ああ大和にしあらましかば、大神神社と三輪山登拝

大神神社

紀伊半島を一周して伊勢、那智から潮岬を経て、すさみ、白浜、印南、和歌山、それから紀の川沿いに遡行して、橋本、五条を経て、遥々やってきました大和~!。薄田泣菫の詩「ああ大和にしあらましかば」ではないが、ここ数年、大和を放浪したいという困った衝動にかられてきたのだ。辺境の地、東国に住んでいるわが身からすれば、やはり大和は歴史や宗教の凝縮度は異なり、その高濃度の空間の磁力にはあがない切れない。

その高濃度のヤマト空間のなかでも、さらに高濃度な空間がある。大神神社だ。さて、大神神社(おおみわ)の祭神は、オオモノヌシ(大物主)でありオオナムチ(大穴牟命)、オオクニヌシ(大国主)というよりはむしろ三輪山そのものである。記紀のナラティブでは、古代のリーダーが二重、三重の名前を持っていたり、兄弟姉妹になったり、親子になったり、またそれぞれのリーダーの出自や英雄譚に関して矛盾する説明がされているので、素直に読めば読むほど混乱してしまう。

これはとりも直さず、大和朝廷が畿内、日本を統一してゆく一筋縄ではいかなかった複雑なプロセスが物語に編集され織り込まれているということだろう。それぞれの地域のリーダー(部族長、酋長、小規模なクニオサ)が保持しているカミ、神話、物語を継ぎはぎ、縫い合わせ、換骨奪胎して編集に再編集を重ねたムリスジの物語が記紀なのだ。

そんなややこしいカミサマ、諸神を紐解いてを拝むよりは、三輪山そのものを御神体として尊崇するほうがダイレクトでシンプルだ。三輪山の周辺では縄文時代の遺跡も数多く発見されており、その頃からこの一帯で縄文人が集落を営んでいた。三輪山は、縄文時代から自然崇拝の対象だったのだろう。

さて、人類学・民族学者のフレーザー(1998)は、呪術が超自然的霊格を統御することによって目的を達成しようとするのに対して、宗教は霊格に対する懇願であると述べて、呪術と宗教を明確に区分した。大神神社の信仰が、呪術なのか宗教なのかと自問自答すれば、宗教的というよりも圧倒的に呪術的である。

もちろん呪術的なのは上古代のアニミズムだけではなく、平安時代に淵源し、江戸時代以来、現在に至るまで、菅原道真≒天満宮信仰にもあてははまる傾向だ。

西洋社会のキリスト教のように合理化されいない、土俗のアミニズム≒古層の累積の上に危うく立つ神道アニミズムのユニークさに再度気づきたいものだ。これらについては、東国の下総台地に鎮座する神社の呪術的配置形象― 下総三山七年祭神社,藤原時平神社,天満宮等の位置関係に関する予備的検討 ―で考えてみたが。

さて、「さきみたま くしみたま まもりたまえ さきはえ たまえ」は、鎮魂詞というよりはむしろ、超自然的霊格=三輪山のカミを統御することによって「まもりたまえ さきはえ たまえ」という目的を達成しようとする呪術的行為だ。

大神神社の呪術、祈りの詞

オオナムチは、そもそも、ヤマト王権が成立するずっと昔から三輪山一帯を経営していた一族のリーダーで、そのオオムナチはマジカルなヒーラー(治癒者)としての呪術的なスキルも持っていたので、蛇にもたとえられるし、境内から湧き出る水には、呪術的な薬効があるとされる。今でも、境内を接する狭井神社 (さいじんじゃ)では、毎年4月18日の鎮花祭は上古からの由緒をもち、「薬まつり」が催行されている。呪術の祭りだ。

日本書紀には、「この神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久」と歌ったとあり、大物主神のご神助により、マジカルドリンク=美酒を造ることが出来たことが記されてる。今でも毎年11月には 全国の酒造家・杜氏・酒造関係者が参列して、盛大に「酒まつり」を祝う。 酒は呪術や健康増進に欠かせないアイテムであり、今でも酒は百薬の長ともいう。

ついでに言うと『古事記』には「酒(くし)」や「薬(くすし)」の語がみられるが、これらは「奇し(くすし)」に由来する。酒や薬を用いた呪術を得て到達する人知を超えた奇魂(くしみたま)の霊妙さを意味している。

これほどさように、上古代でが人々の健康をケアするということは呪術の施行であり、リーダーとしての最重要なタスクであり必須の条件だったのだろう。今日のように近代医学の発達とは無縁の上古代では、マジカルな呪術、祈祷こそがヘルス・マネジメントの実践であった。オオムナチとその一族はマジカルなヒーラーとしても抜群の術を保持していたのだろう。

三輪山登拝口

さて、この三輪山を有難くも、恐れ多くも登拝(決して登山とは言わない)させていただいた。凛とした空気のなかを息せき切って往復する2時間ちょっとの行程。日頃から朝の有酸素運動を行っているので、健全な身体は行動半径をぐっと広げてくれる。登拝する際には、食物の摂取、写真撮影は絶対禁止であると厳しい条件を言い渡され、小さな襷を掛けることになっている。

三輪山の頂上には鈴がつけられた縄で結界が張られていて、その結界の中に、ひとかかえ、ふたかかえ以上の巨大な自然石が無造作に積まれたような奥津磐座(いわくら)があり、チャクラがピリピリした感じになったので、おそらくそこが、オオムナチの墓所なのだろうと直感した。ただし、なにか人為的な破壊を感じさせるような乱暴な岩の散らかし具合はおおいに気になるところではあった。おそらく抵抗勢力との争いや盗掘のせいだろうか、この場所で破壊工作があったのだろう。

いずれにせよ、三輪山全体がご神体という位置づけで、大神神社には拝殿のみがある。本殿はない。三輪山一帯は、2日前に訪れた伊勢神宮の内宮(なにぶん宗教的)とは対蹠的な縄文的心象が支配し、つまり呪術的ニューマが横溢している。

昨日参拝した熊野那智大社のオモテ向きの祭神はオオナムチなので、大神神社と熊野那智大社はオオムナチを共有していることとなる。ヤマト政権は、ここまでしてオオムナチに対してリスペクトの姿勢を見せている。おそらくオオムナチとその一族は大和政権成立に一定の妥協をしつつ協力を惜しまなかったから、記紀の価値システムのなかに記載されることになったのだろう。

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