数年前、徒然なるままに、というか近在の神社に関する好奇心にひたすら誘われて、時平神社と天満宮の呪術的な位置関係を重点的に歩いて調べて論文にしたことがあった。そのとき自転車に乗って訪れたいくつかの八千代市に点在する時平神社に「羽黒山・月山・湯殿山」という山の名を刻んだ石碑に遭遇して「おや?」と思ったものだ。
千葉県は全国的に見てもとりわけ出羽三山への信仰が盛んな地域として知られてる。八千代市の時平神社に江戸時代の出羽三山の石碑があっても不思議ではない。むしろ、「男は一生に一度は三山に行くもの」という言葉さえあるくらいだ。もちろん、ここでいう「三山」は、船橋の三山(みやま)神社ではなく、奥州の出羽三山(さんざん)だ。
今年の3月には伊勢参りを車中泊しつつ縄文の痕跡を辿ってみた。ならばつぎは陸奥(ミチノク)の出羽三山参りだ。下手な語呂合わせではないが、ミチノクは、陸奥だが、道の奥(ミチノク)、さらには未知の奥(ミチノク)でもある。道の奥に静かに鎮座して、未知の存在の奥には出羽三山が鎮まっている。
本年度一杯で所属している大学院と大学学部の教授職を定年退職するので、少々洒落て、人生の節目として出羽三山参りもよいだろう。ヘルスケア・システムの研究を行っている自分にとって人が生まれて死んでゆく過程に対するマインドセット、つまり「死生観」は研究対象でもある。生から死を垣間見て、死から生を逆照射して眺める。そんな研究旅行である。
研究旅行といっても、気取ったものではない。4輪駆動のクルマに登山道具、テント、寝袋、炊事道具、焚火道具、行動食を積んでリサーチの対象となる山域をドサ回りをするスタイルだ。余計な先入観に影響されたくないので、今回は参考文献のほとんどはフィールドワークが終わってから読むことにした。
ではでは、出羽三山の神社仏閣や山々を歩きながらも、出羽三山に遍満している死生観あるいはウェルビーイング観をシステム思考的なレンズで俯瞰してノートしておくことにした。
出羽三山への登拝には、おおむね3つの意味があるだろう。第1は、山に昇る先祖の霊を供養すること。第2は、登拝することで生きながらにして死後の世界(冥界)を体験し、穢れたわが身をいったん捨て死に、そして蘇ることだ。これを擬死再生ともいう。そして登拝をすませると一般の人とは異なる「行人」となることができる。第3は、これら通説的な二つ以外に、自分自身の視座を作りあげることだろう。
今回の研究ドサ回りの旅の重点は第3である。現地を歩きながら、また、現地でいろいろな方々と語らったり、感じたり、考えたり、あるいは風景を眺めたり、事後的に文献を渉猟することで端緒を掴みえた死生観に関する価値のシステムは4つほどある。出羽三山をめぐる死生観には以下の4つの価値システムが含まれているが、随時、書き綴ってゆきたい。
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