第1講:「諜報謀略」が個人、企業、国家の運命を左右する

諜報や謀略の素養は必須である。国において。企業において。個人において。

 そう言うと、すぐに反論が聞こえてくる。スパイまがいの諜報や謀略はハードボイルド小説や映画の世界のものであって、真面目なビジネスパースンには関係ない。スパイ小説でもあるまいし、多忙なビジネスパースンには下世話なフィクションにつきあう暇などない。スパイ防止法案は廃案になったのではないか。過剰な情報統制は危険だ…。

 どうも諜報や謀略という言葉はタブーとされ、アレルギー反応を引き起こすような語感があるらしい。連載を始めるに当たって、そのような表層的な疑問や誤解をまず払拭しておきたい。

 インテリジェンスは必須である。国において。企業において。個人において。

 こう書いたら、今度は反発はないだろう。逆に「当たり前」と言われそうだ。しかしインテリジェンスは日本において、「当たり前」のことではない。

インテリジェンスの定義

 定義しよう。インテリジェンスとは、「個人、企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす多様なデータ、情報、知識を収集、分析、管理し、活用すること、ならびにそれらの素養、行動様式、知恵を総合したもの」である。

 インテリジェンスの活動にはいくつかのカテゴリーがある。最初に「基本動作」として、公開されているデータ、情報、知識を哨戒し、丹念に読み解く作業が ある。専門ジャーナル、新聞、週刊誌、月刊誌、白書に加え、インターネット上で公開されている情報につぶさに当たり、意味を紡ぎだす。地味だがこの基本動 作が大切である。

 次に「諜報」がある。どの国、企業、個人にも、なんらかの背景があって外部や特定の相手に知られたくない情報や事情が必ずある。その情報や事情を意図的に探り、評価し、知識に変えていく作業を諜報という。

 諜報にいそしむ相手側に対して防御的な対応を施すことを「防諜(カウンター・インテリジェンス)」という。防諜には大きく二種類ある。守秘すべきものを 守秘する、機密事項は内部から漏洩しない、させないという姿勢を「消極防諜」という。ビジネスの世界でいうセキュリティーに近い。一方、敵が仕掛けてくる 諜報謀略を探知し、それを逆に利用し、偽の情報を流して敵を混乱させる、仲介者などを活用して虚偽情報を作為的に流すことを「積極防諜」という。

 さらに諜報と防諜を組み合わせ、情報や知識を意図的に操作し、当方の企図する成果を実現することを「諜略」という。諜略のプロセスは通常、外部に対して は秘匿される。したがって秘密裏に画策される謀略は「陰謀」と呼ばれる。陰謀についてはその重要性に鑑み、いずれ詳しく議論していくのでここでは触れない。

誰もが「謀略」を必要としている

 謀略や陰謀まで来ると再びアレルギーが起きるかもしれないが、次のような欲求なら誰しも持っているだろう。

・競合相手の会社が次の一手をどのように打ってくるのかを知りたい。
・売れ筋商品を開発する方向性を市場動向から見極めたい。
・業界内部の競合する企業同士の業務提携の内実をつかみたい。
・業界全体はどのような方向に動くのか、競合企業の技術開発動向をつかんでおきたい。
・破壊的なイノベーションの萌芽を察知したい。
・新規事業を創出するための種を見つけたい。
・海外市場で製造し販売したいので相手国の当該産業の動静を深く知りたい。
・優秀な技術を持つ特定企業と提携したいが、有利に交渉するためにはどうしたらよいか。

 もう少し個人的な欲求もあるだろう。
・社内政治の動向を見極め、次期社長の派閥にそれとなく入っておきたい。
・正式な人事発令が確定する前に内密に知っておきたい。
・新規事業を始めて、そこの統括ポストにおさまりたい。
・会社をスピンアウトして起業したい。

 ビジネスをやっていれば多かれ少なかれ、このような欲求や要望は持つものだ。このようなリクワイアメント(要求)に応えるために、インテリジェンスの素養が必要になる。

日本流インテリジェンスの確立を

 残念ながら、諜報、防諜、謀略を含むインテリジェンスは、通常の日本の大学や大学院で正式に教えられていない。これに対し、欧米や中国の一流大学では軍 事学、戦略学、政策科学、技術経営学などの一環としてインテリジェンスが堂々と講じられていて、彼我の差は開く一方である。インテリジェンスを専門とする 学術機関や公的機関の数、従業員数の上で日本は後進国と言える。

 米国のインテリジェンス教育にはいくつかのスタイルがある。一つは、Master of Science in Intelligenceの学位が取得できる、インテリジェンスを専攻する学位コースである。それから、軍事学、経営学、技術経営、安全保障論、公共政策 学などの専攻コースの中でインテリジェンス科目を提供するスタイルもある。

 筆者が専門とする「技術経営(Management of Technology)」の中には、技術インテリジェンス(Technology Intelligence)や競合的インテリジェンス(Competitive Intelligence)という領域がある。これらの領域では、技術動向分析、競合企業の技術動向に関する諜知、諜報、謀略、陰謀などを学問的に考究し ている。

 断っておくが、欧米の後を追いかけろ、というつもりはない。経営、技術経営、ビジネスの関係者は、歴史や民族の特徴を真摯に顧みず、英語の方法論やコン セプトに飛びつくきらいがある。これはいかがなものか。インテリジェンスについても遅れているからといって、いきなり欧米のインテリジェンス手法を引っ張 り出すのはいささか芸がない。インテリジェンスについて考えていくと、民族の歴史、思想、宗教といったものが深いところで絡んでくる。よって、この連載で は、歴史や民族の過去も振り返っていきつつ、欧米流のインテリジェンス手法も取り入れていくつもりだ。

ナレッジからインテリジェンスへ

 今から30年以上も前に、ピーター・ドラッカーは「知識がいまや先進的かつ発展した経済における中心的生産要素となった」と書いた。知識社会では、知識 を創造し、共有し、発信し、活用し、還流させる組織や人が経済的メリットを享受する。知識社会とは知識を中心にして、富が形成、所有、配分されて社会経済 が動く社会である。知識社会で知識を活用して働く労働者がナレッジワーカーだ。

 確かに、技術、ノウハウ、コンセプト、デザイン、ブランド、社会的資本は重要な知的な資産だ。だから、物理的資源ではなく、知識に着目して自社の経営資 源を捉えなおし、自社独自の知識資産を構築せよ、と最近の経営学や組織論ではよく言われる。そして次のような提言が付いてくる。いわく、「対話の場を作り ましょう」、「知的なサロンを会社に作りましょう」、「自律分散的に働く知的なプロフェッショナルを育成しましょう」、「先進的なIT(情報技術)を活用 して知識創造の場をバーチャル空間に作り、電子井戸端会議を開きましょう」、「ワイガヤを復活させましょう」といった具合である。

 この手の話はだいたい最後のほうに哲学者の言葉が引用される。たとえば、アリストテレスを引きながら、「すべての人は生まれながらに知ることを欲しているのです。この人間の本質を大切にする経営をしましょう」と締めくくられる。

 御説、ごもっとも。知識創造やらナレッジクリエーションという言葉はビジネスパースンの琴線に妙に響く。講演会でこういう話を聞くと、仕事にかまける勉 強不足の輩は、ああそうか、とついつい思ってしまうものだ。無論、知識は大切なものであり、この講座でも扱っていく。ただし、主に議論するのは、インテリ ジェンスについてである。これに対し、知識経営論はナレッジを主たる対象にする。

 顧客、市場の動きは企業の技術経営に連関する。そして企業の技術経営は、一国の科学技術政策に共進する。そして企業レベルの技術経営と国レベルの科学技 術政策は、国際コミュニティーの機微に連関、連動する。相互に影響を与え合うこれらの動きを複雑な生命体として眺めれば、その神経系の中に流れるものがイ ンテリジェンスである。

データ、情報、知識、知恵の違い

 さて、データ、情報、知識、そして知恵という言葉は日常会話でも頻繁に用いられるがここで一定の定義をしておく。すなわち、データはそこにあるだけでは 効用を生まない。データに意味が加わってデータは情報となる。意味を加える作業は、意味づけ、吟味、解釈と言い換えられる。そして情報の束に構造や構えが 加えられて知識となる。この振る舞いを構造化、編集と言ってもよいだろう。さらに、知識の構造や体系に普遍性が付与されると知恵となる。データはそれ自体 からは効用は生まないが、情報、知識、知恵は効用を生む。思考の枠組み、普遍性を求める人間に対して提供されるソリューションとして、宗教、思想、哲学が ある。

 知識社会では、ますます隠微に、ときとして大胆に諜報謀略が幅をきかせるようになってきている。知識を中心にして富が形成される知識社会の必然と見るべきだろう。能天気な人は身の回りの諜報謀略に気がつかないだけである。

 国、業界、企業、地域、個人というようにあらゆるレベルで諜報謀略が見て取れる。ネットを活用したデータの窃盗、詐欺には根深いものがある。重篤な情報 の意図的漏洩、売買も少なくない。とくにリストラ後の企業ではリストラされた元従業員がネタを流す。定年退職した技術者が機密技術情報を競合相手に提供す る。取締役が寝返って機密情報を漏洩し、隠匿のうちに社長を裏切る。

 国や地域を特定の利害に沿うようにネットに流言飛語を流し、機微に触れ誘導し操作していく。インテリジェンス機関の内調(内閣情報調査室)のスタッフですら、ロシア大使館員へ機密情報を漏洩し、売っていたことが白日のもとに晒されたのはついこの間のことである。

 そして、大きくは、狡猾に、隠微に、しかもやんわりと一国そのものを対象とする諜報謀略もある。教育、文化、思想、歴史の書き方などに関する諜報謀略は いろいろな角度から現在進行中である。日本がそれらに対して効果的に対処できているとは言えない。よって国をまたがる諜報謀略への対応も本連載のテーマとなるだろう。

引用元:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第1講:「諜報謀略」が個人、企業、国家の運命を左右す…:ITpro

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