4:30、泥のように一晩寝て見ざめると、ほどなくして朝日がオホーツクの海に浮かび上がる。
8月の末とはいえ、さすがに朝夕の知床の海岸線は冷気が満ちている。
昨夜の満月といいい、今朝の朝日といい、好天に恵まれる至福に感謝だ。
食事を済ませ、朝一の作業にとりかかるため浜に上がってきた漁師の方々に挨拶を済ませ、朝の静かな海岸線を3人パーティーで歩いてしばらくすると、パーティーから5m位の至近距離からヒグマが突如、現れる。このような至近距離でヒグマと鉢合わせになることは希有なことだ。
<通称、赤毛のアン>
顔から上半身にかけて赤い毛に覆われている「赤毛のアン」
こうして静止画像でみるかぎり、なかなか愛らしい姿だが、現実に海岸を動き回り、こちらの様子を鋭い眼光で伺う時など、あたりに緊張感が張り詰める。
安全な距離を確保するまで、ゆっくり後退する。
そのような安全確保の所作の後、撮影したものが下のyoutube動画(桜井さん撮影)だ。
<赤毛のアン>
ヒグマに至近距離で遭遇した場合、最後の手段が、ヒグマ撃退用スプレーである。その安全ストッパーをいつでも解除できる体制を保ちつつ、ここはヒグマが、我々と狭い海岸で交錯し、後方へ移動するのを待つしかない。
そうこうするうちに、朝飯で腹いっぱいになったのか、「赤毛のアン」は岩陰で昼寝ならぬ朝寝を始めてしまったのだ。
ヒグマの行動にあわせて、やりすごすしかない我々もしばしの大休止を取る。
さて、今回大変勉強になったことは嗅覚の活用だ。クマには、できたら、遭遇しないほうがよい。でも遭遇しそうな状況をいち早く察知する方法として嗅覚の活用があるのだ。
クマが近くにいる時、独特の濃度の濃い臭気を感じる。一言で言えば、むっとしたケモノ臭さ、生臭さを感じれば、クマが至近距離にいる、または、移動した「印」なのだ。まさに、クマは自分の縄張りに自分の匂い=印をマーキングする習性がある。その匂いをいち早く感じて状況に対処することは、知床サバイバルにおいて、重要なリスクマネジメントの技法なのである。
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「多様性のみが多様性に打ち勝つことができる」(Ashby 1956)
これはsystems thinkingの一つの教えで、最小多様度の法則と呼ばれる。アウトドアに身を晒す人間は、さまざまな環境の中で、diversity(多様性)を体得して内部モデルしてゆく。それが、蓄積された経験、あるいは行動様式(ethos)というやつだ。
でもしょせん、人口的な環境からは程遠いgreat natureのなかでは、一人の人間、あるいはパーティが保有する適応能力の多様性は、自然の多様性に比べたら、ほんの芥子粒のように小さなものでしかない。
芥子粒のように瑣末なものであっても、はやり、経験を積んだ自然探索者ほど、その多様な経験から抽出した行動パターンの選択肢が豊富なのだ。それによって、危険を察知し、状況のなかでリスクを最小にする、あるいは、リスクを顕在化させないような行動をとりつつ、目的を達成するという行動が可能となる。
その選択肢の基礎に横たわるもののひとつが、実は感覚なんじゃないのか?
感覚とは、人間と自然とのインターフェイスを取り持つクリティカル極まりないはたらきなのだと思う。嗅覚~人口的な環境の中ではともすれば、さほど活用されない~はその基礎のひとつだ。
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<女滝>
豊かなミネラル、栄養素を含んだ水が滝となって海岸線へ落ちる。
ペキンノ鼻、念仏岩など比較的難易度が高い場所は、やはり夏山の上級技術は欲しいところだ。
このあたりはわずかに奇人変人トレッカーの踏み跡はあるものの、いたるところにヒグマの糞が落ちている。つまり、ヒグマも人間も同じようなルートを使って山と海の間の僅かな空間を移動しているということになる。
これ、人間から見れば「けもの道」なんだが、実は、ヒグマから見れば、自分たちの領分にドカドカと侵入してくる人間という得体のしれない存在がつくった「ヒト道」なのかもしれない。
いずれにせよ、知床の奥まった土地に分け入る人間として、ヒグマに接近したり、遭遇したりすることは避けたいものだ。・・・しかし、やはりそこは知床。一頭のヒグマにも遭遇しなかったパーティーの落胆もよくわかるのだ。。
<念仏岩の高巻き>
「念仏を唱えながら越えるほどに、危険極まりない」と伝えられる念仏岩への高巻き。あたり一面、フキなどの植物に覆われていて踏み跡はほとんどない。
<念仏岩を下降するYくん>
念仏岩にはザイルが残置されている。もちろん、残置ザイルは劣化が進んでいることが多く、safetyを保証するものではとうていあり得ない。
Yくんの背中の鹿の角はシャレコウベつきだ。4.5kgもの重量をザックにとりつけ、その後自転車にもとりつけ、東京の自宅にまで運んだ。ご苦労さまです。
(でも一生の宝物だよね)
<念仏岩を下降するYくん 動画>
しかしながら、残置ザイルの状況を入念に確認した結果、ここは、持参した9.5mmX30mのザイルを用いることなく、残置ザイルを用いて下降。
<最後の難所、カブト岩上部からの風景>
12:00過ぎには、カブト岩にとりつき、ヤブ漕ぎをしながら、ピークをゲット。
平坦な知床岬が、もう、すぐそこに、見える!
感動もひとしおだ。
・・・・という表現があまりにも月並みすぎるのなら、今一度、ここまで辿ってきた道程を改めて記すことにしたい。
札幌→ないえ温泉→赤平→芦別→富良野→狩勝峠→上士幌→足寄→オンネトー→足寄峠→阿寒湖→阿寒横断道路→屈斜路湖→美幌峠→女満別→網走湖→斜里→ウトロ→知床峠→羅臼→相泊→知床岬!
これらの道々で流してきた汗、人力移動してきた距離、接してきた風景、道々であったいろいろな人々とかわしてきた会話、そうしたモノゴトのtotal sumが到達するであろう極点が知床岬なのだ。
知床岬は別名、禁断の岬とも呼ばれる。
シレコトは、シリエトクに由来する。シリエトクは、アイヌ語で大地が果てる場所、という意味があり、それがシレトコの語源となったそうだ。
徒歩でテン泊しながら、いくつもの難所を越え、時に波に洗われながら、ヒグマの密集地帯をリスクをマネジメントして突破しない限り、人を寄せつけないシリエトクは禁断の岬なのだ。たしかに、その呼び名は実態に即している。
その大地が果てる場所、禁断の岬が、もうすぐそこに見えるのだ!
<カブト岩から南をのぞむ>
延々と歩いてきた方向を振り返れば、海岸線が実に美しい線を描いている。脚を痛めて歩いてきたルートだが、疲れも吹き飛ぶような情景だ。
さて、カブト岩の下降は、大学院OBのDogishiさんという年季の入った先鋭なアルピニストからお借りしたものを使うことになった。彼は北海道にいるときに、極冬期の知床連山を縦走し、海岸線沿いに相泊まで帰還するという貴重な経験を有する人物。
そんな彼から、奥多摩キャンプ、飲み会など、ことあることにつけ、今回のShiretoko Expenditionの相談に乗ってもらったのだ。あらためて感謝したい。
持参したハーネスに8カンをとりつけ、Dogishiさんからかりた9.5mmX30mのザイルで崖の途中まで懸垂下降を行うのである。
<カブト岩の下降準備、Yくんとともに>
それにしても、トホホな靴だ。自転車ツーリング用の軽量ニッカーにハイソックスまではいいが、はやり、この靴では心もとない。でも、これで行くしかないのだ。
13:00には100mの崖の上下を持参した笛でコミュニケーションをとりつつ下降を完了。
<知床岬への最後の登り>
海岸線を歩いていると、夏の番屋に棲むおばあちゃんが飼っているワンコのシロとクロが寄ってきた。
<シロの出迎え>
ひとなっつこい犬たちだ。聞くところによると、このおばあちゃんは羅臼の街に住むセガレから番屋を守ることをやめて早く町に帰ってこいと言われ続けているらしい。
彼女は、知床に棲み、われわれは、知床を通り過ぎる。この違いはいったいなんなのだろう?そんなことを考えながら歩いていると、いつのまにか、シロが見当たらなくなった。たぶん、おばあちゃんのところへ帰ったのだろう。
<知床岬先端部から無人灯台をのぞむ>
wildernessの中に忽然と屹立する人口物の灯台。
<Yくんの雄姿>
見よ、あれが灯台だ。
とうとう知床岬に、やってきたのだ。
あたりは広大な草原を成している。繁殖した鹿が大量に草原の植物の新芽を食べているらしく、ここ数年で草原の植物の背丈はずいぶんと短くなったそうだ。
<岬から眺める国後島>
茶色になった植物(名称は不明)は、秋の到来を思わせる。
海峡を隔ててすぐのところに、国後島が。
ここからは、国後島が、近く見えるのだ。
<岬の灯台にて>
延々、かついできた鹿の角。
(結局、この後、2人とも自転車に括りつけ、鹿の角と行動をともにすることになったのだが・・・)
<灯台から岬をのぞむ>
とうとうやってきた、知床岬!はるばる札幌から、自転車を漕ぎ、シーカヤックを漕ぎ、そして知床半島の海岸線をひたすらヘツり、よじり、下降して、たどりついた知床岬。
平原からはコンクリートの階段が灯台にまで敷き詰められている。そこを登って、3人パーティーは握手。
そこで桜井さんはおもむろにコンロを取り出して、「知床スペシャルミルクティー」をふるまってくれた。
ああ、美味しい!!!
15:00とうとうゴールに到達したのである。
***
その後、パーティはウトロ側に大きく回り込み、啓吉湾の洞窟にキャンプサイトを求めた。
この啓吉湾という湾は、知床岬至近の隠れスポットである。
左右に大きく拡がる湾の最深奥部に洞窟があり、そこから全湾が見渡せるのだ。
食事を済ませ、若干の酒を飲み、ひたすら泥のように眠った。
ここは知床である。
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