縄文時代の協働、協力は、どのような姿だったのだろうか?好奇心にまかせて、いま、こんなことをつらつらと調べている。調べたことを、ある雑誌に頼まれた連載記事に寄稿し、講演でもよく言及している。多職種連携や、人と人とが協力して、なにかを生み出す協働は、なにも文字を使うようになってからの話ではない。まして現代社会特有のことでもない。
旧石器時代、縄文時代にも、協力、協働をもちろん行っていた。でも、協力や協働というソフトな関係性そのものは、消えてなくなっており、埋蔵文化財のアーティファクト(人工物)を通して「解釈」してゆくほか、類推する手立てはない。
千葉市教育委員会生涯学習部文化財課の方のお誘いで、千葉市の加曾利貝塚で催された「至高の縄文鍋調理実験」の集まりに首を突っ込んだ。興味津々で参加したのだが、いろいろとためになったね。この貝塚あたりには、現代でもいろいなコミュニティが埋蔵文化財のまわりでいろいろな活動を行っている。なかでも注目されるのが、加曽利貝塚土器づくり同好会だ。実験考古学の一端として、活動している集まりなので、自由な創作ではなく、あくまで縄文時代の素材、技術、用途にそって複製をつくるという学術性が担保されている。すばらしい。
土器の機能は、水やとってきた食料を入れ、煮沸し、煮炊きして、調理することだ。土器で調理することによって、固い物が柔らかくなり、アクが抜けて、それまで食べることができなかったものを食べることができるになった。肉類や魚類、貝類、草菜類、デンプン質といった複数の食材、さらには調味料としての塩などを組み合わせることによって、いくつもの好みの「味」をつくりだすことができるようにもなった。それによって、ホモ・サピエンスの縄文人は、多様な食物を食べ、多様な栄養素を確保し、健康を増進し、サバイブできるようになった。土器はイノベーションである。
その会員の方と縄文時代の「合わせる」遊びの力について、あーだこーだ楽しい雑談、四方山話をした。記念にと託されたのが、その人が丹精込めて造形したかの加曽利E式土器のレプリカ(写真)だ。じつにありがたいことだ。ご縁に感謝。
さて、イノベーションについて深い洞察を刻んだシュンペーターは、イノベーションの源泉を、「異質なものの新しい組み合わせ」と説いたが、この洞察は当たっていると思う。ただし、「組み合わせ」を精緻に分解してみる必要があろう。
足し合わせ・・・・・造形を足し合わせる
掛け合わせ・・・・・粘土を混ぜて焼成しやすくする
組み合わせ・・・・・土器の外面のそりとむくりを組み合わせる
編み合わせ・・・・・編みあわせた縄を押しつけて文様を創り出す
それらか北海道に飛んだ。共同研究をやっている札幌市内の病院で用をすませ、帰りのフライトまでのスキマ時間を使って、函館本線の大麻(おおあさ、と読む。日本では違法薬物扱いされているタイマではない、念のため)にある北海道埋蔵文化財センターにまで脚を伸ばした。
アポなしでの訪問にも拘わらず、親切な学芸員の方からいろいろ懇切に説明をいただき、雨あられのような質問にも1時間にわたって丁寧に答えていただいた。アカデミックな議論でもあるし、自由闊達な雑談でもある。いやー、ためになった。後学のために「北海道の縄文文化~こころと暮らし」という高価な書籍までいただいてしまった。ちょうど、北海道の縄文文化を概説した書物を求めていたので、シンクロニシティの発動だ。深く感謝。
遠軽町の上白滝8遺跡から検出された後期旧石器時代の大型尖頭器のシンメトリックな秀麗さに目を見張るものがある。黒曜石から作りだされる石器は、縄文時代にあって、激烈なイノベーションだった。両端のエッジを立て、両側の刃に曲線をそろえ、全体のバランスは道具というよりは、むしろ、工芸品のような作りこみだ。認知考古学の松木武彦氏は、このような作りこみの巧を、「凝り」と表現している(旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記)。凝り、というようりは、そこに埋めこまれているのは、機能美を追求する「あそびとこだわり」のほうが近いだろう。
土器や石器には、道具としてのファンクショナリティ(機能性)に加え、ホモサピエンス的「あそびとこだわり」が横溢している。その「あそびとこだわり」のまわりに、縄文の人々の関係性が築かれ、イノベーションが創発され、じつに多様な改善や意匠が施されたのだろう。「あそびとこだわり」が人と人を、人と聖霊とを深いところで繋げるのである。
このように日本人には「あそびとこだわり」を、時にそこはかとなく、時にどん欲に求める心象が息づいている。逆にいえば、今の世でも「あそびとこだわり」なきところに、多職種連携もないし、チームワークもないということだろう。大切なことをわすれてはいないか?
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