あっという間に3月も3分の1が終わりつつあり、慌ただしくも新年度を迎える準備に余念がない。そんな落ち着かない慌ただしさの最中に、春の花をしかと愛でる余裕を持ちたいものだ。かようにつらつらと思っていた矢先、なにを思ったか家人が、かいがいしくもミモザのリースをつくり、玄関のドアに懸けたというではないか。一瞥すると、なかなかの出来栄えである。
3月は弥生。弥生といえば、梅。梅といえば、菅原道真のかの名高い和歌を思い出す。
東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて春な忘れそ (大鏡)
藤原時平の讒言によって、大宰府に左遷された道真が、京都の梅に託して、主人である自分がいなくとも、春の季節の巡りを決して忘れずに、梅の花を咲かせ、東から吹く風に乗せて、そのほのかな梅の香りを、はるか西の方向にある大宰府まで届けておくれよ、という身に染みるほどに切ない歌だ。その切なさが、憂いのない梅の華やかさと実に相いれず、いや、相いれないがゆえに、いっそう、その切なさ、不条理を引き立たせるのだ。
・・・と、ここまでは一般的かつ常識的な解釈である。しかし、八千代市高津という土地に棲息する私という文脈で、この和歌を詠むと、複雑な心象模様が去来することを避けることはできない。
その不条理な事件を惹起させた当事者の時平の娘(高津姫)を祭る多岐都比賣(たかつひめ)神社が、八千代市高津にある関係上、毎年初詣に参拝する際には、複雑な気持ちになるのだ。
時平は、災いを次々と引きこす道真の怨霊から逃れるため、家族、一族を率いて京を出て、はるか未開の地、東国の下総国にまで落ち延びた。現代とは異なり、平安の古には怨霊思想こそが、おぞましくも、デファクト思想だったのだ。そして藤原家の荘園があった下総国の高津(現・八千代市)に居を構え、この地で終生過ごしたという伝承が、この地には伝わっている。後に高津姫が亡くなったあと、近在の村人たちが高津姫の御霊を祀り、そして、執拗な道真の怨霊を退散させるために、多岐都比賣神社を建立した。
多岐都比賣神社を毎年参拝している身としては、仇敵とも解されよう菅原道真公が鎮座まします大宰府天満宮を参拝する時にはさすがに緊張したが、念のため九字を切り、護身法でわが身の周りにしかと結界を観想・荘厳してから参拝したので、事なきを得たのだが。
「千代に八千代に、道真の怨霊から逃れることができるように。そう願って、『八千代』と命名した」というのが私の仮説だ。いつか本格的に郷土史を研究してこの仮説を検証できないものかと思案している。
さて、そのようなおどろおどろしい怨霊の文脈が埋め込まれた菅原道真の象徴「梅」と、ミモザの可憐な美しさは対照的でさえある。物語や特殊な文化的な文脈が埋め込まれていないからだ。すくなくとも、自分にとってはだが。
ミモザは、オジギソウなどのマメ科オジギソウ属に属している。葉の形がそっくりである。紅梅、白梅の赤と白ではなく、爽やかな黄色が鮮やかに春を告げる。花弁は小さく、また咲く姿が可愛らしい。3月8日の国際女性デーは、別名「ミモザの日」とも言われ、男性から女性に贈られる象徴的な花でもある。その象徴の一端を語るミモザの花言葉は、優雅、秘密の愛、真実の愛、秘かな愛、豊かな感受性、神秘、であるという。これらの象徴的な花言葉は、なるほど、道真が被った不条理、道真が変化(へんげ)した怨霊とは別次元の明るくて健康的な余韻に満ちている。
コメント