羽黒山の神仏習合(神仏混淆)システム

出羽三山神社

大進坊の風呂と美味しい食事で、昨日の月山登拝の疲れもとれ、今日は羽黒山の登拝だ。参拝しながら、いろいろ調べて考えてみた。

羽黒修験は伝統的には神仏習合の実行形式をとる。仏や菩薩(本地)が衆生を救うために、神という仮の姿(垂迹身)となって人々を救うという価値システム。平安時代初期から全国的に広まり、八百万の神々と仏が仏教に主導されることによって融合し共存することとなった。「本地垂迹」 説は多くの民衆にも受け入れられ、北インドに発祥して日本に伝来した仏教が土着化するための一大根拠ともなった。

江戸時代の天台宗と真言宗の抗争・軋轢、明治に入ってからの神仏分離・廃仏稀釈、大東亜戦争敗戦に伴う国家神道解体など、攪乱要因は多数あったが、出羽三山全体を通底する価値システムは自己組織的であり、本地垂迹の関係はおおむね以下のようになるだろう。

          月山 ←―――→ 羽黒山 ←――――→ 湯殿山

本地      阿弥陀如来    観世音菩薩    胎蔵界大日如来    

垂迹      月読命      倉稲魂命     大山祇命・大己貴命  

                 少彦名命

時間軸      過去 ←――――→ 現在 ←――――→ 未来 

明治維新以降、廃仏毀釈、神仏分離の大波が出羽三山をも飲み込み、西川須賀雄という平田派の国学者が明治政府から出羽三山初代宮司に任命された。西川は「恐らくは此日本国中ニ而第一之仏之巣窟と見認候」と書き残しているように、本地である仏教を敵視して、仏教や仏教色を消去しようとした。平田篤胤は学際的で実証的な研究を貫いたが、どうも周辺にいる平田信奉者にはエキセントリックな人物が多い。そんなこともあり、戦後の平田篤胤のイメージにバイアスがかかったようだ。

ちなみに、西川は、出羽三山における廃仏毀釈のほかにも、長崎キリシタンの弾圧、教部省による国民教化、富士講の教派神道化にも深く関与して推進している人物だ。その一方で「西川須賀雄は平田派の国学者であり、かつ情熱的使命感あふれる青年神道家であった」という評価もある(後藤, 1999)。

さて、西川は、修験者を集めて「棄仏」を強要し、従わない者からは、山内の末社や、月山登山路の行者小屋を取り潰した。また、寺院に祀られている仏像、社殿を破壊して焼却した。翌明治7(1874)年、最も大切な行とされる「秋の峰入り」では、なんと西川自身が率先して大先達を勤め、神社帰属の修験者にのみ参加を認め寺院に帰属する修験者を除外する暴挙にも出た。 その後、西川は千葉県の阿波神社の宮司になっている。

明治以前は、羽黒修験は伝統的には神仏習合の実行形式をとっていたのだが、明治を経て、大東亜戦争の敗戦による国家神道解体後は、神道系の羽黒修験(出羽三山神社系)と仏教系の羽黒修験(羽黒山荒澤寺・正善院系)が並立てしまい、習合ではなく分離して活動を行っている。

いずれにせよ、死と生のコスモロジー・システムは、神仏習合(神仏混淆)システムと表裏一体をなしていたが、現在では、神道色つまり自然崇拝と先祖崇拝が全面に出ていて仏教的な転生思想は全面には出てきていないようだ。

自然崇拝と先祖崇拝と呪術は多神教世界では一般的にみられる特徴だ。一神教では絶対的なカミ(God)の支配のもと、他神は淫祠邪教として蔑まれオモテの世界にとどまることはゆるされない。神仏習合は、日本ならではの融通無碍な多神を許容し多様性を尊重する価値システムだった。

それが、神仏分離、廃仏稀釈によって換骨奪胎されてしまったのだ。ある意味、天皇教≒国家神道による宗教のムリスジな合理化のもと体制側に分離、収斂した神道による強権的イデオロギーの誘導的支配は、羽黒山の多神教的世界からは不幸なことであった。

大進坊の礼拝の間

さて、月山から下山して泊まったのは、羽黒山山麓の手向(とうげ)にある大進坊という総髪、妻帯修験の方が営む宿坊だ。そこで、大進坊第十七代目坊主/羽黒山伏の早坂一広さんと対話する機会をいただいた。早坂さんがおっしゃるには、

「たしかに仏教系の死生観と神道系の死生観は違います。修験の基本は自然崇拝。神道の根幹も自然崇拝。明治政府の神仏分離・廃仏稀釈の影響は神仏習合の修験道にとって大きな影響を及ぼしたが、ある意味、自然崇拝に回帰したのだから、よかったのではないか」

「文献で羽黒山の死生観を検討するのはかなり難しいですね。なぜなら山に伏し野に伏し山林抖擻 (さんりんとそう)という実践のなかでのみ、死生観を深めることができるからです」

羽黒山を取り巻く天台vs真言、神道vs仏教のこじれた摩擦、軋轢を経て令和の世の羽黒修験の特徴がよく表れた言葉のように思える。この日のうち、もっとも貴重な話を伺えたと思った。

 後藤赳司「出羽三山の神仏分離」、岩田書店、1999 

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