
大学院でヘルスケアデータサイエンス概論という授業を受け持っているのだが、今や、データサイエンスはヘルスケアを含めあらゆる学問に影響を与えている。ここでは、データサイエンスによって出力されるデータがどのように経営学を変化させるのかについて考えてみよう。一言で言うと、曖昧なものを測り、柔らかいものに光を当てる経営が求められ、それを実装する際の手助けとなるディシプリン。それがAI時代の経営学となるだろう。
〇データドリブンの「次の章」
経営学は長らく、定量的分析とロジックで「意思決定の合理性」を追求してきた。いわば、賢明な経営者の背後には、きちんと整理されたエクセルの表があるべきという世界観である。しかし近年、データサイエンスを駆動するAIとビッグデータの急速な発展によって、その「賢さ」の定義が変わりつつある。
AIは人間の「勘」に近いものを定量化し、「なんとなくうまくいってる」や「言葉にしにくいけど違和感がある」といった曖昧な領域をもデータに変え始めている。では、経営学における主要領域――組織論、戦略論、マーケティング、HRM/OB(人的資源管理/組織行動)――はこの変化をどう受け止めているのか?以下に見ていこう。
〇組織論:空気の可視化と構造化へ
これまでの組織論は、「人間関係」「信頼」「心理的安全性」といった“見えないもの”を、質的な聞き取りや質問票、アンケートで把握してきた。しかし、AIは「空気を測る」道具を手にし始めた。
たとえばセンサーデータやSlack上の言語分析を活用し、どの個人、チーム、部署が孤立しているか、どのチームに対話が生まれていないかを構造的に示すことができるようになっている。これは、従来の「組織文化を読む力」がアルゴリズムによる文化診断へと拡張されていることを意味する。
かつて「雰囲気」「文化」「組織風土」と呼ばれていたものが、「構造」として捉えられるようになったのだ。
〇戦略論:過去の分析から、未来の兆しへ
ポーター型の産業構造分析やSWOT分析など、従来の戦略論は安定した市場前提の「過去の因果関係」に基づいていた。だから、戦略論の世界には各種フレームで溢れている。しかし現在では、戦略の主戦場は「まだ起きていない変化の兆し」をどう捉えるかに移っている。
たとえば、特許情報を自然言語処理で分析し、どの技術が「次に花開くか」を追跡する予測技術。これはもはや、競合他社の動向を会議で話し合うのではなく、未来の地図をAIに描いてもらう試みとも言える。戦略が予測知と接続することで、経営者の「直感」が科学的に補強されていくだろう。
〇マーケティング:感情と行動のリアルタイム接続
「顧客の声を聴く」とは、かつては調査票に答えてもらうことだった。しかし今、顧客は言葉を使わずに感情を発している。たとえばSNS投稿、リアクション絵文字、動画コメント――すべてがマーケティングのデータ源である。
AIはこれらを分析し、商品のイメージや口コミの流れ、さらには「感動の強さ」まで測る。マーケターは今や、顧客の心理を心理学と脳科学の間でダンスするように解釈する時代へと突入している。
〇HRM/OB:データが“人を見る目”を持ち始めた
「人を観る目」は経験豊かなマネージャーの専売特許だった。しかし現在、AIが“人を見る目”を身につけつつある。履歴書情報だけでなく、行動ログ、発言傾向、さらにはビデオ面接時の非言語的表現などが、退職リスクや適応性の予測に用いられている。
しかも、AIはバイアスを排除するように設計されつつあり、人間の直観が持つ偏見よりも公平な評価を目指している。これにより、「人を見る」とは「人を育てる」ための、より客観的な土台を持つようになった。
〇理性と直感のあいだで揺れるデータドリブン経営
AIとビッグデータは、経営学に「曖昧なものを扱うための合理性」を与え始めている。数字だけでは測れなかった空気や感情、予兆といった世界を、数理的に扱えるようになったことで、経営は“理性と直感の協奏”としての新しい形を模索している。
言い換えれば、データドリブン経営は、上手に実装すれば「より人間らしい知性」に近づいている。そこでは、曖昧さを消すのではなく、曖昧さに宿る意味を、丁寧に観察し、静かに理解するAIとの対話が始まっている。ところが、データドリブン経営はより抑制された賃金で、効率よく労働をミカジメめ「より賢く人間を収奪する知性」にもなりうるので、注意が必要だ。
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