旧石器時代の方法で黒曜石の石鏃をつくる


赤岳から命からがら下山し、まずは「ホテル大雪」のサウナへ直行。限界を迎えた体に熱気が染み渡り、脳内麻酔が分泌されたところで、トドメのラーメンをすする。この時点で完全に仕上がった私は、層雲峡のホテルへと帰り、泥のように爆睡した。

翌朝、層雲峡ホステルで目が覚めて談話室へ向かうと、昨日赤岳の下山途中で出会った79歳のレジェンド登山者がいた。しばしディープな雑談を交わしたが、なんとこのお方、昨年心臓の大動脈にステントを入れる手術をしたばかりだという。それなのに2000メートル級の大雪山を「ちょっとそこまで」と言わんばかりに平然と縦走する体力。人間の限界とは一体何なのか。彼の旅の記録や学生時代のディープな思い出話は、五臓六腑に染み渡るほどためになった。

さてこの日は、昨日の激闘を癒やすための休息&移動日。

かつて己の脚力への挑戦として、60歳前後の頃、自転車で2回ほど這い登った思い出の石北峠へ。……いやはや、クルマって本当に素晴らしい文明の利器だね。アクセルを踏むだけで進む。しかし、驚いたことに、以前は峠の頂上で元気に営業していたあの懐かしのラーメン屋が、跡形もなく消え去っていた。

気を取り直して、留辺蘂(るべしべ)から国道242号線を北上し、一気に遠軽へ。ついにオホーツク圏内へと突入だ。湧別川の河原に降り立ち、怪しい不審者のように目をぎらつかせながら石を採取。その後、進路を南西に変えて丸瀬布(まるせっぷ)へ向かう。

丸瀬布昆虫生態館で、美しくもどこかおどろおどろしい昆虫標本たちと見つめ合ったあと、仕上げに丸瀬布温泉やまびこへ。お決まりのサウナと水風呂による冷温交代浴で、無事に今日も「ととのう」の境地へ達した。今夜は向かいのキャンプ場でワイルドにテント泊……と計画していたのだが、ふと横を見ると広大な駐車場が。しかもありがたいことに水場付き。「あれ? テント張るの面倒くさくない?」と悪魔が囁き、急遽、発想を大転換。車中泊という名の「動く秘密基地」を決め込むことにした。

翌朝、クルマの横にアウトドアチェアをパッと設え、大自然の中で優雅にコーヒーを淹れる。これぞ至福のひととき。カフェインを注入し、いざ今回の北海道アウトドアツーリングの2番目のミッションの地、白滝の遠軽町立埋蔵文化財センターへ。ここには、どうしても体験したい男のロマンがあるのだ。本州にも旧石器時代の埋蔵文化財を陳列している博物館はゴロゴロあるが、「実際に石器を作らせてくれる」というガチな指導を行っている施設は極めて希少。

常々、旧石器時代のホモ・サピエンスのウェルビーイングってどんなものだったのだろう?という疑問が胸にあった。そんな疑問が燻って、さ迷ってたどり着いたのが遠軽町立埋蔵文化財センター。

旧石器時代、人にとって毎日が命がけのサバイバルの連続だった。狩猟採集で今日のメシを確保し、命がけで寝床を探し、子孫を残す。しかも現代よりはるかに極寒な、氷河期の名残がある過酷な環境である。現代人のように「推しのSNSが更新されない」とか「生成AIのハルシエーションがうざい」なんて生ぬるい悩みは一ミリもない。そんな過酷な環境に適応するため、旧石器時代のホモサピエンスはアーティファクト、つまり「道具」を創り始めた。ここ白滝には、遥か約220万年前の激烈な火山活動の際、地下から噴出したマグマが急激に冷やされ、天然のガラスである「黒曜石」として現代に残されているのだ。

この黒曜石は、旧石器時代の人々にとって、神秘的に黒く光る「魔法の石」だったに違いない。何せ、ちょっとコツを掴んで叩いたり、グッと圧迫したりするだけで、触るもの皆傷つける鋭利なサバイバル・ツールに変身するのだから。数年までに信州の平井遺跡では、縄文時代の精神性や霊性について思いを馳せた。それ以来、縄文時代に先行する旧石器時代に生きた人々の精神風景にいたく興味を持つようになったのだ。

もっとも、黒曜石の石器が単に「狩る・切る・なめす」といった生存(サバイバル)のための道具に過ぎなかったのかといえば、必ずしもそうとは限らない。木村英明(2005)は、白滝遺跡群から出土した長さ30センチメートルを超えるような「巨大すぎる非実用的な石器」や、数千点に及ぶ剥片・石器の意図的な集中的埋納(デポ)を分析した。その結果、当時の旧石器人にとって白滝(赤石山)は単なる鉱山ではなく、「強大な霊力を持つ黒曜石を生み出す聖地」であり、石器の埋納は大自然から資源を授かったことに対する「感謝と返還」を意味する奉納儀礼(ネイチャー・カルト)であったと論じている。

また、栗島義明(2010)は、旧石器時代の人々が特定の場所に石器や磨製石斧を「埋納」する行為について、実用的な備蓄としての側面を認めつつも、それが徐々に「資源の消費そのものを伴う祭祀(神への供献)」へと発展していくプロセスであったと位置づけている。つまり、旧石器時代の人々と大自然(神)とのインターフェイスとして機能した尖頭器などの石器は、単なるアーティファクト(人工物)に留まらない。それは感謝と返還を象徴し、そこに大いなる霊力の発露を感じさせる呪具としての意味をも内包していたのだろう。

さらに敷衍して言えば、旧石器時代の人々のいい状態=ウェルビーイングとは、みずからの生存もさることながら、大自然(アニミズム的神)やその発露としての霊力との交流をも包摂したかなり精神的な広がりに裏付けられた身体知だったのではなかろうか。インターネットやAIといった現代人の道具は、自然や霊からは隔絶してしまっているが、旧石器時代の人々にとって、もしかしたら、黒曜石の石器は自然と霊と地続きの場にあったのだろう。

というわけで、そんなことを考えながら、現代の考古学研究者たちが再現した「旧石器の製造方法」という古代のソフトウェアを学ぶべく、また、ものづくりの原点を見極めるべく一般向けのワークショップに嬉々として参加した。黒曜石の角の部分をたたいて割るのは鹿の角の先端を丸くしたもの。左足に皮をかぶせ、そこに黒曜石を置いて、狙いを定めて黒曜石の端2mくらいの部分をエイヤとばかりに鹿の角をたたきつける。

なんと、この日の参加者は私一人! 専門知識と圧倒的な技量を持つ学芸員さんを独占し、まさかの「パーソン・ツー・パーソン」による超親身なプライベート・レッスンを受ける贅沢に恵まれた。そうして、ハアハアと言いながら必死に制作した写真の右側。左側は漆黒の黒曜石の原石だ。

ちなみに、この赤と黒がマーブル状に混ざり合った美しい黒曜石はマホガニーオブシディアンと呼ばれる。北海道の十勝地方などで採れる、黒いガラス質の中に鉄分による赤い模様や縞が入った希少な国産黒曜石で、地元では「紅十勝石(べにとかちいし)」や「花十勝」とも呼ばれ珍重されている代物だ。何万年もの時空を超えて、古代人と学芸員さんと私が黒曜石を通じて繋がった、最高のロードムービー的休日となった。

私は、自分が作った黒曜石の尖頭器を狩猟のツールとしては使うわけでもなく、もっぱらそれ以外の用途、つまり呪具として接するつもりだ。これを現代人の先祖がえりという。

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