九州→纒向→飛鳥への王権シフトをシステム科学で読み解く

箸墓古墳

〇鉄の登場は「農業革命」と「軍事革命」を引き起こした
鉄。元素記号Fe。錆びるけれど、文明を錆びつかせなかった。この地味で重たい金属が、人類史におけるイノベーションの大転換をもたらしたのは周知の事実である。


鉄製の鍬(くわ)や鋤(すき)は、耕地拡大のスピードを劇的に引き上げ、農業生産をブースト。増えた作物は人の命を支え、人口増を引き起こした一方で、鉄剣・鉄矛といった武器は、青銅器の比ではない破壊力をもたらした。生産コストも抑えられたため、武装集団の規模が一気に拡大。結果として、より「戦(いくさ)に強い」勢力が政(まつりごと)を握るという権力構造が形成されたのである。

〇邪馬台国は「引っ越し」した? 九州から纒向から飛鳥へ
古代日本においても、3世紀〜4世紀にかけて鉄器の本格導入が進み、社会構造と王権のかたちは大きく変容していく。北部九州を拠点にしていたとされる邪馬台国は、奈良盆地の纒向(まきむく)へと重心を移し、そこからさらに南の飛鳥へ。まるで「王権の引っ越し」だ。

もちろん、これは単なる住所変更ではない。むしろ、環境変化に応じて社会システムを最適化する「アロスタシス(Allostasis)」、すなわち適応的な再編成と見なすべき現象である。

〇複雑系社会のなかの「王権進化論」
ここで登場するのが、現代システム科学のキーワードである「複雑系」と「アロスタシス」だ。複雑系とは、多数の要素が相互作用しながら秩序や機能を自律的に生み出す動態のこと。そしてアロスタシスは、変化する環境に応じて安定性を維持するための再構成メカニズムである。

纒向遺跡や箸墓古墳を「邪馬台国の終着点」ではなく、「王権構造の転換点」として捉えれば、九州vs畿内という静態的な「所在地論争」に終止符を打てるかもしれない。論点は「どこにあったか」よりも、「どう動いたか」なのだ。

……とはいえ、箸墓古墳の調査には宮内庁のお許しが必要。倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の正体が明らかになれば、論客たちの長きにわたるバトルにもついにエンディングが訪れるかもしれない。

〇鉄は遅れてやって来る「優等生」だった?
鉄の冶金技術は、紀元前1200年ごろにアナトリアから東方へと伝播し、日本列島には紀元前後に本格的に導入された。これだけ見ると「日本はちょっと遅れ気味?」と思われそうだが、そこにこそ利点があった。

鉄器社会がすでに成立していた中国南部や朝鮮半島からは、技術や制度、軍事ノウハウが「セットメニュー」のように流れ込んだ。つまり、日本の地域勢力たちは、他地域の試行錯誤の成果を“ダウンロード”して活用することができたのである。

纒向は、鉄器、農業、宗教儀礼、墳墓などを高次に統合し、政治統合のハブとして機能した。それは、単なる村落の集合体ではなく、社会のOSがアップデートされたのだ。

〇寿命のデータが物語る「王権と社会」の成熟
鉄と農業の普及は、ただ戦と米の話ではない。実は人々の寿命にも影響を与えた。斎藤(2017)や小田(2005)によれば、出生時平均寿命は、縄文時代では14〜20歳、弥生時代で15〜23歳、古墳時代には20〜25歳へと向上している。

これは「大人になる前に命を落とす確率」が減ったことを意味しており、栄養や医療、社会インフラの改善を示している。王権を担った人々にとっても、制度的経験を持つ「ベテラン層」が増えたことで、安定政権の礎が築かれたと考えられる。

〇鉄が導いたアロスタシスとしての王権再編成
以上を踏まえれば、日本列島における王権の進化とは、鉄という外来技術に端を発する、環境適応型の社会システム再編=アロスタシスであったと言える。纒向から飛鳥への「王権のシフト」は、単なる地政学的変化ではなく、農業革命と軍事革命、そして人口・制度の成熟化が絡んだ複雑系ダイナミクスだったのだ。

現代の視点からみれば、このような変化は「遅れてきたテクノロジー」がもたらす社会の統合力と、複数勢力を束ねる柔軟な統治構造の可能性を教えてくれる。歴史のなかの「遅れ」は、しばしば未来をつくる「余白」なのかもしれない。

小田富士雄(2005)「弥生時代人骨の健康と寿命」『日本文化人類学会報』

斎藤成也(2017)『人類の起源』中公新書

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