ZOOM授業の利害得失

このところ、コロナ禍のため、授業、講演、学会の研究会もすべてZOOMでやっている。いや、やらざるを得なくなっている。3月には、えっ、ZOOMってなに?というくらい無知だったのが、大学のサポートやコミュニティなどいろいろなリソースを使いまくって今ではZOOMなしの知的生活は、もはやありえない。ZOOMを使い始めて4カ月たったので、使用感などをまとめてみる。

①移動コストが消える(効率が上がる)

今までの莫大な時間、費用をかけて教室や講演会場まで移動していた移動コストが消失した。すべてを書斎からできるようになった。これは大きい。その分の時間を他の論文執筆、リサーチ、読書など生産的なことに使える。

授業・講演のみならず、科研の研究会もZOOMシフトしてしまった。データや文書を画面共有すれば、込み入った議論は実質的にリアルなフェイス2フェイスの議論となんら変わらない。ただし、研究というのは、データ、文書から伝達される形式知ばかりではなく、その裏側というか、ナイトセッションや飲み会での雑談などで交わされる暗黙知の部分も大きいものだ。でも、インプリケーテッドな知識以外のイクスプリシットな知識のシェアに限定すれば、ZOOMシフトでたしかに効率はあがった(ように思える)。

今年の2月までは、やれ札幌、大阪、福岡などに出張していは講義や講演をやっていたのだが、自宅の書斎に居ながらにして即、講義・講演というのは効率性の向上が顕著だ。しかも、動画に映る上半身のみの身だしなみで済むというのも大きい。上半身はワイシャツ、ポロシャツなのだが、暑いときはショートパンツでも問題ない。動画に映らないからだ。

ただし、移動には旅の要素もあり、旅が大好きな身にとっては、はやり移動は楽しいものだ。移動にかこつけてアウトドアを楽しんだり、土地土地の美味しいモノを堪能する機会がどこかに消えてしまったのは、やはり味気ない。

②教室と同等かそれ以上の双方向コミュが実現できる(ラーニング経験の効果)

オンラインとオフラインを組み合わせる学習スタイルをブレンデッド・ラーニングというのだが、なにもブレンドしなくても、通常の80~100人規模のクラスならば、双方向のコミュニケーションは十分とれる。少人数のゼミはなおのことそうだ。「反応」の挙手・拍手、グループコメント、チャット、ブレークアウト・セッションなどをうまく使えば、双方向性が十分に確保できる。

たとえば、クラス全員に質問し、発言したい学生に発言させる。学生にテキストブックを朗読させ、その場でポイントをまとめさせる。この場合、ビデオをオンにさせて朗読している姿を全員に見えるようにする。臨場感もたっぷり出るし、節のポイントをその場でディスカッションする。教室でこれらを行う場合、いちいちマイクを持って教員が教室を移動したりする。この手間が省けてスピーディにコトが運ぶのは気持ちがよい。

ただし、オンライン授業ならではのサボリかたもある。ビデオをオフにしてミュートにして昼寝を決め込んだり、どこかにすーっといなくなったり。その場合、20~30分に一回くらいビデオをオンにさせる。そうすれば反応しない学生は一発で分かる(やだね)。

案外、面白いのが授業が終わってから教室に居座って個別の質問や雑談をけしかけてくる学生がZOOMでも出てくるということだ。これはリアル教室に似ている。次のコマがない時には授業後の雑談が30分にも及びこともしばしばだ。

③教室以外の経験価値は大きい

ただし、学生の立場から見れば、大学生活=ZOOM授業中心は、たまったものではないだろう。実際にそういう声をよく聞く。クラブ・部活、友人との語らい(バカ話も含む)、恋愛などの機会がめっきり減り、授業やゼミだけが遠隔対応。おれが学部に居たころは、小さな四角い教室でトロい教授から学んだことなど、全学習経験、全体得知識の1000分の1以下だった。読書、部室、峠道、山の中、自転車の上、テントの中、野宿生活、自転車仲間、インド、ネパールでのフィールドワーク・・・・そうした野外活動全体が濃密にして豊饒な異界越境型知識、暗黙知の収穫、修練の場であった(よく言えばだが)。

ちなみに、学部、修士、博士とアッパーレベルを登るにしたがって、相対的に教室での知識獲得質・量の割合は格段に上がるものだ。専門性というとんがった領域での学術トレーニングとはそういうものだ。逆にいえば、学部時代というのはある意味、教室以外、カリキュラム以外の、その他モロモロが決定的に重要なのではないか。よく言えば、これらモロモロが、自由に生きるための技術、技芸=リベラルアーツを体得したり、涵養する素地になりうるのだろう。

ZOOM授業の利害得失。教室以外の「場」で学生時代を享受する機会がキャンパス上で時々刻々喪失している損失(人生の機会コストともいえる)は甚大だろう。こういう文脈では、ZOOMを活用したバーチャルな、教室的ラーニングの場から得られる形式知・暗黙知の範囲を大きく越えるものではないことは確かだろう。

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