九谷焼の青粒鉄仙の抹茶碗

<抹茶と和菓子>

一年に何回か抹茶をいただく機会がある。京都や金沢に限らず、ちょっとした名所旧跡がある土地には抹茶を出す店が増えているようだ。

歩き疲れて、さあ、一服しようか、という時に、さっと入ると落ち着くものだ。無機質なコーヒー店よりは、抹茶に和菓子のほうが、なんとなく風情もあるし、趣深いものもある。

抹茶の淡い緑色の表面には無数の泡が並び立ち、その緑色をしっくり包むのが九谷焼の青粒鉄仙の抹茶碗。 内側には細筆で和歌が描かれている。その、和歌を読みながら、青の細かい粒と金色で鉄仙の花が精巧に盛られた抹茶碗を手になじませる。

青粒鉄仙の抹茶碗の手前には、桃色と黄色ながらも、ほんのりとした意匠で拵えられた和菓子。

抹茶と和菓子の妙味を楽しむだけではない。和歌を読むことによって言語中枢が刺激され、さまざまな色彩に触れることによって色彩を認識する神経系も刺激される。茶碗を手に包み愛でることによって触覚にも、茶碗を創った創作者が秘めていただろう躍動感も伝わってくる。味覚、色覚、触覚が、そこはかとなく、ないまぜになり、内発する。

それらをまるごと楽しむ、というのはかなり高度で複合的な認知的な所作、つまり、遊びなのだろう。


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