翌日は早朝から知床峠アタック。前半戦で狩勝峠、足寄峠、美幌峠などをクリアはしているが、この峠は甘くはない。なにせ、海抜0mから700m以上へと一気に高度を増してゆくからだ。
知床峠は、目梨郡羅臼町と斜里郡斜里町とを一気に結ぶ国道334号、通称「知床横断道路」の峠で標高738 m。峠からは北東の方向に間近にそびえる羅臼岳や、天気がよければ、海の向こうに国後島を望むことができ、知床八景の一つとされている。
でもあいにくこの日の知床峠は乳白色のガスの中・・・。
サイクリストにとって知床峠は高い人気を誇る。否、サイクリストによっては北の宗谷岬と並び称して「聖地」とまで呼ぶ。なるほど、「聖地」という呼称はあながち誇張ではないと思うのだが、知床横断道路を境にしてその東北方面の人がほとんど立ち入らない地域こそが真の聖地なのだ。
だからこそ、われわれは、その聖地に脚を踏み入れるべく、知床峠の向こう側から3人パーティーを結成して知床岬に挑むのだ!
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峠を下って途中、熊の湯の熱い湯につかって知床峠の疲れを癒す。ここ、硫黄の温泉で地元の漁師さんをはじめ、ライダー、チャリダーにとって至福の場所だ。
メールで連絡をとっていると、羅臼からパーティーを組んで知床岬まで一緒に行動を共にするY君は、一足早く羅臼に着いたことが判明。
羅臼ネイチャーセンターで、プロのネイチャーガイドの桜井氏(知床ファクトリー代表)とY君と無自合流!
ハグXハグ♡♡♡
さあ、ここからは3人パーティーだ!
<相泊から先は道路はない>
羅臼の町から北へ20kmほど走ると、そこは相泊。ここから先は道はない。最果ての集落だ。相泊というと、チャリダー、ライダーの間では、「熊宿」が有名だ。ところが、こともあろうに、その熊宿の名物主人の方が病を得て、昨年なくなってしまったという。(合掌)ここから先は道路はない。
ともあれ、札幌からずっと道を走ってきて、ここで道は終わった。
自転車を相泊にデポして、明日からは海をシーカヤックで、知床岬までの海岸線を人力=徒歩で移動する。
いよいよ、この人力移動の旅は佳境に入ったのだ。
元来、探検とはイノベーティブな行為だ。異質なモノゴトの新しい組み合わせがイノベーションの端緒であるのなら、自転車XシーカヤックX徒歩という組み合わせは、十分イノベーティブだと思うのだが、さて。。
<相泊温泉>
長年、訪れたかった相どまり温泉。
見ての通り、海岸に掘立小屋をしつらえただけの簡素は作り。
硫黄と海水がほどよくまじりあった絶妙な泉質。
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さて、今回のexpeditionが一気に具体化したのにはあるきっかけがあった。
今年の寒い頃に広島と愛媛をむすぶ、「しまなみ海道」を自転車で走った時に、因島の民宿で同宿したサイクリスト氏が登山もよくする人。そのサイクリスト氏とビールをいっしょに飲みながらアウトドアの話に花が咲いている時に、彼が、おもむろに知床岬への海岸線縦走を果たしたというう話をし始めたのだ。
それまで、過去20年間以上、知床岬はいつも頭のどこかにありつづけてきたのだが、しかし、しまなみ海道で遭遇したサイクリスト氏の知床岬への冒険談には心底惹かれるものがあり、その後、彼とメールでやりとりして、プロフェッショナルなnature guideを紹介してもらったりしたのだ。そしていきついた先が、知床ファクトリーの桜井さんだったのだ。
ああ、不思議な御縁!
<ライダーハウスMAX>
そんなこともあり、われわれは、相泊の多少羅臼側にあるライダーハウスMAXに転がり込む。
ここに一泊。
屋根がある所はいい。
看板の英語、ちょい意味不明だが・・・
<相泊のライダーハウスMAX前の浜で 桜井さん、小生、Yくん>
明日からの行動予定についてミーティング。
ワクワク、ドキドキ・・・
<陽気なオジサンたちとの飲み会>
相泊の温泉といえば、そう、相泊温泉。潮風に吹かれながら、あの狭い湯船につかって、今日二度目の温泉。ああ、幸せだ・・・。
さて、ライダーハウスでは夜は、同宿者同士で宴会となる。ごたぶんにもれず、この夜も宴会。聞けば、陽気この上もないおじさんたちは札幌から車で走ってきて、明日は釣りだという。意気投合して、ビールにはじまり、ウイスキー、焼酎とひたすらお酒をふるまってくれる。
ありがたや。最後は、「カレーがあるから食べなよ」ということで、カレーまでご馳走になってしまった。旅は道づれ世は情けか。
釣りをするバカ、自転車に乗るバカ、知床岬まで人力でゆくバカ。
そう、バカが集まるとひたすら楽しいのだ。
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フランスの作家アンドレ・プレヴォの言葉を引いておこう。
「旅するおかげで、われわれは、自分たちのことを確かめることが出来る。たとえ各民族に国境があろうとも、人間の愚行には国境がない。」
そう!越境する愚行にこそ、真の楽しさがあるのだ。
もうひとつ、米国の政治家、起業家のロイ・M・グッドマンは、こう記している。
「幸せとは、旅の仕方であって、行き先のことではない。」
幸福とは、人生の旅の終着点にあるのではなく、その旅をどのようにやりとげるのか、その過程、プロセスの中にこそ、存在するということなのだろう。
旅の方法を変えてみてこそ、新たな発見や出逢いがある。旅での新たな邂逅、発見、未知との遭遇、それにどう反応し、どう心動かされ、そして、その幸せを自覚するか否かは、はやり自分次第ということなのだろう。
明日からは自転車を降りて、シーカヤック、そして徒歩による知床岬への縦走となる。たしかに、目標と定めた行き先は知床岬だ。でもそこに至る道程に、どのような情景、困難、感動、出逢い、がわれわれを待ち受けているのだろうか?
そう思うと、遠足を翌日に控えた小学生のように、なかなか寝付かれないのであった。
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