この本の著者、Christakisはオモシロイことを言う。つまり、ある人が幸福な友人を持つと、その人が幸福になる可能性は約9%増大し、不幸な友人を持った場合は,幸福になる可能性が約7%減少する。また、幸福な人は、他人の幸福を考慮し,幸福な人と関係性をとり結ぼうとするし、幸福な人同志は群れる傾向がある。
なるほど、これらの傾向は身の回りを見ているとかなりあてはまる。類は友を呼ぶというが、ハッピーは人はハッピーな人同志で群れたがるというのは世界のどこに行っても当てはまる思う。
心理学者のFredricksonによると、前向きさや楽観は、喜び(joy)、満足(contentment)、興味(interest)、愛(love)とともにポジティブ感情として分類される。さらにポジティブ感情は、多様な側面での認知的機能の向上が認められている。たとえば,創造性が高められ(Isen, Daubman, & Nowicki, 1987)受容性が増進される(Estrada, Isen, & Young, 1997),注意の幅が拡張される(Isen, 2003)などである。すなわち,ポジティブ感情を継続的,安定的に保持することにより、人は、多様なものことに気づき、受け入れ、創造的なアイディアを創発させる契機の一端を享受することができるというわけだ。
以上は、innovationにしばしば異能や異才を凝集する場と面白い雰囲気、明るい未来を大胆に構想する無邪気さ、幸福感がないまぜとなった文脈が必要とされる証左だ。シリコンバレー、ボストン郊外のルート128、パリ、ロンソン、どこでもかしこもイノベーションの坩堝となりえる場には、病的に?ハッピーなヤツラが多いのだ。もしかして、ヤツヤは自らがイノベーティブであることを見せつけんがために、ポジティブでハッピーな振る舞いをしているのか、とも勘繰りたくなるもなるが。
「ヤツはポジティブ病だからね」というにはシリコンバレーではかってよく耳にした言葉だ。
いずれにせよ、上で言及したような傾向は、人間関係を通して伝わり、やがて共有されるようになる。そのような状態において、協力が失敗する確率よりも協力がうまくいく確率の方が高まる。
で、なぜ人は協力するのか?という疑問。答えは進化のプロセスに行き着く。大昔、人は仲間と狩猟して獲物を手に入れ、その後、農耕時代にはあまたある作業、つまり種まき、栽培、収穫、焼き畑、灌漑、貯蔵、配分、物流などを協力して行い生活の糧を得てきた。それらを円滑に行う人々のDNAが自然淘汰、あるいは棲み分け(今西錦司)で強い集団を幾千幾万もの世代を経て、進化の過程で遺伝してきているからだ。つまり、他人を思いやるよう進化してきたがゆえに、行動を選択するにあたって他人の幸せを考慮するようになった、ということになる。
他人を幸福にすることによって自分に帰ってくるリターンを最大化するのさ、とでも新自由主義者は言うのであろうか?これは他者を「資源」とみなすヒューマン・リーソース・マネジメントの操作主義だ。殺伐としている。
さて、多退職連携やチーム医療の蹉跌は、診療報酬制度の経済インセンティブ、医療安全や質向上のための「あるべき論」、「こうしなさい論」など窮屈な管理病が蔓延していることにある。こういう人材になりましょう的なコンピテンシーモデル論は、やり方を間違えると、パロディーというかオワコン的な、無味乾燥な「あるべき論」に堕ちること必至だ。もっと溌剌としたハピネス、自由闊達な幸福論からアプローチする多職種連携やチーム医療があってよい。
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