ケアの本質:生きることの意味 ミルトン・メイヤロフ

カテゴリー : No book, no life.

 

ケアってなんだろ?ケアの原点は?生きるってどういうこと?

こんな疑問や反省がときおり首をもたげるたびに、ページを繰ってきた、この本。

年末年始の喧騒や乱痴気騒ぎも過ぎ去り、雪が降り積もるような日にはシンミリとこんなこともつらつらと考えるべし、かと。

この本、もしかして書斎を離れるかもしれないので、線を引き込んだ部分をちょっと書き写しておく。

 

              ***

・「ケアすることは、自分のいろいろな欲求を満たすために他人を単に利用するのとは正反対のことである」(p11)

・「他の人をケアすることをとおして、他の人々の役にたつことによって、その人は自身の生の真の意味をいているのである」(p19)

・「学ぶとは、知識や技術を単に増やすことではなく、根本的に新しい経験や考えを全人格的にうけとめてゆくことをとおして、その人格が再創造されることなのである」(p29)

・「ケアする教師は、学生が自分自身の方法を見つけ、自分の目標を追求してゆくものものと信頼しなければならない。この場合、教師は、学生を助け、励まし、適切な刺激にあふれた経験をさせ、こうした信頼の絆をゆるぎないものにするのである」(p53)

・「相手が成長してゆうくこと、自分のケアする能力。これら二つを信頼することは、未知の世界に私が分け入ってゆくにあたって大切なものを与えてくれる。それは勇気だ」(p65)

・「作家は自分の構想をケアすることにおいて成長する。教師は学生をケアすることによって成長する。親は子供をケアすることによって成長する。」(p69)

うーん、深い。

・「他者が成長してゆくために『私』を必要とするというだけではなく、『私』も自分自身であるためには、ケアの対象たるべき他者を必要としているのである」(p69)

メイヤロフは『私』と相手の共創的関係性について、直裁に、かつ一遍の散文詩のように味わい深く書いている。

・「私が相手をケアするということは、その人が『私』をケアすることの活性化をたすけるのである。同様に、『私』に対する相手のケアが、その相手のために行うこちらのケアの活性化に役立っているし、相手のためにケアする『私』を『強く』するのである」(p85)

・「『私』と離れたなにか、あるいは誰かに役立つことによってはじめて、『私』は自己充足ができるのである。もし『私』が自分以外のだれか、あるいはなにものかをケアできないのであれば、自己へのケアもできないのである」(p106)

・「ケアは、『私』がこの世界で『場の中にいる』ことを可能とするのである」(p115)

・「自己の生の意味を十全に生きるためには、生きることが絶えず未完成であるという特徴を持つこをを、『私』はわきまえておくべきだろう」(150)

・「ケアこそが人間のあり方のなかで最も核心的なものである。『私』はケアをとおして、またケアされることをとおして、自分がいる世界をよく理解できるようになる」(p157)

・「『私』が自己の生の意味を生きるといえるのも、『自分の生を生きる』ことができるといえるのも、『私』がある対象に依存していればこそなのである」(p163)

 

               ***

ケアを原理的にとらえていすぎ、とか、マッチョなケア論だとかいろいろ識者から批判はあるだろう。だが、サービス科学という視点から見た場合、ケアの共創性をこれほど多面的に、かつ統合的に著述して、ある種の人生論にまで昇華し得た本を知らない。

難解な学術用語は出てこない。ひたすらメイヤロフは分かり易い日常語でケアを語るのだ。その意味で、著者メイヤロフは、読者をケアしているし、また読者もまたメイヤロフによって紡ぎだされた文章をケアするように読めるのだ。

案外こんなところに、この本が読み継がれている理由があるのかも。

とかく現代の看護技術論は文字通り、技術に走り勝ちだが、このような人文的な「ケアの本質」論はそれらを補って余りあるのではないか?