第7講:ユダヤの深謀遠慮と旧約聖書

 「なぜユダヤ人は○○なのか?」――。この問いは、歴史上おびただしい数の言説を生み出してきた。また、ユダヤ・キリスト教の伝統が希薄な日本にも、ユダヤ商法や奇怪な陰謀論の類の本が多数出ていることは不思議である。

 今回は「なぜユダヤ人はインテリジェントなのか?」という問いを立てることにする。ここで言う「インテリジェント」とは、もちろん諜報謀略論としての 「インテリジェンスを持つ人」を指す。インテリジェンスとは、「個人、企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす多様なデータ、情報、知識を収集、 分析、管理し、活用すること、ならびにそれらの素養、行動様式、知恵を総合したもの」である。

 さて、「なぜユダヤ人はインテリジェントなのか?」という問いに戻ろう。この問いに対して、人間のエートス(行動様式)を歴史の長きにわたって規定する マインドセットとして宗教をとらえれば、目線は、ユダヤ人にとってのユダヤ教、その経典である旧約聖書に向くことになる。そして、これらがユダヤ人のビジ ネスにどう影響しているのか、その点に注目してもらいたい。

 

卓越するユダヤ人

 筆者の周りにはユダヤ人がたくさんいる。ユダヤ人が創設した米国の大学院に通っていたときは、クラスの4分の1くらいがユダヤ系だった。当時住んでいた 「Kappa Alpha Society」という学生友愛組織のロッジの近くに、「Young Israel」というユダヤ人の学生寮があり、その筋の集まりやパーティにちょくちょく顔を出していた。かつて在籍していたコンサルティング・ファームに もユダヤ人が多数働いている。筆者が社長を務めていた会社では、ユダヤ人がたくさんいる米国企業とタフな交渉を行い、業務提携をした。そして技術経営や人 的資源論の一端を専門としている今、この分野の学者や研究者にもユダヤ人は多い。

 ユダヤ人は、おしなべて努力家で優秀な人々だ。世界のユダヤ人口は1300万~1400万人で、そのうち530万人がイスラエルに、それとほぼ同数がアメリカに住んでいる。アメリカの人口はおよそ3億1500万人だから、ユダヤ人の比率は1.7%程度ということになる。

 だが、その人口構成比とは裏腹に、ビジネス界で活躍するユダヤ人は多い。例を挙げてみよう。ラリー・エリソン(オラクルCEO)、マイケル・デル(デル 創業者)、マイケル・アイズナー(元ウォルト・ディズニー会長)、ジョージ・ソロス(投資家)、アラン・グリーンスパン(前米連邦準備制度理事会議長)、 故ピーター・ドラッカー(経営学者)、アンディ・グローブ(インテル創業者)、スティーブン・スピルバーグ(映画監督)、ロナルドとレオナードのローダー 兄弟(化粧品エスティローダーの歴代会長)など、そうそうたる顔ぶれである。

 話を単純化して、母親がユダヤ人である人をユダヤ人とする。するとユダヤ系のノーベル受賞者の数は、全体の18%から25%くらいといわれている。人口に比べて、異常に高い比率だ。

 世界の五大宗教であるキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、儒教のうち、ユダヤ人が直接的にキリスト教を構築し、イスラム教の成立にも間接的に影 響している。今日の西洋文明を築きあげるにあたって、ユダヤ人は一つの“インテリジェンス・エンジン”の役割を果たしてきたといってもいいだろう。

一神教、契約の民

 さて、キリスト教の祈りの言葉を「天にましますわれらが神よ」と日本では書く。しかし、これは大いなる勘違いである。キリスト教の「God」は、日本の 「神」と単純に置き換えられる存在ではない。大方の日本人は、神社仏閣でお祭りするカミサマと、キリスト教やイスラム教のカミサマを区別できておらず、混 同している。ユダヤ人やユダヤ教、旧約聖書を理解する第一歩として、このあたりの話から始めることにしよう。

 ユダヤ教やキリスト教、イスラム教は、それぞれ「一神教」である。ユダヤ教は「エホバ(ヤーウェ)」、キリスト教は「父なる神」、イスラム教は「アッ ラー」を信じている。このため、「本当の神は誰なのか?」ということで三つの宗教は争っていると考えている日本人は意外に多い。だが、すべて間違いだ。実 は三つの神は同一の存在である。

 多神教の日本神話では、神様と人間は血がつながった親戚の関係にある。日本の神々は太古、日本列島の島々、日本人、農作物などを産んだ。だから、日本人 は神々の末裔である。また、人間が死んでから神になることもある。天満宮に祭られている菅原道真、東照宮に祭られている徳川家康、乃木神社に祭られている 乃木希典など枚挙にいとまがない。だから日本人は神々の元でもある。

 たいていの外国人はこのことを知るとビックリ仰天する。また、日本人としても、このような神と人間が循環する物語の類推で、一神教をとらえてしまうと根本的な大間違いとなってしまうので要注意だ。

 一神教においては、創造主たる神が絶対的な中心であり、神によって創られた人間は、救済されるためには神との「契約」を絶対に守らなければならない。な んといっても、この「契約」の特異な位置づけが一神教を理解するための勘所だ。唯一神への信仰は、ほかの神々をことごとく否定するという形でしかありえな い。この契約を死んでも徹底的に守り抜くことが信仰なのである。

 預言者の人間が神の声を聞いて書きとめたものが旧約聖書、コーラン。ここのところを社会学の橋爪大三郎は、次の図ように「一神教の基本方程式」として図式化する。

図●一神教の基本方程式

コラム画像

出典:橋爪大三郎氏の講義資料より

自然に対する支配が正当化され、経営管理責任を負う

 「神は彼らを祝福して言われた。『生めよ、ふえよ、地に満ちてこれを従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』。神はまた 言われた、『わたしは全地のおもてにある種をつけるすべての草と、種をつける実を結ぶすべての木とをあなたがたに与えた。これはあなたがたの食物になるで あろう』」(創世記1:28:1)

 ユダヤ教では、神との契約のもと、自然資源の使用権、収奪権がユダヤ人に与えられた。自然にはたらきかけ、自然を加工して支配することが正当化された。 攻撃的で排他的な戦闘神の性格をも合わせ持つ神によって、自然に対する経営管理責任(スチュワードシップ)が宣言されたのだ。ここから自然支配が正当化さ れ、諸資源を利用した生産、製造、流通、商業などのイノベーションが大いに進展した。

 だが、身勝手な自然の収奪や破壊も行われてきた。この点に関しては、キリスト教国内でもたびたび激しい議論を呼んできた。米カリフォルニア大学教授でキ リスト教徒でもあるリン・ホワイト氏は『機械と神』の中で、今日の科学技術の過剰利用による自然・環境破壊の軌道を歴史的・思想的に説き起こし、その起点 にあるのがユダヤ・キリスト教だと述べて一大議論を巻き起こした。

神が相手でも、巧みな交渉で“値切る”

 旧約聖書から、ユダヤ人のインテリジェンスの根本にあると感じる一節を取り上げたい。

 今でも悪や堕落の象徴としてしばしば言及されるソドムとゴモラは、死海のほとりにある悪と快楽と退廃の都だった。そこでは、男色、異常性愛、乱痴気騒ぎ に溺れていたという。その結果、神はこの町にすさまじい怒りの鉄槌を下すのである。だがその前に、神はアブラハムにこう告げる。

「ソドムとゴモラの罪は非常に重いと訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が果たして私に届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう」(創世記18:20-21)

 そこでアブラハムは、「50人の義人がいれば、ソドムを滅ぼさないか」と神に問い、滅ぼさないという神の言質をとった。すると彼は、巧みに神と交渉を始め、滅ぼさない条件となる義人の人数を40人、30人、20人というように値切っていったのである。

 ちなみに「義人」というのは日本人にとってわかりづらい概念だ。神との契約を順守し、敬虔な信仰心に満ちあふれ、神という絶対的な規準を前にして義しい(ただしい)人のことをいう。

 神は絶対的な存在ではあるが、人間が交渉できないほど超絶的な存在ではない。交渉の余地はある。絶対的な神に対して畏怖の念を表明しながらも執拗に交渉するアブラハムには、神をも操るような大胆不敵にして機微なインテリジェンスの香りが漂う。

 神とでさえも交渉するユダヤ人にとってみれば、人間と交渉し自ら期待する成果を得ることくらいは朝飯前だ。たしかに、義人でなくてもユダヤ人のビジネス 交渉は巧みを極める。交渉相手の心のひだ、優位点、劣位点の細部を読みながらも、相手に対して敬意、畏敬の念を演出しつつ、自らの意図を貫徹させようとす る気風を感じるのは筆者だけではあるまい。

 あいまいな落とし所を当初から想定し、まず仲間となってから話を開始し、ハラを割って話し合えばわかり合えるだろうと信じている日本人の“内輪の交渉スタイル”とは対照的だ。

 寄留者としての厳しいサバイバル

 ユダヤ人の特異なまでのたくましさは、民族の歴史からも感じられる。

 ユダヤ人はセム語族の古代ヘブライ語を話す人々の子孫である。約4000年前、ユダヤ人の父祖アブラム(後にアブラハムと呼ばれる)は、シュメール地方 のウルという町からカナンの地に移住した。アブラムの家系はイサク、ヤコブ(イスラエルと改名)と継承され、十二部族の基となった12人の息子が現れ、息 子のうちの一人がユダ。この名にちなんで「ユダヤ人」という名称が用いられるようになった。

 さて、ヘブライ人(ユダヤ人の別称)という呼称はハビル(アピル)の民に由来する。ハビルは土地を所有することが許されず、不安定な身分で、抑圧・差別 されてきた「寄留者(他人の土地を借りて一時的に住む者)」として、前2000年紀のオリエント各地の文書にもしばしば登場している。彼らの来歴はとても 古い。

 聖書に精通する社会学者のマックス・ヴェーバーも「古代ユダヤ教」の中で、「寄留者」(ゲーリーム)としての性格にヘブライ人の本質を見出している。ユダヤ系として自らの出自のあり方をも問うこととなった大著である。

霊魂の否定と現世志向

 その後、寄留者としてエジプトで抑圧、差別された時代に、アメンヘテプ4世(アクエンアテン)が突如始めたアテン神を唯一神とする一神教にも、ヘブライ の人々は複雑で屈折した気持ちで接していたのだろう。ユダヤ人フロイトは、アテン神から一神教の着想を得たモーゼがヘブライ人に一神教のアイデアを伝えた と説いている。しかし、寄留者としての劣等コンプレックスに苛まれるがゆえに、自らを抑圧したエジプト出自のアイデアをすべて受容はしない。こうしたこと も、死後の世界を夢想したエジプト人の霊魂(sprit)を自覚的に捨てた一つの理由ではなかろうか。

 霊魂や死後の霊の存在の否定は、現世志向の合理主義に結びついてゆく。ちなみに、いくつかの日本語訳の旧約聖書では、霊がよく登場するという反論もあろ う。たとえば、「はじめに神は天と地を創造した。地は空漠として、闇が混沌の海の面にあり、神の霊がその水の面に働きかけていた」(創世記1-1,2)な どである。

この霊と訳された部分は神の息吹(ルーアッハ)であり、霊と訳すのはいかがなものか。学術的な信頼度が高いThe Oxford Annotated Bibleでは神からの風(a wind from God)となっている。霊の概念を多用する後世のキリスト教勢力が、その価値観をもとに編纂したとき、作為的にspiritと置き換え、それを後年、日本 語訳者が霊と日本語にしてしまったのだ。

 

寄留者としての結束

 神との契約というアイデアは、ヘブライ人集団が常に劣位となる寄留者として複雑な契約関係に苛まれてきたことに根源を持つ。不安的な身分のもと、現世の 世俗での抑圧されがちなヨコの契約関係に対してわき起こる劣等コンプレックスが、神とのタテの契約の中で民族単位での選民的な権利義務関係という他民族を 超越し突出した尖鋭な形に転換される。

 寄留者として抑圧され差別されながらも、生き延びてゆくためには周辺の民族、部族の動向、攻守同盟、祭祀同盟、利害関係には常に細心の注意を向けるよう になる。そして自分たちに有利なように操作、利用することもよく行われた。この当事者能力の特異な高さは、時を経てシェークスピア作品「ベニスの商人」に 登場するシャイロックのイメージとなり西洋人の間には今なお根強い。

「寄留者(ゲール)を愛しなさい:あなた達がエジプトにおいて寄留者であったからである」(申命記10:19)

 こうして寄留者、被差別民としての出自をあえて粉飾することもなく決して忘れず、同朋に対しては惜しみない援助を要請するのである。

 ところが、アブラハムに遡るヘブライ思想から逸脱したユダヤ人は、ヤーウェとの契約に従順ではなくなった。見かねたヤーウェは、ユダヤ人に警告し、彼ら を再び信仰に立ち返るよう導くため、預言者を遣わした。特にイザヤ、エレミヤ、エゼキエルの3人は偶像崇拝のゆえにユダヤ民族が間もなく受けることとなる ヤーウェからの処罰について警告した。

 実際、西暦前586年に強国、バビロニア帝国がエルサレムに侵攻してその神殿を破壊し、その国民を捕囚として連れ去った。バビロン捕囚だ。信仰が足りず神との契約不履行ゆえに災厄に見舞われたとユダヤ教では説かれる。

 

米国の覇権産業に息づくユダヤのインテリジェンス

 後にモーセの律法やヘブライ思想の根幹は徐々に忘れ去られ、各派固有の解釈や主張の相違により、セクト間の対立、軋轢が増していった。かたやローマ帝国 の圧政下で、ますます民衆は疲弊し、閉塞した状況に置かれるようになった。このような状況のもと、メシアに関する預言ゆえに、ユダヤ人の救済者に対する期 待は大いに高まっていた。このような時にユダヤ人のイエスが登場するのである。

 流浪して土地を持てず、寄留民でいつづけたユダヤ人は、結局のところ土地などの固定資産でなく自分自身のインテリジェンスを資本化する方向で生き残りを 図ってきた。今風にいえば、ヒューマン・キャピタル(人的資本)だ。ちなみに人的資本論に関する洞察を深めたカール・ベッカー教授(ノーベル経済学賞を受 賞)もユダヤ系だ。

 古代世界の常識だった霊魂を否定するという心象は、唯物論的な合理主義にユダヤ人を接続することにもなった。この唯心論と唯物論を役割分担させて合理の 世界に同居させる現世主義的な特異なインテリジェンスは、古代から現代にいたるまでのユダヤの人々の行動様式に通底しているように思われる。

 私見だが、米国IT産業をはじめとする先端的な覇権産業には、以上述べたようなユダヤの心象、気風、インテリジェンスが脈々と継承されている。それらの米国産業と競合、取引をする日本勢は、そこをしっかり理解しておくことが肝要だ。

 

    【参考文献】

  • イザヤ・ベンダサン(山本七平)、「日本人とユダヤ人」
  • マックス・ヴェーバー、「古代ユダヤ教」
  • 木村凌二、「多神教と一神教」

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第7講:ユダヤの深謀遠慮と旧約聖書:ITpro

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