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「デザイン思考」という考え方が、ものことづくりの現場やいろいろなラボで流行ってきている。モノツクリのデザイン思考は、モノを使う人間を中心に置いて、使い勝手やモノがもたらす価値をいかに見せるのか、見える化するのかというけっこう複雑な表現系の考え方となる。次世代のMOT(技術経営)などでは、デザイン思考は大きなポイントになるはずだ。
では、健康・医療・保健・福祉などの広い意味合いでのヒューマンサービスに「デザイン思考」を持ち込むとどうなるのだろう?もともと、サービスはモノと素朴に比べれば、タンジブルなかたちがない、触れない、保管が効かない、その場で生まれ消える、そして、目に見えずらい、という厄介なシロモノだ。
さて、仏教の方には「抜苦与楽」という言葉がある。
この言葉、もともとは「仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて福楽を与えること」をさすが、転じて、人はみな、まわりの人々の苦痛に寄り添い、できれば苦を抜いて、ポジティブな楽しみ、愉しみを与えるように生きよう、という教えにも繋がっている。好きな言葉の一つだ。
モノの「デザイン思考」ではどちからというと「与楽」が大きな位置を占める。一定の健康に恵まれ、仕事でさらに効果、効率、生産性などを楽しみながら上げてゆこうというイノベーションだ。この記事に紹介されているように、新しいデザイン思考で注目を浴びつつあるスタンフォード大学のd-SchoolやIDEOのソリューションを見えても「与楽」の側面が強い。
それに対して、ヒューマンサービスでは、「抜苦」に相対的な比重が置かれている。たとえば、がんを患った時などに利用する緩和ケアサービスでは、「苦しみ」といかに寄り添って付き合ってゆくのかというソリューション(問題解決)が求められる。それも、上の図に示されているように、一言で「苦しみ」と言っても、身体的苦痛もあれば、社会的苦痛や精神的苦痛もある。そして、もっと深くて「意味」的で「価値」的なスピリチュアルな苦痛が横たわる。
現在、プロとして緩和ケアを提供している知人・友人もいれば、期せずして緩和ケアを利用している知人・友人もいる。双方に接していることもあり、余計に身につまされる・・・。
解決されるべき問題=苦しみをいかに見せるのか?そして共有するのか?それらができてはじめて、問題解決の糸口を得ることができる。しかも、「苦」は、他者にはじつのところわかりづらい、本人の主観や価値観に大きく左右される、非常に多面的でかつ不定形だ。そして「苦」は、「苦」を背負う人の過去、現在、未来を繋ぐ複雑な文脈に埋め込まれている。
「人間性の面からイノベーションをもたらすための方法論」がデザイン思考であるとするならば、人間にとって避けられない苦を「抜苦」してまさにバックサポートするヒューマンサービスシステムにこそ、新しいデザイン思考の方法論が必要だ。
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