ウェルビーイング時代の看護職のワークスタイル

このところ、ウェルビーイングについて話したり、書いたりする機会が増えている。そんななか、「看護師のウェルビーイングと看護の質向上を叶える働きかたとは」というタイトルの講演の依頼があった。レジュメのつもりでポイントをブログに書きとどめておく。

はじめに:ナイチンゲールが現代にタイムスリップしたら?

「ここは戦場か?」

現代の病棟を訪れたナイチンゲールがそう言うかもしれない。24時間365日体制、電子カルテの波状攻撃、ベッドサイドでの共感フル回転、決して高額とは言えない給与水準、夜勤を伴う厳しい労働条件。でも今はもう“我慢と忍耐”だけでは乗り切れない時代だ。

それが「ウェルビーイング時代」の到来だ。

そして、この時代を語るうえで見逃せない事実がある。
看護職は、いまや“希少資源”であるということだ。

団塊ジュニアが高齢期に入り、医療・介護の需要は増すばかり。
一方、看護師の確保はますます困難となり、「看護労働力の持続可能性」は病院経営や地域医療にとっての死活問題になってきている。
かつてのように「辞めたら次がいる」時代ではない。
今いる看護師を、どう大切にし、育み、活かすか。ここに未来がかかっている。

ウェルビーイングって、癒やし系の言葉?

確かに耳障りはいい。でも中身はかなり本格派。
世界保健機関(WHO)も言っているとおり、ウェルビーイングとは「身体的・精神的・社会的に良好な状態」。
それは「仕事が辛くない」ではなく、「仕事が自分の人生とつながっている」という感覚である。
つまり、単なる疲労対策や処遇改善ではなく、「意味ある働き方」へのシフトが本質なのだ。

看護職は“感情のアスリート”である

患者の不安や悲しみに日々向き合い、時に理不尽なクレームも受けながら、チームで協働し、命を預かる。
まさに感情の高強度インターバルだ。
しかも、次の交代まで「休憩ゼロメートル走」なんて日もある。

だからこそ、「再生可能な働き方」=リジェネラティブ・ワークが必要だ。
ヨガでカラダを伸ばすのも良いが、心理的安全性が根本にないと、心はなかなか伸びてくれない。

「空気を読む」から「声を出す」へ

看護師同士、医師とのやりとり、多職種連携…。
ここに必要なのは“阿吽の呼吸”ではなく、“率直な対話”だ。
ミスや不安を「言ってはいけない空気」「忖度する空気」は、チームのウェルビーイングを静かに蝕む。

「沈黙は金」ではなく、「対話は金」の時代である。

そしてこの対話を育むには、新しいリーダーシップが不可欠だ。

いま求められるのは「コラボレーティブ・リーダー」

昭和のカリスマ管理職型リーダーや上意下達型リーダーは、令和のチームにはちょっと窮屈だ。
いま必要なのは、「声を出すこと」を支援する協調・協力型のリーダーである。
チームの知恵と創造性を引き出す「コラボレーティブ・リーダーシップ」が、現代の組織には不可欠だ。

「上から叱る人」ではなく、「隣で問いかける人」へ。
共感、傾聴、協力、協調、そして共創。これらがリーダーの新しいスキルセットである。

AIとICTにまかせて良いこと、まかせてはいけないこと

「記録の山」に疲弊する日々。ここはAIに任せられるところは任せて、人間しかできない仕事に集中すべきである。
心拍はAIでも測れるが、「この人、少し辛そうだな」は、今のところ人にしか察知できない。

そして、記録を“速く終わらせる”ことが目的ではなく、“ケアの本質に戻る時間”を取り戻すことが本懐である。

看護キャリアは「定年」では終わらない?

人生100年時代。40代・50代で「私は現場の人間だから」と限界を決めるのは早すぎる。
教育、研究、地域活動、ファシリテーター…。看護の知恵と経験は、いくらでも社会に還元できる。

看護師のキャリアは“点”ではなく“線”で描くべし。

まとめ:ウェルビーイングの種は、足元にある

看護の仕事は、本来「人を支える」仕事だ。
でもその支え手が、自分をすり減らしてしまっては元も子もない。

働き方改革のゴールは、単なる時短や業務分担や処遇改善ではない。
「看護職が、人間らしく、意味と誇りをもって働けること」こそが、ウェルビーイング時代の新しいワークスタイルである。

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