「輪廻転生:<私>をつなぐ生まれかわりの物語」

カテゴリー : No book, no life.

読書の秋にふさわしい一冊の本が友人から届いた。

まれびと・奇(貴?)人の竹蔵史人氏が最近出版した「輪廻転生:<私>をつなぐ生まれかわりの物語」という力作だ。9月20日発行となっているので、今日はそれより4日ほど前になる。

できたてほやほやの新書からそこはかとなく沸き立つようなページとインクの香りが心地よい。

かなり前の話になるが、かの奇人と僕は東工大のとある大学院生向けの上田紀行教授の授業をいっしょにとっていた。授業といっても、学生はたしか4人しかいなかったので、毎回、ワイワイガヤガヤあの世、イタコ、魔術、悪魔祓い、生まれ変わり、聖霊、仏教、ダライラマ、神学理論などの議論に花が咲き、上田先生のオープンかつ談論風発を好む奇特なキャラも手伝って、知的刺激が横溢する豊饒な時間に満ちたクラスだったのだ。

それ以降、ソファに寝袋が無造作に拡げられ、カップラーメンのカラなどが転がっている西7号館の彼の研究室をふらっと訪ねては、霊魂の実在、生まれ変わり、スピリチュアリティなどいろんな話をしてきた。たまに呑んでも、だいたいこのような話題から逸脱することはなかった。この本のモトとなる彼の、丹念な考証と大胆な構成を展開する修士論文も読ませてもらい、静かに唸ったものだった。

さて、この本に俄然注目する理由を3点のみ書き留めておきたい。

一つめは、リベラルアーツの視点からだ。自由に、より善く生きるとはいったいどのようなことなのかに思索をめぐらせるうえで、この本はとても味のある触媒効果に満ちている。イビツな現代日本では、とかく隅っこの隅っこに押しやられ隠蔽されやすい死。だから視点を転換して、死ぬことを基点にして、その前の生を考える。ついでにその後の生も。これバックキャスティング思考の応用。

生まれ変わりに関する古代インドの動向や19世紀のフランスを中心とした心霊運動、そして現代のニューエイジ・ムーブメントが手際よくまとめられ紹介されている。オリジナルの修士論文とは異なり、かなりポイントを絞り込み、分かりやすく噛み砕いた説明になっていると思う。

幸い参考文献リスト(p217~)も充実しているので、それらをたよりに関連する文献を渉猟することもできるだろう。

二つめは、保健医療福祉マネジメントの視点。多死社会の到来、サービス経済化、資本主義の根本的変質を受け日本はケアシフトをとげつつあり、死生観もその例外では決してないのだ。死ぬことがすべてのthe endではなく、死後の世界を受けとめ、生まれ変わりを「心的な構え」として持つことは、キュア(治療)やケア(支えあい)にとって決定的に重要な意味を持つということだ。

死生観の構築こそが、生存転換の、そしてケアシフトの一大テーマを構成する。その際、本書で示されているように、宗教を問わず世界に広く受けとめられている輪廻転生、生まれ変わりのアイディアは新しい死生観の扉を開くことになる。

QOLの向上が見込まれない胃ろう造設術を無理やりやったり、治癒回復の見込みがないにも拘わらず投薬、手術などを過剰に行うよりは、緩和ケア的アプローチのほうが結果としてQOLの維持には資することが多い。「近代病に罹患した日本社会の末期症状」(p214)は案外、地域の病院の臨床現場において顕著だ。

その際の、輪廻転生という生き方・死に方というアイディアは「隠された医療資源」といっていいほどの意味を持つことになるだろう。さいわい本書でも丹念に分析されているように、日本には①再生型(p25~)、②輪廻型(p57~)、③リインカネーション型(p99~)の3種類の輪廻転生の物語、がいささか断片化しつつも文化基層に隠されている。これらを掘り出して、自分にふさわしい死に方、生まれ変わり方を構想するとき、本書は有用なガイドブックになること請け合いだ。

余談めくが、仏教看護のようなアプローチも、②輪廻型(p57~)を前面に押し出せば面白い展開になるだろう。

三つめは、東西古今にまたがる輪廻転生の文脈<コンテクスト>の脈絡だ。江戸時代の偉大な知性、平田篤胤が発掘しテキスト化した「勝五郎再生記聞」がラフカディオ・ハーン(小泉八雲)によって英訳され西洋社会に伝えられた。この英文テキストに接したイアン・スティーブンソンは、大いに触発され前世記憶の大研究に着手していったのだ。その後スティーブンソンはヴァージニア州立大学に篤志家の財政的援助を得て、輪廻転生、生まれ変わり研究の専門研究所、The Division of Perceptual Studies (DOPS)を設立しているのである。

秋の長夜、この本を片手に輪廻転生、生まれ変わりという観念が伝播していった東西古今のトラジェクトリー(軌道)に思いをはせつつ、ちょっと自分の生死を拡大して眺めてみるのも一興だろう。

 

看護サービスX情報学Xシステム思考

カテゴリー : イノベーション

Nursing Informatics at Kwantlen Polytechnic University

このところ、医療機関の現場や各地の看護協会での講演活動を通して看護と情報学(インフォーマティクス)、システム思考がますます接近していることを実感している。とくに倉敷中央病院で2日間カンヅメになって看護を含む多職種のチーム医療トレーニングをさらせていただいた時に強く感じた。

そもそも医療チームの中の看護業務は、患者の臨床情報のみならず、家族、社会における役割、死生観など非常に広範な情報(定量・定性ともに)を取り込むことによって成立している。「成立」というのは、以下のような一連のフローがアウトカムに集束して初めて成り立つということだ。とくに、近年アウトカム志向の看護サービスが強調されているが、情報の活用とは、成果にむすびついてナンボの世界だ。

さて、ここで注意したいのが、①データ→(意味づけ)→②情報→(編集・構造化)→③知識→(判断・行動)→④問題解決→(具体的な介入)④成果(臨床的効果、患者満足効果などのアウトカム)、という流れだ。(詳しくは拙著「看護経営学」などに詳しい)

ダントツに仕事ができる人たちは、どのような仕事でもこの流れを個人的に確立している。また、組織としても、この流れが組織学習として確立されることになれば、一段と高いレベルの組織の知恵にもなる。

ところが、看護の現場はさながらデータの洪水だ。バイタルサイン、各種検査データ、医師からの指示データ、患者の容態の時系列変化、じょくそうリスクアセスメント・・・数え上げたら切りがない。さらには、専門看護師や認定看護師になってくると、それぞれの専門分野ごとで扱う情報がガラッと変わってくる。同じ医師や看護師であっても専門領域が異なってくると話が通じない、なんてこともよくあることだ。

笑うに笑えない。データや情報に振り回されてしまい、知識、問題解決、成果といったより価値の高いフェーズにまでつながらないのだ。

そして、現代看護ではエビデンスとしての「記録」や問題解決志向(Problem Oriented)の記録といった情報の編集・構造化も強く問われている。行ったこと、考えたことをツラツラ書き記すだけの牧歌的な所感程度の記録はもはや過去の遺物だ。もっとも近年は、看護行為そして看護行為を記述する言語体系を標準化してゆくという動きも顕著である。

日本でも北米看護協会が提唱したNursing Interventions Classificationの日本語バージョンを導入・唱導する動きもあるくらいだ。すべての介入行為は標準的な言語で表現できるのか、という問いについては批判の俎上にあがることもある。たとえば患者の内面・実存的な苦しみ、そしてそれに対する介入の標準化は到底ムリで、だからこそ、物語り=ナラティブに注目すべし、との批判には一理も二理もあるだろう。

いずれにせよ、生成された知識をいかに判断と行動の、手段として活用できるのか、が問われているのである。つまり、具体的な問題が解決され、システムを介して何がしかのアウトカムが成果としてもたらされる必要があるのだ。

それゆえに、看護と情報学とシステム思考は親和性が極めて強く、また近未来の看護は情報学やシステム思考なしではまったく成り立たなくなるだろう。

医療の世界では、ウェラブルな生体情報センシングデバイスや臨床ビックデータの活用などというイノベーションが巻き起こりつつある。これらのイノベーションには大いに期待したいのだが、そのようなイノベーションによってもたらされる情報は、また新たな洪水を巻き起こすことになるだろう。

このような動向に対応するためには、それなりに新しい武器あるいはスキルセットが必要だ。それをひとことで言うと、「看護サービスX情報学Xシステム思考」である。

日本ではほとんど知られていないようだが、アメリカではこの方向での看護教育・研究のイノベーションが著しい。その。データ→情報のイノベーションにより効果的に対応して、知識→問題解決→成果という後半の流れの主人公である人間サイドのスキルセットを高めて行くというものだ。

たとえば、

デューク大学看護学部ナーシングインフォーマティクス

バンダービルド大学看護学部ナーシングインフォーマティクス

 ペンシルベニア州立大学看護学部ナーシングインフォーマティスク

 いずれも、「看護サービスX情報学Xシステム思考」を前面に打ち出したカリキュラムで勝負している。

ジャック・アタリ「ユダヤ人、世界と貨幣」

カテゴリー : No book, no life.

ユダヤ民族に関する日本人による言説には、荒唐無稽なもの、トンデモ系、根拠なしの陰謀論から無理やり演繹するような話が多い。そんなかなで、博覧強記の著作家ジャック・アタリによる「ユダヤ人、世界と貨幣」は出色の内容だ。比較宗教学、科学哲学史、経済史学、イノベーション論といったソーシャル・サイエンスの視点からも、じつに多才な切り口から多様でありながら、最後の結論に向けて一貫した議論が加えられている一冊だ。

ユダヤ人は、なぜイノベーティブなのか???という疑問、そして、そのイノベーティブさから何を学ぶことができるのかという課題を長年持ち続けている筆者の眼には、欧州屈指の知性と称されるジャック・アタリの、この大部な著作は、深遠にして後半な領域において示唆に富む。また、620ページにも及ぶ大作に、引用文献、参考文献として472項目にも及ぶ詳細な脚注がついているのも有りがたい。

<アルジェ出身のユダヤ系フランス人、ジャック・アタリ>

以下、エッセンスのみ。

マックス・ヴェーバーの「プロ倫」批判が冴えている。

・「ヴェーバーは、ユダヤ人がギリシア人やピューリタン以前にそうした倫理を発見したこと、貨幣の倫理は一つの構成要素にすぎず、ユダヤ人にとって経済活動は、神にいたる重要な手段であり、個人の自由意志は偏在し、彼がまったく間違って「ユダヤ的集団の贖罪の論理」と呼んでいるものとまったく関係がないことを理解していない」p420

・「ノマードがいなければ定住者もいない」p597

・「ユダヤ人はほぼ3000年、旅人によって行われる3つの仕事を行ってきた。すなわち、①発見、②結びつけ、③革新である。こうした貢献がなければどんな開かれた社会も生き延びることはできなかっただろう。p599

①発見すること

・「最初の発見は神の単一性の発見である。このような発見はノマードでなければできなかった。旅をすることで、彼らは多くの神々を伝播させた。伝播させることで、結局種云の神々が一つの神に溶解していったのである」p599

・「多神論が唯一神に置き換えられたように、貨幣が物々交換に取ってかわる」p599

・「抽象の発見と同時に普遍の発見によって、ユダヤ人は科学的方法論の発見へ導かれていった」

・「金融によってユダヤ人はリスク評価、言い換えれば時間の冒険に結びつくすべての仕事に従事している」p601

②結びつけること

・「ノマードは読めなければ結びつけることができない。ユダヤ人こそ、その最も古い執筆者である、書き言葉の表現様式は、ユダヤ人にとって非常に重要である」p601

③発明すること

・「一度定住者に認められ、定住者の民族を相互に結びつけることで、彼らはそこで見つけたものを、別のもの、商品、資本、思想に変える」p602

・「発見し、結びつけ、発明する、この三つの役割は定住者の経済のために重要なものとなる」p603

・「外にディアスポラを持たない国、自国から他国の人々を追放する国は衰退する」p603

 

                            ***

 

 ノーベル賞受賞者の20%、フィールズ賞受賞者の25%を占めているユダヤ系。本書を敷衍するに、畢竟、ノマードでいつづけることが、実にイノベーションの有用な一つの源泉なのである。発見し、発見したものを結びつけ、さらに発明にまで昇華するというトランスレーショナルなふるまいこそがイノベーションの原点なんだろう。そしてそのトランスレーショナルな過程で得られる抽象化と普遍化への衝動がサイエンス<学問>を発展させる。

ノマードとはほぼ対極の島国ニッポンの蛸壺と変した閉鎖系のなかで繰り広げられているイノベーション論のなんと陳腐かつ貧困なことか。

カテゴリー : アグリ・農的あれこれ

File:Carbon cycle-cute diagram.svg

炭素循環農法(略して、たんじゅん農法、Carbon Cycle Farming)を実践している方がいるというので、佐倉の多菜園さんを訪問してみた。

興味津々。

無農薬の畑の土を菌や微生物でいっぱいにして、美味しく安全な野菜などを栽培するときに、一部のイノベーティブな就農者、つまりアーリーアダプターから注目されている農法だ。逆に言えば、大半の慣習農法を採用している農家からみれば、わけの分からない得体の知れない農法だろう。

具体的には木質チップ、おがくず、きのこの廃菌床などの炭素資材を畑に深く入れ込むことにより、土中の糸状菌(きのこ菌)が活性化してバランスのとれた微生物層を作る。そのパワーのお陰をいただいて肥料・農薬を使わないで野菜を栽培するというもの。

土中の微生物は、炭素資材を餌にしながら、土を団粒化していく。土が団粒化(こまなかお団子のようなもの)すると、通気性や通水性、保水性も改善される。また、逆に解体・分解作用を持つ微生物もいるので養分循環も創発する。そして、水源涵養などにもつながり、安全で美味しい野菜ができる。

多様な微生物による関係性のネットワークを畑の土のなかにつくっていくというものだ。60兆個の細胞から成る人間の腸には1000兆個もの菌が棲息してバランスをとっているが、たんじゅん農法を効果的に活用する畑の土壌のなかも似たような構造なのだろう。

畑の土壌は、野菜にとって腸の中の食糧のようなものかもしれない。

事実、「以前は大雨が降ると、雨水が表土の上を流れていったが、たんじゅん農法を採用してからは、すべて雨水は土壌の中にしみこんでゆく」そうだ。採れる野菜はぜんぶ生き生きとし、美味しくなったそうだ。

さて、土中での役割の終わった炭素は、大気中に炭酸ガスとして放散される。そして、草木の光合成により再び固定されてゆく。このように炭素は畑の土壌、植物、それらに関わるすべての多様な生物を介して様々な効果を生み出しながらグルグル循環してゆく。

ところが、慣行農法で肥料を使いすぎると、土壌は腐敗型に傾きやすい。その結果、虫がつきやすくなるし、その結果、農薬を使いがちになってしまう。すると、野菜は汚染され、肥料・農薬の味がする野菜となってしまう。

負のスパイラルにいったん入ってしまうと、なかなかそこから抜け出せない。正しいスパイラルにはいるためには、初めが肝心なのだ。

 

 

起業寺子屋

カテゴリー : アントレプレナーシップ

起業&社会イノベーションに関するリソースを「起業寺子屋」のページで整理・整頓しました。教材、方法論、論説、新聞記事まとめ、実践事例、カリキュラム、経産省から認定・支援してもらったベンチャービジネス戦略論など、よりどりみどりです。

フィンランド産業のコメは起業&イノベーション

カテゴリー : アントレプレナーシップ

ムーミンを生んだ国、フィンランド・ウオッチャーとしても今年は記念になる年だ。

Global Competitiveness Report 2012-2013によると、フィンランドのThe Global Competitiveness Indexは堂々の世界3位だ。日本は10位。フィンランド国内の市場は小さく世界54位、日本は4位。フィンランドはのHigher education and training は世界1位、日本は、21位。フィンランドのイノベーションの活発度は、世界2位、日本は5位である。

人口5.6百万人のコンパクトな国ながらも一人当たりGDPはUS$49,350。フィンランドが「産業のコメ」として重視しているものが、起業とイノベーションである。コモディティ化した鉄や半導体ではない。起業とイノベーションが、フィンランドの産業社会を駆動するエンジンだ。

OECDは政策策定や評価にあたって、起業とイノベーションを表裏一体のシステミックな社会的な現象ととらえていて、起業政策とイノベーション政策を隣接した位置づけで括っている。

300万人~1000万人の人口で、国内経済規模は小さく、人件費は高く総じて高コスト体質。でも高コスト体質をカバーする高い付加価値を生み出す高生産性のヒューマンリソースをしっかり育成している国が、現在の高付加価値先進国だ。そのような国は、ビジネス環境、住環境ともに良質で、世界のグローバル企業の幹部、研究者、起業家、留学生、専門職を吸引することができる。

そして、これらのリソースを活用して高い付加価値のモノコトを創りだして、世界に向けてブランド、ソリューション、人材を送り出すことができるのが、高付加価値国家の姿だ。

フィンランド以外にも、スイス、スウェーデン、デンマーク、シンガポール、ニュージーランドなどが入る。これらの国々は、脱工業化しており、ヒューマン・サービス先進国でもある。

ちなみに、目利きの大前研一氏も、これらの高付加価値先進国に注目しているようで、最近、「クオリティ国家という戦略」という本も出している。

大前さんの本には、詳しくは書かれていないことだが、このようなコンパクトな先進国が政策的に重視しているものが2つある。高付加価値国家の「産業のコメ」--それはコモディティ化した鉄や半導体といったモノではなく、起業とイノベーションだ。とくにノルディックの国々は、サービス先進国なので、必然的に、ヒューマン・サービス分野の起業、サービス分野のイノベーションに重点が置かれている。

起業政策(Entrepreneurship policy)とは、主に新しい起業家の出現および新しい企業のスタートアップや成長を促進するサポートシステムや環境作りに関することである(Lundstrom and Stevenson 2002, 2005)。かたや、イノベーション政策(Innovation policy)とは、新たな知識の創造、政府によるイノベーションへの効率的な投資、知識や技術の普及に向けたイノベーション・システムにおける各プレイヤー間の結合の改善、経済価値やビジネスとしての成功に向け知識を変換させていくための民間企業へのインセンティブの設定に関することである(OECD2002, p19 Commission of the European Communities)。

よく知られてるように、フィンランドはGDPに占めるR&D費用の割合も高く、また失業率も近年は下がっているようだ、ところが、1990年代より上記のような起業家政策を増加させているにもかかわらず、初期段階の起業活動は活性化していないようだ。

さらに、フィンランドの起業家は他の北欧諸国と比較して成長志向に乏しいとも言われている。起業の環境は整っているが、フィンランドは起業および高い成長志向の文化を促進することに成功していない、との批判もあるようだ。

いずれにせよ、国と国、地域と地域の社会制度、パフォーマンスを比較考量するデータは、20年前の比でない。マクロ的なデータによって俯瞰して、聞き取り調査、フィールド調査によって個別の事情に分け入っていけば、短期間に面白いリサーチができそうだ。

 

日刊工業新聞連載コラム「異見卓見」もくじ

カテゴリー : イノベーション

約半年間連載していた新聞記事をまとめて、もくじにしておきます。拙論を発表する機会を与えていただいた日刊工業新聞さま、ありがとうございました(^∀^)

日ごろ、問題意識を持っていると自覚していることも、いざ、文章を書きはじめて記事原稿にしてみると、その問題意識がぼやっとしていたり、整理整頓されていないことが多かったのです。おおいに反省しました。

執筆依頼はfacebook経由からです。そんな流れもあったので、facebookでちょこっと問題を提起して、いろいろな意見を募ったり、井戸端会議に付き合ってもらいました。そこでの楽しくも知的刺激に満ちたワイワイ、ガヤガヤ、けんけん、がくがくが新聞記事になったという感じです。結果として、アイディアを濾しだしたり、イシューをまったく別の角度から見ることができて、よかったと思います。

新聞記事やブログは、どちらかというと、一方通行的なメディアになりがちです。でも、SNSは使い方によってはアイディアや関係性を創発させるためのメディアとなるでしょう。面白いですね。

第1話 「市場創造、裏舞台に注目を~ものことつくり経営~」

第2話 「地縁、血縁、社縁の復興を~社会イノベーションのすすめ~」

第3話 「アフリカに広がる5S・改善~日本が忘れた有効性伝搬~」

第4話 「出る杭に起業パワー: 創造的奇人変人のすすめ

第5話 「文明転換期のモノコト作り~サービス化する製造業

近畿中央病院での講演@サンシティパレス塚口

カテゴリー : ものつくり

ちょっと前の話(2012年3月17日)になるが、近畿中央病院から招待講演に呼ばれた。その近畿中央病院は、すぐ至近にある高額所得者(ストック面)向け介護付き有料老人ホームのサンパレス塚口と、「医介連携」を行っている。その流れで、近畿中央病院での僕の講演がサンパレス塚口で行われたのだ。

格差が拡大しつつある社会において、ストック、フロー両面で裕福な階層にターゲットを絞り込んだ介護付き有料老人ホームである。入居者には、関西財界で名の知れた企業の元社長、役員が多いという。

設計はすべてアメリカのランドスケープアーキテくトを起用し、日本にゴマンとある介護付き有料老人ホーム特有の無機質なクササを排除し、高級ホテルのアメニティを彷彿とさせるシックでエレガントな雰囲気に満ちている。壁、窓、調度品、庭にいたるまで、一貫性のあるケアリング・コンセプトで、デザインされている。

講演会の前の晩と翌日の朝食は、サンパレス関塚の運営会社ハーフ・センチュリー・モアの社長、金沢有知さんとご一緒した。有知さんは金沢富夫氏の息子さんで、その昔、アメリカに渡る前、僕は金沢富夫氏が経営していた会社に勤めていたことがある。

そんなことから、温故知新となったのだ。

さて、入居者は、孤独になりがちだという。いかに、信頼、相互扶助、絆といったソーシャル・キャピタルを入居者間、そして入居者の従業員のネットワークの中に共創(co-create)していくのかが今後の課題だと伺った。そのために、CRM(カスタマー・リレイションシップ・マネジメント)システムなどを導入して、従業員の間で、個々の入居者の生活ログなどを共有してキメ細かなサービス開発の途上にあるそうだ。

高齢化が急速に進む一方、格差も拡大している日本。ここに入居している方々は、そんななかで、なんとかシノギきり、潤沢なストックを活用して、人生の折り返し地点から後半のライフスタイルを良きものにしたいと願う階層が中心だ。

サンパレス塚口は、そのようなニーズに対してのサービス・オファーリングである。

介護と、まちづくり、地域開発は、従来、まったく個別に行われてきたが、ハーフ・センチュリー・モアの取り組みは、なるほど、自由市場における民間イニシアチブによる、それらの統合という面がある。介護サービスのトップニッチ市場での、ひとつのケアサービスイノベーションの試みなのだ。

                                                 ***

ここでのケア・サービス・イノベーションの姿をちょっと一般化してみると:

ケアシステム=(モノ、コト)

Care System = ( Creating thinghood,  Caring relation )

where,

モノ→ハードウェア→ ケアリング・デザイン&アメニティ・デザイン

 (建物、屋内外施設、部屋、風呂、廊下、中庭、ガーデン、図書室、レストラン、ティールーム、などなど・・)

※ケアシステム実現のためのモノツクリの課題

コト→関係性:ソーシャル・キャピタル→ ヒューマン・サービス・デザイン&ケア共創のための関係性マネジメント

 (入居者間関係、入居者従業員間関係、地域の医療機関間関係・・・・)

※ケアシステム実現のためのコトツクリ=関係性つくりの課題

                                                 ***

・・・のようになるのではないか?

いずれにせよ、古い記憶がよみがえり、新しいモノゴトのシャワーに触れたような、とても印象深い講演だった。

 

複雑系適応システムズ(complex adaptive systems)

カテゴリー : No book, no life.

複雑系適応システムズ・・・

複雑性はそれを見る人の目のなかにある・・・と言われるように、システミックなモノゴトを見る時には「構え」が本質的に大事になってくる。

2011.3.11の3日前のことだ。東工大の木嶋先生に呼ばれて、THE FOURTH ANNUAL WORKSHOP AND OPEN SYMPOSIUM ON SERVICE SYSTEMS SCIENCEに参加させていただいた時に、Mary C. Edsonさんと知り合った。

聞けば、学部はCornell hotel admin.ご出身とのこと。彼女が、COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS についてピリッとした秀逸なペーパーを書いている。しばらくして想い出し、一読。う~ん!こういうまとめ方、あったんだ。

SUMMARY OF THE FOURTH ANNUAL WORKSHOP AND OPEN SYMPOSIUM
ON SERVICE SYSTEMS SCIENCE AT TOKYO INSTITUTE OF TECHNOLOGY
Kyoichi Kijima, Ph.D. and Mary C. Edson, Ph.D. Tokyo Institute of Technology, Department of Value and Decision Science, Tokyo, Japan

Mary C. Edson:GROUP DEVELOPMENT: A COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS PERSPECTIVE

Mary C. Edson:A COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS VIEW OF RESILIENCE IN A PROJECT TEAM

 

院内起業家だらけのワクワク府中病院

カテゴリー : アントレプレナーシップ

(2012/02/03 医療サービスマネジメント調査でインタビュー)

病院っていうのは、ワクワクするような所ではない。医療崩壊が喧伝される昨今、そこで働く医療スタッフも疲れ気味だ。でも、生長会府中病院のスタッフはとてもイキイキしている。それが一歩この病院に足を踏み入れた時の第一印象。

それもそのはず、5000万円もの大金をかけて、スタッフがツアーを組んでフロリダのDisney Landまで行って、カスタマーサービス、サービスシステム、サービスの進化のさせ方、コミュニケーションなどを実地に学んだそうだ。(いいなあ)

現場がエンパワーし、ワクワクしている。そのカギは、TQM(Total Quality Management活動)のシステムのかませ方だ。TQMが院内起業家(In hospital entrepreneur)の孵化器のようなハタラキをしている。そして、ワクワク人材が、ヤラサレ感覚なく成果を着実に出している。

<出所:府中病院資料>

この病院には、「サービスクリエーションプロジェクト」(Service Creation Project)なるものが動いており、人材→ソフト→職員部門、建物→ハード→環境部門、業務→プロセス→業務部門、顧客→アウトカム→顧客部門というように大きく分けて、教育チーム、表彰チーム、美化チーム、QC推進チームが活動している。2001年から開始し、2010年には112ものQCサークルが活発に蠢いている。

①抗ガン剤に関わる業務統一化、②産科外来のシステム変更(助産師のスキルアップ→医師と助産師の交互診察システム→助産師外来2診体制)③Drug information業務の標準化など、ボトムアップ、ミドルアップ、トップダウンの上下循環運動、せめぎ合い運動で成果を生んでいる。成果を出すために動いてみる→試行錯誤する→改善する→成果が出る→成果を計測しフィードバック→新たなテーマアップ、というサイクル。

<出所:府中病院資料>

カサカサに形骸化した目標カンリではなく、むしろ、サービス・アクション・リサーチサイクル(service action research cycle)が、5S、TQM、目標管理というツール系のプラットフォームの上で躍動している。

大半の医療機関では、5S、TQM、目標管理などに取り組みながらも、いわゆる「上からのお仕着せ」感覚、「ヤラサレ感覚」で動いているので、アクションリサーチのサイクルが回っていない。

もっとも、医療機関はサービス組織なので、バリューチェンはものつくり製造業のように長くはなく短い。なので、異なった職種間や部門間のダイナミックなネットワーク(dynamic networks of interactions)ができれば、カイゼンはそんなに難しくない。難しいのは、融通無碍なごちゃまぜネットワークを組成させることだ。

組成させるって書いてしまったが、実は、組成させるんじゃなく、自然に組成させる・・・つまり、自己組織性原理をいかにイキイキ発動させるのかがキーポイントだ。このようにして、府中病院は、既存のマネジメントツールをみんなで使いこんで、複雑対応的組織として進化している。

病院というサービス組織を複雑対応的組織に進化させてゆくためのヒントに充満している。

 

 

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(2)~知床峠から相泊へ~

カテゴリー : イノベーション

翌日は早朝から知床峠アタック。前半戦で狩勝峠、足寄峠、美幌峠などをクリアはしているが、この峠は甘くはない。なにせ、海抜0mから700m以上へと一気に高度を増してゆくからだ。

知床峠は、目梨郡羅臼町と斜里郡斜里町とを一気に結ぶ国道334号、通称「知床横断道路」の峠で標高738 m。峠からは北東の方向に間近にそびえる羅臼岳や、天気がよければ、海の向こうに国後島を望むことができ、知床八景の一つとされている。

でもあいにくこの日の知床峠は乳白色のガスの中・・・。

サイクリストにとって知床峠は高い人気を誇る。否、サイクリストによっては北の宗谷岬と並び称して「聖地」とまで呼ぶ。なるほど、「聖地」という呼称はあながち誇張ではないと思うのだが、知床横断道路を境にしてその東北方面の人がほとんど立ち入らない地域こそが真の聖地なのだ。

だからこそ、われわれは、その聖地に脚を踏み入れるべく、知床峠の向こう側から3人パーティーを結成して知床岬に挑むのだ!

            ***

峠を下って途中、熊の湯の熱い湯につかって知床峠の疲れを癒す。ここ、硫黄の温泉で地元の漁師さんをはじめ、ライダー、チャリダーにとって至福の場所だ。

メールで連絡をとっていると、羅臼からパーティーを組んで知床岬まで一緒に行動を共にするY君は、一足早く羅臼に着いたことが判明。

羅臼ネイチャーセンターで、プロのネイチャーガイドの桜井氏(知床ファクトリー代表)とY君と無自合流!

ハグXハグ♡♡♡

さあ、ここからは3人パーティーだ!

<相泊から先は道路はない>

羅臼の町から北へ20kmほど走ると、そこは相泊。ここから先は道はない。最果ての集落だ。相泊というと、チャリダー、ライダーの間では、「熊宿」が有名だ。ところが、こともあろうに、その熊宿の名物主人の方が病を得て、昨年なくなってしまったという。(合掌)ここから先は道路はない。

ともあれ、札幌からずっと道を走ってきて、ここで道は終わった。

 

自転車を相泊にデポして、明日からは海をシーカヤックで、知床岬までの海岸線を人力=徒歩で移動する。

 

いよいよ、この人力移動の旅は佳境に入ったのだ。

元来、探検とはイノベーティブな行為だ。異質なモノゴトの新しい組み合わせがイノベーションの端緒であるのなら、自転車XシーカヤックX徒歩という組み合わせは、十分イノベーティブだと思うのだが、さて。。

<相泊温泉>

長年、訪れたかった相どまり温泉。

見ての通り、海岸に掘立小屋をしつらえただけの簡素は作り。

硫黄と海水がほどよくまじりあった絶妙な泉質。

 

                          ***

さて、今回のexpeditionが一気に具体化したのにはあるきっかけがあった。

今年の寒い頃に広島と愛媛をむすぶ、「しまなみ海道」を自転車で走った時に、因島の民宿で同宿したサイクリスト氏が登山もよくする人。そのサイクリスト氏とビールをいっしょに飲みながらアウトドアの話に花が咲いている時に、彼が、おもむろに知床岬への海岸線縦走を果たしたというう話をし始めたのだ。

それまで、過去20年間以上、知床岬はいつも頭のどこかにありつづけてきたのだが、しかし、しまなみ海道で遭遇したサイクリスト氏の知床岬への冒険談には心底惹かれるものがあり、その後、彼とメールでやりとりして、プロフェッショナルなnature guideを紹介してもらったりしたのだ。そしていきついた先が、知床ファクトリーの桜井さんだったのだ。

ああ、不思議な御縁!

 

<ライダーハウスMAX>

そんなこともあり、われわれは、相泊の多少羅臼側にあるライダーハウスMAXに転がり込む。

ここに一泊。

屋根がある所はいい。

看板の英語、ちょい意味不明だが・・・

 

<相泊のライダーハウスMAX前の浜で 桜井さん、小生、Yくん>

明日からの行動予定についてミーティング。

ワクワク、ドキドキ・・・

 

<陽気なオジサンたちとの飲み会>

相泊の温泉といえば、そう、相泊温泉。潮風に吹かれながら、あの狭い湯船につかって、今日二度目の温泉。ああ、幸せだ・・・。

さて、ライダーハウスでは夜は、同宿者同士で宴会となる。ごたぶんにもれず、この夜も宴会。聞けば、陽気この上もないおじさんたちは札幌から車で走ってきて、明日は釣りだという。意気投合して、ビールにはじまり、ウイスキー、焼酎とひたすらお酒をふるまってくれる。

ありがたや。最後は、「カレーがあるから食べなよ」ということで、カレーまでご馳走になってしまった。旅は道づれ世は情けか。

釣りをするバカ、自転車に乗るバカ、知床岬まで人力でゆくバカ。

そう、バカが集まるとひたすら楽しいのだ。

            ***

フランスの作家アンドレ・プレヴォの言葉を引いておこう。

「旅するおかげで、われわれは、自分たちのことを確かめることが出来る。たとえ各民族に国境があろうとも、人間の愚行には国境がない。」 

そう!越境する愚行にこそ、真の楽しさがあるのだ。

もうひとつ、米国の政治家、起業家のロイ・M・グッドマンは、こう記している。

「幸せとは、旅の仕方であって、行き先のことではない。」 

幸福とは、人生の旅の終着点にあるのではなく、その旅をどのようにやりとげるのか、その過程、プロセスの中にこそ、存在するということなのだろう。

旅の方法を変えてみてこそ、新たな発見や出逢いがある。旅での新たな邂逅、発見、未知との遭遇、それにどう反応し、どう心動かされ、そして、その幸せを自覚するか否かは、はやり自分次第ということなのだろう。

明日からは自転車を降りて、シーカヤック、そして徒歩による知床岬への縦走となる。たしかに、目標と定めた行き先は知床岬だ。でもそこに至る道程に、どのような情景、困難、感動、出逢い、がわれわれを待ち受けているのだろうか?

そう思うと、遠足を翌日に控えた小学生のように、なかなか寝付かれないのであった。

つづき>>

 

Tech X Entrepreneurial X Community X Design

カテゴリー : イノベーション

コーネル大学は卒業生コミュニティとのコミュニケーションに力を入れていて、定期的にAlumni向けの大部な雑誌を送ってきます。上は、そのなかのひとつでLinkというHuman Ecology学部のAlumni向けの雑誌です。

特に卒業生のactivityをしている記事が面白いです。大学の成果には、学術論文、知的世界への貢献、教育研究活動などいろいろがるが、世界にちらばって活躍しているvisualな卒業生という存在を抜きにはできません。

当たり前ですね。

で、けっこう驚いたのが、卒後5~20年でいろいろ活躍している人達の仕事の中身の特集。これがまた面白い。

オーガニックフードの熱狂的陶酔者として、だれにでもできるオーガニックフードのレシピを開発して、何冊かの著書を書き、参加型コミュニティを創って多地域にスケールアウトさせているAllison Fishman ’94。

医科歯科志望学生のための医学部、歯学部のinside report(現役の学生がレポートしてそれを編集するスタイル)を一冊の本にしてベストセラーにして、ロースクール向けの同様の本を書いて二つの山を当て、今はオンライン出版のstartupを経営しているBruce Stuart ’86。

環境保護運動で反州政府活動のコミュニティを地道に20年以上つづけ、とうとうメリーランド州の法律改定にまでこぎつけた研究者のGablielle Tayac ’89の物語などなど。

見えてくるのは:

 

   エッジが効いた専門性 

     X 

    起業家的チャレンジ 

          X 

    コミュニティ創発 

          X 

 クリエイティビティの発露としてのデザイン

    X

   (自分情報の発信)

    X

    (ギリギリ世の中に受け入れられるエゴの境界設定)

      

(健全な承認欲求と自己抑制)

 

….で周りの世界にengageしてゆくというキャリア開発の方向性。

どこぞの大企業や官公庁に入って苦節20-30年、やっと役員になりました、社長になりました、局長になりました、大臣になりました、パチパチと拍手ご喝采的なキャリアの人は、リスペクトもされないし、憧れの対象ともなりません。

おきまりの大企業、官公庁、国際機関で働くってことは、もはや(というか30年以上も前から)inでもtrendyでもないのです。そうではなく、edgeが効いた専門性を活かして、entrepreneurとして「自分というパッケージ」を編集して世の中にエンゲージしていく、そしてフラックス(flux)、つまり、とめどもなく流動的な状況の中でも流されずに、フラックスのなかで文脈をつくり楽しめる人。

そういう物語りを描きたい人に大学に来てほしいし、卒後、そうなるのがいいですよ、、というメッセージなんですね。

この雑誌のオンライン版もあります。

 

ボルタ君、「ものこと」つくり、町おこし

カテゴリー : ものつくり

ボルトならぬボルタ君というそうだ。室蘭へ行った友人からのお土産。ボルトを加工していろいろな造形を試みる。たとえば上の写真は「自転車に乗るボルタ」。

サイクリストの僕にとっては、大変うれしいプレゼントなり。

このボルタくん、実は、室蘭市民、道民、いや全国からも熱いまなざしが注がれ、大注目を浴びてきている。2005年12月 に試験販売を開始、2006年4月に20種類500個限定で第1弾の本格販売開始、 それ以降、ほぼ毎月1日に5種類のボルタを発売してきているという。最近のボルタのバリュエーションはこちら

2007年9月には100種類のボルタくんが完成したそうだ。

さて、ボルタくんを考案したのは、室蘭工業大学に通っていた二十代男性だそうだ。当初、その男性は、遊び心半分くらいで「アイアンフェスタの体験溶接」で製作したことにはじまり、そのサイズを3分の1ほどに小さくしたのが今のボルタシリーズ。

ボルタプロジェクトの面白いところは、ボランタリーなバリューチェン。「ものつくり」にこだわり過ぎて失敗することが多いなかで、ボルトの取り組みはいささか趣が異なる。

学生や商店主、市内公務員、製鉄所職員、ウェブデザイナーといった様々な立場の市民が、企画担当、開発担当(大学)、製作担当、マーケティング担当、PR担当、販売担当というふうに加わっている。「モノ」だけではなく、いろいろな「コト」が人を引き寄せ、バリューチェンを創っているところが面白い。

今ではNPO法人テツプロ(つのまちぷろじぇくとボルタ工房)がバリューチェンのマネジメントを行っていて、ボランタリーかつオープンな価値連鎖を目指しているようだ。プロダクトは単純素朴ながら、オープンイノベーションの一つの姿を見る思いがしなくもない。

思いは、室蘭を元気にする、いろいろな人に親しんでもらえる町おこしだそうだ。それやこれやで、2006年7月にはボルタ工房を設置。また、製作が追いつかずにパート・アルバイトも募集したという。

武骨で無異質でお堅いイメージのあるスチールプロダクトが、ちょっとした工夫で、みんなの参画を得て、なんともいえない愛らしいものに生まれ変わるという意外さとあいまってボルタ人気は急上昇。

医療サービス:新しい5S-KAIZEN-TQMの展望

カテゴリー : イノベーション

5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)というと、ブリヂストン(当時はブリヂストンタイヤという社名でした)の新入社員研修で工場にカンズメになって教えられた思い出があります。そこでは、現場の精神だ、改善だ、などと教えられ、あまりいい思い出はありません。実際、勤務時間が終わったあとで「5S-改善運動」が行われていたので、人一倍批判精神旺盛な私は、テイのいい労働強化、生産性向上への誘導策、集団的洗脳だな、と勘繰って、この運動を見ていました。

もともと終身雇用や年功序列は好きではなく(念のため個人的嗜好の問題です、労働経済学的にはその効用を認めています)製造業のなんたるかを経験してみたいという不純な(?)動機で、この企業に勤務しはじめたので、早々にそこでの仕事を切り上げ、数年後にコーネル大学大学院へ留学しました。

それは86年のことでした。GEMBA KAIZENで著名な今井正明氏がコーネル大学ビジネススクールに特別講義のために訪れ、その講義の後の立食パーティで5S-改善についてじっくり意見交換したことがありました。(資料1:最近の今井氏のインタビュー、資料2:出版物リスト

Masaaki Imai is the founder of our company Kaizen Institute and author of two classics on lean management, Kaizen: The Key to Japan’s Competitive Success and Gemba Kaizen: A Commonsense, Low-cost Approach to Management he is working on his third book which addresses the leader’s role in making operational excellence sustainable. He travels the world doing gemba walks and speaking about kaizen.

当時は、日本企業が日の出の勢いで米国市場を席巻しており、日本脅威論までまことしやかに議論されていました。また米国政府のなかに、日本企業研究のためのタスクフォースが創られ、日本企業の分析が本格的にはじまっていました。

一介の大学院生という身分でしたが、「日本の製造業の批判的勤務経験がある」という珍奇な理由で、コーネル大学ビジネススクールで「日本的経営」についてのレクチャーを1コマやらせてもたっらことがあります。その中で、私が強調したことは:

・たしかにKAIZENは、継続的な品質向上には有効な手法だ!

・しかし、それは年功序列や終身雇用とパッケージになった手法なので、雇用状況が異なる米国には適用できない!

・KAIZENは品質進化の方向を固定するという反作用があるので、抜本的なinnovationとは異なるものだ。むしろ、現場改善にさほど熱心でなく、新規事業創出やアントレプレナーシップの基盤がある米国企業のほうが、innovation志向ではないのか?

・GEMBA KAIZENはoperation-wiseには有効だが、戦略(Corporate strategy)には統合されがたい!

・むしろ、日本企業は、KAIZEN-TQMをパッケージ化した現場よりの「戦略」のため、固定的技術軌道に陥る可能性がある!

という話をしてずいぶんと物議をかもしだしたものです。

さて、時はめぐって2010年代。日本の医療サービスの現場はおろか、アフリカ、アジアなどでも5S-KAIZENが燎原の火のように普及しつつあります。私自身も、なぜか医療機関に対して、5S-KAIZENを指導する立場になってしましました。あんな毛嫌い(?)していた5S-KAIZENなのに、人生不思議なものです・・・。

そんななかで、少々、若気の至りを自己反省をしながら、最近マジメに考えたことをまとめてみます。

                     ***

日本産業を下支えしてきた5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)、改善、TQM(総合的品質管理)が、日本の医療サービスのみならず、アジア、アフリカにまでも浸透しつある。筆者は、日本、スリランカ、コンゴ民主共和国の医療現場を訪れて、5S-KAIZEN-TQM活動に関する調査を行った。本稿では、そうして得られたこの運動が持つ普遍的な有効性に関する知見を共有したい。

 ①真の参加(participation)

この運動には受動から能動へ、心のベクトルを変える作用がある。特に、整理・整頓・清掃はだれにでも出来て、成果を体感することができる。従来のアフリカの健康・医療サービスの現場では、言われてもやらない、現場の物品を盗むことなどが多発していた。また日本でも、「やらされ感」が蔓延して能動的に現場を改善できない職場が多いが、この運動は、どのような状況でも、関係者の「参加」を引き出すことができる。

 ②内発的報酬系の刺激(intrinsic reward)

旧植民地そして今でもアフリカ諸国で幅を利かせるマネジメント手法は欧米系のものである。また日本においても、脱年功序列の掛け声のもと「成果主義賃金」が導入されて久しい。そこでは個人や組織の実現すべき成果を事前に予定し、実現された際には個人や組織に対してインセンティブを与えようとする。外発的報酬が過度に操作的に運用されると、充実感、達成感、やりがいなど内側から湧き上がる内発的報酬が枯渇する。この運動は、関係者の内発的報酬系を刺激する。

 ③アクション・リサーチのループ(action research loop)

問題だらけの個人、職場、地域にはたらきかけ、その結果を五感で受けとめ、さらに改善を加えてゆくというポジティブなサイクルの中に心身を置くと、心身は気持ちよくなり楽しくなる。システム科学の知見でも、このようなアプローチは、ソフトシステム思考のアクション・リサーチ手法として注目を浴びつつある。

 ④動学的メンタル・モデル(dynamic mental model)

経営は、人、モノ、金、情報、空間、時間の編集作業だが、この運動は、経営諸資源の相互関係に埋め込まれている「意味」を紡ぎだし、気づかせる働きがある。その気づきが、小集団、業務改善グループ、インフォーマルグループなどの小組織から、公式的な大組織へと展開される自己組織的運動のなかで、行動様式(ethos)としてメンタル・モデル化される。他者、自己の成功体験が物語として累積的、動学的にメンタルモデルを強化することになる。

 ⑤自己組織化(self organization)を支援

医療サービスには以下の特性がある。すなわち、各種ステークホルダが経験を共有してサービスを創る(共創性)。モノとして後に残らない(瞬時性)。医療チーム、患者がともにかかわってサービスは高度化する(共進性)。あらゆる場でサービスは創発され伝搬する(偏満性)。健康医療サービスを扱う組織は、自己組織的であり、5S-KAIZEN-TQM運動は、この方向性をサポートするものである。

 我が国医療マネジメント、とくに、医療機関マネジメントの今後の展開を模索するにあたり、以上の示唆は新しい方向性を提供するものであると考えられる。

シュタインバイス大学のアウトリーチ活動と英語

カテゴリー : イノベーション

Steinbeis UniversityのMaster of Business and Engineeringの学生とファカルティ・メンバーが来日したおり、講義を2コマしました。テーマは、Innovation and Marketing: A Cross-cultural Comparisonというテーマです。

シュタインバイス大学は、ミッションにknowledge and technology transfer partnerと謳っているように、ドイツにおける産学連携スキームのプラットフォーム的役割を果たしています。

さて、今回の研修プログラムは、シュタインバイス大学と東京農工大学の学生、社会人が一同に会して約1週間、多摩地域のベンチャーやスタートアップスのフォアフロントでインタビュー、ディスカッションし、戦略提案をまとめるという企画です。プログラムそのものがアウトリーチ活動であり、かつ、アクション・リサーチのコンセプトでデザインされていて、どの学生もとても熱心に参加していました。

ドイツの学生は、質問、コメントなど、大変積極的でうるさいです。それに比べ日本人学生は静かです。

クラスの中で生産的な質問をする、コメントを加える、異なった見方を提供するというのは、知的生産のため重要なことです。このようなことがらは、dialogueに価値が置かれている西洋社会においては自明なことです。

ドイツの哲学者Hegel(1770-1831)は、dialogueを定立(thesis)-反定立(antithesis)-綜合(synthesis)の連続体としてとらえ、ここに弁証法理論が打ち建てられました。日本語では、はしょって正・反・合と簡単にいいます。

ドイツ人学生と接していると、弁証法理論が、そこはかとなくコミュニケーションの土台を支えているように思えてなりません。

ところが、日本では、dialogueそのものが重視されていません。極東の島国の言霊文化は、阿吽の呼吸、以心伝心、同調圧力、同質性志向が中心であり、そもそも、弁証法的な対話文化が希薄です。

そして、異質なことを言う、異なった意見を開陳する、ということが非同調的とみなされます。同調圧力が、日本人が居合わせる場、そして場を支配する空気(ニューマ)にははたらきます。でもそのモードは、異文化間コミュケーションの場ではまったく通用しません。だまっていること=知的な貢献をしていない=無価値なのです。

つまり、一般に日本人学生には、英語運用能力が低いという問題のみならず、根っ子のところには、言語をコミュニケーションの道具として使う「構え」=internal modelの問題があります。

異質なものごとを異種混交させて新しいものごとを創り上げてゆくというのはシュンペーターを引くまでもなく、イノベーションの契機となりえます。異臭混交に対して腰が引けている、というのは、それだけで、貴重な機会を失っているのかもしれません。

日本の高等教育機関も、このところ、「グローバル人材」の育成に熱心になってきました。わざわざお金と時間をかけて留学しなくても、このような機会に参加して、英語を使って、読む、書く、話をする、というトレーニングはできます。やはり、このような異文化間コミュニケーションの場に身を置いてみる、といことは価値あることです。

ぜひとも英語のみならず、対話型のコミュニケーションの構えを学んでほしいと思います。