アメリカでAirbnbを初めて使ってみた

カテゴリー : アメリカ

 

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<徒歩5分でイサカの街の中心部へ>

Airbndがshared economyなんていう文脈でよく語られるようになって久しい。貧乏サイクリストの眼から見れば、夏の北海道自転車ツーリングではキャンプ場かライダーハウス、贅沢してユースホステルなので、Airbnbの価格帯よりも遥かに安価なレンジで旅をしている。だからAirbnbはあまりというかまったく気持ちに引っかかってこなかったのだ。

でも、アメリカ出張でコトは大きく転回。

母校のコーネル大学で開催された国際学会に参加するために、コーネル大学ホテルスクールが威信をかけて建設、運営しているStartler Hotelが満室に近く予約できなかったのだ。

しかも一泊30,000円以上もして、高いのなんの。

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<大学のなかに湖や滝がある>

「ここで寝よう」→「ここ寝る大学」→「コーネル大学」てなジョークを連発する友人の後押しもあったのだが、「ここ寝る大学」のストーリーはやめ、近隣のホテルをサーチするも、いいホテルが見つからない。

ここで発想を転換しAirbndに登録して探してみる。

おお、びっくり。あるわ、あるわ!

コーネル大学がある町はIthacaという小さな町なのだが近隣を含めると50の民泊施設が目白押し。さすが富裕層が住む高台のほうは、1泊50、000円なんていうヴィラのような高級住宅もある。downtownのほうで、リーズナブルなところがあったので、そこに予約をいれて即OK。

で、実際行ってみて泊まってみた感想。

・イサカのダウンタウンの一軒家をシェアする形で5つの部屋をシャアするいわゆるシャアハウスのような作り。一泊7000円はコーネル大学のホテルに比べれば格安。大学までは歩いて20分、カフェやレストランがあるイサカ・コモンズまで5分なのでロケーションはいい。

・長期滞在者コーネルの学生ばかり。なんとなく、以前住んでいたフラタニティー・ハウスのノリでみんな面白く、リビングルームで雑談。街の様子や近くのカフェなどの情報を得ることができ楽しい。

・ホテルにただ泊まるだけに比べて、交流があって楽しい。うまく利用すれば物語性が生まれる。ある種の経験をコクリエートするサービスだと思えば納得がいく。

・近隣の従来型ホテルから見れば非常に大きな脅威となっている。実際、ホテルスクールでも既存のホテルとAirbnbの競業状況はよく議論になっているそうだ。

・ホテルオーナーやマネージャから見れば、Airbnbは町中にゲリラの敵が出没している風景なので、たまったものではない。

・でも、使われてない施設をツーリストがシャアし、多様なニーズに合わせた形でアコモデーションを選択するというのは資源の有効活用、多様な需要の掘り起こしという点から見ればご納得である。これもサービス・イノベーションである。

・ただし、わりとオモシロイのはairbnbを利用して小銭をかせぐツーリズム版マイクロビジネスやAirbnbと潜在ホストを結ぶ代理店のようなビジネスか。小資本で参入がたやすいがでかいキャピタルゲインを狙うのはちょっとむつかしそうだが。

 

ホスピタリティXヘルスケアXデザイン思考融合の新たな地平線

カテゴリー : アメリカ

 
久しぶりにアメリカの東海岸に旅してきた。母校のコーネル大学で開かれたSymposium Hospitality, Healthcare, Design 2016に参加するためだ。
 
ああ、コーネルはいいなあ。return to my alma mater。豊饒な知に対するリスペクトと知的世界への探求心がキャンパス中に横溢している。尊厳、威厳、自由、探求、エンゲイジメント・・・そういったものが混然一体と、しかも統一さをもって顕現している。
 
Cornell Hospitality Health and Design Symposium 2016
 
この分野の研究成果:

”Systems’ Boundary and Fusion between Hospitality and Healthcare”

を一本発表して、あとはひたすら今書きつつある本の取材や社交。

共通の知人や旧知の友人との出会などのオンパレード。しかも、皆がこのシンポのテーマではいろいろな成果や社会的なアウトプットがある人たちばかりなので、めっぽうオモシロイのだ。

研究成果の発表もさることながら、今回の国際会議は今書きつつある本のネタ仕込みや取材といった点からも非常に重要なのだ。メモしてみる。
                                       
               ***
 
キュアからケアへシフトしてくると、サービスのありかたも、ホスピタリティが全面に出てくるようになる。
 
キュア文化というのは、治療すれば直ることが前提。キュアの価値とは、治って元通りに動ける、食べることができる、生活できる、働けるということだ。だから投薬、注射、手術などの介入行為が正当化される。
 
また、治療して治ることが前提ゆえに、苦痛、不快感、いごごちの悪さ、不便、不都合は、がまんすべきものである。
 
高齢者の慢性疾患や合併症に対する介入はもはやキュアだけでは有効ではない。なぜなら、多くの高齢者の慢性疾患や合併症は完治させること、直すことはできない。
 
むしろ、人生の最終局面を支えることが目的になる。キュアではとかく後方に「がまんすべきもの」として押しやられてきた、 苦痛、不快感、不満、不安、いごごちの悪さ、不便、といったものをケアすることが重要になってくるのである。
 
ここにおいて格差が影を落とす。富裕層は、 苦痛、不快感、不満、不安、いごごちの悪さ、不便を解消するためにあらゆる手段、そして財力を投入することになる。
 
そのため、 苦痛、不快感、不満、不安、いごごちの悪さ、不便を解消するための営利動機に根差したイノベーションが盛んに巻き起こることとなる。
 
しかし、富裕層もいれば貧困層もいる。貧困層は富裕層に比べて苦痛、不快感、不満、不安、いごごちの悪さ、不便を解消する機会にはさほど恵まれない。超高齢化と財源枯渇によって、このような把握しづらい価値に対する公共サービスは後手後手になる。公共サービスによって実現されない空白を埋めるNPO、NGO、社会起業家による、非営利的な動機による、ホスピタリティ・サービスイノベーションに対する期待が大きくなる分野である。
 
以上を要するに、高齢者化現象とともにケアシフトが進むにつれ、 苦痛、不快感、不満、不安、いごごちの悪さ、不便を解消するためのサービス分野のイノベーションが亢進してゆく。
 
富裕層に対しては、利潤動機に基づいた ホスピタリティ・イノベーションが影響力を持ち、中間層、貧困層に対しては、 非営利的な動機による、ホスピタリティ・サービスイノベーションが影響を及ぼすことになろう。
 

アクティブ・ラーニングと留学

カテゴリー : サービス思考

文際交流協会
東京工科大学の看護学科の先生から頼まれて受け持った「社会経済学」の授業。全15回(土曜日!)なんとか終わってホッとしている。

そのクラスでは5-6人(全クラスの1割くらいか)が海外留学の経験があるということだった。オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカなど英語圏が中心だ。

階層化が進んだ現代日本のミドルクラス以上の家庭では、留学はある意味遠足のようなお気軽なものだ。昔のように意を決して人生の一大勝負事のように勇ましく雄飛するようなシロモノではない。とくに学位取得を前提にしない語学留学や短期留学はカジュアルでコモディティー的なものになっている。

さて、松下の授業はどんな科目でもアクティブ・ラーニング・メソッドを用いるので、授業中はチャット、ディスカッション、グループワーク、プレゼンテーション、創成型のアジェンダ(課題)レポートなどで、ワイワイ、ガヤガヤ、ワサワサしたものだ。課題を見つけて、ソリューションを自分たちで考え、みんなの前で発表し、対話、批判、質問、回答(弁明)をとおしてさらに認識をシャープにしてゆこうというものだ。

もっともこの手法は、アメリカの大学院へ留学しているときに学生目線で学んだものだ。それまでは日本の学部にいたので、一方通行のつまらない授業に辟易としていたのだ。そんなこともあり、大学で教えるようになってからは、ほとんどの授業でアクティブ・ラーニングをやるようにしている。

さて、留学経験者のアクティブ・ラーニング型のセッションでの反応は3つくらいにまとめることができるだろう。

(1)口数が多い。

人前でしゃべることが好き。逆にだまっているとストレスが増す。コミュニケーションをとること自体が楽しいと心の底から思えるようだ。

(2)自分の考えを話す。

バカ話、ヨタ話ではなく、自分の思うところ、考えるものをスピークアウトする。

(3)同調圧力に屈しない。

自分の考えを表明することは「周囲との差異」を際立たせる。日本人は、まわりの「空気」や「空気感」に同調して、カドやエッジを際立たせることをよしとしない。しかし、おしなべて留学経験者は、このような同調圧力モードが低出力なのだ。

             ***

グローバル人材(日本だけで流通している変な用語)を定義しようと思ったら込み入った話になりやすい。べつにグローバルとか言って、大上段に構える必要はないと思う。シンプルに言えば、上記3項目の行動特性が、その入り口だろう。ローカルなリージョンに生きるうえでも、これらの行動特性は活きて来るだろう。

(以前ドイツ人と日本人学生に英語で対話型のレクチャーをやったことがあるが、その時の印象)

教育とはサービスだ。そして、のっぴきならない授業はサービスの現場ということになる。そのサービスをいかに位置づけるのか。教員を中心とする考え方は、教える(Instruct)。そうではなく主人公を学生にすれば、学ぶ(Learn)ことの支援だ。

教員と学生は共に成果を創造するという意味での共創的な関係なのだ。

そのような反転させた目線で、学びをサポートして支援していくのがActive Learningだ。ローカルでもグローバルでも、アクティブなほうが人生楽しいし、たぶん他者のためにもなるだろう。保健・医療・福祉サービスを担う若者の学びの支援は、だから、共創モードのActive Learningを用いることが目的合理的だ。

社会経済学の取っ掛かりを学んだ学生のみんなにはどうかactiveに生きていって欲しいものだ。

 

「データの見えざる手」は神の見えざる手?

カテゴリー : サービス思考

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このところ、ウェラブルデバイスを活用した在宅ケアの案件があり、関連領域をブラウジングしていたら引っかかった一冊。ビッグデータの活用が情報学のみならず社会科学の新しい地平を切り開く?そんな可能性と予兆を充分に感じさせるオモシロイ本。

この本の著者である矢野氏(実に多才な人ですね、東工大にもコミットしている)はいみじくも、こういっている。「私のまわりでは、社会のさまざまなサービスの現場で収集されたデータを活用することで、社会を科学的に理解することが可能になり、一方で、この科学的な理解が、次の新たなサービスを可能にするという好循環が回りはじめているのだ」(p222)

加速度センサーなどのデバイスから得た膨大なデータから、人間や組織の行動を説明するパターンや法則が解明できるという。その実例がこれまた面白い。

もちろん加速度センサーに注目して、その種の「解明」に役立てたのは創意工夫の精華だろう。でも、人体から発せられるデータとして最も基本的かつ決定的なものはバイタルサインだろう。生命活動のバイタルさ、つまり、心臓拍動、血圧、呼吸、体温、排尿・排便、脳波などを24時間365日計測できるウェラブルデバイスとデータマネジメントシステムは、在宅医療や在宅看護、つまり在宅ケア全般にとって必須のツールになるだろう。

たとえば遠隔看護。

遠隔看護(telenursing)とは、遠距離通信の技術を利用した看護実践で、患者の日々の健康状態を把握したり、患者教育などを行う技術(川口孝泰)だ。

遠隔看護のひとつの大きなイノベーションは、ウェラブルデバイスかけることのビックデータの活用が震源地になるはずだ。ニーズが顕在化しているからだ。つまり、テレナーシングは①継続的ケアを担保し、②健康増進や予防の意識を増進させ、③健康相談を容易にし、④保健・医療・福祉チームの連携にとって必要な基礎データを提供するからだ。

ひとりひとりの人間がウェラブルデバイス(Internet of Thingsでもあり)を装着し、システムを経由してそこから多様なデータを吸い上げ、処理して、本人や保健・医療・福祉施設にフェードバックすることによってケアやキュアに役立てようという絵柄は、もうそこまできている。

そして、そこからパターンや法則のようなものを見つけてゆく作業になるだろう。

加速度センサーXバイタルサインX受診歴・・・・・・というように、ビックデータのカテゴリーを掛け合わせることによって、発症してからのキュアのみならず、発症そのものを予防する健康増進2.0の地平を切り開くことができるだろう。

ビックデータとそれを有効に織り込んだインフォーマティクスやサービス科学の領域は、このような分野から爆発的に発展しつつある。

さて、この本の面白いところは、大概の自然科学や社会科学研究者が、真正面からとらえることに躊躇しそうなテーマに取り組んでいることだ。

例えば人間の「運」だ。

・人と人が出会い、会話することは、運と出会う通路を開くものである。p138

・ソーシャルグラフで見ると到達度の大きい人(到達度が高く運のよい人)は、たくさんの人が周りを取り囲むことに成る。p145

・数値化することで言葉の呪縛から自由になる。p153

・運を掴むには会話の質も重要p160

・人との共感や行動の積極性は人の「幸せ」を決めるものである。p216

 

自然資本と有機農業

カテゴリー : アグリ・農的あれこれ

 Portland Farmers Market Bounty

 

「土と健康」という雑誌と東洋学園大学の古谷力先生のfacebookのエントリーを眺めていて、パッと面白いアイディアが浮かんできた。「自然資本」(natural capitalism)という考え方で有機農業を捉えてみるというアイディアだ(笑)。

さて、世界自然資本フォーラム(World Forum on Natural Capital)では「自然資本」を:

Natural Capital can be defined as the world’s stocks of natural assets which include geology, soil, air, water and all living things.

と定義している。

通常、会計学や新古典派経済学でいうcapitalには自然資本は含まれない。近代資本主義は、産業資本主義であり、MBAやMOTの枠組みでも資本(純資産)は下のようにとらえるのがまずは一般的だ。資本の限りない自己増殖の過程そのものが近代資本主義だ。

 

資本剰余金・利益剰余金

近代資本主義あるいは産業資本主義には未開の機会=フロンティアが必要だ。だから、資本増殖のプロセスで人間はいろいろと介入(略奪、搾取、破壊・・・)してきた。

土壌から石炭、石油、核燃料の原材料を採掘してエネルギーにする。製造業ではいろいろなマテリアルとして加工し付加価値をつける。製品を輸送する際のジェット機や車両のエンジンからは廃棄ガスが環境に放出される。牛やブタ、鶏などのエサには抗生物質が入れられそれが食物連鎖を通して人にも蓄積される。3.11以降、放射性物質が環境に大量にばら撒かれ、生態系はおろか人間活動システムにも甚大な影響を与えている。

しかし、世界的な低金利でもうあまり儲かりそうなフロンティアが目減りしている。実態経済ではなくサイバー化された金融空間に金融緩和で過剰につくられたマネーが集まり、そこでバブリーな投機が繰り返されている一方で、「格差」は拡がる一方だ。トリクルダウンなんて嘘八百。

さすがに、これじゃマズイということで、資本主義のあり方がずいぶん反省されたり批判されたりしてきている。大はトマ・ピケティの「21世紀の資本論」とか、小は「近代資本主義の次」など。

自然資本の考え方は、従来の経済学のアプローチやマルクスの資本論、新古典派経済学の枠組みをいったんヨコにおいて、根っこのことろから揺さぶりをかけるようなものだ。

自然資本でとらえる資本とは、水、土壌、大気、そして動物、植物が含まれる。

「自然資本」は、多様な生物(植物相、動物相)と、それらをはぐくむ水、土壌、大気など、地球の自然財産を要素だ。私たち人間の生活や活動システムは、自然資本に起因する生態系サービスの4類型(調整サービス、文化的サービス、基盤サービス、供給サービス)によって成り立ち、そこから計り知れないほどの豊かな恩恵を受けている。

ただし、その恩恵に世界が気づき始めたのは、けっこう新しいことで、世界銀行が主導して「WAVES(生態系サービスの経済的価値評価)プロジェクト」を、名古屋で開かれたCOP10を契機にローンチしたのが2010年だった。

 

従来型のMBAやMOTというアプローチでは産業資本主義によって立つので、環境略奪、搾取、破壊の側面は「負の外部性」ということになる。「負の外部性」ではなく、「内部」にキチンととりこんでマネジメントしてゆくためには、根っ子のところで、産業資本主義の考え方ではなく、自然資本主義の考え方への転換(translational change)が必要だ。

「より遠くへ、速く、効率的に、貪欲に己の利潤を求め、成長する」ということを近代資本主義の行動様式と見立てるなら、近代資本主義の次は「よりローカルに、ゆっくりと急がずに、意味を紡ぎ、他者の利益を満たしながら、自然に寄り添って、身の丈にあったスタイルで持続してゆく」というものになるのかもしれない。その基盤には自然資本のような構えが必要になってくるだろう。

 

さて、有機農業をエコシステムのサービスという視点でざっと見てみよう。

 

①有機農業の供給サービス

「提携」という形で消費者は生産者を支え、生産者は安心安全な有機野菜などを届けることによって消費者を支える。創ることと消費することが、一方通行ではなく、相互補完的に作用しあう。いってみればお互い様の関係性だ。昨今、アメリカや欧州の一部ではCommunity Assisted Agricultureが盛んになってきているというが、これは日本の「提携」という行き方に近いものだ。

土壌や栽培する野菜には化学肥料や農薬は使わない。有機堆肥を中心にしてやると、土壌内の微生物相が豊かになる。有機農園の生物多様性の度合いは慣行農法に比べ20~30パーセント高いという研究結果もあるくらいだ。

②有機農業の調整サービス

慣行農業から有機農業へ転換した場合、毒性のつよい農薬のネガティブなインパクトから土壌を改善することとなる。土壌の無毒化はもっと評価されるべきだろう。

③有機農業の文化的サービス

都市の住人・消費者が、有機農園を訪れ、いっしょに堆肥をつくったり、栽培したり、収穫する。美味しい有機野菜料理に舌鼓を打ちながら、文化を共有する。

体験農園というオペレーションにすれば、さらに文化的サービスとして農をトランスレート(変換)することができる。昨今はやりつつあるエコツーリズムなど、農に文化的サービスを求めるニーズは大きい。

④有機農業の基盤サービス

ほっておいても植物は光合成を行い、酸素を環境に提供してくれる。炭素循環農法を採用する有機農家ならば、炭素を上手に循環させる。ただし、ほっておくが「耕作放棄地」になってしまうと、土壌はどんどん酸化して、ブタクサやススキだけの荒地になってしまう。

有機農業が基盤サービスとして持続可能なものとするためには、人の手足による手入れ、介入が継続的に必要だ。

⑤有機農業の保全サービス

硝酸隊窒素の排出量が少ない有機農家は硝酸隊窒素の循環や沼などへの蓄積を減らすことに貢献している。また、有機農園を保持することじたいが、①~④のサービスの持続に繋がる。

Payments for Ecosystem Servicesという考え方で有機農業のエコノミーをとらえてみるのも面白いだろう。有機農家にとって、提携家庭への野菜セット提供が最も利益率が高いというのは、この世界ではよく知られている事実。提携家庭が Ecosystem Servicesのコストを一緒に負担して支払っている(co-payment)と考えれば納得できる。

おまけ:

アメリカのポートランドで学会に参加したとき、ポートランド州立大学のキャンパスでポートランドファーマーズマーケットが盛大に開かれすごく多くの人が集まっているのを見てビックリ仰天したことがある。日本のオーガニックファーマーズマーケットも今後急発展するかも。。

 

 

医療サービスの根っこ

カテゴリー : サービス思考

ヲタな内容だが、大切なことなので、医療サービスの価値共創性について、ちょっとメモっておく。

(1)医療サービスマネジメントの根っこに関する経済学的な見方

医療サービスそのものが、市場で取引されるサービス財ではなく、社会的共通資本であると捕らえる。教育、司法、行政などとともに、医療サービスは、社会的共通資本(Social Common Capital)の制度資本である。社会的共通資本の管理、運営は決して、官僚的基準に基づいて行なわれてはならないし、市場的条件によって大きく左右されてもならない。社会的共通資本は、それ自体、あるいはそこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足にさいして重要な役割を果たすものであって、一人一人の人間にとって、また社会にとっても大切なものだからである。詳細は宇沢先生との議論。 資料1 社会的共通資本としての医療

この見解は、ミルトンフリードマン流の、市場主義マンセーの、ゴリゴリの新自由主義ドグマを徹底的に、かつ合理的に批判するもの。

政府の経済的機能は、さまざまな社会的共通資本の管理、運営がフィデュシァリー(社会的信託)の原則に忠実に行なわれているかどうかを監理し、それらの間の財政的バランスを保つことができるようにするものである。政府の役割は、統治機構としての国家のそれではなく、日本という国に住んで、生活しているすべての人々が、所得の多寡、居住地の如何に関わらず、人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民の基本的権利を充分に享受することができるような制度をつくり、維持するものでなければならない。

(2)医療サービスの発生源に対する法律的な見方

患者と医師の実態は、通説の契約的医師患者関係というよりは、むしろ、信認関係(fiduciary relation)である。 日本では、患者と医師の関係は、診療契約説(民法656条の準委任契約)という枠組みで議論されることが多かったが、これは間違い。アメリカでさえも、患者と医師の関係は、信認関係(fiduciary relation)として法的にとらえるのが標準。

(3)医療サービスのサービス性に関するservice science 的な見方

「顧客は、常に価値の共創者である。サービス中心の考え方は、元来、顧客志向であり、関係的である。価値は、受益者によって、常に、一意的かつ現象論的に判断される。(Vargo & Lusch, 2006)(この見方、日本でも最近はよく紹介されるようになってますね)

以上の見方をまとめれば、医療サービスは、社会的共通資本であり、医師、看護師、薬剤師などの専門家、病院経営者へ社会的に依託されたフィデュシァリー(社会的信託)なサービス。医療サービスの価値は、医療提供者が勝手に決めるべき性格のものではなく、提供者、受益者が、ともども参画して、とらえられているという性格のものとなる。信認関係が、医療サービスの共創性を担保しているといえる。

 

 

I型人間 X 共感性 = T型人間!?

カテゴリー : サービス思考

知的人間類型論としてI型とかT型とかπ型とか、そういう議論に花が咲くことが1年に3~4回はある。

はからずも昨夜もそんな議論。

台風接近による大雨の夜にも拘わらず、サービス科学の分野で世界を飛び回っているJim Sphorer氏と、東工大の先生方とテーブルを囲んでビール片手に議論になったのだ。彼は明日、東京で開かれるサービス関係の学会でキーノートスピーチをするそうだ。

たしかに、今の日本の高等教育は、細分化された専門性の特定の分野をより狭く、より深く掘り下げてゆくような行きかたが強い。そうでなければ、論文も書けないし、少なくとも、労働市場の入り口でいい仕事にありつけることはできない。また、大学としてもエッジが効いた良質の論文を多数アウトプットすることが、世界ランキングを上げる上でもキメテのひとつになる・・・。

ところが、組織のマネジメント、多様な個人を巻き込むプロジェクト・マネジメント、あるいは、イノベーションの創発といったテーマになると、狭くて深い特定の領域にのみ強いI型人間だけでは手に負えない。

じゃ、そうしたらいいの?

そこで、T型人間の出番となる。確固とした専門を保持しながらも、多種多様な言語、価値観、専門分野や人々を受け入れ、瑞々しいコミュニケーションを繰り広げながら、資源の組織化にたけ、ケミカル反応をエンジョイしながら、something new、something awesomeを創ってゆけるようなイノベーティブな人。

こんな文脈で、ご都合よく仮説(時に妄想)されるのがT型人間。

IにはなくてTにはあるヨコ方向の一本のバー、あるいはのりしろ・・・つまり、「ー」。

西洋の知識社会やその系譜を継ぐアメリカの知的社会では、たとえばboarding schoolやschool of arts and sciencesでは、リベラルアーツの涵養に膨大なコストをかけている。留学時代以来、boarding schoolやschool of arts and sciences出身者(彼らの多くは、Ivy leagueへと進み修士、博士を持ってる)と何十人と接してきたが、はやり、奴らの発想力や話題は横方向に伸びていって、かつ、専門に落とし込む妙味に富む。

ここのI型の自分がいる。そしてその友人は別のI型人間。楽しい会話のなかで、そいつをヨコにして自分の頭に乗っけてしまうと、即興のT型人間の登場となる。大学の寮(residency)の中で繰り広げられる会話には、案外、そんなハタラキもあるように思える。バカに見えて、バカにできない知的対話の産物なのである。

自由文芸七科目とは、知的たらん、自由たらんとする人が持つべき実践的な知識・学問の基本と見なされた7科のことで、文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科のこと。人文科学、自然科学、社会科学の基礎のような位置づけだ。

中世から19世紀終わりあたりまで、知的社会の基盤を提供してきた自由文芸七科目のようなarts and sciencesになりうる異分野横断的、融合的なdisciplineはなんなのか?

システム科学?

デザイン思考?

サービス科学?

グローバルリテラシー?

ちなみに、京都大学で長年教鞭をとり、現在はリベラルアーツ研究家として活躍している麻生川さんの見方にも説得力がある。

さてJimは、サービス科学を学問として打ち立てるためには、①モデル、②原論、③標準的なテキストブックの3つのことが必要だと言う。たしかに、西洋の知的社会を支えてきた文法学・修辞学・論理学・算術・幾何・天文学・音楽、そしてそれらの中央に鎮座する「哲学」は、これらの用件を満たしているように思われる。

あとは、態度の問題なのだという。

ヨコ方向の一本のバー、あるいはのりしろ・・・つまり、「ー」の根本にあるもので、ひとつだけ本質的に大切なものをあげるとしたら、それは、

共感性(empathy)なんだよ!とJim。

うっ、ナルホド。

論理というよりは体験・・・。

事実というよりは物語・・・。

理性というよりは感情・・・。

                                      ***

共感がうまれなければ、異分野、異界をくっつけることもできない。人を引っ張り込んだり、繋ぐこともできやしない。組織を立て直したり、新しいベンチャーを興したりもできないだろう。ideaだって、「こりゃ、すげー」という共感と一対になって初めて問題解決に繋がってゆく。

専門職(多くはI型人間の集合であることが多い)が集う研究所や医療機関の運営、経営を活性化させるときに、多くのキーワードが持ち込まれる。「医療安全」、「リスクマネジメント」、「イノベーション推進」、「Team STEPPS (Team Strategies and Tools to Enhance Performance and Patient Safety)、「5S-KAIZEN」、「医療チーム」などなど。

これらの、ヨコ志向のツール、プログラムが実行された組織のうち、成功事例を抜き取って、そのプロセスを見比べたことがある。成功事例に共通することは、根っこのところで、「共感」を組織内外と境界領域において大いに盛り上げ、滋養したということだった。

empathyって英語で書いてしまったが、日本語の「共感」にはニュアンスがよく沁みこんでいる。共に、感じて、双方がやりとりして、当事者としてモノゴトを共有して、エンパワーして問題解決をはかってゆく。そんな行いの根っこにあるものがキョウカン。

価値共創(value co-creation)というbig wordも、「共感」がなけえば絵に描いた餅。

「I型人間 X 共感性 = T型人間」というふうにコトを見れば、また新しいアイディアやソリューションが湧いてくる。

 

「生活を分断しない医療」

カテゴリー : No book, no life.

著者は愛媛大学医学部付属病院の櫃本真聿先生。こないだ同病院と1年がかりでコラボレーションしてやっているエンパワーメント・プロジェクト(システム思考Xデザイン思考Xマネジメント思考)でお邪魔したとき、田渕副院長(看護部長)さん達とランチをご一緒しながら時間が経つのも忘れて議論、議論、議論。

 さすが地元のラジオ局でケア・オブ・ライフという番組をお持ちなだけあって、ポイントを突くトークのそこかしこにユーモアや品のいいジョークが温かな対話をつくりあげる。
 
そして戴いたのがこの本。感謝です!
 
ケアシフト(これは、松下の造語ですが)がどんどん進んでいる日本にあって、まだまだ大学病院は、キュア中心の医療と価値観の一大中心地と見られている。

ところが愛媛大学病院はまったく異なる。これは全国の基幹的な病院を訪れて実際に医療現場のマネジメントに関わる悪構造問題をつぶさに診てきている自分だからハッキリ見える。

さてこのところ、保健・医療・福祉界では「連携」という標語に溢れている。なぜ連携なのか?

筆者は、急性期病院への入院が患者の生活を見事なまでにぶった切っているからだと断言する。地域における急性期医療の切り札である大学病院は「隔離」が基本だ。この隔離が行き過ぎているのだ。
 

・「要するに、医療が患者さんの生活をぶった切っていたから、再びつなげなければいけなくなっているのです」(p133)

 じつに、卓見ですね!この文章に接して、思わず膝を打つ。
 
・「この10年間で一番増えた仕事は、医療安全に関わる事務だそうです。一方で、一番減った時間ななんだと思いますか。実は患者とのコミュニケーションの時間です。・・・結局、こういうことが医療崩壊、あるいは、医療者の疲弊に繋がっているのです」(p80)
 
・「なぜ地域連携パスでつなげなければいけないのかというと、入院によって患者の生活がぶった切れていたからです」(p136)
 
・「エビデンス・ベースト・メディスン(根拠にもとづいた医療)が強調されるなかで、私たちは客観性ばかりを重視し、患者さんの主観や情緒などを考慮するということは医療者としてよくないことなのではないか、と思い込んできました。」(p144)
 

行き過ぎた隔離志向のキュア型医療からケア志向の方向に変化しつつあり、大学病院も決してその例外ではない。いや、大学病院だからこそ、オープンに地域と交流して、キュアとケアの入れ子構造を再デザインして、あたらしい繋ぎ役の役割をとっていかなれけばならい。

・「今後の医療のキーパーソンは看護師」(p148)
 
MCCEプロセスは、医療福祉連携の経験から抽出した面白い経験則だと思う。
ミッション(M)、つまり、目指すベクトルの方向を明確化しているか?コンセンサス(C)つまり、ミッションを理解して共有しているか?、コラボレーション(C)院内外の資源の協働ははかられているか?、エンパワーメント(E)つまり、住民・患者の内なる力の賦活化がなされているのか?
 
・「副作用である『医療への依存』、『医療(介護)崩壊』に介入すべき」(p192)
 
・「社会の発展や制度の整備などに伴って生じた”副作用”が何かと言われれば、「医療への依存」とそれに伴う「医療(介護)崩壊」だろうと思います」(p194)
 
・病棟中心の経営から外来によるマネジメントへのシフト(p220)
 
・おらがまちの病院を目指す・・・・”道の駅”ならぬ”健康の駅”的な病院にしてしまおう。(p228)
 
・「つなぐ医療」から途切れさせない連携へー合言葉は「医療を生活の資源に!」(p214)
 
愛大病院では、地域との共創性、コ・エンパワメントを重視した構想、プロジェクトの目白押しだ。ヘルスケアサービスの価値共創(value co-creation in health services)に首を突っ込んでいる自分としては、エキサイティングの一言。たとえば、がん総合相談センター、総合診療サポートセンター、専任の退院調整看護師が継続的に関与するシステム、住民のための院内図書館、災害ボランティア、ヘルスアカデミー、健康公民館構想など。
 
これらは、スゴイ!
 
わかりやすく問題点を整理整頓し、問題解決のための指針を明快に与える本だ。そして、具体的な愛大の事例が満載というのもすばらしい。医療マネジメントに関する本は、コ難しい本や読んで疲れる本が多いのだが。
 
でも、読んで元気になる一冊がこの本だ。読者がエンパワーされるいい本だと思う。
 

ヒューマン・サービスあるいは関係性という「品質」

カテゴリー : サービス思考

大学院以来、ヒューマンサービスのあり方を試行錯誤して追求してきたが、今日は、ヒューマン・サービスに専門特化した大学(神奈川県立保健福祉大学、この大学、英語ではKanagawa University of Human Servicesと表記)からお呼びがかかり、「ヒューマン・サービスの人材育成」というコッテリしたテーマで、招待講演をファカルティ・デベロップメント(FD)の一貫としてさせていただいた。

実はこの大学で客員教授もやっているのだが、そのような流れでFDに協力することになったのだ。

人材のコンピテンシーはヒューマンサービスの質を左右する、という仮説のもとで、複数の病院の看護部門でコンピテンシーの調査を行ったことがある。当初は、専門的能力(テクニカルな知識やスキル)こそが、看護サービスを左右するという第二仮説をだれもがうたがわなかった。もちろん、ぼくもナイーブにもそう思っていた。

でも、実際にアンケートやインタビューで実証的に調べてみると、専門的能力以上に、対人関係構築力、対人感受性、イニシアチブといったソフトコンピテンシーのほうが、ハイパフォーマの行動的性を説明する要因として高いことが明らかになったのだ。

これは、ちょっとイヤラシイ結果だ。多くの看護系の大学では、専門的能力の構築を中心としてカリキュラムが作られている。なぜならば、看護師という国家資格を得るための国家試験では、看護師としてのテクニカルな知識やスキルを重点的に評価する仕組みになっているからだ。でも、じつのところ、デキるナースは、国家試験でカバーされない行動特性ゆえにデキるのだとしたら、その国家試験には大きな「見落とし」があるということにもなりかねない。

いやはや。

なにか、エレガントに説明できるフレームはないものかと、ツラツラ思いを馳せながら、6月に参加したNaples Forum on Servicesという国際学会で、フィンランド、スウェーデン、ノルウェイ、デンマークあたりからやってきた研究者や実務家がしきりと、関係性品質(Relationship quality)をさかんに議論してるではないか。

調べてみると、関係性品質とは、ノルディック学派の中心的研究者であるグメソン博士らが、提出したコンセプトである。

なるほど!

たしかに、専門的能力は、技術的品質(Technical quality)を左右するが、関係性品質は、技術的品質とはベツモノであるととらえればスッキリする。対人関係構築力、対人感受性、イニシアチブというソフトなコンピテンシーは、関係性品質に直結する能力・行動特性、というようにとらえれば、一歩も二歩も前進する。

医療界では、「質」といえば、かのドナベディアンが唱えている、成果(Outcome)、プロセス(Process)、構造(Structure)を中心として見てゆこうというマインドセットがかなり影響力をもってはいるものの、これらとは独立に関係性品質を置くと、またべつの世界が見えてくる・・・。

とすれば、デキる看護師は、皮膚感覚的に主観的な質を左右するものとして関係性が極めて重要であることを知悉し、たえず、良好な関係性そして関係性品質を患者、家族、医療チームといった医療・看護サービスのステークホルダと紡ぎだしているのである、とも言える。

医療安全とて、絶対的な安全レベルが客観的な言語で定式的に記述されうるのかと問われれば「???」だ。安全だって、主観的な知覚品質の領域に入ってくるはずだ。このあたりの話は11/2-3に行われる医療マネジメント学会の医療安全分化会の講演で議論してみたい。

このあたりをモデル化できれば面白そうだ。

するどい質問が会場からあり、その質問に答えたことを帰りの電車のなかで反芻していたら、新しいモデルの着想を得た。

 

ヒューマニチュード

カテゴリー : ケア

 

Humanitudeは、英語読みをすればヒューマニチュードと発音するが、フランス語では”h”は発音しないので、ユマニチュードと読む。なので、以下ユマニチュードで。

これは、フランスのイヴ・ジネストとマレスコッティが提唱するコミュニケーションに力点を置いたケアリング手法の体系だ。介護が中心だが、日本の医師や看護師にもこの体系を取り入れて大きな成果を出しているケースが増えつつある。

さて、新生児は、オンギャーと生まれてから(第一の誕生)、家族など周囲の人間との関係性を経て「人間」として成長してゆく。これをユマニチュードでは第一の誕生と対比させて、「第二の誕生」とか「社会的な誕生」と呼んでいる。

第二の誕生では、他者との関係性の中で信頼関係、人間関係、絆などが生る。これば、ソーシャル・キャピタルに近い概念だ。ユマニチュードのユニークな点は、これを4つの人間の基本的な機能、つまり、①見る、②話す、③触れる、④立つ、に分類する。

第二の誕生で大切なのは、愛、優しさ、人としての人権の尊重。人は老いれば、身体機能や認知機能が低下する。これはどうしようもないことだ。このような状態を、ユマニチュードは肯定的に「第三の誕生」と呼ぶ。この点もユニークだ。

このような構えをベースにして、「第三の誕生」以降をケア、支援するものとして、様々な具体的な方法論がある。たとえば、

・介護者や医療者がこれから患者である老人に対して行うことを老人に同じ目線で、ゆっくり、しっかり語りかける。

・正面から患者の目を優しく見つめる。

・患者の身体に触れるときは掴む様な持ち方をせずに触れるようにする。

・赤ちゃん言葉や子ども向けの言葉は使わず、大人として接する、etc…

ユマニチュードの体系は、美しい階層構造を成している。つまり、(1)コミュニケーション方法・技法体系、(2)方法論、そして、(3)哲学である。これらによって普遍性と具体性をソフト・システムとして担保している。参考ブログ、その1その2記事

なので、いろいろなケアリングの場面のケアサービスをデザインできるのだ。緩和ケア、特養、口腔ケア、I在宅介護、訪問看護、デイサービス、ケア付き高齢者専用住宅・・・・・などのケアリング領域もさることながら、案外、ICUやCCUを含めるキュア領域にも活用可能だろう。

さて、サービスの提供者側は、技術的品質を高めるためにクリティカルパス、基準、手順など設計品質の側面から入ることが多い。ところが、顧客である患者が体感する品質は、設計品質ではなく、知覚品質だ。知覚品質は、さらに関係性品質に大きく左右される。

ヒューマン・サービスという観点で見ると、ユマニチュードの技法は、知覚品質と関係性品質の側面から、患者満足を高め、そして臨床的効果を高めることを狙ったものだ。そして、メタ思考を規定する哲学的フレームから、ソリューションとしての具体的な方法論、方法が整っているのが素晴らしい。

医療・保健・福祉の専門分野は、タテ割りのハードスキル教育が幅を利かせている。ややもするとバランスを欠きがちになるこれらの体系に必要なものは、リベラルアーツ(自由文芸七科目という狭義のそれではない)であり、専門分野横断的なソフトスキルだ。ユマニチュードは日本の保健、医療、福祉サービスの足りない部分を真正面から衝いている。

以上のような点から、ヒューマンサービスの新しい方向として注目なのだ。

 

The Naples Forum on Services

カテゴリー : サービス思考

 ちょっと前のことになるが、ナポリの沖に浮かぶイスキア島で開かれた国際会議、The Naples Forum on Servicesに参加してきた。マジメな参加記録(エッセー風というか出張レポート風・・)はこちらから。

雑談好きの僕にとっては、国際会議の合間、合間の食事、イベント、飲み会などでの”small talk”を織り交ぜた社交がこのうえもなく楽しいのだ。

その国際会議での主目的は、ここ数年リサーチしてきた“Value-in-context of Healthcare: What Human Factors Differentiate Value of Nursing Services?”についての発表。でも、じつのところ、北欧、ニュージーランド、UK、ドイツ、ベルギー、台湾からやってきた研究者や実務家と、ああだこうだ、美味しいワインを飲みながらウンチクを語り合うほうが楽しい。

いつからこうなったか?というと、たぶんアメリカに留学してからだ。日本人がいないフラタニティ・ハウスのブラザーだったので、やたら”small talk”の幅が増え、いろいろな奴らと盛り上がって、なんからかのピリッとしたアウトプットをその場で共有することの大切さが肌身に沁み込んだのかも。もしかしたら、留学の副次的効用とはこんなところにもあるのかもしれない。


北欧型サービス志向のマネジメント

カテゴリー : No book, no life.

マーケティングの実践と理論構築ではアメリカがリードしているといわれている。とりわけノースウェスタン大学ビジネススクールで教鞭をとるフィリップ・コトラー先生のマーケティングの理論体系化での功績は大きいと思う。

コトラーはちょくちょく日本に来ている。数ヶ月前に、ノースウェスタン大学B schoolの卒業生がコトラー先生と一緒に写真に納まっている風景をfacebookにアップしていたっけ。

6月にイタリアでサービスを焦点を絞ってさまざまな角度から議論する国際会議The Naples Forum on Servicesに参加してきた。そのなかで、サービスに関するNordic Schoolに属する研究者の発表をたくさん聞いてきた。なるほど、サービスについては、北欧学派がアメリカのマーケティング界も含めて世界を牽引していることを実感した。

さて、帰国してから、札幌市立大学(この大学で客員教授をやっている)の大学院で医療・保健・福祉サービスのマネジメントに関する集中講義を行う機会をもった。毎年夏の恒例となっている。講義の合間に札幌の紀伊国屋をブラブラしている時に遭遇したのがこの本。

この学派の代表的論者、グルンルースによる最も評価・利用されている最新のテキスト(第3版)の邦訳だ。コトラーが本書を評して脱帽したそうな。サービス・ビジネス、サービスマネジメント、製造業のサービス化などを学ぶための必読文献だろう。

と同時に、医療・保健・福祉など本来「サービス」でありながら、そのサービス性にあまり注目してこなかったセクターにとっても実に示唆に富んでいる。

地域のケアリング・ハブを目指す愛媛大学医学部付属病院

カテゴリー : ケア

<副病院長・看護部長の田淵さんらとともに>

このところ年に数回脚を運んで、講演、コンサルティング、コンピテンシー、職務満足調査などの共同研究プロジェクトなどのソリューションを分かち合っている愛媛大学医学部付属病院

写真は前回お邪魔した時のもの。いわゆる院内レストランだが、そのメニューの充実ぶり、質の高さに感動した。本格的な釜めしを供するまでに進化している。食材としてのメニューの質の高さもさることながら、レストランのホスピタリティ、「おもてなし」度合いも、さすがに高い。

医薬、医療機器、診断方法、治療方法など、医学・医療に関わる多様なテクノロジーが複雑に集積する大学病院は、まぎれもなく地方診療圏の拠点病院だ。その意味で、大学病院のマネジメントは医療技術マネジメントとほぼ同義。ただし、技術を活用、利用、応用するのは人なので、ヒト階層のマネジメントがきわめて大事になってくる。

医療・保健・看護・福祉サービスの後方システム、サービス・サポートシステム、サービス・マネジメント・システムづくり、サービス改善など、いわゆる「ことつくり」系のお手伝いをしている。

 

<田渕さん発案のうちわ>

医療界では、臨床の医療チームと患者が直接価値を共創する医療サービスそのもの核心部分=core layer、それらをとりまく各種マネジメントサービスの第2次階層(secondary layer)、そしてさらには患者・家族・関係者のためのホスピタリティサービス=第3次階層(tertiary layer)に分ける医療サービス・モデルがよく用いられる。

この区分けに従えば、たしかに院内レストランやちょっとした「うちわ」などはtertiary layerの第3次的サービスではある。第3次的サービスの質の高さは、1~2次サービスにある程度比例するのではないか?!

気持ちの余裕、品格、そこはなとない気遣い、いたわりの気持ち、おもてなしのセンス、・・・・。

そういったものが組織風土やケアリング文化などを醸成してゆくのだから、第3次的サービスとひとくくりにするのは、ずいぶん近視眼的すぎるのかもしれない。

 

近畿中央病院での講演@サンシティパレス塚口

カテゴリー : ものつくり

ちょっと前の話(2012年3月17日)になるが、近畿中央病院から招待講演に呼ばれた。その近畿中央病院は、すぐ至近にある高額所得者(ストック面)向け介護付き有料老人ホームのサンパレス塚口と、「医介連携」を行っている。その流れで、近畿中央病院での僕の講演がサンパレス塚口で行われたのだ。

格差が拡大しつつある社会において、ストック、フロー両面で裕福な階層にターゲットを絞り込んだ介護付き有料老人ホームである。入居者には、関西財界で名の知れた企業の元社長、役員が多いという。

設計はすべてアメリカのランドスケープアーキテくトを起用し、日本にゴマンとある介護付き有料老人ホーム特有の無機質なクササを排除し、高級ホテルのアメニティを彷彿とさせるシックでエレガントな雰囲気に満ちている。壁、窓、調度品、庭にいたるまで、一貫性のあるケアリング・コンセプトで、デザインされている。

講演会の前の晩と翌日の朝食は、サンパレス関塚の運営会社ハーフ・センチュリー・モアの社長、金沢有知さんとご一緒した。有知さんは金沢富夫氏の息子さんで、その昔、アメリカに渡る前、僕は金沢富夫氏が経営していた会社に勤めていたことがある。

そんなことから、温故知新となったのだ。

さて、入居者は、孤独になりがちだという。いかに、信頼、相互扶助、絆といったソーシャル・キャピタルを入居者間、そして入居者の従業員のネットワークの中に共創(co-create)していくのかが今後の課題だと伺った。そのために、CRM(カスタマー・リレイションシップ・マネジメント)システムなどを導入して、従業員の間で、個々の入居者の生活ログなどを共有してキメ細かなサービス開発の途上にあるそうだ。

高齢化が急速に進む一方、格差も拡大している日本。ここに入居している方々は、そんななかで、なんとかシノギきり、潤沢なストックを活用して、人生の折り返し地点から後半のライフスタイルを良きものにしたいと願う階層が中心だ。

サンパレス塚口は、そのようなニーズに対してのサービス・オファーリングである。

介護と、まちづくり、地域開発は、従来、まったく個別に行われてきたが、ハーフ・センチュリー・モアの取り組みは、なるほど、自由市場における民間イニシアチブによる、それらの統合という面がある。介護サービスのトップニッチ市場での、ひとつのケアサービスイノベーションの試みなのだ。

                                                 ***

ここでのケア・サービス・イノベーションの姿をちょっと一般化してみると:

ケアシステム=(モノ、コト)

Care System = ( Creating thinghood,  Caring relation )

where,

モノ→ハードウェア→ ケアリング・デザイン&アメニティ・デザイン

 (建物、屋内外施設、部屋、風呂、廊下、中庭、ガーデン、図書室、レストラン、ティールーム、などなど・・)

※ケアシステム実現のためのモノツクリの課題

コト→関係性:ソーシャル・キャピタル→ ヒューマン・サービス・デザイン&ケア共創のための関係性マネジメント

 (入居者間関係、入居者従業員間関係、地域の医療機関間関係・・・・)

※ケアシステム実現のためのコトツクリ=関係性つくりの課題

                                                 ***

・・・のようになるのではないか?

いずれにせよ、古い記憶がよみがえり、新しいモノゴトのシャワーに触れたような、とても印象深い講演だった。

 

複雑系適応システムズ(complex adaptive systems)

カテゴリー : No book, no life.

複雑系適応システムズ・・・

複雑性はそれを見る人の目のなかにある・・・と言われるように、システミックなモノゴトを見る時には「構え」が本質的に大事になってくる。

2011.3.11の3日前のことだ。東工大の木嶋先生に呼ばれて、THE FOURTH ANNUAL WORKSHOP AND OPEN SYMPOSIUM ON SERVICE SYSTEMS SCIENCEに参加させていただいた時に、Mary C. Edsonさんと知り合った。

聞けば、学部はCornell hotel admin.ご出身とのこと。彼女が、COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS についてピリッとした秀逸なペーパーを書いている。しばらくして想い出し、一読。う~ん!こういうまとめ方、あったんだ。

SUMMARY OF THE FOURTH ANNUAL WORKSHOP AND OPEN SYMPOSIUM
ON SERVICE SYSTEMS SCIENCE AT TOKYO INSTITUTE OF TECHNOLOGY
Kyoichi Kijima, Ph.D. and Mary C. Edson, Ph.D. Tokyo Institute of Technology, Department of Value and Decision Science, Tokyo, Japan

Mary C. Edson:GROUP DEVELOPMENT: A COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS PERSPECTIVE

Mary C. Edson:A COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS VIEW OF RESILIENCE IN A PROJECT TEAM