原稿とカネ

書くことは人生を切り拓く武器だ。
なぜなら、文章によって見ず知らずの他者に伝えることができる。そして、他者にとってタメになることを伝えれば、そこに「効用」が発生するからだ。

過去1か月でスキマ時間をちょくちょく使って専門誌の原稿を2本書いた。

松下博宣(2018).異界越境するリーダーがイノベーションを興す」.medical forum CHUGAI Vol.22 No. 2, 2018. 

松下博宣(2018). 地域包括ケアシステムのなかで複合経営体化する医療法人」. 「商工金融」.2018年4月号.

もの書きの性として、執筆依頼にはできるだけ応えたいものだ。

商業誌に原稿を寄稿すれば、原稿料が入り小遣い程度にはなる。

査読つきの学術誌は、原稿料など絶対に著者に支払わない。原稿を原著論文として発表すること自体が研究者の目的であり、レフェリーの審査を経て、その原稿を「出版してもらう」のが基本なのだ。出版の暁には晴れて業績としてカウントされる。

ところが最近は、英語圏の学術誌のなかには、著者に出版料を支払らわせて掲載する媒体が増えている。たしかに、査読や原稿の手直し、不正論文の調査など一定の質を保証するためにはコストがかかる。

そのコストを著者に負担させるというビジネスモデルだ。著者が研究費や競争的資金などを持っている場合、それらが原資となる。

駆け出しの研究者は自分の論文をカネを払ってまで出版したい。それが自分の業績になるからだ。だから、コストを著者に負担させる学術誌もどんどん購読者を増やしている。

このような訳なので、研究者を取り巻く出版事情はざっくり3つに区分することができる。

①金銭を払って自分の原稿を出版する

→ こんなもの、やりたくないね。

②金銭の授受を一切せずに自分の原稿を出版する

→ 通常の学術誌。当然やります。

③金銭を対価として得て自分の原稿を出版する

→ 学術コミュニティ以外の専門家や実践コミュンティなどに知見を拡散することができる。当然やるべきだ。

 

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