第10講:日本の多層・多神教の心象風景

 日本では神道系の信仰を持つ人々が約1億600万人。仏教系が約9600万人。キリスト教系が約200万人。その他が約1100万人。合計すると2億 1500万人となり、なんと日本の総人口の2倍となってしまう。話を単純にすると、1人あたり2宗教かそれ以上。ゆえに通説では、日本は多神教の国である と言われる。

 しかし、一神教と二項対置させ多神教をとらえるのは、元来、一神教側からの見方だ。安直に日本を多神教の国と見るのはいかがなものか。多神的であると同 時に、歴史を通して幾重にも宗教的なるものが埋め込まれ、積み重なり多層的な姿を形成している。すなわち、日本の宗教的な風景は多層・多神教的な姿の上に 立っている。

 プロテスタント、カソリック、その他の会派を含めても、日本のキリスト教の信徒は全人口の0.8%で少数派。前の講座では、原始キリスト教の話をしつつ 少々脱線してミトラ教について一言したが、日本ではキリスト教はマイノリティ、そしてミトラ教はさらに歴史の陰に隠れた微細な存在である。たぶん、読者に とってもミトラ教について読んだり聞いたりしたことのある方々は至極限られていることだろう。

 しかしながら、諜報謀略講座ではマイノリティ、歴史の隅に追いやられた存在、文明の縁にかろうじて痕跡をとどめるような密やかな存在に注目する。そうした陰に隠れたような存在から大勢、主流を逆照射することによって、通常では見えないものが立ち現れてくるからだ。

 

イランでは12月25日はミトラの誕生日

 年末年始の風景。クリスマス・イブの12月24日になれば、街にはクリスマス・ツリーが立ち、ジングルベルの歌が響き、商店街やレストランは人で溢れ る。一週間くらいして年があけると、クリスマスを祝っていた人々はこつぜんと神社仏閣に馳せ参じ初詣をする。年末年始の一週間の風景には、日本の姿が凝縮 されている。

 イラン人の方に会って親しく情報交換していた時に、面白い話を聞いた。イランでは12月25日を、シャベ・ヤルダ(Shab_e_yalda)と呼ぶ。 シーア派イスラーム(イスラム教)が多数派を占めるイランでは、イエス・キリストが神の子であることも、三位一体説も断固否定される。12月25日はイエ ス・キリストの誕生日としてではなく、ミトラ教の幼年神ミトラの生誕祭として祝うのだ。

 キリスト教世界では陰に追いやられてきたミトラ教だが、シーア派イスラームでは習俗の古層にとどまり、現代にまで温存されてきている。イランではいまでも女の子が生まれると、ミトラ(ミスラとも発音されるが以下ミトラと表記する)から名前をとることが多い。

 これほどまでにミトラ教のミトラは、シーア派イスラームを奉じるイランの人々にとっても親近感があり、身近な存在なのである。

キリスト教に習合されたミトラ教

 いったいミトラとはどのような神様なのだろうか。第8講でも紹介したようにキリスト教世界では、ミトラは習合されながらもその存在自体は、決して歓迎さ れない宗教だった。ちなみに習合とは、教義、宗教思想、神話、信仰対象の取り入れや融合が大規模に起こり、2つあるいはそれ以上の宗教の間で、どちらの宗 教ともつかない両方・複数の宗教の要素を併せ持った宗教が成立するような事態である。

 いまでもローマの市街地、郊外からミトラ教の遺跡が発掘されることはあるが、長いキリスト教の歴史を通してミトラ教は反キリスト、タブーの烙印を押され てきたにも等しかった。したがって、学問の世界でも真正面からミトラ教を研究することは憚られ、ミトラ教に関する知的蓄積は極めて少ない。

 ミトラ教のルーツは、紀元前2000年頃の古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にある。ミトラ神は太陽神、契約神、戦争神などの多彩な顔を持 ち、古くからペルシア、西アジア、インド西北部に浸透していた。その後、アレクサンダー大王の王朝のもとでギリシャの影響を強く受けることとなる。

 前200年頃までには、地中海世界にまで伝搬を果たし、西方ミトラ教が成立してゆく。しかし、紆余曲折の後にローマ帝国がキリスト教を国教にしてからは 弾圧や抑圧を受けはじめ、一気に勢力が衰微してゆく。しかし、元来秘密宗教的な色彩が強かったミトラの教えは、わずかにボゴミール派やカタリ派、そしてグ ノーシス派にも習合されつつ細々と継承されてゆくことになった。

 キリスト教とユダヤ教の差異を説明する要素としてミトラ教の教義が初期キリスト教へ加わったと解釈するとスンナリゆく部分が多々ある。

 たとえば幼神ミトラは12月25日に岩窟の中で生まれたという説話がある。これがキリスト教に採用、習合され、キリスト誕生の日となった。岩窟のマリア伝説とも符合する。

 このほかにも、キリスト教がミトラ教から摂取したものは多様だ。たとえば、教団内の堅い連帯、洗礼、堅信礼、日曜日の神聖視、厳格な道徳律、禁欲と純潔の重視、無欲と自戒、歴史の始まりにあった大洪水、霊魂の不滅説など。

 

東方へ伝わったミトラ教の数奇な運命

 このように古代ペルシアを中心として地中海世界の西方に伝搬していったミトラ教は衰退の憂き目にあったが、東方へ伝搬していったミトラ教の運命は異なっ たものになっていった。前300年くらいまでに中央アジア、インドを経て伝わっていったミトラは大乗仏教へ習合され、その後中国へ伝搬し弥勒教になる。

 6世紀には、朝鮮半島を経て仏教や道教と習合して、断片的に日本にまで到達したのである。第4講では、渡来民秦氏を扱ったが、あの時代以降、仏教化されたミトラ教とともに、聖牛の供儀、伎楽(七位階の秘儀の一部)、占星術などが持ち込まれたと見立てられる。

 中国を経て日本にやってきた弥勒を讃える真言、「オン マイトレーヤ ソワカ」にもミトラの痕跡がとどまっている。ミトラ=マイトレーヤである。

 今日でも沖縄地方に見るミルク信仰は、ミトラ→ミロク→ミルクと変遷してきたなごりをとどめるが、中国経由ではなくベトナム経由で伝搬してきたものである。石垣島で今でも歌われている「ミロク節」という歌には、つぎのような一節がある。

     「大国の弥勒が、島にこられました。
     末永くご支配ください、島の主様、島の主様」

 大国とはベトナムを指す。

日本に伝わったゾロアスター教

 法然(1133-1212)は浄土宗の開祖。もともとは比叡山で天台密教を修行していたが、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を研究し、だれでも簡単に救済する方法はないのかと模索し、浄土宗による仏教イノベーション、仏教改革の着想を得た。

 「南無阿弥陀仏」の念仏ならば文字が読めない農民、差別された人々でも唱えることができる。またどんな悪人でも念仏を唱えれば、往生できると説いた。

 法然の仏教イノベーションの訴求力はすさまじく、農民、庶民、武士、貴族まで幅広く受け入れられた。しかし、叡山の既成勢力から迫害に会い、島流しになってしまった。面白いことに、法然の母親は第4講で述べた渡来氏族の秦氏系である。

 さて、阿弥陀仏の出自はなんなのか。阿弥陀仏はAmitabha(無量光)、Amitayus(無量寿)の音訳だ。阿弥陀仏は大乗仏教で登場した「ホト ケ」で、原始仏教とは無関係。その起源はゾロアスター教(拝火教)のイラン系の信仰に由来する。光明の最高神アフラ・マズダーが無量光如来、無限時間の神 ズルワーンが無量寿如来の原形である。

 西方極楽浄土は、ゾロアスター教の起源であるイラン地方、もしくは古代バビロニア地方が背景になっていると推定される。阿弥陀の本籍地は日本から見ても遥か西方のイラン地方なのである。

 

日本的な多層・多神教の心象風景

 このように、ミトラ教やゾロアスター教の来歴をひも解いてみると、ユーラシア大陸奥地で発生した宗教が陸や海を経て伝搬し、幾多の習合を通して、極東の島国日本にたどり着き、密やかに定着していることが分かる。

 一神教の世界でも、多層・多神教の世界でも習合は発生してきた。ただし、習合を記憶にとどめるか否かの態度には差がある。

 多層・多神教の風土では、宗教の習合は必然に近いものとして受け入れられる。そして歴史の濾過(ろか)を通して深層意識にまで降りるので、そこで生活する人々にはホトケ、神々の来歴は表面意識で明瞭に自覚されることは少ない。

 一方、一神教の風土では、それぞれの宗教、宗派の当事者たちは、自らの宗教、宗派の正統性を主張するあまり、自分たちと相いれない宗教、教義、説話、来歴は消し去ろうとする。末梢されるがゆえに、神々の来歴は人々に記憶に留まることは稀である。

ダイバーシティ・マネジメント

 昨今、「ダイバーシティ」のあり方がマネジメントでも頻繁に議論されるようになっている。ダイバーシティとは、違いを受け入れ、尊重して、活用していく こと。そこでは、「かくあるべし」と画一的なものを強要するのではなく、それぞれの個性や特徴を尊重し、多元的なスタイルを共存させていくことが求められ る。

 とすると、日本の多層・多神教の心象風景には、一神教世界に比べて、元来、豊かなダイバーシティ・マネジメントの土壌がひろがっているのである。ダイバーシティ・マネジメントの基本は多様性や多元性を認め、重複と冗長性を許容することである。

 一部にダイバーシティ・マネジメントの先進プラクティスとして、アメリカに学ぼうとする動きがあるようだ。たしかにアメリカは競争優位の源泉として、多民族、多人種、多才能、多ワークスタイルを尊重する人的資源戦略を推し進めている。

 しかし、これはむしろ、多様性や多元性を積極的に認めてこなかった過去への反動という側面が強い。人種、民族、性別、年齢、出自による差別は、一昔前の アメリカではまかり通っていたのである。まして宗教的には、キリスト教原理主義に代表される宗教右派が歴史の要所、要所に首をもたげ、差別を通り越して、 甚大な影響力を国政の中枢においてさえも行使してきている。

 次回はキリスト教原理主義を諜報諜略論の俎上(そじょう)に載せることとしよう。

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第10講:日本の多層・多神教の心象風景 :ITpro

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