
書こう、書こうと思いつつ、いろいろ忙しいので後回しになっていた。春先に、弾丸が飛ぶがごとく大和三山を登って飛鳥を散策した話だ。
大和三山の標高は、畝傍山が199.2m、耳成山が139.7m、香具山が152.4mの低い低山だ。縄文時代の古くから神聖視され、いろいろは神々が習合したり、後から付け足されたり、覆いかぶさったりしている。万葉集など多くの歌に詠まれたこと、また古代の都市計画や政治の舞台として重要な役割を果たしていることは周知の通りだ。
この日は、前日温泉で温まってから飛鳥の某所で車中泊をして、朝日が出るとともに行動開始。
橿原神宮。早朝、まだ数人しか参拝者はいなかった。祝詞をあげている年配の方がいた。参拝を済ませてから畝傍山を登拝。眉間のあたりのチャクラがピリピリした感じになる。さすが霊山というかパワースポットだ。
畝傍山を下山して飛鳥寺へ。 日本で最初にできた仏教寺院。ガイドの方の説明が実に面白く、いい気持になっていろいろ質問すると丁寧にすべて答えてくれた。有難し。仏教というパッケージに、鉄、銅の鋳造、医術、暦法、土木技術といった当時のインフラ系テクノロジーが収まっていて、当時としては驚天動地の技術経営(MOT;Management of Technology)の価値の頂点に統治理念としての仏教を位置付けようとしたことがよく分かる。
橘寺は、聖徳太子が生まれたあたりだ。ちょうど境内には桜が咲いていて、そこから眺める飛鳥一体の里山の風景はなんとも言えず。飛鳥坐神社には驚いた。境内のいたるところに男性器を形どった石柱が無造作に並べられている。仏教伝来以前の生命崇拝またはアミニズムの原初的風景か。当時の東アジアのグローバルスタンダードの仏教の視点からみると、土俗的な古風はいやはやという感じだったのだろう。
万葉文化館も実によい。無料だ。地元の有志のボランティアの方が丁寧に説明してくれた。なんでも地元で工務店を経営しているという。展示物のアフォーダンスも熟慮されていて、ためになることばかり。万葉的言語観は、言の葉のもとの平等。
ロゴス的言語はギリシア哲学における真理探究の文脈で発展し、「世界を把握し、制御する」志向性が強い。英語のその系譜に属している。いっぽう、大和言葉(特に万葉集の言語)は、ミュトス(神話、物語)的言語だ。自然や命への共感、江戸時代に宣長が言ったように「もののあはれ」「うつろい」「おもかげ」を前提とした言葉であり、儚い世界とともにある呪術的な共生感覚が基盤にあるように思われる。
ちょうど昼になたので、小奇麗な館内のレストランで「飛鳥野菜カレー」なるランチをとる。美味なり。
そそくさと香久山の麓にクルマを置いて、香久山登拝。「春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)」。天香山神社の祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)。境内にある「朱桜」という古名で知られる「波波枷の木」(ははかのき)は、占術に用いられたという。
次は、耳成山だ。池を挟んで向こう側にある駐車場にクルマを駐車。登拝耳成山口神社の祭神は、高御産霊神(たかみむすびのかみ)と大山祗神(おおやまつみのかみ)。農耕神・水の神として祀られていたため、雨乞いの神事が伝わっている。これで大和三山全山コンプリートだ。やや疲れた。
そして、疲れた体に鞭打って南に向かい高松塚古墳へ。とはいえ、自転車ではなくクルマだから楽だ。高松塚古墳は、7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された円墳。高松塚古墳の壁画は、律令国家の成立を成し遂げた文武天皇の時代を象徴する壁画とされる。
キトラ古墳は、明日香村阿部山にあり「北浦」が転訛したも伝えられるが、四神の玄武(亀)と白虎(虎)に由来するとも。両者を足せばキトラだ。1983年の調査で、石室内に四神図(青竜、白虎、玄武、朱雀)と十二支像が発見され、大騒ぎになった。ここの天井の宿星図は、現存する日本最古の天文図とされ、同時代の中国の天文図が現存しないことから、東アジア古代天文学の貴重な物証か。星宿は東西南北の四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)と連動して描かれており、死後の世界や宇宙観を象徴する道教的世界観の反映なのだろう。いや、単なる天体観測図ではなく、当時の宇宙観・死生観・宗教思想・科学知識が統合された埋蔵史料なのだろう。
キトラ古墳から檜隅寺(ひのくまでら)まではクルマで5分くらいだ。檜隅寺を歩き回ると、飛鳥時代における仏教文化の受容と展開において、渡来系氏族の果たした役割がよくわかる。檜隅寺は、飛鳥時代に存在した檜前(檜隈)氏という渡来系氏族の勢力圏内に建立されたということになる。檜前氏は百済系の渡来人の流れを汲み、仏教・医術・暦法・土木技術などの最新テクノロジーの導入と活用をもって、朝廷に仕えた技術者集団だったのだろう。
こんなことをつらつら感じながら、目を飛鳥の里山に泳がせば、そこにはたおやかな稜線と田園風景が広がっている。古代飛鳥のテクノロジーマネジメントを仏教伝来、渡来氏族の定着と同化という視点から掘り下げた本は、ありそうでない。いつか書いてみたいものだ。
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