第5講:仏教に埋め込まれたインテリジェンスの連鎖

 前回、仏教に縁のある厩戸皇子(聖徳太子)と秦氏について語ったので、このあたりで世界3大宗教の一角を占める仏教を諜報謀略論の俎上にのせる。抹香臭 い話はさておき、仏教の歴史に埋め込まれたインテリジェンスを解きほぐしていきたい。近現代の社会に甚大なる影響を及ぼした仏教思想の底流には、「個人、 企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす情報・知識を収集し、活用する」というインテリジェンスの連鎖が存在する。

 

宇宙の不変法則を説いた仏教

 まずは仏教の基本から。仏教とは歴史的に実在した仏陀釈尊が説いた法と教えを実践する宗教である。シャカ族の王子、ゴーダマ・シッダールタは放浪の旅に 出て悟りを開き、釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)と呼ばれるようになった。一神教では「God」が真理だが、釈尊は宇宙の不変法則(因果律)をダルマと とらえ、それを真理とした。

 では、仏教の真理とは。
これあれば、かれあり。これ生ずれば、かれ生ず。
これなければ、かれなし。これ滅すれば、かれ滅す

諸行無常 → 万物は常に変化して終わりがない。
諸法無我 → 万物は「因縁」の作用によって生じるので実体、実在はない。
涅槃寂静 → 煩悩が吹き消された悟りの世界(涅槃)は最高の安らぎである。
一切皆苦 → すべては苦である。

 最初の3つの命題が三法印で、一切皆苦を加えて四法印という。以上は教えである。釈尊は、輪廻転生からの解脱を最重視し、プラクティカルなメソドロジ (修行法)を残している。四念処法、四正勤法、四如意足法、五根法、五力法、七覚支法、八正道、である(雑阿含経「応説経」)。例えるなら、専門職大学院 の7分野における全35講座の実践的なトレーニング手法のようなものである。

 以上が本来の仏教の基本の基本なので、ぜひ覚えておこう。

 さて、釈尊の入滅後、100年くらい経ってから仏教教団は分裂した。「上座部」という伝統的秩序を保つ集団から独立して、新しく改革派の「大衆部」とい うグループが形づくられたのだ。これを仏教学の分野では根本分裂という。仏教学者の中村元が推察するように、当時のインドでは、農業、商工業、人々の往 来、貨幣経済が急速に発達しつつあり、格差も広がり社会状況が混沌の様相を呈し始めていた。

 その後、教団は様々な部派に分岐。それに伴い、いろいろな経緯があり、たくさんの経(経典)や論(論文、学説)が創作され世に出てきた。法華経が書かれ たのは、釈尊滅後からほぼ500年後のことで、紀元前50年から紀元前150年くらいのことである。そして創作された多くの経や論は北の方向に伝わって中 国へ伝搬した。

 

仏教の普及を促した、天台智者大師のインテリジェンス

 時は経て、隋の時代の中国。智顗(ちぎ、538 – 597年、以下尊称の「天台智者大師」とする)は、インドから中国に伝わってきた仏教経典に精通する博覧強記の僧である。

 お釈迦様が説いた言説を記録した経典はすべて尊いはずなのだが、あまりにも膨大で、短い一生ですべての経典を読むことは凡人ではできない。どの経典にプ ライオリティを置いて読んでいったらいいのか。信者にどのように説いたらよいのか。天台智者大師は、このような切実な疑問と課題に直面した。

 そこで七難八苦の末、天台智者大師は、仏教の全仏教経典の価値を判定したのである。これを教相判釈(きょうそうはんじゃく)という。経典の品定めである。ただし「大きな前提」を天台智者大師は設定した。

 すなわち、「すべての御経はお釈迦様が説いたことがらを記述した正当なテキストである」と。

 この大前提のもとで、天台智者大師は次のように経典の価値を判定した。お釈迦様は、最初に華厳経をお説きになった。その教えが難しいため人々が理解でき なかったとして、次に平易な阿含経をお説きになった。そして、人々の要望に応じて、方等経、般若経をお説きになった。最後の8年間で法華経と涅槃経をお説 きになった。そして入滅の前、最後に説いた法華経がお釈迦様の最も重要な教えであるとした。これを五時教判(ごじきょうはん)という。

 天台智者大師ほどの高僧が苦心してこのような結論を下したので、隋の仏教界はもちろん、大方はその教えに従った。そして遣隋使や渡来民を通して仏教を摂 取した日本も、天台智者大師の教えに沿って仏教を信仰するようになったのである。606年に聖徳太子(厩戸皇子)が法華経を講じたと日本書紀は伝えてい る。

 仏教伝来前の日本には輪廻転生の思想はなかったので、日本仏教は「輪廻転生からの解脱を図る」という、そもそもの仏教の目的からズレてゆくことになる。

 それ以降、華厳宗、法相宗、律宗、天台宗、日蓮宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗、融通念仏宗、浄土宗、時宗、浄土真宗、真言宗をはじめとするいろいろな仏教 の宗派が生まれた。仏教は今も昔も世界宗教ではあるが、昔のほうが、ワールド・バリュー(世界価値)として慄然と光り輝いていた。

 特に日本では法華経の人気が高い。法然、親鸞、日蓮など鎌倉仏教の祖師も法華経をひたすら信じて、信仰した。曹洞宗の祖師である道元は、「只管打坐」(ただひたすら坐禅すること)を成仏の実践法として重視したが、その教学的裏づけは法華経に立っている。

「農業・商業=仏行」という仕掛け

 平成の現代においても、法華経を信仰する仏教教団は非常に多い。天台智者大師の教相判釈に加え、法華経はわかりやすさ、直裁さ、強烈さ、美しさが民衆の心をとらえる。法華経には、情念の深いところに染み込むように魂を奮い立たせるような力さえある。

 法華経は長い歴史を通して、大きな影響を日本社会に与えてきた。

 天台智者大師の法統と血脈(けちみゃく)を継承する最澄は、当然のこととして法華経を根本聖典とした。その後、鎌倉時代の宗教改革者、日蓮は「南無妙法 蓮華経」と唱えさえすれば仏性を得ることができるとして、“時代に対するレジスタンス”と宗教的情熱をもって説きまわった。

 江戸時代には、鈴木正三(1579 – 1655年)が「仏法と渡世の術は同じで、各々の職分の中に仏法を見出せ」と説いた。これは職分説と呼ばれる。「一鍬一鍬に、仏を唱えて耕作すれば、必ず 仏果に至る」と農業即仏行を説いた。また石田梅岩(1685 – 1744年)は、享保年間、拝金主義や贈収賄の風潮が世の中全体を覆う中、「商人の売買は天の佑け(助け)」「商人が利益を得るのは、武士が禄をもらうの と同じ」と述べて、倫理に根差した商行為の正当性を説いた。「商人は二重の利を取り、甘き毒を喰らい、自ら死するようなことをしてはならない」と説いた。

 正三、梅岩は法華経を頻繁に引用しているので、法華経は行動様式の側面から間接的に日本資本主義の成立に寄与している。ちなみにアメリカの社会学者ロ バート・ベラーは、梅岩の「倹約の奨励や富の蓄積を天命の実現と見る考え方」をマックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で とらえたカルヴァン主義商業倫理と同型とみなしている。

 

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に観音菩薩の姿を見る

 宮沢賢治も激しく日蓮を敬慕する法華信者であった。特に賢治は「観音経」に強く傾倒した。「観音経」は、「法華経」の「観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)第二十五」の略称だ。

 観音菩薩は、さまざまな姿に変身して、すべての人々のあらゆる悩みや苦しみを救ってくれる万能の救済者である。「雨ニモマケズ」は、この万能の救済者を モチーフに、「現実世界で素朴に生ききりたい」と強く、純朴に念じる、賢治の内部世界の文学的自己表出である。ちなみに英語世界に向けてロジャー・パル ヴァースは「雨ニモマケズ」を“Strong in the Rain”と訳して大好評を得ている。

 2.26事件の北一輝や、A級戦犯の大川周明など国粋主義憂国の烈士たちも、日蓮宗の信徒として『立正安国論』に依拠して法華思想に傾倒した。アジア、 日本を植民地化しようと目論む西洋列強を「野蛮の外夷」と呼び、日本を法華経の仏国土と見なす国粋主義日蓮宗のイデオロギーは、近代日本の排外主義にもつ ながっている。日本書紀の「掩八紘而爲宇」を援用して、八紘一宇・五族協和思想を説いた田中智学(たなかちがく)は、立正安国会を設立、後の国柱会となっ てゆく。

 これらの系譜の中心的教義も法華経である。賢治のほかに、高山樗牛や石原莞爾も国柱会の主要メンバーだった。石原莞爾は弁証法的戦争論を書き記し、実践 した日本帝国陸軍の戦略家である。石原の戦争を弁証法的に論ずる「最終戦争論」は英訳されて欧米の軍事学大学院でも熱心に読まれている。

 このように法華経はジャパナイズされた日本仏教の系譜はおろか、後世の日本資本主義成立という一大事、その後の政治経済、昭和の改革運動、国粋主義の展 開、八紘一宇・五族協和思想を背景にもつ満州国建国にまで深く、広く影響している。戦後は、法華経系の新興宗教が多数設立されるなど、日本社会全体に対す る影響力は大きかった。

 

仏教の“ウソ”を見抜いた富永仲基の大乗非仏説

 しかし、天台智者大師が設定した「大きな前提」、つまり「すべての御経はお釈迦様が説いたことがらを記述した正当なテキストである」は、実は間違いだった。近年、内外の研究成果により判明した。日本に伝わった中国経由の仏教の正当性、正統性が問われる一大事である。

 日本国内の科学的仏教研究家として際立つのは富永仲基(とみながなかもと、1715 – 1746年)である。彼は「出定後語(しゅつじょうこうご)」で大乗非仏説を合理的に論証してみせたのだ。富永仲基が用いた加上説とは、後代に生まれた学 説はその正当性を示すために、必ず先発の学説を抜こうとして、より古い時代に起源を求め、複雑さを増すというある種の法則である。

 仲基は加上説をフル活用して、より古い経典の教説に異なった教説を加上(累積的に加えながら)しながら発展してきたことを実証的に分析した。その合理的 な分析の結論として、大乗仏教の経典は後世に創作されたと主張したのだ。仏教界は論理的に反論することなくいきりたち、彼を排撃し、のちには黙殺した。

 富永仲基はオシント(一般公開情報)を用いた文献考証の天才である。天台智者大師でさえも気づかなかったことを論理の力で立証した業績は特筆ものだ。そ して次に述べる欧州の仏教研究に先駆けて通説を真っ向から否定し、大乗非仏説を論考した鋭い洞察力は日本の誇りとなるはずであった。

欧州の仏教学者も「偽物」と判定

 さて海外の研究成果は、明治時代に、欧州の仏教研究から生まれた。経典宗教であるユダヤ教、キリスト教の宗教学的研究はテキスト・クリティーク(史料批 判)と呼ばれる経典テキストの真偽判定、来歴判定、本源性判定を徹底的に行う。欧州の研究者たちは、この手法を容赦なく仏教テキストにもあてはめたのだ。

 富永仲基が没してから1世紀以上経った1876年、南条文雄(なんじょうぶんゆう、1849 – 1927年)という仏教者がサンスクリット(梵語)研究のため渡英し、オックスフォード大学のマックス・ミューラーのもとでヨーロッパの近代的な仏教研究の手法を学んだ。

 その過程で南条文雄は、欧州の仏教研究者が法華経を正統な仏教経典として扱っていないことを知った。欧州の仏教研究では、サンスクリット語やパーリ語で 書かれた原始経典に重きを置いていた。厳格なテキスト・クリティークの結果、なんと法華経はフィクション(創作、偽作)との烙印を押されていたのである。 富永仲基が得た結論は日本で黙殺されたが、欧州仏教学は富永仲基と同じ結論に到達していた。

 南条文雄は真実を知ってとても複雑な気持ちになった。法華経は、仏陀直説の教えではなく、全く別のフィクション・ライターが書いた偽作だと欧州でも念を 押されたのだから。1世紀以上も前に、富永仲基を排撃・黙殺した日本仏教界のエキセントリックな行為も南条文雄は知っていた。

 いずれにせよ、内外の学問研究によって法華経は仏陀釈尊直説を記した経典ではないということが歴然と判明している。だが、自らの存立に影響する重大な学問的成果に対して、日本の大乗仏教界の反応は鈍かったし、現在も鋭敏ではない。

 

それでも大きな影響力を及ぼした仏教の本当の力とは?

 それまで真であると信じていたことが、実は真ではなかった。日本の仏教徒は、ある意味、偽物の経典を信じて(信じさせられて)きたことになる。そして法華経の影響は、仏教界はおろか、政治、経済、教育の諸制度にまで甚大に及んでいる。

 後味がよくないこと、このうえもない。このように、およそ真でなく誤謬を含むものごとも、デファクト・スタンダードになることがある。

 “de facto”とは「作られたるがゆえの」を意味するラテン語だ。ある時代の人材がインテリジェンスをもって次の世代に熱烈な信仰者を生む仕組みを作り、そ こから新たな才能を持つ人材がまた別のインテリジェンスをもって次の世代の熱烈な信仰者を生む仕組みを作っていく。この精巧なインテリジェンスの連鎖によ り、時代や地域を超えたデファクト・スタンダードを作り上げる「強い力」が生み出された。

 次回は、法華経が書かれた当時、釈尊滅後からほぼ500年後の諜報謀略について少し掘り下げてみよう。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第5講:仏教に埋め込まれたインテリジェンスの連鎖:ITpro

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