第12講:古今東西,CIAの対日工作にまで通底する『孫子』の系譜

 戦争論といえば西の「クラウセヴィッツ」と東の「孫子」。特に孫子は、日本を含む古今東西の戦争論に多大な影響を 与えてきた。現代日本でも孫子を引いて企業経営を説く者は後を絶たないほどだ。孫子に学ぶべきは諜報謀略の機微とリスク・マネジメントの知恵である。今回 は諜報謀略を説く『用間篇』を中心に孫子を読んでいきたい。

  中国の春秋戦国時代に記された兵法書『孫子』について、「孫・呉も之を用いて、天下に敵無し」(『荀子』議兵篇)、「孫・呉の書を蔵する者は、家ごとに これ有り」(『韓非子』五蠧篇)という記述がある。すでに『孫子』は、戦国時代後期に“古典”としてのポジションを確立していた。

  しかし、『孫子』の著者が孫武(そんぶ)なのか孫ビン(そんびん)なのか今ひとつ明らかではない。天野鎮雄によると『孫子』は単一の著者による著作物で はなく、同時代や後代の思想が集約されたものである。いずれにせよ、儒教が中国王朝のイデオロギーに居座っていた間、『孫子』は諸子に分類されて中国知識 人からはさほど重視されてこなかった。

  日本人が『孫子』を読み始めたのは古い。『孫子』が日本に伝えられ、最初に実戦に活用されたことを史料で確認できるのは『続日本紀』天平宝字四年 (760)の条である。大宰府に左遷されていた吉備真備(きびのまきび)のもとに、『孫子』の兵法を学ぶために下級武官が派遣されたという記録が残ってい る。

  日本の武将は『孫子』を愛読したとの通説があるが、これは疑わしい。慶長の役(いわゆる朝鮮征伐、韓国では丁酉倭乱(ていゆうわらん)と呼ばれる)で日本側の捕虜となった朝鮮人の姜ハン(かんはん)は著書の『看羊録』で興味深いことを書いている。

 「いわゆる将倭なる者は、一人として文字を解する者がいない。彼らが使う文字は、我が国の吏読(万葉がなに似た一種の仮名だが消滅したとされる)に酷似し ている。武経七書は、人それぞれ所有しているが、半行でさえ通読できる者がいない。彼等は分散して勝手に戦い、それで一時の勝利を快しとして満足すること はあっても、兵家の機変について聞いてみると、なにも知らない」

  武経七書とは中国における兵法の代表的古典。『孫子』『呉子』『尉繚子』『六韜』『三略』『司馬法』『李衛公問対』の七つの兵法書を指す。『孫子』が筆頭である。

  朝鮮の身分階級「両班」には文班と武班があり、中国から純粋にコピーした科挙つまり官吏登用試験を受け、合格した者が政府の役人となる。朝鮮半島の常識 からすれば、日本の武将は武経七書くらい読めてもよさそうなものだが、最初の半行さえも読めないのだ、と姜ハンは日本の武将の学力の低さをあざわらう。

  子供を殺害された上に日本の捕虜になり、厚遇されながらも日本の知識人に朱子学などを教授することを強制させられた姜ハンは当然、極度に屈折した心持ちで日本人に対応せざるをえなかった。よって姜ハンが書いたことは割り引いて読むべきだろう。

  だが、なにかにつけ日本を非難し、さげすむ記述が多くなるのは分かるとしても、おそらく上記の描写は当たらずといえども遠からずなのだろう。勉強家だった家康でさえ、姜ハンに師事した藤原惺窩(せいか)の助けを得ながら『貞観政要』を読んだくらいなのだ。

 

西洋で高く評価される孫子

  『孫子』の全貌が西洋世界に本格的に伝搬するのは20世紀に入ってからのことだ。注目すべきは、中国からではなく、日本を経由して伝わったということ。

  1905年にイギリス陸軍大尉カルスロップによって『孫子』が初めて英語に訳されている。カルスロップは日露戦争後に日本の内情を調査・密偵するために来日し、『孫子』に触れ、戦略家を自認する我が意を得たのだ。

  その後『孫子』が西洋の知識人の間で熱心に読まれた背景には、冒頭で述べたクラウセヴィッツ(1780- 1831)の『戦争論』の存在がある。古くは3回に渡ってローマとカルタゴによって繰り返されたポエニ戦争から、近いところでは自らが従軍したナポレオン 戦争などを基礎とする『戦争論』は、決定的会戦、敵兵力せん滅、敵国完全打倒をテーゼとして戦争論を展開する。

  クラウセヴィッツが言うように「戦争とは、敵を強制してわれわれの意志を遂行させるために用いられる暴力行為である」ととらえれば、なるほど戦争の本質は暴力の行使であり、敵の戦闘力の粉砕にあることとなる。

  『戦争論』と比べ『孫子』を高く評価したのはイギリスの軍事史家のリデル・ハートだ。『孫子』は直接的な戦闘行為よりも策略・謀略によるリスク・マネジメントを重視するからだ。ここに近代戦における情報戦の重要性を主張するハートが『孫子』を重視する理由がある。

  もちろん孫子が生まれた中国でも『孫子』は軍人、知識人の間では読み継がれている。中国共産党の創立党員であり、中華人民共和国の建国の父とされる毛沢 東は、代表的著作『矛盾論』や『持久戦論』を書くに当たって『孫子』を下敷きにしている。日中戦争の最中、コミンテルン(国際的な共産主義組織)や米国寡 頭勢力と隠微に通じ、中国国民党を打倒し、日本の圧力を退け、そして国民の支持を得るための諜報謀略を巡らせたことからも、毛沢東が『孫子』から学んだこ とは決して少なくない。

  筆者が留学していた米国大学の軍事学講座でも『戦争論』と『孫子』は定番メニューとして頻繁に言及され、徹底的に比較されていた。なかでも CIA(Central Intelligence Agency)でリスク・マネジメント業務、インテリジェンス業務にあたっている実務家客員教授の講座が秀逸だ。『戦争論』と『孫子』が外交、戦争、企業 経営にどのように活用されたのかを比較検討するのである。

  CIAに関与している時に優れた業績を上げ、任期終了を控えたオフィサーが大学に招聘され、講義をすることが多い。これらのオフィサーは大学にそれとな く工作をほどこし、アカデミック・ポストを得てゆく。自らの影響力をそれとなく誇示するために、“オフレコ”と称して教室でリークされる機密の一端は貴重 このうえもない。

 

孫子の諜報謀略論

 「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)とあるように、実は『孫子』は非好戦的だ。戦争を簡単に 起こすことや、長期戦による国力消耗を戒める。戦争には莫大な費用と、膨大な数の兵士が必要である。戦いがズルズルと長引けば、戦費も消耗する将兵の員数 も累々と積み重なる。そして、たとえ百戦百勝で戦争に勝ったとしても、その損失は国家を傾けることになる。

 「而るに爵禄百金愛(おし)みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり」と『孫子』は喝破する。戦争にかかる費用の何千分の一でもいいから、人を雇って「敵の情」つまり敵の内情を収集することに金を使えというのである。

 『用間篇』に出てくる用間の「間」は、間者の「間」で、平たく言えば諜報謀略を現場で実行するリスク・マネジメント・エージェント、つまりスパイのこと。『孫子』では、その間者の基本類型は5種類に分けられる。

郷間・・・対象国の民間人をとり込んで使う
内間・・・対象国の役人・官吏をとり込んで使う
反間・・・対象国の間者を逆にとり込んで二重スパイとして使う
死間・・・対象国に潜入して撹乱情報を流す
生間・・・対象国に侵入し情報収集して生きて帰ってくる

 

ビジネスでは「用間」の活用事例は溢れんばかり

 読者の身の回りでも、上記の5つを当てはめれば思い当たる事例が多々あるだろう。対象国を競合他社と見立てれば、事例は無数と言ってよい。

 企業が「郷間」を起用してフィールド調査を行い、競合製品やソリューションを使っている顧客に情報提供を求めるのは日常茶飯事。「郷間」に競合企業の製品を買わせて引き取り、分析・研究を穏密に行うことはもはや一般的だ。

 資本政策がらみのデュー・デリジェンス(企業の活動実態に関する詳細調査)と称して当該企業の役員に私的な利権誘導をはかり、秘匿情報を提供させる。そ の役員を「内間」に仕立て上げ、企業の乗っ取りに活用するのである。企業間の提携やM&Aの背後には、この種のケースが非常に多く見られる。「内 間」と化した役員を気づかぬふりで泳がせ、自社を売却してキャピタル・ゲインを得た、やり手のベンチャー創業社長もいる。これは「内間」を「反間」として 活用する事例だ。

 不本意な退職を会社に強いられた日本企業のエンジニアを囲いこんだり、ヘッドハンティングしたりして機密情報を取る韓国、台湾の電子メーカーは、さしず め「生間」の活用である。筆者のまわりでも、競合上非常に有利な状況を「生間」の活用で手中にした韓国、中国籍の企業が数社ある。

 彼らは退職させられた元の日本企業には屈折した感情を抱き、また自分が長年蓄積してきた技術に対しては過剰な自信を持ちがちだ。これらの退職者が驚くほど嬉々として機密情報を競合企業に提供する現場を見て、唖然としたものだ。

 退職時にいくら守秘義務契約でしばっても、「生間」と化してしまえば退職させた企業は著しく不利を被る。逆に「郷間」を「生間」化して貴重な技術情報を取得する企業は有利な状況を得る。

 

「用間」の現代的活用手法

 下記のような現代におけるリスク・マネジメントとインテリジェンス手法の根源の多くを孫子が『用間篇』で述べているのは実に驚くべきことだろう。

(a)諜知諜報:相手側が秘匿しておきたい情報、知識を入手する。
(b)鹵獲(ろかく):相手側が秘匿しておきたい情報・知識を、非合法的手段を用いて入手する。
(c)消極防諜:当事者が秘匿しておきたい情報、知識を確実に守秘する。
(d)積極防諜:当事者の重要情報、知識を秘匿するため、誤情報を作為的に相手に伝える。
(e)特定対象への欺瞞(ぎまん)工作:(a)~(d)を組み合わせた情報・知識工作。
(f)不特定対象への欺瞞工作(プロパガンダ):当事者が思い描く主観的な解の見取り図に他者(関連会社、事業提携先、顧客、市場など)を誘導するため、メディアを利用して情報、知識を伝播させる。
(g)恐喝:当事者がその有利な立場を利用して圧力をかけ、当事者が期待する行動をとらせる。

 

共謀仮説と通俗陰謀論を峻別せよ

 さて諜報謀略活動(学術的にはintelligence operationsという)と「共謀(conspiracy)」とは緊密な関係にある。そして、共謀に接近するための仮説的枠組みを「共謀仮説 (conspiracy hypothesis)」という。つまり、「ある望ましくない事象が、利害関係を持った集団の共謀の結果として発生するのではないか」とする仮説である。 仮説された共謀を検証または反証することによって真相を解明し刑事罰を適応する「共謀共同正犯」は、刑法理論において特に大いに発達してきた。

共謀仮説と通俗陰謀説

 上図に示すように、通俗陰謀説と共謀仮説は区別して扱う必要がある。共謀仮説も通俗的な陰謀説もconspiracyの訳語ではある。同じconspiracyであっても、当事者の推論に関わる態度の違いで共謀仮説にもなるし、通俗陰謀説にもなる。

 一般に当事者がとる推論には帰納法と演繹法の2種類がある。帰納法は個々の事象から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を推論し、結論として一般的原理を導く方法。演繹法は一般的原理から論理的推論により結論として個々の事象を導く方法。

 通俗陰謀説では、特定の命題に適合する事例だけを示すことで、あたかも命題が真であるかのように装ったり、先入観や偏見に基づいた命題を都合のいい情報 だけを恣意的に選んで証明しようとする。多くの「都市伝説」や「ユダヤ陰謀説」の類などが当てはまる。この種の説は仮説・検証によってサポートされるので はなく、妄想によって支持されることとなる。

 なにか望ましくない出来事が起こった時に、自分たちが感知しない特定の利害関係者が意図的に共謀を行っていることを疑うのは、政治、外交、ビジネスに限 らず、世の常とも言えるだろう。しかしながら、成功裏に遂行された共謀は、事後的に検証もできなければ、反証もできないことが多い。また現在進行中の共謀 は、完全な検証や反証を行うことはできない。このようなパラドクスの上に共謀は構成されるのである。

 したがって、共謀仮説ではなく、根拠の論証がない珍奇な陰謀説を説く輩は、「反知性主義の手先である」と知識社会では見られることとなる。科学哲学者 カール・ポパーは、論理実証主義(logical positivism)の立場から、陰謀説そのものを棄却している。以上のように、通俗的な陰謀説と共謀仮説は峻別すべきなのである。

 『孫子』が説くのは陰謀論ではない。また共謀仮説への対処方法でない。『孫子』は、共謀が頻繁に起こる世の中に対応するための、実践的な対応方法と実行の手法を説くのである。

 

米国寡頭勢力による対日工作を検証する

 CIAがらみの国家レベルの共謀仮説は短期的には検証、反証が極端に困難なことが多いが、長期的には検証、反証が可能である。公開に至った外交文書をはじめとする機密文書を活用するのである。

 外交文書とは外交政策に関する資料(閣議決定、公人の往復書簡、条約、協定など)を整理・編集したうえで刊行された外交史資料である。機密扱いの資料である場合が多く、公開されないことや、公開されるまでに一定の期間を要するものがある。

 米国関連で重要なものは「Foreign Relations of the United States」と呼ばれ、米国国務省が作成する公式外交文書である。1861年から始まり、1952年以降は大統領任期ごとに刊行されている。刊行される のは、20年以上を経て、かつすべての外交機関から機密扱いを解除された文書である。

 長年、共謀仮説として扱われてきたもの、疑われていたものの確たる証拠が乏しい説に対して、上記などの機密扱いを解除された信頼度が高い公式文書を検証、反証のデータとして用いるのである。

 この種の研究で近年著しい成果が上がっている。たとえば早稲田大学の山本武利教授による「緒方竹虎とCIAとの接触」に関する研究である(『CIAと緒方竹虎』、20世紀メディア研究所第51回特別研究会、2009年7月25日)。

 緒方竹虎(1888~1956)は、早稲田大学専門部を卒業後、朝日新聞の記者を経て政治家となった。その後、自由党総裁となる。国務大臣、内閣情報局 総裁、内閣官房長官、副総理などを歴任。正三位勲一等旭日大綬章を受けている。実子・緒方四十郎は元日本銀行理事である。

 山本教授の共同研究者である加藤哲郎氏によると、CIAが緒方に接近してきた理由は、(1)緒方は日本版CIA内閣調査室拡充構想を保持していた。 (2)保守合同と日ソ交渉を含め、緒方にとって首相ポストが目前だった。(3)緒方を「反ソ・反鳩山一郎」の旗手として首相にさせたかった、の3つとな る。しかし緒方の急死(1956年1月)により結果的にCIAの目論見は挫折した、とする。

 以上の結論を得る前提作業として、暗号コードの解読が必要である。加藤氏は膨大な資料を分析して「PO=日本、POGO=日本政府、POCAPON=緒方竹虎、PODAM=正力松太郎、KUBARK=CIA、ODOYOKE=アメリカ政府」と解読している。

 有効な工作は、マスメディアなどを通して対象国の不特定多数の一般国民である「郷間」に圧倒的な影響力を有する政権中枢を「内間」的エージェントとして 育成し、影響力を機微に応じて隠微に行使することである。さらに対象者が「内間」的エージェントであるという自覚や、共謀に加担しているという自覚を持た せないような工作が一層効果的である。

 民主党へ政権交代がなされた現在、今後、上記の共謀が存在したか否かの事実関係にリサーチ・クエスチョンを絞るアカデミックな研究に弾みがつくことであろう。

 余談だが、上記研究会が開催される前日に、こともあろうに緒方の出身の朝日新聞がスクープしている(「日本版CIA」50年代に構想 緒方竹虎が米側と 接触)。この研究成果の発表に対する、ある種の牽制ではないだろうか。この一件も含め、諜報謀略論の視点からおおいに注目されるところである。

 

孫子の実践知

 さて、以上述べてきたように、『孫子』の影響は古今東西、多岐にわたる。リアリスト孫子は、論理実証主義つまり事後的に検証できるか否かの視点ではな く、あくまで現実対応の実践知として『用間篇』を説いた。そして、この特殊な実践知の系譜は覇権国の寡頭勢力における諜報謀略の作法にまで及んでいるので ある。

 世に「孫子読みの孫子知らず」という言葉がある。これは孫子に知識を求めるのか、知恵を求めるかの違いを示している。『孫子』の知識をアタマにいっぱい 詰め込めばよいのではない。知恵は大工のノコギリのようなもので、「使ってナンボ」だ。知恵は現場で酷使して、はじめてアタマから染み出して価値にもなる し身体に転移される。つまり身に付くのだ。

 したがって、孫子が説く知恵は現場で使い込むことが大事だ。知識を知恵に変える変換装置が「現場」である。活字の字面のみを追いかけ、形式的な知識としてアタマにインプットするような読み方は合わない。

 よって最重要点の『用間篇』が『孫子』の最後に編まれているのである。そして『用間篇』巻末の締めの文章は、「これ兵の要(かなめ)にして、三軍の恃(たの)もて動く所なり」である。

 情報・知識の戦いこそ、平時、戦時を問わず、あらゆる戦いの急所であり、すべての軍、組織、企業、個人はこれによって動くのである。特に現場で情報や知 識そのものを扱う軍産学官の枢要ポジションにある者、為政者は言うに及ばす、情報技術者、コンサルタント、研究者、ジャーナリスト、編集者、経営者にとっ ても、『孫子』は知恵を紡ぎだす宝庫と言ってよいだろう。

 

    【参考文献】

  • 天野 鎮雄、三浦 吉明、「孫子・呉子 ~新書漢文大系~」、2002年
  • 金谷 治(訳)、「新訂 孫子」、2000年
  • クラウセヴィッツに関してはWebサイト「The Clausewitz Homepage」が潤沢な情報源(英語)

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第12講:古今東西,CIAの対日工作にまで通底する『孫子』の系譜 :ITpro

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