以上経った1876年、南条文雄(なんじょうぶんゆう、1849 – 1927年)という仏教者がサンスクリット(梵語)研究のため渡英し、オックスフォード大学のマックス・ミューラーのもとでヨーロッパの近代的な仏教研究の手法を学んだ。

 その過程で南条文雄は、欧州の仏教研究者が法華経を正統な仏教経典として扱っていないことを知った。欧州の仏教研究では、サンスクリット語やパーリ語で 書かれた原始経典に重きを置いていた。厳格なテキスト・クリティークの結果、なんと法華経はフィクション(創作、偽作)との烙印を押されていたのである。 富永仲基が得た結論は日本で黙殺されたが、欧州仏教学は富永仲基と同じ結論に到達していた。

 南条文雄は真実を知ってとても複雑な気持ちになった。法華経は、仏陀直説の教えではなく、全く別のフィクション・ライターが書いた偽作だと欧州でも念を 押されたのだから。1世紀以上も前に、富永仲基を排撃・黙殺した日本仏教界のエキセントリックな行為も南条文雄は知っていた。

 いずれにせよ、内外の学問研究によって法華経は仏陀釈尊直説を記した経典ではないということが歴然と判明している。だが、自らの存立に影響する重大な学問的成果に対して、日本の大乗仏教界の反応は鈍かったし、現在も鋭敏ではない。

 

それでも大きな影響力を及ぼした仏教の本当の力とは?

 それまで真であると信じていたことが、実は真ではなかった。日本の仏教徒は、ある意味、偽物の経典を信じて(信じさせられて)きたことになる。そして法華経の影響は、仏教界はおろか、政治、経済、教育の諸制度にまで甚大に及んでいる。

 後味がよくないこと、このうえもない。このように、およそ真でなく誤謬を含むものごとも、デファクト・スタンダードになることがある。

 “de facto”とは「作られたるがゆえの」を意味するラテン語だ。ある時代の人材がインテリジェンスをもって次の世代に熱烈な信仰者を生む仕組みを作り、そ こから新たな才能を持つ人材がまた別のインテリジェンスをもって次の世代の熱烈な信仰者を生む仕組みを作っていく。この精巧なインテリジェンスの連鎖によ り、時代や地域を超えたデファクト・スタンダードを作り上げる「強い力」が生み出された。

 次回は、法華経が書かれた当時、釈尊滅後からほぼ500年後の諜報謀略について少し掘り下げてみよう。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第5講:仏教に埋め込まれたインテリジェンスの連鎖:ITpro

第4講:古代日本の知恵袋、渡来氏族「秦氏」の摩訶不思議

カテゴリー : イノベーション

 前回に続き、厩戸皇子(聖徳太子)の時代までさかのぼって、歴史をひもときつつ、そこから様々なインテリジェンス活動、すなわち、「個人、企業、国家の 方針、意思決定、将来に影響を及ぼす多様なデータ、情報、知識を収集、分析、管理し、活用する」活動を読みとってみたい。

 厩戸皇子の知恵袋的存在として、秦河勝(はたのかわかつ)をとりあげる。秦氏一族の動きには古代のインテリジェンス活動が凝縮されているからだ。秦氏は ユーラシア大陸のかなり奥まった地域の出身で、朝鮮半島を経由してやってきた渡来系氏族である。秦氏は6世紀頃から断続的に朝鮮半島を経由して日本列島の 倭国へ渡来してきた。鉱山技術、鍛冶技術、養蚕、機織、酒造などの最先端テクノロジーを倭国に伝播させた氏族だ。

 秦河勝は、その際立った技術経営力、人材機動力、財力、国際的知識を駆使し、厩戸皇子のブレーンとして大活躍した。厩戸皇子は、当時の微妙な外交、地政 学的ニュアンスを熟知していた秦河勝から、儒教、仏教のみならず中東系諸宗教、律令制といった当時の知のワールド・スタンダードのみならず、国際政治、通 商、パワーポリティクスの機微を徹底的に学んだのである。

 

秦氏と八幡神社の関係

 秦氏は、九州北部の宇佐八幡神社がある地域を拠点にして、山城(現在の京都)さらには全国に広がっていった。秦氏に関する史料は全国に散らばっている が、特に、九州北部の宇佐地域や、山城地方に多くの史料が残されている。例えば山城地方にある太秦(うずまさ)がその名のとおり秦氏の一大拠点だった。

 八幡神社といえば、稲荷とならんで日本でもっとも馴染みの深い神社の一つだ。はちまんさま、やはたさまを祀る八幡社、八幡宮、若宮神社などを含めると、 全国津々浦々、街中、田舎を含めてその数は全国で1万4800社(神社庁公表)となる。読者の皆様も近所を見渡せば、どこか近くに八幡様が鎮座しているの ではないだろうか。その八幡神社は、もともとは秦氏のカミさまを祀る神社である。そのカミさまがどこから来たのか、なにものなのか、についてミステリーが ある。

 秦氏は新羅を経て渡来したとされる。これについては、いくつか根拠がある。秦氏が多く住んでいたとされる地域から発掘された瓦は新羅系のものが圧倒的に 多い。また秦氏の氏寺、「広隆寺」にある国宝第一号の「弥勒菩薩半迦思惟像」は、朝鮮半島の新羅地区で出土した弥勒菩薩半迦思惟像に酷似している。しかも 広隆寺の仏像の材料である赤松は、新羅領域の赤松であることが判明している。

 

秦一族は古代の技術経営スーパーエリート

 秦氏が得意とした鍛冶とは、木、火、土、水、金を制御するテクノロジーであり、古代日本にとっては奇跡にも近いワザだった。ちなみに、木、火、土、水、 金(もっかどすいきん)の五行をもって宇宙の構成要素とする。土着人から見れば、鍛冶とは自然をあやつり、そこから光り輝く銅や鉄を生み出す神秘の所業で もあった。

 九州北部・近畿の銅山とその麓に展開された銅を生産する場のマネジメントは、秦氏および関連の一族によってなされたものと考えられる。火と日を知るもの をヒジリ(聖)という。火を制御する鳥が鍛冶シャーマンのシンボルであり、秦氏の場合、神の鳥のシンボルは「鷹」だった。

 秦氏は、鍛冶の技術をよく営み、金属器をよく鋳造したので、必然的にシャーマン的色彩を帯びている。古代において技術者は祭祀者でもあった。つまり、も のづくりとは、自然に働きかけ、そこから神秘に満ちたモノやコトを生み出す神聖な所作であった。ものづくりの原風景が秦氏界隈には沢山ある。

 秦氏は日本に養蚕、機織の技術をもたらした一族でもある。ハタは機に通じている。蚕を飼い、その蚕がつくる繭から生糸を紡ぎだし、あでやかな絹織物に仕 立て上げる。艶やかに絹で織られた着物を着る人々は羨望の目で眺められたことであろう。ちなみにサンスクリットでハタは「絹の布」をさす。

 秦氏のハタは畑作にも通じている。秦氏によって、養蚕に加え、先進的な開墾技術、畑作技術、土木技術が導入された。平安京遷都の際に、山瀬の国あたりに 領地を持っていた秦氏は、新都計画、建設にあたり、桓武天皇の政権に莫大な貢献をしている。都市計画、古代のシビル・エンジニアリングに通暁し、財力豊富 な秦氏がいなければ平安京もありえなかった。周知の通り、平安京は長安を模してデザインされた。その都市計画のグランドデザインにおいても、秦氏は決定的 に重要な役割を果たしている。

 秦氏のハタは旗にも通じている。古来、多数の「秦氏」が住む場所には、一族の目印として旗(秦)を立てる習慣があった。日本人は現在でも旗を掲げたり、振ったりするのが大好きだ。八幡さまには今でもよく旗が立っている。

 秦氏一族は蘇我氏や物部氏のように政治権力を掌握する意図は無かったようだ。あくまでも、時の勢力に反抗することなく、むしろ柔軟に対応しリアリストと して生きるという姿勢をとった。圧倒的な技術、技術経営力を保持する集団は、権力から重宝されるのが世の常だ。さらに秦氏は、時の勢力に柔軟に対応するた めに高度なインテリジェンスを駆使したと思われる。

 

秦氏周辺の奇説珍説

 秦氏の周りには神秘の香があり、その周辺には奇説や珍説が生まれている。その一つが、秦氏はユダヤ人景教徒であったというものだ。

 景教とは、原始キリスト教の流れをくむ東方キリスト教のひとつである。その研究者で早稲田大学名誉教授、東京文理科大学学長を歴任した歴史民俗学者・言 語学者の佐伯好郎博士(1871-1965)は、「秦氏は『資治通鑑』(11世紀の中国の史書)に出てくる弓月王国の末裔であり、その秦氏が古代日本に初 期のキリスト教をもたらした」と主張した。

 佐伯は私見として、うづまさ(太秦)、すなわち秦氏の拠点について次のように述べる。

 

 「うづ」は“Ishu”即ち“Jesus”又、「まさ」は“Messiah”の転訛語に外ならぬものである。それは、アラマイク語及びセミチック語の“イエス・メシア”Jesus the messiah の転訛語に外ならぬ。

 ユダヤ教のラビ(教師)、マーヴィン・トケイヤー氏(1936-)も、「秦氏ユダヤ人景教徒」説を支持している。トケイヤー氏は、以下をその根拠としてあげている。

・モリヤ山でのアブラハムによるイサク奉献に酷似した祭「御頭祭(おんとうさい)」が信州の諏訪大社に古来伝わっている
・イスラエルの契約の箱と神輿の類似性
・イスラエルの祭司の服装と神社の神主の服装の類似性
・古代イスラエルの風習と神主のお祓いの仕草の類似性
・イスラエルの幕屋の構造と神社の構造の類似性

 これらの根拠をあげたトケイヤー氏は、秦氏はユダヤ系であり、日本人の先祖の一部はシルクロードを経て渡来したイスラエルの「失われた十支族」の末裔だ、と論じている。

 イスラエル国防軍のヨセフ・アイデルバーグ陸軍少佐はさらに珍奇なことを説く。秦一族がもともと住んでいた「弓月国」のあった場所は、中央アジアの天山 山脈の麓であり、その付近は「ヤマトゥ」という名前である。ヤマト、すなわち倭であり大和という名称は、秦一族が故郷を偲んで命名させた、というのであ る。

 この説は、日本人の先祖はユダヤ人であり、旧約聖書に登場する「失われた十支族」の末裔だなどとする「日ユ同祖説」を根拠付けることに情熱を傾ける人々からも支持されている。

 仮にこれらが真実であるのならば、フランシスコ・ザビエルよりもさらに遡ることおよそ1000年以上も前に原始キリスト教徒、ユダヤ教徒が日本にやって 来たことになる。この教徒は、ユダヤ教に近い原始キリスト教を信じ、しかもユダヤ人であった可能性が高いという。つまり、ヨーロッパに伝播して独自の発展 を遂げたローマ・カソリックやプロテスタントというヨーロッパ型の白人キリスト教とは異質のものである。

 ゴルゴタにて磔にされたキリストはキリストの弟・イスキリであって、本物のキリストは密かに日本に渡り天寿を全うして亡くなったという伝説が青森県三戸 郡新郷村戸来に伝えられている。2004年(平成16年)6月6日のキリスト祭においてイスラエル在日大使館一等書記官が「キリストの墓」を訪れ、イスラ エルストーンを寄贈している。イスラエル国家はこの伝説を肯定しているのである。

 ただし、こうした「日ユ同祖説」には影の部分があるということに注意を要する。「日ユ同祖説」に固執、執着して、荒唐無稽な論理を無理に日本に押しつけて利益を得ようとする勢力にも注意を要する。

 秦氏をとりまく謎は、文献史実や状況証拠に頼る従来の歴史学、民族学では解けない。日本史において第一級の史料には間違いないが、古事記、日本書紀とて政治的な意図、思惑で書かれており、書いた側の意図により操作的記述はあって当たり前と見なければいけないからだ。

 どうしても謎を追究しようとするなら、ユダヤ人の方、弓月国あたりに昔から住んでいるネイティブの方、宇佐地域や太秦あるいはゆかりの神社関係者で古く から秦氏の家系にいる方、にお願いして身体細胞の一部を採取させてもらい、DNA配列上の特徴を洗い出してみるという手がある。統計学的に有意な類似性が 確認されたら、これら仮説の検証の有力な一助になるだろう。「日ユ同祖説」を説く方々に取り組んでもらいたいところだ。

 余談だが、ユダヤ人に声をひそめてこの手の話をすると、相手は身を乗り出してくること請け合いである。イスラエルやアメリカ在住のユダヤ系の人々とうま くビジネスをしようとする向きは、飯でもいっしょに食べながら薀蓄すれば面白いだろう。ユダヤ系以外の人々にはもちろん、こんな話はしないほうがよい。

 いずれにせよ、日本は表面上、仏教、神道の国ではあるが、ご先祖様、土産神、八百万の神々、儒教、道教、神仙、ゾロアスター教、マニ教、ユーラシア大陸の反対側の古代宗教などが習合混合して多元的、多神教的古層を、深い部分に温存してきている。

 秦、旗、羽田、畑、畠、波多家、幡家、端、波多、葉多、傍、波田、和田、和多、阿多、八田、飛騨、飛弾などの苗字を持つ家系は、秦氏の末裔である可能性がある。読者のまわりにも、これらの姓を持つ方々がおられるかもしれない。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第4講:古代日本の知恵袋、渡来氏族「秦氏」の摩訶不思議:ITpro

第3講:厩戸皇子と遣隋使を巡るインテリジェンス

カテゴリー : イノベーション

 インテリジェンスとは、「個人、企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす多様なデータ、情報、知識を収集、分析、管理し、活用すること、ならび にそれらの素養、行動様式、知恵を総合したもの」である。競合相手の情報や事情を意図的に探り、評価し、知識に変えていく「諜報」、諜報にいそしむ相手側 から身を守る「防諜」、諜報と防諜を組み合わせて情報や知識を意図的に操作し、企図する成果を実現する「諜略」は、すべてインテリジェンスに含まれる。

 諜報謀略は、人間が言語を持った時から始まった。ただし、歴史を変えるような大掛かりな諜報諜略となると、仕掛けたほうも、引っかかったほうも、その事 実を認めないから、史実や記録として残らない。したがって、大掛かりな諜報諜略が歴史として記録されることはよほどのことがない限りない。むしろ諜報諜略 の成果としての権力交代あるいは権力の正当性が、歴史の編纂者の手によって書かれ、操作される。

 本連載を進めるにあたって、歴史をひもときつつ、そこにおけるインテリジェンス活動を読み解いてみたい。過去から学ぶのは、インテリジェンス研究の作法 である。例えば、中国の兵法書「孫子」はインテリジェンスにかかわる知恵の集積であり、現在にいたるまで各国語に翻訳され、インテリジェンスや軍事の講義 で必ず引用されている。現に筆者が留学していたコーネル大学の軍事学講座において、受講者は孫子を熱心に読み解いていた。

 

「しのび」を駆使した厩戸皇子

 日本におけるインテリジェンスの起源を探るために、聖徳太子の時代にまでさかのぼってみたい。聖徳太子は「十七条の憲法」や「冠位十二階」を制定した古 代日本の偉人として伝えられている。日本書紀によれば馬小屋で出産した皇子であるから、厩戸皇子(うまやどのみこ)という名が付けられた。聖徳太子という 尊称は後年与えられたものなので、ここでは、一般的に使われる厩戸皇子という呼称を使わせていただく。

 人間が二人以上集まれば、そこに利害関係が生じ、権力の錯綜も生じる。とりわけ中央集権国家の形成にあたっては、権力の集中を伴うゆえに、必然的に権力 闘争が発生する。権力闘争を巡って情報の不均衡が生じ、諜報諜略が生まれる。畿内に豪族が発生し、中央集権国家の基礎が出来上がりつつあった厩戸皇子の時 代、豪族達が敵情を探って優位に立とうとする発想を持つのは必然であった。

 そう考えると、厩戸皇子の親戚であった当時の実力者、蘇我馬子も諜者を使っていたことはまず間違いない。ここで当時の朝鮮半島と倭国との政治状況をざっと振り返ってみる。

 そもそも蘇我馬子の先祖は朝鮮半島の百済の官僚だった。高句麗が百済に侵攻して百済が崩壊したのち、木満致(もくまんち)という百済の高級官僚が亡命し て倭国にやってきた。その木満致は名を改め、蘇我氏の基礎をつくった蘇我満智(そがのまち)となったとする説がある。このような出自の蘇我氏は、渡来人集 団を倭国の王家に仕えさせ、倭国と元百済勢力との連携を強めたがっていた。

 蘇我氏に対抗する勢力の代表が、大伴(おおとも)氏や物部(もののべ)氏であった。大伴氏はアメノオシヒを祖先とし、大王家の宮廷の兵をひきいていた。 アメノオシヒとは、倭国の土俗的神話で大王家の祖先のニニギノミコトとともに天から降りてきたとされている。一方、物部氏は大王家とは別に、ニギハヤヒを 祖先とする一族とされる。物部氏は古い土着氏族で、大王家が大和(やまと)地方に入る以前から、大和の有力氏族を支配していた。大伴氏が失脚したあとは、 蘇我氏と物部氏が対立するようになる。

 渡来系の蘇我氏は崇仏派で、土着系の物部氏は排仏派であった。蘇我氏は、当時のユニバーサルな価値観、すなわち仏教による統一国家建設を目論んだ。これ に対し、物部氏は、ローカルな土着的神話価値観による連合国家建設を考えた。両氏の対立は先鋭化し、収拾がつかない状態に陥った。厩戸皇子はこのような混 乱のなか、登場した。

 厩戸皇子は「志能便(しのび)」と呼ばれる専門職能集団を使い、朝廷内外の情報を得ていたとされる。厩戸皇子が志能便として起用したのが大伴細人(おお ともの ほそひと)である。その当時は忍者という言葉は無かったが、この大伴細人が確認できる範囲で日本最古の忍者、すなわち諜報を専門に実施した人物で あると言ってよい。後に、忍びを「細作(さいさく)」と呼ぶことがあったが、これは大伴細人の名前に呼応する。

 厩戸皇子が大伴細人以外にも、服部氏族などの忍者を使っていた可能性は高い。そして服部氏族の末裔が伊賀忍者の源流に、大伴細人が甲賀忍者の源流に、そ れぞれなったという説がある。諜者や忍者の仕事はスパイ活動そのものである。スパイの重要性は古くから知られており、先に紹介した「孫子」は、丸ごと一章 を当てて解説している。すなわち孫子は古代における諜報諜略のテキストブックであった。

 この錯綜した権力抗争は紆余曲折の末、決着を見た。厩戸皇子は蘇我氏につき、蘇我氏と共闘して物部氏を滅ぼした。こうして倭国は、当時のユニバーサルな価値観である仏教を基礎にして統一国家づくりに歩みだすこととなった。

 権力抗争の中で政敵の動向を把握することは、自分や一族の地位、権力、財産を守ることに直結した。飛鳥時代の日本は、貴族ではなく豪族によって政治が取 り仕切られていた。豪族達は流血を伴う権力闘争を繰り返し、有力豪族である蘇我氏の親戚であった厩戸皇子でさえも寝首をかかれる可能性があった。

 

インテリジェンス活動としての遣隋使

 厩戸皇子の時代のインテリジェンス活動として、遣隋使を取り上げよう。遣隋使は5回以上派遣されているが、日本書紀には第1回目の記述がなく、なぜか第 2回目からの記述になっている。遣隋使は国家使節であると同時に、当事の覇権国家である隋の情勢を探り、日本としてうまく立ち回るポジションを得る公的な インテリジェンス活動ととらえることができる。

 595年(推古三年)、高句麗の仏僧、恵慈が日本にやってきた。恵慈は厩戸皇子の師であると通説では言われるが、この人物は外交エージェントでもあっ た。当時、高句麗は朝鮮半島で新羅と主導権争いをしており、隋とも対立を深め、厳しい立場に置かれていた。高句麗は中国から見ると同じ「冊封国」に列せら れていた日本と関係を深め、冊封国家同士の貿易関係を密にしようと考えていた。

 「冊封(さくほう)」とは、中華思想に基づく言葉であり、中国王朝の皇帝が周辺諸国の君主と名目的な君臣関係を結ぶこと意味する。中華思想では、野蛮な 国々が中国皇帝の徳を慕い、礼を受け入れれば、「華」に近づけるとされる。中国から見て「夷狄」と呼ばれた周辺国は、冊封を受けることによって華の一員と なり、その数が多いことは皇帝の徳が高い証になった。

 中華思想とは、中国が世界秩序の中心であり、その文化と思想が世界で最も高度で洗練されたものであり、漢民族以外の異民族はすべて野蛮な化外(けがい) の民とみなす思想である。もっと露骨に華夷思想ともいう。中華思想に基づく異民族への蔑称は、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、北狄(ほくてき)、南 蛮(なんばん)があり、日本は東夷、つまり東の果ての野蛮な人々がたむろするところ、くらいにしか思われていなかった。ちなみに、中華思想は連綿と今日の 中華人民共和国まで継承されており、中国の歴史思想を支える背骨になっている。背骨は外からは見えないが、背骨がなければ人間の体は成立しない。

 一方、冊封国側から見れば、冊封体制に組み込まれることにより、中国からの軍事的圧力を回避できるし、中国の権威を背景に、国内と周辺に対して有利な地位を築けることになる。周辺とどう付き合っていくかが、冊封国家にとって重大な戦略であった。

厩戸皇子が隋に送った諜略レター

 厩戸皇子が遣隋使の小野妹子に持たせた、隋の煬帝あての手紙はインテリジェンスの観点から示唆に富む。有名な「日出処天子至書日没処天子無恙…」(日出 処の天子、書を日が没する処の天子に致す。つつがなきや…)で始まる手紙である。これを読んだ隋の煬帝は激怒した。この無礼者め、と。

 激怒の原因は二つだろう。まず、日本を「日の出る国」、隋を「日が落ちる国」と表現したことである。東方の野蛮な弱小国に、隋帝国は「落ちめ」の国と書 かれ、煬帝のプライドが傷つけられたことは想像に難くない。もう一つは中国皇帝にしか使用されていなかった「天子」という用語を、「日出処の天子」として 日本が使ったことである。中華思想の体現者、煬帝から見れば言語道断の言葉づかいであった。

 これが事実であるならば、厩戸皇子は、中華思想を深く知りながら、煬帝の逆鱗に触れる書状をわざと出したことになる。「日本は新羅や百済と非常に親密な 関係があったけれども、これからは隋とも対等の関係でいかせてもらいますからよろしく」というジャブを出し、挑発したわけだ。そうそう簡単には中華的序列 にはおさまりませんよ、という外交的な意思表示であった。

 これは、高句麗の利益を考える恵慈の外交的なサシガネでもあった。すなわち、日本が隋に対して対等外交を要求することで、「日の出る国は隋に対して従順 ではない」との認識を隋に与え、高句麗と隋との関係を有利に持っていこうとするものであった。高句麗から見れば、隋からの外圧をかわして、緩い共闘連合を 日本と組むことによって国益を保全することにもなったのである。

 小野妹子も策士だ。激怒した煬帝はそれなりの返事を書いた。しかし、煬帝の返書はどこかへ行ってしまい所在不明となっている。この返書については、日本 に戻ってくる間に小野妹子が紛失してしまったとも、百済で奪い取られたとも、後世いろいろ言われている。怒りを込めた返事なのか、たんに呆れかえって日本 を子ども扱いにした返事なのか、返書が無くなってしまったので真相は分からない。

 隋から日本に帰る途中で返書は消えたとされるが、これはおかしなことである。隋から帰ってくる船には、中国から数十人もの隋の役人、使者、諜者が乗船し ており、小野妹子ら一行を監視していたはずだ。そんな中で重要極まりない手紙を紛失したり、奪い取られるものではなかろう。

 要するに、蘇我氏、厩戸皇子、小野妹子らは、怒った煬帝の手紙を読まなかったことにしたわけだ。ジャブを打っておいて、カウンターパンチはさっとよけ、 「手紙は無くなったので読んでいません」とシラを切ったということになる。小野妹子は手紙の紛失に関して責任らしい責任を取っていない。それどころか、翌 年になると第3回遣隋使として、のうのうと隋に行っている。要するに返書は後世に残すためには、都合が良くない内容だったのであろう。だから無くなったこ とにしたのである。
 
 ということで、「日出処天子至書日没処天子無恙…」にはつじつまが合わない部分が多くあり、この手紙の存在じたいが虚偽であるとの説も根強い。

 さて厩戸皇子は恵慈からコンサルティングを受け、古代の公務員規定ともいうべき「十七条の憲法」と豪族を中心とした身分制度「冠位十二階」を作り、内政 面もさることながらそれらを外交カードとして活用したと伝えられる。国内の統治を確立すると同時に、秩序、制度、法により国家の運営を執り行っている文明 国であるということを隋帝国に知らしめる必要があった、というような解釈がよくなされる。その一方で、「十七条憲法」は偽書であるという主張がある。「十 七条憲法」は厩戸皇子の作ではないと主張した津田左右吉の『日本上代史研究』は有名だ。しかしこの本は発禁処分となっている。

 このような活躍をしたとされる厩戸皇子ではあったが、その末期の死因については自殺説や他殺説がある。実のところは権力闘争、インテリジェンス活動の果てに窮して世を去らざるをえなかった側面が強いのではないだろうか。

 厩戸皇子の没後、厩戸皇子の一族はかつて皇子が加担した蘇我氏の手で滅ぼされている。しかし、その蘇我氏が滅ぼされた後の権力者の政治的意図によって、 亡き厩戸皇子は復権させられ、歴史編纂というインテリジェンス活動のなかで「聖徳太子」として美化、脚色され、物語化されていった。

 厩戸皇子はインテリジェンスを駆使したが、「聖徳太子」はインテリジェンス活動としての歴史編纂の過程で形作られたのである。その意味で非常にミステリアスな人物である。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第3講:厩戸皇子と遣隋使を巡るインテリジェンス:ITpro