書斎は人生への投資である

   

 年末は書斎の整理整頓。いろいろかたずけながら、書斎についてメモしてみる。

一年という時間は書斎を中心にしてサイクルのように回っている。

つまり、春から夏にかけては自転車に乗って北海道ツーリングをしたり海外にでかけたりすることが多い。自転車は書斎兼ガレージに格納してあり、自転車ツーリングの計画は書斎で練るので、書斎が出発点となる。

秋から冬にかけては書斎にとじこもってひたすら活字を追ったり、論文や本の原稿を書くことに膨大な時間を費やす。暑い時期に外向的な活動で溜め込んだパワーを寒い時期になってからは内向的で知的な作業に向けるのだ。

アウトドアは外向的な活動だが、書斎の時間は内向的だ。

さりとて外的な環境に積極的に分け入って新しい境地を切り拓いてゆく外向性と内面世界に沈潜して活字を紡ぐという内向性は素朴に二項対立するわけではない。むしろ、外向と内向は相互補完であり、相互に浸潤しあう再帰的な性格を持っている。

その再帰の「場」が書斎だ。外に向かう外向性と内に向かう内向性が交わる豊饒の場である。

さて、多少なりとも知的な活動をしている人にとって書斎は必須にして不可欠の場だ。ここを根城にして古今東西の書物と語り合い、活字を紡いでは知的な発信もする。論文や書物を執筆する。

家族や世の喧噪から自身を隔絶し、自分だけの世界に埋没できる。かといって、孤独のみに埋没するのではなく、ネットに繋がったパソコンやデバイスがあれば、SNSやメールを使って世界中の友人たちとも交流できる。

いやいや、書斎とはそれ以上に私秘的で創造的な場である。

起業家になる前は外資系のコンサルティング・ファームで経営コンサルタントをやっていて、仕事の傍ら専門領域で単著2冊、共著1冊を書いた。共著は職場のコンサルタント仲間で一緒に書いたものだ。経営現場で得たアイディアを熟成させたり、個別の経営事象に理論の枠組みを与え体系化したりするのはすべて書斎の中の作業である。

そうして書いた「看護経営学」と「続・看護経営学」という本は売れた。全国から講演に呼ばれ、信じられないことに講演料と印税だけで結構な額のカネがたまったのだ。

さて、そのカネをどう使うか?

当時の最低資本金に相当するカネが講演料と印税だけでたまっていたので、書斎でワルだくみをした。秘密の事業構想アイディアをニヤニヤしながらとくと仕込み、事業計画を嬉々として書き上げ、自分の会社を創ることにしたのだ。

会社経営ではICTテクノロジーやネット系テクノロジーを起点にしたビジネスモデルつくりに心血を注いだ。いわゆるイノベーション・マネジメントだ。で、いいビジネスモデルを拵え、いろいろなコンテストで発表していろいろな賞をもらったり外部から出資を受けたりした。

資本金だけで2億円くらいまで増資したのだ。これらのビジネスプランも書斎で書き上げたので、会社(幕張副都心にあった)は書斎の延長線みたいなものだったのだ。

リーマンショックの寸前に奇特な上場企業の社長と役員がやってきて、自分の会社を買いたいと言ってきた。拝金主義の生臭い匂いを放つ、けっして好きなタイプの男たちではなかったが、デューデリを経て会社を売って小銭を稼いた。いわゆるキャピタルゲインというやつだ。あと半年遅れたら、こうはならなかったはずだ。運がよかったのだろう。

松下が会社を売却したという話が漏れ通わり、東京農工大学という国立大学の大学院でイノベーションや起業に関する授業を受け持たないかというオファーがあり、はからずも大学教授に転身した。

面白いことに、会社を売却して身から完全分離させたのだが、会社経営で蓄積してきたイノベーション創発や技術経営(Management of Technology)の自家薬篭中のノウハウ、経験、理論枠組みはがっちりと無形資産として残ったのである。

多忙を極めるベンチャー企業経営(フィールド)のかたわら、書斎(精神の安息所)で専門書を5冊書いている。会社の起業から売却までの全プロセスは、かけがえのない「経験学習」となった。

経験はだまっていれば暗黙知でしかないが、体系化して理論化すれば、汎用性のある形式知となる。暗黙知を形式知に転換する装置が書斎なのだ。

いずれにせよ、①書斎→②事業構想→③起業→④成長→⑤売却という流れの、⑤会社売却がイグジットなら、事業構想のエントランスは①書斎だ。書斎からビジネスが始まったのである。

暑い夏の日々、この書斎で冷涼の地に別荘を持つことを汗をかきながら妄想し、数年後には八ヶ岳の麓に第二の書斎、つまりセカンドハウスを持つことになった。本の増殖が一巡すると書斎も増殖するのだ。標高1300メートルで2冊の本を書き上げている。

かれこれ本も20冊近く、この書斎で書き続けてきている。会社を売却してちょっとしたお金と時間ができたので、重い腰を揚げて長年の課題だった博士論文を書くことにした。この博士論文もこの書斎でカタカタとキーボードを叩きながらせっせと書き綴ったものだ。

それやこれやで、仕事遍歴の伏流には、読み、考え、書くという所作の流れがある。読む、考える、書くという、そこはかとない知的な作業は書斎なしではありえない。今風にいえば、書斎とはワーク・デザインや自分イノベーションの起点なのだろう。

たしかに書斎は「男の隠れ家」や「秘密基地」といった意味あいもなくはない。しかし、書斎の本質は内向と外向という二つの異なるエレメントを止揚させて新しい境地を切り開く知的生産の場である。そのような場をつくることは、人生に対する真剣勝負の知的な投資なのだ。

ゆえに知的たらんとする男たるもの絶対に書斎を持つべし、なのである。

 

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