断食とメンタル

なにを隠そう、大食いのほうだ。だから、ちょっと自転車やランニングから遠ざかると、すぐに太ってしまう。そこで断食を10年くらいやっていて、健康優良児(中年)の畏友から断食の方法や参考書を教えてもらった。こやつ、30年以上風邪で熱ひとつ出したことのない超人のような男だ。彼にあやかるべく、そして健啖家を返上すべく、「断食」を健康増進(オプティマル・ヘルス)メニューに取り入れて3年目。

断食(fasting)はもちろん、フィジカル面での効果は大きい。ダイエット、減量、抗老化、長寿遺伝子のオン、内臓脂肪の除去、体内の老廃物の除去など、医学研究でもずいぶんと根拠が積みあがってきている。

あまり報告されていないメンタル面での効果をメモしておきたい。

(1)呼吸が減る
断食をはじめてから1年くらいたった時に気がついたことがある。それは、毎回の断食開始後6時間もすると、呼吸をたくさんしなくてもすむようになることだ。通常、食事をすれば、摂取された食物を消化するために、大量の血液が消化管、内臓に動員され、あわせて大量の酸素が赤血球と結合されるため、体は大量の酸素も使うこととなる。ところが、断食をすると、食物を消化するという体の一大事業が休止するので、酸素の使用量もいきおい急減することとなる。その結果、体感的には普段の7割くらいの呼吸ですむようになる。
 
体にダメージを与えるもののひとつとして活性酸素の存在がある。酸素をやたらに摂取しなければ、活性酸素が体内に発生する確率も格段に減ることとなる。つまり、呼吸が減ることによって、活性酸素の悪影響から逃れることもできるようになり、結果として体にプラスに働くというように考えられる。
 
話がずれたが、メンタル面での稼動域を拡張して変性意識にいたる瞑想修行で得る状態を断食でも得ることができる。もっとも、断食でハラが減っているときは、余計な運動をするよりは黙って静かにしている、つまり瞑想するのがいい。断食中だと数息観の目安、つまり1分間に3-5回の呼吸数まで落とすのは容易になるのだ。
 
やや粗雑な言い方だが、少ない呼吸≒断食≒瞑想といえるのではないだろうか。
 
(2)変性意識の明敏化
断食に慣れてくると、瞑想をしている時のような感覚がじわっとやってくる。断食になれていなかったころは、ひもじい思いばかりがつのることがおおかったのだが、半年くらいすると、まるで瞑想しているときのような感覚を覚えるようになった。これは変性意識の賦活である。
 
いったいなぜ?と思い、いろいろ調べてみた。どうやらこんなことではないのだろうか。
 
①断食している最中とはいえ、体をめぐる血液の量はほぼ一定のはずだ。消化器とそれに付属する器官に循環する血液の量が減る分、脳を循環する血液の量はいくぶん増える。だから意識も明敏になる。
 
追記:前札幌医科大学教授の郷久鉞二医師は、自分自身で断食を試み、脳血流の変化を測定した。その結果、脳血流は断食時には通常の半分、脳の酸素消費量は35パーセント減少と報告している。これにより新皮質の過剰なはたらきが低下し、抑圧されている脳幹や辺縁系へのストレスが開放されるので生命力があがる、との説明を加えている。 出所:ドキュメント断食道場 1987年刊)
 
②断食をすると体内のブドウ糖などの糖分が急に減ってきてエンスト状態になってしまう。そこで、たまらず、生命活動を維持するための司令塔=脳は、それまで蓄えられてきた脂肪をエネルギー源として使うように体中に号令を出す。脂肪がエネルギーに転換されるときは、脂肪はケトン体という物質に分解される。
 
③このケトン体への分解がミソだ。「ケトン体をエネルギー源とした脳は、脳はのひとつであるα波を増やし、脳下垂体からはβエンドルフィンという物質の分泌が触れる」(甲田光雄・奇跡が起こる半日断食)こととなる。α波は脳がリラックスしながらも、意識は明敏に集中しているような時に発生する脳波。また、βエンドルフィンは、脳内の報酬系に多く存在する神経伝達物質で、鎮痛や多幸感、快楽、明瞭、明敏な意識状態をもたらすということが、いろいろな最近の脳科学などの研究によってわかってきている。
 
ケトン体は酸性の物質。健康な人体は弱アルカリ性なので、酸性を人体にとって有害なもと判断し、断食中は酸性の物質を体外に排泄しようとする。このとき、食品添加物、農薬、トランス脂肪酸など人体に有害なものは酸性の性質を持っているため、一緒に排泄される。これが、断食のデトックス効果だ。
 
以上が、ユダヤ教、キリスト教、回教、仏教、修験道などの、顕というようりは、密(エソテリック系=秘儀系)部門で断食が修行の一環として古来尊重されている大枠の理由だろう。唯識仏教のほうの言い方を拝借すれば、断食によって、五識、つまり、眼、耳、鼻、舌、身、そしてそれらの大本の「意」(妙観察智)が鋭敏になってくるのだ。
 
そこから、意識のスペクトルのもっと奥には、魂のおおもとである、マナ識(≒平等性智)、そしてアーラヤ意識(≒大円鏡智)、さらにはカーラナ識が横たわる。
 
このような階梯の最初の一歩がたぶん断食ではないのだろうか。
 
 

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