
最近、あらためて「旅と読書と研究って、なんか似てるなあ」と思う。どれも「非日常」に身を投げ込む行為だ。しかも、ただ楽しいだけではなくて、どうも脳にいいらしい。なぜか? それは、人間の身体の一部である脳がもつディープラーニング(深層学習)の働きと関係がある。
〇旅で「予測不能」に遭遇する
旅の醍醐味は、何が起きるか分からないことだ。知らない土地、初めての人、慣れない言語、謎のローカルルール……。そのたびに「えっ、そう来る!?」と脳がびっくりしながらフル回転する。こないだ旅した飛鳥でもそうだった。実はこれ、脳が変化に合わせて脳自身をアップデートして「組み替える」アロスタシスという機能が働いているからだ。予測できない状況は、脳神経の新しいつながりを育てる最高のチャンスなのだ。
〇読書で「他人の脳」を借りる
一方、読書は知的な安全圏からの旅とも言える。ページをめくれば、何百年前の人と話せるし、宇宙の果てにも行ける。フィクションにしろノンフィクションにしろ、著者の思考と感情のネットワークに、こちらの脳が「相乗り」している状態だ。自分一人では気づけない視点を得て、思わぬ感情に揺さぶられ、いつの間にか脳内の配線(ニューラル・ネットワーク)が更新されている。自分のちんけな脳だけでは経験できない経験を体感することでもある。
〇研究で「問い」を深く耕す
研究というと小難しく聞こえるけど、要は「これ、なんでこうなってるんだろう?」をとことん問い詰める営みだ。問いを立て、考え、調べ、また問い直す。知識を寄せ集めて、それを自分なりに組み直す。この作業は、ニューラル・ネットワークの「隠れ層」に働きかける。つまり、今までバラバラだった情報や知識の点がつながり、思考が立体的になっていく。そして、たまに「おお!」とひらめいたときの快感といったら……脳が喜んで踊っているのが分かる。
〇三つ合わせて最強
この旅・読書・研究の三本柱は、それぞれ違う神経回路を使ってる。旅は身体と感覚、読書は他者との共感、研究はメタ認知と構造化だ。一見バラバラに見えるのだが、好奇心によって駆動されるというのは共通している。旅したい、読みたい、探求したいという内側から沸沸と湧き上がるような好奇心は、脳内報酬系(ドーパミン経路など)と強く結びついていて、内発的動機づけは、進化の過程で自己組織的に形成されてきた。
いずれにせよ、旅、読書、研究によって、身体にくっついた脳内の神経的な繋がり合い、つまりニューラル・ネットワークが豊かに拡張されて、目の前の世界の見え方ががぜん変わってくる。価値観も揺れるし、自分の「こうあるべき」みたいな固定観念もほぐれていく。そして気づけば、ちょっとだけ、昨日より深いところで「自分として生きている」感覚が育っている。自分をアップデートするような感覚だろう。
紙媒体の次作では、変容的ウェルビーイングについて少なからぬ紙数を費やした。変容的ウェルビーイング——なんて言葉を使うと急に堅くなるけど、要するに「自分の在り方そのものが深まっていく幸せ」のことだ。それは、ただ快適な状態にとどまる主観的ウェルビーイングとは違って、試行錯誤や違和感、不安をくぐり抜けた先にやってくる。
だからこそ、旅に出て、読んで、研究して、身体に繋がった脳を更新する。旅・読書・研究の組み合わせが、実は、脳みそに効くのだ。
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