中央公論「日本の名著」と鷲田小彌太「日本人の哲学」

「日本の名著」は、高度経済成長時代の1969年から1982年にかけて中央公論社から出版された名著叢書だ。経済成長とともに消費の社会化が進み、中産階級の厚みが増し、その中の少なくない一定の知的階層は日本の歴史が残した古典名著の読書へと向かった。令和の今から見ると、昭和の時代には、読書へと向かう知的活力が時代の土台にどっしりと備わっていたのではないか。

そうした知的ニーズの勃興は大きく、中央公論社は、陸続とこのシリーズの発刊に踏み切った。昨今の出版界では想像できないような読書に対する熱量が、日本の古典に向けて涵養されていたのだろう。

「日本の名著」 全50冊揃えは、最終巻が出版されてから38年経った今でも、古本業界において根強い人気がある。神保町に行けば、バラの状態で店頭のお買い得コーナーに無造作に置いている古本屋がやたら多い。だが、全50冊揃えはなかなか遭遇しえない。

さて、神保町経由ではなく、古本屋の通販経由(日本の古本屋)で求めると、一冊あたりの単価は800円で月刊文芸春秋よりも安くつく。発刊当時の1冊あたり単価は650円くらいなので、昨今の流通価格のほうがやや高いが、そこは、シリーズ発刊当時の物価と比較をすれば、納得がゆく(せねばならない)。シリーズを書斎に納めることによって「一覧性」を手元に樹立できる。各巻には、小冊子が付録としてついていて、編者の著作に関する蘊蓄を披歴した対談集も収載されている。このように、出版社としても、かなり力を入れて出版したことが随所に垣間見える。

50冊をすべて精読するのは至難の業だ。仮に全部を通読しても、それらを時代、時代の文脈や思想史、経済史、文芸誌、はては、それらに通底する哲学史として体系的に読みこなすのには、読者としての眼力、読む側としての編集力ならぬ「編読力」が問われる。そういう時に役に立つのが、幅広い視野に立って、時代、時代の文脈を押さえ、深く広い視座から書物を鳥瞰、俯瞰する解説本だ。

このような解説本の基本要請を満たし、さらに、思想史、経済史、文芸誌にとどまらず、政治、技術、自然、人生を、幅広い視座でまとめた哲学系百科全書(エンサイクロペディア)あるいは、名著の総字引とでも言うべき書物が必要となってくる。

その代表として、鷲田小彌太著「日本人の哲学」全5巻10部の大著を挙げたい。「福沢諭吉の事件簿」の作者による力作だ。(筆者のブログ鷲田先生のブログにも引用されていることには少なからず驚いたが・・・これは、光栄というべきだろう)冒頭から、読者の眼をぐっと睨ませる。冒頭の冷静な筆致ながらも啖呵を切るような書き出しに筆者の決意がみなぎっている。「『日本人の哲学』を書く。端的には日本人の哲学史である。抱負多き主題である。見方(存在論)、考え方(認識論)、生き方(人生論)の三位一体的展開をめざす」そしてこうも書く。「願うのは『哲学』のイメージを変えることだ。哲学とは「知を愛する」を本義とする。・・・・やせ細った哲学像から、きっぱりと脚をあらいたい」

「日本人の哲学」は時代を遡及する構成になっていて、索引も充実している。そして、随所に「日本思想体系」とともに「日本の名著」を参照、引用している。したがって、「日本人の哲学」を水先案内とみたてて、「日本の名著」にあたってゆくのもよいだろう。

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