第11講:キリスト教国家アメリカ中枢の黙示録的思考

 多元・多層・多神的な日本の宗教的心象からは、一神教世界で起こっている社会的現象がなかなか理解できない。もちろん宗教のみがすべての社会現象の説明 関数ではない。だが重要な要因であることに間違いない。そこで今回はアメリカという国の宗教的側面の一端を議論していきたい。

 2005年の「世界主要国価値観」に関する調査によると、「あなたの生活にとって神はどの程度重要か」という問いに対し、「非常に重要」と答えたアメリ カ人は回答者のうち55%、「まったく重要でない」が5%。日本人は「非常に重要」が5.4%、「まったく重要でない」は12%である。

 米世論調査会社ギャロップの調査では45%のアメリカ人は「神が人間を創造したと信じている」と回答している。また35%のアメリカ人は「進化論には根 拠がない」と答えている。また定評のあるハリス調査では、54%のアメリカ人は進化論を信じていないという結果を伝えている。3分の1から半数くらいのア メリカ人が進化論を信じていないという事実に驚く日本人は多い。

 第7講で 扱った「創世記」によると、世界は神によって6日間で創造された。これらの記述を真理として信じることを「クリエーショニズム (creationism)」と呼んでいる。クリエーショニストは、自分たちの真理を否定する「進化論」を敵対視してきたのである。「進化論」を受け入れ ることは「クリエーショニズム」を否定することになり、それは神の実在を否定することにつながるからだ。

 1925年にテネシー州デイトンで行なわれた通称「モンキー裁判」は有名だ。当時のテネシー州には「バトラー法」という法律があって、神による創世を否 定する説、理論を公立学校で教えることは禁止されていた。ところが高校教師のジョン・スクープ氏が進化論を講義した。そのかどで彼は罷免されてしまった。

 彼は自分を罷免した学校側を告発したが、結局、バトラー法に違反したとして有罪判決を受けたのだ。「人間は神が創造したものである。人が猿から進化したと子供に教えるのはとんでもない」ということを審理したのでモンキー裁判と呼ばれた。

 日本ではダーウィンの進化論は常識の一部で、世界は神によって6日間で創造されたとする旧約聖書の物語を真に受ける人は少ないが、アメリカは日本の真逆である。

 2007年の米国国勢調査によると、米国人口に対する宗教人口比率は、プロテスタント51.3%、カソリック23.9%、正教0.6%で合計75.8% を占め、キリスト教は圧倒的な多数派である。そのうちバプティスト、ペンテコステ派などプロテスタント保守派は25%でアメリカ人の4人に1人となる。カ ソリックや正教を加えれば宗教保守はおおむね3人に1人くらいと見積もられる。

 その宗教保守が政治的に特に大きな影響力を行使したのは、2004年のブッシュ大統領再選だった。

 

ファンダメンタリズムはキリスト教ならではの特徴

 聖書に書かれていることを、そのまま真実、真理として信じる人々は一般的にファンダメンタリスト(fundamentalist)と呼ばれる。宗教保守 のなかでも最右翼にあると言われる。原理主義は、ファンダメンタリズムの訳語であり、元来はキリスト教根本主義のみを指す用語である。

 キリスト教ファンダメンタリスト(Christianity Fundamentalist)は神学的には、福音派キリスト教に含まれる。聖書に記述されたことをすべて神の直接的な啓示と受け入れて、聖書の言葉通り に信仰する。ただし、米国内で特別視されているわけではない。キリスト教徒であれば、ファンダメンタリストの心象は多かれ少なかれ共有できるものである。

 キリスト教原理主義者は、聖書の無謬性を信じ、聖書の記述を「御言葉によってのみ」(sola scrptura)、逐語霊感的に直解する。マリアの処女懐妊、キリストの代償的贖罪死、そしてキリストの体の復活、イエス・キリストの再臨を純粋に徹底的に信じる。

 ファンダメンタリズムが成立するための条件は、確定した正典が存在し、かつ外面的行動に関する規範がなく、加えて内面の信仰のみを重視する、ということだ。ここにキリスト教のみにファンダメンタリズムが成立する神学的な理由がある。

 ここで思い出していただきたいのが、第7講の 「一神教、契約の民」の節で説明した「一神教の基本方程式」(下図)。この図式の左側に「法律」とある。ユダヤ教、イスラームなどの一神教では信仰する対 象として啓典と法律(律法、法源)と1セットとなる。ユダヤ教の啓典トーラーは外形的行動に関する命令を含み、行動指針としてのタルムードが整っている。

 

図●一神教の基本方程式

コラム画像

出典:橋爪大三郎氏の講義資料より

 第9講で も確認したように、イスラームでは「クアラーン(コーラン)」をいかに敬謙に読みこんで信仰しても、ただそれだけでイスラームたるわけではない。ハディー ス、イジュマーなどの法源を守らなければならない。よって本来はイスラームには厳密な意味合いでのファンダメンタリズムはありえない。

 確定した正典がない仏教にも原理主義はありえず、また元来経典宗教でもない神道にも原理主義はまったく微塵もありえない。

「原理主義」の通俗的意味あい

 それでもマスコミは、しきりとイスラーム・ファンダメンタリズム(Islam fundamentalism)という呼称を喧伝する。しかし、上記の理由により、この通俗的用法は実は厳密な意味では正しくない。

 イスラーム・ファンダメンタリズムという語法は、キリスト教勢力が敵対するイスラームに対して投げかけた、なにぶんイメージ誘導的な言辞であることに注意されたい。

 よってここでは、通俗的なイスラーム・ファンダメンタリズム(イスラーム原理主義)とは通説に従い「イスラームの原理に従順に従い徹底的にイスラームに忠実であるべきだという主義」としておこう。

 すると、第9講でまとめたように、イスラームでは聖と俗の区別がなく聖が浸透し、西洋で発達した政教分離を受け入れる余地はない。すなわち神聖政治(Theocracy)がイスラームの必然的帰結である。まさにイスラーム革命後のイランの体制である。

 

宗教右派と極端な言説が横行したブッシュ政権

 キリスト教ファンダメンタリストと福音派(エヴァンジェリカルズ)の関係は微妙だ。教義的にはキリスト教ファンダメンタリストは、福音派に内包されるが、その関係は協調的でもあり対立的でもある。両派のサブグループによっても主張の違いがあり、複雑な関係を呈している。

 福音派は回心(コンバージョン)、つまり神に背いてきた自らの罪を認め、聖霊によって霊的に新しく生まれ変わる個人的で強烈な信仰体験を経て、自覚的に キリスト教徒になった「ボーン・アゲイン」の総称である。聖霊によって新しく生まれ、キリストと結びつく霊的な洗礼を受けたことを指しており、聖霊による バプテスマ、聖霊のバプテスマとも言う。

 第43代米大統領のジョージ・ブッシュ氏は、39歳でボーン・アゲインとなり、アルコール依存症から立ち直ったと言われている。そのブッシュ氏は、 9.11テロ後の演説で「十字軍」という表現を使って深刻な非難を買ったのは有名なことだ。ブッシュ氏の演説には「神の思し召し」「善と悪」「神の摂理」 といった表現や聖書からの引用が直接的、間接的なものを含め、極めて高い頻度で使われた。

 ちなみにブッシュ政権下で司法長官だったアッシュクラフト氏は筋金入りのファンダメンタリスト。アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に属している。祖父 も父も南部出身の牧師。キリスト教ファンダメンタリズムを建学の理念とするボブ・ジョーンズ大学で「独立戦争を戦った人々は、宗教的信念によってそうした のだ」と演説した。彼は同性愛、人口妊娠中絶、ポルノを不道徳であると断罪し、死刑制度を強く擁護した。

 国防次官代理でウサマ・ビンラディンやフセイン大統領の追跡・討伐が任務だったウィリアム・ボイキン中将もまた強烈なファンダメンタリト。軍服のまま宗 教集会に参加することを常とした。「われわれの敵はサタン」「彼らが戦いを仕掛けてくるのは、我々がキリスト教国だからだ」という発言を繰り返した。

 「なぜビンラディンやフセインがわれわれを憎むのか。その答えは1つ。われわれがキリスト教徒だからである」とまで演説したとき、ロサンジェルス・タイムズは「将軍が戦争を宗教言辞で粉飾」と非難した(2003年10月16日号)。

 ボイキン中将は米軍を「神の軍隊」と呼び、ブッシュ氏をして「神が任じた大統領」と演説で語った。そしてボイキン中将は軍の指導部の命令ではなく、「私は神の命令を受けている」とまで言い放った。

終末論的な黙示録的思考

 米国は世界に覇を唱えるべきではなく、謙虚な国家になるべきだ、とソフトな孤立主義者を演じていたブッシュ氏は、あっという間に聖戦意識に燃える十字軍戦士に変貌した。サヴァイバル誌は、このブッシュ氏の変貌を「劇的で180度の転換」と評論したほどだ。

 世界の救世主と自らを見たて、強大な軍事力を行使するアメリカの行動様式はなにもこの時に始まったことではない。「善と悪」「正義と不正義」「光と闇」 「敵と味方」といった二項対立の図式の中で一方的にアメリカを「善」「正義」「光」に見たて反キリストの敵に対峙するといった黙示録的思考は20世紀のア メリカに通底している。

 黙示録的思考とは、主として「ヨハネの黙示録」の記述を間違えのない未来預言と受けとめ、絶対的正義=光=キリストが、絶対的悪=闇=反キリストを殲滅(せんめつ)することが予定されているという二元的、二項対立的な世界観の大前提を置く思考様式のことである。

 20世紀が終わりに近づくにつれて、終末が間もなく到来しそうだという「待望」が保守派キリスト教に広まっていった。敬虔なキリスト教徒にとって、終末は恐怖に満ちた破滅ではなく、祝福すべき救済を意味する。だから待望なのである。

 良識ある人々は、前節で紹介したような政権内の要人達の発言に眉をひそめはしても、あからさまに非難するようなことは控えるようになっていった。そのような人々が非愛国者の烙印を押されかねないほどの異常な雰囲気に飲まれていたのである。

 「原理主義の特質こそ、実に9.11以後のブッシュ政治の中核であり、それは人であろうと、組織、行動、イデオロギーであろうと、一種の政治的現実を、2つの対立項として描き出す」とデイビッド・ドムク氏は論じる。

 この黙示録的思考に支えられた行動様式のスイッチを入れるのが、「だまし打ち」によって自らが不当な攻撃を受けたとする特殊な被害者意識である。米国寡 頭勢力は、この特殊な被害者意識を操作することを深く学習している。この意識はかつて「真珠湾のだまし打ち」という米国内向けプロパガンダ的言辞として操 作された。そして9.11の件でも、この特殊な意識の蠢動は寡頭勢力の操作対象であった。

 第8講で述べたように、旧約聖書のヨシュア記にまでさかのぼることができるこの特殊な深層感情は、愛と平和の維持を担保する攻撃本能の発露でもあることに注意されたい。

 宗教社会学者のマシュー・ロスチャイルド氏は指摘する。「イラク戦争とは、ネオコンに説得された福音派キリスト教徒のブッシュ氏が、ソ連崩壊後の世界で、アメリカを『自由の守護者』として捉えなおし、テロリズムの種を捲く『ならず者国家』討伐に乗り出した戦争である」。

 一般にネオコン(新保守主義)とは、外交政策において自由主義覇権論をとなえ、独裁政権に対して直接の武力介入による転覆などを唱導する急進的な集団である。ネオコン、福音派、キリスト教原理主義が9.11の危機を眼前にして、特異な共時現象を起こしたのである。

戦争の正しさの基準としての正戦論

 戦争は人々を不幸にする。しかるにキリスト教は宗教戦争を引くまでもなく様々な戦乱、様々な争いの主要な当事者の1つになってきた。だからキリスト教 は、戦争が宗教的、道徳的に正しいか否かを審査する基準を議論し、あてはめようとする正戦(just war)論を発達させてきた。

 筆者が在籍していたアメリカの大学でも他大学でも、正戦論はリベラル・アーツとして位置付けられ、軍事大学院や外交を講ずる政策大学院では専門科目の一環として、高校においてさえも初歩の正戦論はカリキュラムの1つとして組み込まれている。

 まず、戦争が正しいものであるか否かは、2つに区分される。

 1つめは、戦争を始めるにあたって7項目に集約される規準を満たしていること。(1)自衛が目的であるという正しい理由がなければならない。(2)正義 の比較優位、つまり相手より自分達に正義が存在するということ。(3)国の最高議決機関による開戦の承認と決定が必要。(4)戦争の目的は平和の復旧とい う正しい意図のもとにあるべき。(5)勝てる見込みのある戦争のみを行う。(6)平和的な交渉を尽くした後の最後の手段でなければならない。(7)戦争に よって得る便益は、戦争によって引き起こされる邪悪さと損害に釣り合ったものでなければならない。

 2つめは戦争中の戦闘行為についての規準で、大きく3つに分かれる。(1)戦闘員と非戦闘員を厳格に区別し、非戦闘員や非戦闘員が居住する地区を攻撃し てはいけない。(2)偶発的な市民の殺傷は軍事的な利益と照らして釣り合わなければならない。(3)不必要、過度な殺戮や破壊を制限するために最低限度の 軍事力を行使しなければならない。

 イラク戦争開戦にあたっては、この正戦論が徹底的に議論された。だが、戦争をリードしたネオコンの関心は、むしろ正戦論に合致するような情報操作による 開戦の正当化であり、正戦論に抵触しないような戦闘行為に関する情報操作、情報統制だったとされる。喧伝されたイラク国内にあるとされた大量破壊兵器はい まだに発見されていない。2004年10月には、アメリカがイラクに派遣した調査団が「イラクに軍事的に意味のある大量破壊兵器は存在しない」との最終報 告を提出した。ブッシュ大統領は退任直前のインタビューで「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」 と述べ、CIAなどの諜報活動で入手した大量破壊兵器の情報は誤っていたことを認めた。

 

親イスラエル感情と黙示録的思想

 キリスト教原理主義者だけではなく、穏健な福音派にも共通するものが黙示録的な終末信仰と、それに立脚したイスラエル支持の特異なメンタリティである。 多くの福音派にとって、イスラエル共和国の建国は聖書に予定された「ダビデ王国の復興」であり、イエス・キリストが再臨するためには、イスラエルの存続は 犯すことのできない条件である。

 黙示録的な終末信仰では、世の終わりの前には中東地域で大戦争が起こるとされている。それも神に予定された計画であると。この文脈のなかでは黙示録的思考を共有する人々にとって、イラク戦争はまさに「聖書預言の成就」と映るのである。

 ブッシュ政権の親イスラエル的な政策の背景には、このような親イスラエル的な原理主義者や福音派の強い支持があった。神の摂理とともに存在するイスラエ ルを支援するのは、彼らにとって自明なことであり、福音派の団体、組織、教会などが莫大な献金や寄付をイスラエルに与え、占領地へのユダヤ人入植を熱心に 協力してきたのである。

オバマ政権で抑圧される宗教右派

 2009年3月、オバマ大統領は人の受精卵が分裂する過程で取り出す特殊な細胞「ES細胞」を使った医療研究を助成する大統領令に署名した。「生命倫理の一線を越える」として拒否権を発動したブッシュ前政権との違いを際立たせた。

 4月のプラハでの演説では、広島・長崎への原爆投下を指す「核を使用した唯一の保有国としての道義的責任」に触れ、「核のない、平和で安全な世界を米国が追求していくことを明確に宣言する」とまで述べた。

 また、オバマ大統領は6月にカイロで「私はアメリカと世界中のイスラーム教徒の間の新しい出発を求めてここにやってきた」と演説した。この演説では何度 も「クルアーン」の言葉を引用するなど、イスラーム社会への和解の姿勢を鮮明に打ち出すことにも腐心。「無垢の人を殺戮する者は人類のすべてを殺戮するも のである」という「クルアーン」の言葉を引用して、改めて過激主義者との闘いを継続する決意を表明した。

 「アメリカはイスラーム社会全体と戦争をしているわけではないし、将来においても決して戦争をすることはない。しかし、わが国の安全に重大な脅威を及ぼ す過激主義者とは断固として対決するつもりである」と言い、イスラーム世界とイスラーム過激主義者の間に明確な一線を引いている。イスラーム過激主義者と いう用語のみをオバマ大統領は使っている。

 広島、長崎への原爆投下を「日本人に対する神の懲らしめ」と賛美したのは、米福音派連合のハロルド・オケンガ師や長老派でファンダメンタリストのカー ル・マキンタイヤー師である。イラク戦争を熱烈に支持した伝道師ジェリー・ファウウェルやバット・ロバートソンはレーガン時代には、核戦争を終末予言と結 びつけ核兵器禁止運動、核兵器抑制運動、核兵器廃絶運動を「反キリスト」と決めつけたほどだ。

 いわゆる共和党を支えてきたキリスト教ファンダメンタリスト、福音派を含む宗教右派は、民主党のオバマ大統領の登場で抑圧され、フラストレーションをつのらせている。この集団的フラストレーションというリスク要因が反動に転じて顕在化する時が、厄介である。

 国際機関、国際企業の幹部はおろか、アメリカの動向に関心を抱く向きにとっては、ぜひとも比較宗教の視点からのインテリジェンス・リテラシーを磨くことが今後の重要なテーマとなる。

 

    【参考文献】

  • マーティ・アプルバイ、「原理主義と国家:その組織、経綸、戦闘性を考察する」、1993年
  • 栗林輝夫、「キリスト教帝国アメリカ」、2005年
  • 藤原聖子、「現代アメリカ宗教地図」、2009年

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第11講:キリスト教国家アメリカ中枢の黙示録的思考 :ITpro

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