カナダ・オンタリオ紀行(4)国歌O CanadaとLGBTQIA

Canadaという単語が今のカナダ連邦を意味するようになり、「O Canada」は、1980年に「国歌」として法制化されたとう経緯がある。案外、新しいのだ。

この国家の歌詞にはTrue patriot love in all thy sons command、つまり「汝の息子全ての中に流れる真の愛国心」という有名な一節があった。男性名詞sonsつまり息子だけを歌詞に入れるのは性差別であるという根強い非難があった。つまり、女性やその他の立場はどうなるのか?という批判である。

その批判は、「リベラル」側から出されることが多い。その「リベラル」が多用する象徴的用語がLGBTQIAだろう。 LGBTQIAとはざっと以下のような意味合いだ。

L(レズビアン)体と心の性別は女性で、性的指向も女性である人。G(ゲイ)体と心の性別は男性で、性的指向も男性である人。B(バイセクシュアル)体と心の性別を問わず、性的指向が両性である人。T(トランスジェンダー)体の性別と心の性別が一致しない人。Q(クエスチョニングorクィア)クエスチョニングとは、自分の性別や性的指向を決められない、迷っている状態の人。一方のクィアはもともと、同性愛者などに向けて「風変わり」という意味合いで用いられていたが、現在はそれを肯定的に捉えた言葉として当事者によって使われている。I(インターセックス)体の状態を指すもので、体の性のさまざまな発達状態によって、性認識は変わっているという人。A(アセクシュアル)無性愛者。同性だけでなく異性に対して恋愛感情を抱かない、性的指向が誰にも向いていないセクシュアリティとされている。

さて、2010年、バンクーバーオリンピックで国歌のO Canadaが元気よく演奏されたが、同国が金メダルを取った14種目のうち6種目は女性選手であった。そこで、大いなる疑問を持ったカルガリー大学のドナルドソン名誉教授が「女性たちが名誉ある表彰台でin all thy sons commandと歌うのは目に余る。だって彼女たちは、thy sonsではないのだから」といったメールをスティーヴン・ハーパー首相宛に送ったところ、いろいろな議論が沸き上がったのだ。

それやこれやで、2016に「息子たち(in all thy sons command)」を「私たち(in all of us command)」に改める法案を議員立法で提出、下院を通過、2018年に上院で可決し、その場で新しい歌詞となった国歌が厳かに斉唱されることとなった。ジェンダー間の平等を実現する社会的な取り組みが、カナダ国歌の歌詞の変更をもたらしたのだ。gender-neutralな表現を選ぼうという姿勢は、このようにして英語圏では市民権を得ている。

だし、この種の議論は、パンドラの箱の蓋を開けてしまった感が強い。ひとたび国歌で用いられている表現の妥当性に関する論争を始めれば、LGBTQIA以外の多様な価値観をもとに、実に多様な意見が出てくることになるだろう。たとえば、平和主義者は“stand on guard”のguardとはなにに対するguardなのか?主敵としてなにを想定しているのか?無神論者は“God”という表現を削除せよ言うだろう。“native land”という表現は、nativeつまり、indigenous peoplesの土地ということなのか。もし、そうならば、欧州からやってきた白人との和解reconciliationはどうなるのか?などなど。

このようにカナダでは、「君が代」で欠落している興味深い議論が公共の場でなされている。公共圏で用いられる表現として、なにが公正で妥当なのかという視点から、東の島国と、英語圏のカナダを見比べてみると、社会におけるコミュニケーションの本質の一端が見えてくる気がする

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