古代・現代日本、呪術としてのヘルスケア

薬師寺金堂

神社においては、薬、酒は人が神に祈り、変性意識を得たり健康を増進するための聖なるモノだった。あまり大きな声では言えないが、今でも大麻を栽培して神事に用いている伊勢神宮をはじめ、大神神社、石上神宮、薬師寺、法隆寺、熊野那智大社にはそれらの原初的な呪術の痕跡が神事としてありありと残っている。このような祭りの主催者はシャーマンでありメディスンマンの性格をあわせもつ。

697年に開眼供養が行われた薬師寺の薬師如来は、東方に位置する浄瑠璃浄土のホトケで人びとの病気や災難を除き、健康と幸福を与えてくれるホトケだ。

法隆寺

仏教の源流に立つ厩戸の王(聖徳太子)は、当時のヘルスケア社会システムにも大革命をおこし、『四天王寺縁起』に見えるように四天王寺に「四箇院の制」システムを構築している。四箇院とは、敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)、悲田院(ひでんいん)の4 つのことで、敬田院は寺院そのものであり、施薬院と療病院は薬局・病院にあたり、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設にあたる。今風に言えば、太子が創めた四箇院とは地域包括ケアシステムの原型だろう。

法隆寺金堂東の薬師如来像には、法隆寺創建の由来が刻まれている。それによると、太子の父である用明天皇が自らの病気平癒を願い、寺と薬師如来を作ることを請願したという。その後推古天皇と太子がその遺志を継ぎ、607年に薬師如来を中心とする法隆寺を完成させたと記されている。

密教のほうでも、薬師如来はホトケとして祀られているし、「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」という真言は薬師如来を通して薬効や壮健な身体をわがものとしようとする身口意の三業をトランスレート(転換)する呪術である。

こうして今回フィールド調査で訪れた紀伊半島、畿内の神社仏閣でおこなわれている「祈り」のシステムを俯瞰してみると、神道、仏教、さらにはそれらの顕密を問わず、古代のヘルスケアは呪術の一環として執り行われたのは明らかだ。

さてさて。現代日本に実装されているヘルスケアは、マックス・ヴェーバーの「呪術からの解放」よろしく、呪術が隅のほうに押しやられ、科学的な根拠をベースとした医学(evidence based medicine)、つまり実証科学としての医学の体裁をとっている。かたや医学の社会的な応用である医療は、社会進化論的に地域包括ケアシステムとしてとらえることが一般的だ。もちろん「診療報酬制度において呪術に点数をつけろ」とでも言った日には素頓狂な狂人扱いされること必定だ。

キュアを提供するに際して近代科学の一部門であることを志向してきた科学は、普遍性、一般性、因果律、効果、効率、根拠、論理を重視する。これに対して、人間的であることを志向するケアには、個別性、特殊性、共時性、意味、物語、情緒、情念といった側面が濃厚であるとして、「キュアを包摂しつつも、キュアを超越するもの。それがケア」であり「ケアシフトが亢進するにつれて、ケアがキュアの諸相を包摂することになる」(松下 2017)。

個別で特殊なひとりひとりの、苦しみや不条理の意味を振り返り、かけがえのない人生という物語を一生懸命に生きて、情緒や情念のパワーを一心に向けることが呪術の契機となる。そこには、普遍性、一般性、因果律、効果、効率、根拠、論理などがしたり顔をしてつけいる余地は少ない。

突飛なことを言うようだが、キュアに収まり切れないケアの、行き先のひとつは紛れもなく呪術だ。科学や制度化された宗教に押しやられて居場所が少なくなった呪術ではあるが、だからこそ現代人とて、さきに見たような神社仏閣にお参りして、わが身の健康を祈るわけだし、親族、近親の人々の病気平癒、健康増進を祈ったり、お守りや呪符を求めたりする。

だから、科学の成果を身に引き寄せてモノ・情報的な豊かな生活を営みながらも、自分自身に対する呪術(ウェルビーイング・ソフト)を身の丈にあわせて人知れず、ゆっくりと静かに実践することがますます重要になりつつある。要素技術としては、有酸素運動、筋肉運動、ヨーガ、日々の食物摂取、節食、断食、瞑想、脳力開発、呼吸、安寧な睡眠、神社仏閣やパワースポットへの異界越境、放浪などがあろうが、まあ、ひとそれぞれでいいだろう。それらを自分自身への私秘的(プライベート)なワザつまり呪術として実践する。

私秘的な呪術は、人というシステムや社会システムに自己言及とゆらぎをもたらすものだ。つまり、呪術とは原初的なシステミックな自己組織性が発動するための一大契機なのではあるまいか。この行きかたを「科学からの解放」といってもよいだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました