医療サービスの根っこ

ヲタな内容だが、大切なことなので、医療サービスの価値共創性について、ちょっとメモっておく。

(1)医療サービスマネジメントの根っこに関する経済学的な見方

医療サービスそのものが、市場で取引されるサービス財ではなく、社会的共通資本であると捕らえる。教育、司法、行政などとともに、医療サービスは、社会的共通資本(Social Common Capital)の制度資本である。社会的共通資本の管理、運営は決して、官僚的基準に基づいて行なわれてはならないし、市場的条件によって大きく左右されてもならない。社会的共通資本は、それ自体、あるいはそこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足にさいして重要な役割を果たすものであって、一人一人の人間にとって、また社会にとっても大切なものだからである。詳細は宇沢先生との議論。 資料1 社会的共通資本としての医療

この見解は、ミルトンフリードマン流の、市場主義マンセーの、ゴリゴリの新自由主義ドグマを徹底的に、かつ合理的に批判するもの。

政府の経済的機能は、さまざまな社会的共通資本の管理、運営がフィデュシァリー(社会的信託)の原則に忠実に行なわれているかどうかを監理し、それらの間の財政的バランスを保つことができるようにするものである。政府の役割は、統治機構としての国家のそれではなく、日本という国に住んで、生活しているすべての人々が、所得の多寡、居住地の如何に関わらず、人間的尊厳を守り、魂の自立を保ち、市民の基本的権利を充分に享受することができるような制度をつくり、維持するものでなければならない。

(2)医療サービスの発生源に対する法律的な見方

患者と医師の実態は、通説の契約的医師患者関係というよりは、むしろ、信認関係(fiduciary relation)である。 日本では、患者と医師の関係は、診療契約説(民法656条の準委任契約)という枠組みで議論されることが多かったが、これは間違い。アメリカでさえも、患者と医師の関係は、信認関係(fiduciary relation)として法的にとらえるのが標準。

(3)医療サービスのサービス性に関するservice science 的な見方

「顧客は、常に価値の共創者である。サービス中心の考え方は、元来、顧客志向であり、関係的である。価値は、受益者によって、常に、一意的かつ現象論的に判断される。(Vargo & Lusch, 2006)(この見方、日本でも最近はよく紹介されるようになってますね)

以上の見方をまとめれば、医療サービスは、社会的共通資本であり、医師、看護師、薬剤師などの専門家、病院経営者へ社会的に依託されたフィデュシァリー(社会的信託)なサービス。医療サービスの価値は、医療提供者が勝手に決めるべき性格のものではなく、提供者、受益者が、ともども参画して、とらえられているという性格のものとなる。信認関係が、医療サービスの共創性を担保しているといえる。

 

 

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