広島での学会はかれこれ15年くらい付き合いのある気心が知れた共同研究者といっしょだった。彼はアメリカの大学で医療リスクマネジメントの研究を積んだのち、別の大学で教鞭をとっていて、帰国してから医師免許を取得した異界越境型の人材だ。そんな彼と日本医科大学の医療管理学教室で知り合ってから、延々と、共同セミナー、共同研究、共著論文の執筆、カナダ短期留学や科研研究で一緒にやっている。
界隈には、緩いながらも広範な研究コミュニティなるものが海を越えて形成されている。この研究コミュニティがご縁となって知り合ったイギリス留学の経験を持つ教授が、日赤広島看護大学の学長となって、そんな関係性もあり、広島に招待講演で呼ばれたというのがご縁である。
で、ここまでは研究志向のプロフェショナルな関係のなかでの人づきあいなのだが、広島からの帰路、京都に立ち寄って古い友人たちと会って再会を楽しんだ。学部学生時代は自転車中心の放浪生活をおくっていたことも手つだい、W大学サイクリングクラブ(WCC)と歴史的な交友関係のある京都のD大学サイクリングクラブ(DCC)の連中とも密度の濃い付きあいがあったのだ。
その濃さとはこんな具合だ。自転車を分解して輪行袋にいれて、東京駅から大垣行きの深夜鈍行に乗る。翌朝、大垣駅から京都駅行きの鈍行に乗り換えて、眠い目をこすりながら京都に着くと、京都駅ではDCCの友人が出迎えてくれる。当時の貧乏学生がよく使っていた特殊な手法を用いたので鈍行の交通費は格安(無料に近い)となった。
その後、丹後半島や京都の北山のさらに奥深い佐々里峠、花脊峠、北山峠あたりを縦横無尽に走り、D大学の「ボックス」とよばれていた体育会系クラブが集まる建物を拠点に、DCCの友人たちの下宿やK本、K森の実家をチャリで回遊して転がり込み、飲めや食えやの繰り返しとなる。D大学は京都女子大とも仲睦まじいを関係を持っているので、勢い余って、ありがたくも京都女子大学サイクリングクラブの「京女」の淑女サイクリストたちともご縁が生じ、奈良、明日香あたりを鼻歌まじりで走ったことも。
(京都女子大学サイクリングクラブOGのK勝さんやS谷さん、元気かなぁ・・・)
それやこれやで、ディープな文脈を共有している自転車系仲間は、まさに趣味的同類項に深い根をはった関係性の坩堝のようなものだ。卒業後45年たっても、当時のバカさ加減がないまぜとなった自転車放浪系の文脈は生きているので、F越、K本、K森、O辻にWCCの関西在住のJ保がわっと集まって飲めるというのは実にスバラシイことだ。
昨日は、コーネル大学時代の旧友と3人で集まり東京駅近くの高級な飲み屋で旧交を温めた。3人ともコーネルの大学院でビジネスやマネジメントを学び、その後、アメリカ系のコンサルティング会社を経て起業家になったプロフェショナルな経験を持っている。11月の米国大統領選挙の行方、債券市場、歴史的な暴落を演出した日本の株式市場の裏話、富裕層の行動、コンサルティング動向など実に興味深い話に花が咲いた。
振り返れば、学部、修士、博士はまったく別の大学で放浪したのは本当によかったと思う。それぞれのディープな文脈で中の良い連中との関係性は途絶えるとことなく継続しているからだ。トーマス・ジョイナー、ロバート・ウオールティンガーなど、口をそろえて、健康で幸福なより良い状態(ウェルビーイング)には「人と人との関係性こそが決定的に重要」だというが、そのような言説を下敷きにすれば、なおのこと、この1か月あまりの古い友人たちの立て続けの邂逅はじんわりと意味深いものに思えてくる。
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