ひまわり

岩手県の煙山の西麓の矢巾町で偶然、遭遇したひまわり。太陽の方向に一斉に花をむける向日葵畑を、昼間太陽を背にしてしばし眺める。

「花はなぜ美しいか。ひとすじの気持ちで咲いているからだ」詩人の八木重吉は、こう書いている。

重吉によると「花が美しい」のは、必ずしも花の色や姿にあるのではなく、「ひとすじの気持ちで咲いている」ところに理由があるという。重吉が言わんとすることは、自分をよく見せようとか、周囲から評価されようとか、余計な目的を考えず、ただ花が咲く、そのひとすじの生命の流れが人をして感動させるということなのだろう。

とはいえ、生命進化の視点から見れば、花にも確然とした繁殖をつづけ、種を残すという目的がある。ヒマワリの花は、たくさんの小さな花が集まって 1 つの花のようになっている。外側にあるのが舌のような形の舌状花で、内側にあるのが筒のような形の筒状花だ 。

キク科の虫媒花であるひまわりの舌状花は、ハチや蝶などの昆虫を引き寄よせて、受粉させ種をつくることを達成させるための自然選択だ。

花はなぜ美しいか。花を見る人は、なぜ花を美しいと感じてしまうのか。余計なものをそぎ落として、まじりっけのない繁殖という生命の根本のみを具現化した姿に、「いのち」の本質を感じるからなのだろう。

蝶とハチと人間の共通項は、花に惹かれるということ。さすれば、蝶とハチを内部に宿した人が花に惹かれるのはもっともなことだ。ひまわりの命、虫の命、人の命のそこはかとない共鳴。見るほうと見られるほうの境界がなくなり、この共通の命が響きあうから、人の意識は「花は美しい」と感じるように進化によって誘導されているのだろうか。

ある小学校の校長らしき人がこんなことをシレッと言っていた。いかにもという感じだ。


「自分らしく一途に生きることを通して自分のよいところを大切に伸ばし、やがては自分なりの「花」を咲かせ、その花に目に止める人を元気づけたり勇気づけたりすることができれば、それは本当にすばらしいことだと考えます」


通俗的な解釈では、なるほど、このような言説が無難なのだろう。「自分らしく一途に生きる」ことから生命活動の本質である「生殖」がぽろっと抜け落ちて、やれ、自己実現だ、生きる意味だのと余計な目的が登場すると、生命はその本流からはずれていくのかもしれない。そのはずれ値が人なのだろう。

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