神保町のキッチン南海が閉店

2週間くらいまえに、SNSで唐突に神保町のキッチン南海が閉店することを知った。黒いカレー、生姜焼き、ひらめフライの香ばしい香りとともに、昭和の臭気が残存する名店なだけに残念でたまらない。

キッチン南海に通い始めたのは高校生のころ。本好きな青二才の脚は、自然と古書店が立ち並ぶ早稲田通りと神保町へ向かうものだ。でもそららの古本街で、狙い定めた古書をわがものとすると当然カネもなくなる。よって古本を買ってからキッチン南海に行って、カレーを食べるというのは、かなりの贅沢の部類。さしずめ、古本を買って、キッチン南海に駆け込みカレーを食べるのが「梅」だ。

長じて金回りがよくなると、カレーにカツがつき、カツカレーにグレードアップとなった。ミックスフライやヒラメフライは邪道視されているだけに、キッチン南海道を歩む者としてはわき目もふらずひたすらカツカレーである。これが「竹」だ。

会社を売却して小銭を得てからは、晴れて「松」コースが加わった。デイパックに溢れんばかりの古書、新刊本をあたかも地引網で引き寄せるように買い込み、行列を辛抱し、件のカツカレーを、あの狭いテーブルで脇をすぼめながら食らう。その脚で、地下鉄神保町のほうへ2分ほど、そそくさとと歩いてさぼーるになだれ込み、淹れたてのコーヒーを飲みながら、買ったばかりの本のページをめくるのは至福である。

贅沢は、神保町にあり。神保町にこそ、贅沢あり。

古書店、キッチン南海のカツカレー、そしてコーヒーの三角形のなかにこそ、究極の贅沢が、そこはかとなく訪れる者を待つのである。そんな話を家人にすると、「あなたは、よっぽど安い人ね」と呆れられた。たしかに、会社を売り払って得たキャピタルゲインで買い入れたのは、本と自転車に尽きた。ゆえに、けっして「高い人」ではないのだろう。

なにわともあれ、40年以上通っている店がなくなるのは、心のどこかにぽっかりと穴があくような心象だ。大袈裟を言っているのではない。救いは、神保町内のほど近い場所に、のれん分けを得て、新・キッチン南海がオープンするという話だ。

もちろん、行く。あの、カツカレーの伝統、至福の味が令和の世にも継承されているか否かを、しかと確かめるために。

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