WikiLeaksは“情報・知識戦争の9.11”とも、“超破壊的兵器”とも呼ばれている。外交戦略はおろか、 公共のあり方や企業戦略、情報システムにも、かつてないほど甚大な影響を与えている。破壊的な情報・知識サービスイノベーションをもたらしている異形のメ ディア、WikiLeaksに焦点を当ててみよう。
尖閣諸島沖の中国船による海上保安庁船舶への衝突事件は、YouTubeによって一気に機密・秘匿情報が暴露され、日本中が蜂の巣をつついたような騒動になった。そして昨今は、WikiLeaksが次々と世界のトップレベルの機密・秘匿情報を暴露することを支援することによって、米国政府などが火消しに大わらわとなっている。
WikiLeaksのホームページによると、「WikiLeaksはNPO(非営利組織)で、重要なニュースと情報を公衆に届けること」で 「WikiLeaksのジャーナリスト(電子ドロップボックス)に情報をリークする革新的で安全、匿名手法を提供している」という。なお、重要なニュース と情報は、以下の領域のものとしている。
戦争、殺人、拷問、拘留
政府、商業取引、企業の透明性
言論の自由、報道の自由への抑圧
外交、スパイ、(カウンター)インテリジェンス
生態系、寄稿、自然、科学
腐敗、ファイナンス、税、交易
検閲テクノロジーとインターネット・フィルタリング
カルトと宗教組織
虐待、暴力、違反行為
まずは、WikiLeaksがもたらしている現象を振り返ってみよう。それらは大まかに言って5つにまとめることができる。
(1)秘匿情報・機密情報の非対称性の崩壊
「しろしめす」という大和言葉をご存じだろうか。これは為政者にとって、どのような情報、知識を開示して公衆に知らせるのか、知らせないのかが、統治活 動の本質であるということを示している。通常、為政者や企業経営者は、国民やステークホルダーに対して、自分たちの都合がいいように情報・知識を取捨選 択、加工、編集して流すものだ。つまり、統治する側とされる側との間には、常に情報や知識の非対称性があることになる。WikiLeaksは、この非対称 性をぶち壊している。
(2)秘匿情報・機密情報のオープンソース化
ソフトウエアの世界にオープンソースがあるように、WikiLeaksによってもたらされている現象は、アプリケーション層にある情報・知識の「オープ ン化」という側面がある。ソースコードを秘匿、占有することで利益を囲い込み、独占的便益を享受しようとするプロプライエタリ勢力へのアンチテーゼがオー プンソース化だとするならば、WikiLeaksの方向性は、秘匿情報・機密情報のオープンソース化とも言える。
(3)WikiLeaksは根本的な情報・知識秩序破壊者
為政者や経営者は、ガバナンスを盤石なものとするために、莫大なコストをかけて情報の非対称性を構築する。すなわち守秘義務の徹底、秘匿情報へのアクセ ス制限はもちろんのこと、情報通信システム、セキュリティシステム、暗号化システムなどに莫大なコストをかけるのが世の常だ。WikiLeaksは、それ らの投資を一気に外部から無きものにしてしまう。
(4)暗号などの情報秘匿技術が無力化
暗号化技術と解読技術はイタチごっこのようなものだ。しかし、内部の暴露者、通報者を得ることによって、このイタチごっこのようなゲームは無力化されて しまう。膨大なコストをかけてこれらの技術を確立しても、組織内部で隠密行動をとる暴露者、通報者一人の存在によって、それらは無力化されてしまう。
(5)マスコミの相対化
既存のマスコミは、為政者によって誘導され、都合のいい情報を公衆に向かって効率よく流す役回りに落ち着くことが多い。この傾向を批判する者が「マスゴ ミ」という言葉を多用するのは、ネットの世界では周知の事実だ。WikiLeaksによって共有される情報は、マスコミによって流通される一般向けに編集 された、ありていな情報・知識とは異質なもので、それらの間にはギャップがある。そのギャップにどう付き合うかがメディアサイドにいるジャーナリストに問 われている。
以上を押さえたうえで、さらにWikiLeaksによって不利益を被る人々と、便益を得ることができる人々を比較してみよう。WikiLeaksによって困る人々を素描すると、以下のようになる。
情報操作によって、しろしめす立場の人々
まず、困る人々の筆頭格は、為政者、大企業経営者、特定の寡頭勢力など、情報操作によってガバナンスを維持していきたい人々だ。不利な情報・知識がWikiLeaksを介して暴露されると、情報操作が無効になってしまう。
2010年10月22日、イラク戦争に関する米軍機密文書約40万点がWikiLeaks上で次の声明とともに公開された。「民間人が検問で無差別に殺 されたとの報告や、連合軍部隊によるイラク人拘置者への拷問のほか、屋根に反政府勢力と疑わしい人物が1人いるという理由で、米軍兵士が民間施設を丸ごと 爆破した報告がある」。
これに反応した米国防総省のジェフ・モレル報道官は「WikiLeaksが法律に背いて情報を流出させるように個人に働きかけ、傲慢に機密情報を世界と共有することを遺憾に思う」とコメント。機密情報の漏洩は不法行為であることを繰り返し強調している。
アメリカ軍、ペンタゴン、CIAなどの諜報機関、ホワイトハウスは、暴露された証拠に基づき、戦争犯罪、国家反逆罪などの嫌疑をかけられるリスクを負うので、WikiLeaksを激烈に叩かざるを得ないという構図がある。
WikiLeaksによる「機密情報の違法な暴露」の支援によって、米国の外交のみならず国際社会の利益が損なわれたとするクリントン米国務長官は、 「米国は文書流出に責任のある人々を追跡する」と強烈なトーンで非難した。さらにホワイトハウスは、WikiLeaksの活動を「米国政府に対するサイ バー攻撃」として全面戦争を宣言したくらいだ。それほどWikiLeaksの活動は、情報・知識操作によって統治する立場の人々にとっては不都合きわまり ない。そのような勢力は、実際に創始者のジュリアン・アサンジ氏を拘束した。
秘匿情報・機密情報を内輪で発信・共有する人々
次に困るのが、いわゆるインテリジェンス(諜報)活動をしている人々である。秘匿情報・機密情報を内輪でやり取りして生計を立てている人々だ。公電が、 いつなんどき暴露されるか分からないので、今やテキストで記録を残すことに慎重にならざるを得なくなっている。どんな堅牢なシステムで防御しても、内部か ら意図的に漏洩されたのでは、ひとたまりもない。
かといって、このネット時代において「人づての情報」だけに頼るわけにはいかなくなっている。秘匿情報・機密情報を内輪で発信・共有する人々の間で、疑 心暗鬼は大きくなるばかりだろう。もちろん、リークされることを見越したうえで、操作的な情報をやり取りするのもこの世界の常道でもあるのだが。
米Googleは2010年1月、中国発の高度なサイバー攻撃を受けたとする調査結果を公表したが、中国政府はこのサイバー攻撃について、当初は全く関 与していないと声明を出していた。しかし、WikiLeaksによって暴露された公電によると、Googleへのハッキング攻撃は「政治局常務委員会のレ ベルで指揮された」。これを受け、ニューヨーク・タイムズ紙はこの情報提供者に取材し、李長春(中国共産党政治局常務委員会の思想・宣伝担当委員)らが中 国におけるGoogleの事業を抑える作戦を監督してきたと報じた。
上記につながり、情報を公衆に向けて流す人々
WikiLeaksによって困る人々の三番目は、先に述べた2つのグループに連なり、情報を公衆に向けて流す人々、たとえば既存メディアの仕事をする人々だ。
ただし、事情はそう単純ではない。エスタブリッシュされた欧米マスコミに関与するジャーナリストは、匿名で暴露情報にコメントし、リークされた情報を ニュースソースとして活用している。事実を報道することに使命感を燃やすジャーナリストは、WikiLeaksの情報によって裏を取るだろうが、都合良く 加工・操作された出来合いの情報のみを流すことに慣れているジャーナリストにとっては、困ったことになる。
情報操作、世論誘導にフラストレーションを感じる人々
ここまでは“超破壊的兵器”のWikiLeaksによって被害を受けている人々を見てきたが、その一方で便益を得る、あるいはそう感じる人々もいる。
たとえば、為政者やその影響下で活動するメディアが自分たちの都合で情報操作をして世論を誘導していることに疑義、不信感、反対意見を持つ人々にとっ て、WikiLeaksは大変貴重な情報源となっている。前述した情報の非対称性のあちら側の人々から見れば、真実に接近する機会をWikiLeaksは 提供していることとなる。
ある種の価値観を実現したい人々
自由を信奉する人々の間には、WikiLeaksを支持する人々が多い。自由の抑圧を嫌い、報道の自由、発言の自由を至上の価値とする人々にとっては、 WikiLeaksに投稿される情報・知識を読み、WikiLeaksをサポートすることが、自らの表現とさえなっている。
WikiLeaksのサイトによるとWikiLeaksが拠って立つ原理は、「発言の自由、出版の自由の擁護、そして共有化される歴史的記録の改善、新 しい歴史を作るすべての人々の権利を支援すること」ということになっている。世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)の第19条「すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる 手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」がことさらに引用され、この条項を含め世界人権 宣言に賛意を示している。
より正確な多くのことを知りたいと願う人々
上記の価値観や信条に特段のこだわりがなくても、人には、より正確な多くのことを知りたいと願う本能のようなものがある。WikiLeaksからの情報 が知る本能を満たしてくれると受け止める人々にとって、WikiLeaksは新しいジャーナリズムのニュー・モデルとなりつつある。
WikiLeaksのホームページには、「利潤追求を動機としていないので、他のメディアと競合するという伝統的なモデルに従うことなく、他の出版社や メディア組織と協調的に機能することができる」という記載がある。より正確な多くのことを知りたいと願う人々を抱えている既存のメディアと協調することが WikiLeaksの1つの戦略である。
もちろん、これらの背後には、既存の情報操作手法によって利益を得てきた寡頭勢力に対抗しようとする別の寡頭勢力の存在を想定することもできるだろう。
◇ ◇ ◇
以上、WikiLeaksは誰の利益となり、誰の不利益になるのかという切り口で分析してみた。
事態は流動的だ。オンライン決済サービスの米PayPal(米eBay傘下)は、「WikiLeaks」が募金のために利用していたアカウントを永久的 に停止すると発表した。米Amazon.comは同社関連のホスティングサービスでWikiLeaksのサーバーを停止した。米国のDNSサービスプロバ イダーEveryDNS.netも、「WikiLeaks.org」をターゲットにしたDDoS攻撃により、ほかの利用者に支障が出るとしてサービスを停 止したと発表した。米司法省はTwitterに対し、裁判所命令により、WikiLeaksの関係者たちのアカウントに関する情報開示を要求した。
WikiLeaksはこれらの措置に対し、Twitterで「言論の自由がある自由の地で排除された」と声明を出している。また、WikiLeaksは資金繰りに窮しているとの声明を出し、世界中から資金的なサポーターを募っている。
注意すべきは、2点ある。1つは「しろしめす側」と「しろしめされる側」の先鋭な対立構造があり、その中間にWikiLeaksが自らをポジショニング している点。もう1つは、それらの双方に、こともあろうに普遍的な価値観として「報道の自由」「発言の自由」「知る自由」「公共の利益」が埋め込まれてい る点だ。同型の価値観をいただく者同士による不断の闘争である点が特異なのである。
この闘争の次の局面は、さらに重篤な情報の公開によってもたらされることになるだろう。それがどんな情報かは知る由もないが、極秘/特別隔離情報 (Top Secret – Sensitive Compartmented Information)が大量に公開されるとしたら、WikiLeaksを巡る議論の輪がさらに広がり、深まるはずだ。さて普遍的な価値観を勝ち取るの はどちら側なのか、目が離せない。
コメント