札幌→知床岬人力移動記<総もくじ>

カテゴリー : 札幌→知床岬人力移動記

2012年の夏は大変クリエイティブなものでした。札幌から知床岬の最先端まで、すべて人力のみで移動するというアイディアを、自転車、シーカヤック、徒歩縦走という手段で実行に移してみました。

その記録です。

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(1)~女満別からウトロへ~

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(2)~知床峠から相泊へ~

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(3)~知床岬海岸線縦走1日目~We are in Shiretoko once in a blue moon.

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(4)~知床岬海岸線縦走2日目~禁断の岬~

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(5)~知床岬海岸線縦走3日目~ヒグマとの遭遇~

羅臼から根室、そして札幌へ(6)

 

From Pass To 移動距離 (km)
札幌駅   奈井江温泉 80  
奈井江温泉 山辺駅 105  
山辺駅 狩勝峠 上士幌町 140  
上士幌町   オンネトー 110  
オンネトー 足寄峠、美幌峠 美幌 135  
びほろ後楽園 ウトロ 101  
ウトロ 知床峠 相泊 62  
シーカヤック   10  
徒歩     20  
羅臼内移動   5  
羅臼内移動 別海 5  
別海   根室 159  
         
合計移動距離   932  

 

                 ***

道中、いろいろな素晴らしい会話、アイディアの創発があり、これらは、霊妙なあちら側の世界から、世俗的なこちら側の世界に帰ってきてからあるものは急激に、あるものはボチボチと実現つつあります。

どうも、あちら側とこちら側というのは、シンクロナイズしているようで、共鳴しあっているような・・・。

recreation・・・・

ほんもののrecreationを目指したいものです。

                 

羅臼から根室、そして札幌へ(6)~講義など~

カテゴリー : 札幌→知床岬人力移動記

<パニアバックに鹿の角。振り返えれば、知床が遠い>

羅臼で無事、知床エクスペディションは、なにはともあれ終わった。

Yくんはこれから自転車で、知床峠を越えて、斜里、網走、紋別と走り繋ぎ、宗谷岬さらには富良野あたりを目指すという。

僕は僕で、これから札幌へ戻り、客員教授を務めている札幌市立大学で医療マネジメントの講義をやり、北海道大学で技術経営系の講演をすることになっている。その講演の後には、飲み会もセットされている。

二日目の夕方、テントを張っている時、バキッという音と共に、なんとテントのポールが金属疲労のため折れてしまったのだ。その場は、折れたパイプの先端を石で叩いて割り、さらにそのまわりを紐でまきつけ、応急処置をほどこして事無きを得た。

しかし、今後ともこのテントで寝れるという保証はない。やむなく、羅臼から根室までの自転車ツーリングは、テント泊ではなく安宿を使うことにして、ともあれ、走りつづけることにしたのである。

知床岬へのコースで桜井さんが拾った鹿の角をいただいて、それをリアのパニアバックにくくりつける。海沿いの羅臼峠を越え2時間も走ると、羅臼岳がだんだんと遠くなってくる。

ここから根室までは低い羅臼峠以外、峠は皆無でほとんどまっ平か、ゆるいアップダウンが続く土地である。大きな街もなく、場所によっては30kmくらい店もない地域だ。

だいたいアクシデントに見舞われるのは、所期の目標を達成した後、気が緩んでいる時が多い。だから、あまりムリもぜず、かといって、ラクもせず普段通りに走ることを基本に置いた。この地域約170kmを2日かけてゆっくり走り、根室についた。

そこで自転車を分解して自宅まで送った。そこからは、花咲線で釧路へ、釧路からは「あおぞら8号」で、釧路本線、石狩線と乗りついで札幌を目指した。札幌ではアカデミアの活動だ。これまでのワイルドなoutdoor活動とは打って変わってindoor系の講義をこなし、飲み会などもあった。

こうして、あちら側の世界から、こちら側の世界へと徐々に帰ってくるのだ。いきなり、東京へもどるより、札幌で、こちら側に足場を置き戻るというのが、救いといえば救いか・・・。

<札幌市立大学で皆さんといっしょに>

医療・保健・福祉サービスのマーケティングという授業を担当している。

授業のしょっぱなは、今回の旅のまとめと報告。

専門的な内容よりは、一連の冒険談のほうがみなの目が輝く。

<北大でのMOT講演の後、皆さんといっしょに>

北大では、もうあちら側の世界とはほとんど隔絶した「技術経営」という世俗的にしてアーティフィシャルな話題だ。

でも、卒業生のIさん、東京から駆けつけてくれたOさん、など旧交を温めつつも、実に楽しいひと時。

ひとり僕だけが真っ黒な顔をしているのが気にならなくもないが・・・。

こうして、こちら側にだんだんと復帰するのである。

                    ***

・・・正直に言うと、だいたい、あちら側の世界(おおむねoutdoorの世界)からイヤイヤこちら側の世界(都市で生活を営むためのミスギヨスギの仕事中心のindoor系の世界)へ舞い戻りつつあるときは、あまりスッキリした気分にはなれない。

ギアチェンジ、発想と行動の転換、密から顕へのトランスファー。まあ、呼び方はいろいろあるが、ここしばらくは、こちら側にとどまって、いろいろなミスギヨスギで凌いでゆくのだ。

・・・こちら側でも、あちら側でも、そして、それらをまたいで自転車操業人生は続くのである。

自転車っていうと、一人で走っているような感じがするが、どっこい、一人では走れない乗り物だ。

自転車を作る工房の主人、パーツを供給する人、ムツカシイ修理を手伝ってくれる人、道を作る人、メンテナンスする人、キャンプ場を管理する人、食料を流通してくれる人、道すがらいろんな旅の情報をやりとりしてくれる人、それに、こんなバカなことを支えてくれる家族、友人など、いろいろな人のお世話になってはじめて走ることができる。

道すがら、手を振ってくれるバイクライダーからは元気をもらうし、飯や飲み物をおごってくれる地元の人だっている。

・・・いろんな方々のヘルプをもらって、繋がり合ってはじめて、サイクリストは一人で走ることができるのだ。豊かなsocial capitalに支えられて、はじめて自転車は前に進むってこと。

いろいろな絆に支えられながらも、一人で前へ向かって走り続ける時には、自分の身の回りで起こるすべての現実を全部まるごと受け入れ、それらと適宜折り合いをつけなければいけない。そしてペダルを廻して、前に進んでいる限りは、なんとかサイクリストは自転車の上でバランスをとり、立っていることができる。

30年以上前、ネパールのカトマンズで逢ったサイクリストに教えられた言葉だ:

Life is like riding a bicycle: you don’t fall off unless you stop pedaling.

あの頃から数えると、かれこれ35年も自転車に乗って走っている。

で、やっと、この言葉の意味が分かりかけてきた今日この頃なので、オレはものわかりがいいほうじゃない。たぶんバカ者である。

そうして、あっちゃこっちゃ走りながら、indoor,outdoor両方の世界を融通無碍に行ききし、双方の世界で新しい境地を切り開いてゆけるのだ。できれば、そんなかかで意気投合できる人に出逢うことができれば尚いいだろう。助けることができる人がいたら、助けてあげたいし、こっちが窮地に陥った時は、助けても欲しい。

そうじゃなければ走れない。

・・・そう謙虚に自覚しているんでもっと走らせてくれよ。

たぶん、こうしてああだ、こうだ言いながら、これからも自転車で走ってゆくんだろう。

心のどこかに知床を、知床に至る道で遭遇したいろんなことを、しかとしまって、時折反芻しながら・・・。

 札幌→知床岬人力移動記<完>

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(5)~知床岬海岸線縦走3日目~

カテゴリー : 札幌→知床岬人力移動記

<知床岬をややウトロ側に回った地点>

<昨日、知床岬にて>

知床岬を踏んだわれわれパーティーは大きな目的を達成したので、ここから先は、いわゆる帰路に属する。

知床岬から最も至近の船が接岸できる湾は文吉湾。したがって、知床岬を目指すアウトドアの奇人変人たちの多くがこの文吉湾を訪れる。

われわれパーティは、文吉湾からひとつ岬よりの啓吉湾でキャンプを張った。夕刻、水を摂りに行ったYくんがけっそうを変えて、テントにもどってきた。ヒグマに出くわしたと言うのだ。

ヒグマ、まじっ、ビビリまくりっすよ!

ここまで、パーティーが遭遇したヒグマは合計6頭。人間の方はというと、初日に反対方向からやってきた精悍な2人パーティーと知床岬手前のおばあちゃんとすれ違っただけだ。つまり、人間は3人。

われわれのパーティーのヒグマとの接近遭遇率は人間とのそれと比べて2倍ということになる。

そのすれ違ったパーティーでさえも、ヒグマとは1頭しか出会わなかったと言っていたので、われわれパーティーはことさらヒグマづいていたのかも知れない。

その夜、われわれは半洞窟の快適なキャンプサイトで、とりわけ陽気なひと時を楽しんだ。充実しながらも過酷なコースタリングを終え、明日は漁船にピックアップしてもらい船の中に座っているだけで相泊に帰れるのだ。陽気にならないわけがない。

            ***

<知床岬にて国後を見ゆ>

それやこれやで、翌朝はゆっくりめの起床。

好奇心旺盛なYくんは、さっそく浜に出てアサリ掘りにこうじている。

そこへまた、ヒグマが出現したのである。ちょうど啓吉湾のわれわれから見て左側のヘリからヒグマが出現し、海岸線沿いに、Yくんの方向に、ノッシノッシと歩いてゆくのだ。

パンツ一丁で無邪気にアサリ堀に没頭しているYくんと、ヒグマがまたも海岸線で鉢合わせになったのだ。

汚いパンツ一丁でヒグマとまたも鉢合わせになり、すすけたパンツとは逆に頭の中が、真っ白になったYくん。遠目からもパニクっているのが分かる。それほど、さように、Yくんの絶体絶命のピンチ状況は察して余りある。・・・・というか、この状況に当事者として直接参与しているパーティとして、彼の安全を確保しなければならないのだ。

われわれは機能体であると同時に、運命共同体なのだ!

            ***

ヤバいっ!と危機を察知することは動物としての人間が保有する基礎的状況適応能力の基礎をなす。そして、その基礎のうえに、どのような行動をとるのかは、人によって、状況によって異なってくる。

ヒグマ相手では、時として、なにもせず、動かずに、じっとしていて、状況をやりすごす、という行動が肝要だ。でも、これがなかなかできないものだ。ついつい、後ろ向きに逃げたり、声を出したり、不用意に近づいたり・・・という行動をとりがちだ。

<Yくんの方向を見るヒグマ、啓吉湾にて>

ともあれ、ヒグマは桜井さんのYくんに対して発した叫び声、「とまれ!」に反応して、もといた湾左側のブッシュにまで後退した。その間隙をついて、ほうほうのていでテントにまで戻ってきたYくんの顔面は緊張と恐怖で蒼白だった。

とまれ、無事でなによりだ。その約10分後、くだんのヒグマは、悠々と、なにもなかったように、われわれのテントサイトの真正面を左から右に横切って行ったのだった。

これで3日間で遭遇したヒグマは全部で7頭だ。

でもYくん、無事で、よかった、よかった。

(反省)→知床では、どんなときでもパーティーは凝集して行動する必要がある。30m以上お互いが離れない方がいい。

            ***

<文吉湾の番屋と漁船>

テントを撤収して、啓吉湾を登り、文吉湾を降りて、あとは船を待つだけだ。12:30にチャーターした迎えの船がわれわれをピックアップしにやってきた。

船はけたたましく波をかき分け、岩場、岩礁を巧みにするりぬけ、途中、知床財団の調査員二人組をピックアップして1時間もしないうちに相泊に着いた。

帰路、海上から、われわれが苦心惨憺して、歩いた海岸、ヘツった岩礁、高巻き、下降した岩場が、つぶさに見えた。

<漁船の上で>

相泊に帰ってきた時、かけがえのないホームタウンに帰還してきたような妙な感覚にとわられた。

ここも、知床である。

            ***

<The end of Shiretoko Expedition ライダーハウス白樺にて>

これで、Shiretoko Coastering Expeditionも終わりだ。

あ~~~~~っ、終わってしまったのだ。

羅臼で3人パーティーはめでたく解散。

桜井さん、Yくん、ありがとう!

「また知床へ、来たくなったら、いつでも来てね」

そう朴訥な口調で語る桜井さんの言葉が、胸に響く。

Yくんと僕は、ライダーハウス白樺(関連ブログ記事:もうちょっと知床峠のほうにあるキャンプ場が閉鎖されている時、よく利用されるライダーハウス。残念なことに、今年の夏一杯で廃業するという)に寝場所をとり、ひさしぶりに座敷と布団の上で夜を過ごすことにした。

そして、あたりの温泉で、全身に沁みついた汗を流したのだった。

            ***

その夕刻、ライダーハウス白樺の横の広場で、羅臼コミュニティーの夏祭りがあった。

地元の老若男女はもとより、旅の者などが混ざって織りなす、心あたたまる集まりだ。

そこで、漁師の人達が、出店を出して、ホタテ、ホッケ、ズワイガニ、豚などを焼いていた。

漁師 「アンタら、ずいぶん、色黒いけっど、どっからやってきたんサ?」

僕 「あのう、札幌から自転車で走ってきて、この3日間は知床岬までシーカヤックと歩きで行ってきました」

Yくん 「知床岬から帰ってきたばかりで、これから自転車に乗って宗谷岬を目指します」

「アンタら、キチガイだっ!がははは~~~」

そう漁師は叫び、天真爛漫に笑いこけると、

「よっしゃ、オマエらっ気にいった!どんどん食えっ!」

そう言い放ち、祭りの場の脇で車座になって座っているわれわれに、次から次へと、海の幸を持ってきてくれるのだ。

ホッケ、カキ、ズワイガニ・・・・・・・ありがたや~~~。

<海の幸にがぶりつく>

Yくんと僕は、その辺の地べたに座り、ビールを飲みながら、キップのいい漁師の好意により、ゲラゲラ笑いながら、たらふく、新鮮で美味極まりない大量の海の幸にありついたのだった。

blue moonのパワーなのか?

とまれ、幸せな羅臼の夜だった。

ここは知床である。

つづき>>>

 

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(4)~知床岬海岸線縦走2日目~禁断の岬

カテゴリー : システム思考

4:30、泥のように一晩寝て見ざめると、ほどなくして朝日がオホーツクの海に浮かび上がる。

8月の末とはいえ、さすがに朝夕の知床の海岸線は冷気が満ちている。

昨夜の満月といいい、今朝の朝日といい、好天に恵まれる至福に感謝だ。

食事を済ませ、朝一の作業にとりかかるため浜に上がってきた漁師の方々に挨拶を済ませ、朝の静かな海岸線を3人パーティーで歩いてしばらくすると、パーティーから5m位の至近距離からヒグマが突如、現れる。このような至近距離でヒグマと鉢合わせになることは希有なことだ。

<通称、赤毛のアン>

顔から上半身にかけて赤い毛に覆われている「赤毛のアン」

こうして静止画像でみるかぎり、なかなか愛らしい姿だが、現実に海岸を動き回り、こちらの様子を鋭い眼光で伺う時など、あたりに緊張感が張り詰める。

安全な距離を確保するまで、ゆっくり後退する。

そのような安全確保の所作の後、撮影したものが下のyoutube動画(桜井さん撮影)だ。

 

<赤毛のアン>

ヒグマに至近距離で遭遇した場合、最後の手段が、ヒグマ撃退用スプレーである。その安全ストッパーをいつでも解除できる体制を保ちつつ、ここはヒグマが、我々と狭い海岸で交錯し、後方へ移動するのを待つしかない。

そうこうするうちに、朝飯で腹いっぱいになったのか、「赤毛のアン」は岩陰で昼寝ならぬ朝寝を始めてしまったのだ。

ヒグマの行動にあわせて、やりすごすしかない我々もしばしの大休止を取る。

 さて、今回大変勉強になったことは嗅覚の活用だ。クマには、できたら、遭遇しないほうがよい。でも遭遇しそうな状況をいち早く察知する方法として嗅覚の活用があるのだ。

クマが近くにいる時、独特の濃度の濃い臭気を感じる。一言で言えば、むっとしたケモノ臭さ、生臭さを感じれば、クマが至近距離にいる、または、移動した「印」なのだ。まさに、クマは自分の縄張りに自分の匂い=印をマーキングする習性がある。その匂いをいち早く感じて状況に対処することは、知床サバイバルにおいて、重要なリスクマネジメントの技法なのである。

              ***

「多様性のみが多様性に打ち勝つことができる」(Ashby 1956)

これはsystems thinkingの一つの教えで、最小多様度の法則と呼ばれる。アウトドアに身を晒す人間は、さまざまな環境の中で、diversity(多様性)を体得して内部モデルしてゆく。それが、蓄積された経験、あるいは行動様式(ethos)というやつだ。

でもしょせん、人口的な環境からは程遠いgreat natureのなかでは、一人の人間、あるいはパーティが保有する適応能力の多様性は、自然の多様性に比べたら、ほんの芥子粒のように小さなものでしかない。

芥子粒のように瑣末なものであっても、はやり、経験を積んだ自然探索者ほど、その多様な経験から抽出した行動パターンの選択肢が豊富なのだ。それによって、危険を察知し、状況のなかでリスクを最小にする、あるいは、リスクを顕在化させないような行動をとりつつ、目的を達成するという行動が可能となる。

その選択肢の基礎に横たわるもののひとつが、実は感覚なんじゃないのか?

感覚とは、人間と自然とのインターフェイスを取り持つクリティカル極まりないはたらきなのだと思う。嗅覚~人口的な環境の中ではともすれば、さほど活用されない~はその基礎のひとつだ。

              ***

 <女滝>

豊かなミネラル、栄養素を含んだ水が滝となって海岸線へ落ちる。

ペキンノ鼻、念仏岩など比較的難易度が高い場所は、やはり夏山の上級技術は欲しいところだ。

このあたりはわずかに奇人変人トレッカーの踏み跡はあるものの、いたるところにヒグマの糞が落ちている。つまり、ヒグマも人間も同じようなルートを使って山と海の間の僅かな空間を移動しているということになる。

これ、人間から見れば「けもの道」なんだが、実は、ヒグマから見れば、自分たちの領分にドカドカと侵入してくる人間という得体のしれない存在がつくった「ヒト道」なのかもしれない。

いずれにせよ、知床の奥まった土地に分け入る人間として、ヒグマに接近したり、遭遇したりすることは避けたいものだ。・・・しかし、やはりそこは知床。一頭のヒグマにも遭遇しなかったパーティーの落胆もよくわかるのだ。。

<念仏岩の高巻き>

「念仏を唱えながら越えるほどに、危険極まりない」と伝えられる念仏岩への高巻き。あたり一面、フキなどの植物に覆われていて踏み跡はほとんどない。

 <念仏岩を下降するYくん>

念仏岩にはザイルが残置されている。もちろん、残置ザイルは劣化が進んでいることが多く、safetyを保証するものではとうていあり得ない。

Yくんの背中の鹿の角はシャレコウベつきだ。4.5kgもの重量をザックにとりつけ、その後自転車にもとりつけ、東京の自宅にまで運んだ。ご苦労さまです。

(でも一生の宝物だよね)

 

<念仏岩を下降するYくん 動画>

しかしながら、残置ザイルの状況を入念に確認した結果、ここは、持参した9.5mmX30mのザイルを用いることなく、残置ザイルを用いて下降。

 <最後の難所、カブト岩上部からの風景>

12:00過ぎには、カブト岩にとりつき、ヤブ漕ぎをしながら、ピークをゲット。

平坦な知床岬が、もう、すぐそこに、見える!

感動もひとしおだ。

・・・・という表現があまりにも月並みすぎるのなら、今一度、ここまで辿ってきた道程を改めて記すことにしたい。

札幌→ないえ温泉→赤平→芦別→富良野→狩勝峠→上士幌→足寄→オンネトー→足寄峠→阿寒湖→阿寒横断道路→屈斜路湖→美幌峠→女満別→網走湖→斜里→ウトロ→知床峠→羅臼→相泊→知床岬!

これらの道々で流してきた汗、人力移動してきた距離、接してきた風景、道々であったいろいろな人々とかわしてきた会話、そうしたモノゴトのtotal sumが到達するであろう極点が知床岬なのだ。

知床岬は別名、禁断の岬とも呼ばれる。

シレコトは、シリエトクに由来する。シリエトクは、アイヌ語で大地が果てる場所、という意味があり、それがシレトコの語源となったそうだ。

徒歩でテン泊しながら、いくつもの難所を越え、時に波に洗われながら、ヒグマの密集地帯をリスクをマネジメントして突破しない限り、人を寄せつけないシリエトクは禁断の岬なのだ。たしかに、その呼び名は実態に即している。

その大地が果てる場所、禁断の岬が、もうすぐそこに見えるのだ!

 

<カブト岩から南をのぞむ>

延々と歩いてきた方向を振り返れば、海岸線が実に美しい線を描いている。脚を痛めて歩いてきたルートだが、疲れも吹き飛ぶような情景だ。

さて、カブト岩の下降は、大学院OBのDogishiさんという年季の入った先鋭なアルピニストからお借りしたものを使うことになった。彼は北海道にいるときに、極冬期の知床連山を縦走し、海岸線沿いに相泊まで帰還するという貴重な経験を有する人物。

そんな彼から、奥多摩キャンプ、飲み会など、ことあることにつけ、今回のShiretoko Expenditionの相談に乗ってもらったのだ。あらためて感謝したい。

持参したハーネスに8カンをとりつけ、Dogishiさんからかりた9.5mmX30mのザイルで崖の途中まで懸垂下降を行うのである。

 <カブト岩の下降準備、Yくんとともに>

それにしても、トホホな靴だ。自転車ツーリング用の軽量ニッカーにハイソックスまではいいが、はやり、この靴では心もとない。でも、これで行くしかないのだ。

 13:00には100mの崖の上下を持参した笛でコミュニケーションをとりつつ下降を完了。

 

 <知床岬への最後の登り>

海岸線を歩いていると、夏の番屋に棲むおばあちゃんが飼っているワンコのシロとクロが寄ってきた。

<シロの出迎え>

ひとなっつこい犬たちだ。聞くところによると、このおばあちゃんは羅臼の街に住むセガレから番屋を守ることをやめて早く町に帰ってこいと言われ続けているらしい。

彼女は、知床に棲み、われわれは、知床を通り過ぎる。この違いはいったいなんなのだろう?そんなことを考えながら歩いていると、いつのまにか、シロが見当たらなくなった。たぶん、おばあちゃんのところへ帰ったのだろう。

<知床岬先端部から無人灯台をのぞむ>

wildernessの中に忽然と屹立する人口物の灯台。

<Yくんの雄姿>

見よ、あれが灯台だ。

とうとう知床岬に、やってきたのだ。

あたりは広大な草原を成している。繁殖した鹿が大量に草原の植物の新芽を食べているらしく、ここ数年で草原の植物の背丈はずいぶんと短くなったそうだ。

<岬から眺める国後島>

茶色になった植物(名称は不明)は、秋の到来を思わせる。

海峡を隔ててすぐのところに、国後島が。

ここからは、国後島が、近く見えるのだ。

<岬の灯台にて>

延々、かついできた鹿の角。

(結局、この後、2人とも自転車に括りつけ、鹿の角と行動をともにすることになったのだが・・・)

 

<灯台から岬をのぞむ>

とうとうやってきた、知床岬!はるばる札幌から、自転車を漕ぎ、シーカヤックを漕ぎ、そして知床半島の海岸線をひたすらヘツり、よじり、下降して、たどりついた知床岬。

平原からはコンクリートの階段が灯台にまで敷き詰められている。そこを登って、3人パーティーは握手。

そこで桜井さんはおもむろにコンロを取り出して、「知床スペシャルミルクティー」をふるまってくれた。

ああ、美味しい!!!

15:00とうとうゴールに到達したのである。

        ***

その後、パーティはウトロ側に大きく回り込み、啓吉湾の洞窟にキャンプサイトを求めた。

この啓吉湾という湾は、知床岬至近の隠れスポットである。

左右に大きく拡がる湾の最深奥部に洞窟があり、そこから全湾が見渡せるのだ。

食事を済ませ、若干の酒を飲み、ひたすら泥のように眠った。

ここは知床である。

つづき>>>

 

 

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(3)~知床岬海岸線縦走1日目~We are in Shiretoko once in a blue moon.

カテゴリー : シンクロニシティ

<朝日に向かってエントリー>

朝4:30起床。5時過ぎには相泊のシーカヤックで航海を始めるエントリーポイントに到着。

いよいよ知床の海に初エントリーだ。

幸い、海はないでいる。ないだ海に朝日が昇る。

<相泊のあたり ダブル艇から桜井さんが撮影>

相泊から漕ぎだして、しばらくは岸に番屋がつづいている。

この船は、リジッド・カヤックというタイプ。「リジッド=固定」とは、常に船体の形が固定されているという意味で、最も一般的なカヤック。

船体上面には「デッキ」と言われる覆いがあり、人が乗る部分(コックピット)だけ穴が開いている。コックピット開口部と体の間には、浸水防止用の「スプレースカート」を装着するが、今回はなし。沈してもいいように、念のためウェットスーツで身を固めた。

コックピットの前後には、隔壁で仕切られた荷物用の空間がある。 荷室のハッチは密閉されているため、ひっくり返っても浸水せず浮力を保つ構造になっている。

ビニール袋に荷持をいれ、荷室に格納。縦走用のザックは荷室に入りきれないので、バウ側のデッキ上部にくくりつけた。

 

昨日まではシケていたが、むこう3日間は高気圧に知床半島はすっぽり覆われ、海岸線の天候はここ2カ月間で最高のものとなる見通しだ。

なぜ、シーカヤックなのか?

クヅレ浜という場所にクジラが一頭漂着し、その死肉を目当てにヒグマが多い時で13頭、死んだクジラに群がっているのだ。(詳細はこのサイト)その群の中にはクジラの肉にありつくためあたりに居ついているヒグマもいるという。

<情報収集のため立ち寄ったルサフィールドハウスにて>

 

<クジラの死体>

接近して見ると、肉はほとんど食べられていた。

肉は食いちぎられ、巨大な背骨だけが海岸に残っている。

これを持ち帰るのは至難の業だろうが、ちょっと考えなくもなかった・・・。

そのクズレ浜は海岸線から山のへりまで30m程度しかなく、そこをクリアーする時には必然的に、ヒグマに接近するリスクを冒すことになる。

<ダブル艇のバウがないだ海面を切って進む>

そのような顕在化したリスクは回避するのが定石ということで、1週間前に、ダブル艇を桜井さんとYくんが、シングル艇を僕が操舵して、その危険地帯を回避して先の湾に上陸して、そこから海岸線を縦走してゆくというプランになったのだ。

過去、カヌーは四万十川キャンピングツーリング、釧路川の下流の塘路から細岡あたりまでなど、おもに河川を中心に試みてきた。数年前からシーカヤックの操縦技術(・・・といってもシングル艇をひとりで操縦するに必要な基礎テクニックのみなのだが)を体得していたのが幸いした。

            ***

数年前まで、僕の知床は、素朴にも、というか安直にも、南側の羅臼と北側のウトロをむすぶ線からほんの10kmほど北に行った沿岸部に限定されていた。岩尾別から五湖方面もたしかにすばらしい情景に満ち満ちてはいるものの、もっとdeepな知床に対する欲求は増すばかりだったのだ。

そして今年、機は熟した。

知床ド素人の僕としては、いくら大胆になってもプロのガイドなしの挑戦はしょせん暴挙というもの。ヒグマ回避、ルートファイディング、特殊環境での野営、悪天候時の撤退などは、プロのガイドが必要と判断した。

それやこれやで、facebookや大学関係の飲み会のおり、賛同者を募るために徒歩による知床岬までの海岸線縦走の構想を5月位からボチボチ紹介しはじめたのだ。

そこでこのアイディアに乗ってきたのが、Yくん。Yくんは昨年、東京から九州まで自転車ツーリングを成し遂げているし、若さゆえの向こう見ずさや青さが残ることを割り引いても、アウトドア方面への可能性を感じさせる有望な若者だ。

            ***

 <午前中はこのこの通りのないだ海面>

自転車もシーカヤックも、前進するための基本動作を「漕ぐ」という。

左舷側が常に知床の海岸から山々まで開けた視界を確保できるので、絶景に次ぐ絶景のオンパレード!

1時間ほど漕いでクズレ浜に接近すると、一匹のヒグマが骨だけとなったクジラに取り付いているのが見えてきた。

おお、ヒグマ!

ヒグマは泳ぐとはいえ、海上で数十メートル離れた距離からヒグマを見るのは、なんというか、海がバッファーとなり傍観者を気取ることができる。

 

 <10:30 モイレウシ湾に上陸>

モイレウシ湾は静謐な空間をたたえた箱庭のような空間だ。

そこに上陸して、船に格納したザック、荷物をとりだしてパッキング。

相泊から知床岬まで、東側の海岸をたどるルートは上級者向けのコースタリング(海岸トレッキング)コースとして知られている。その中でも比較的単調な相泊から崩浜。観音岩、化石浜を経てモイレウシ川が注ぎこむモイレウシ湾までシーカヤックで迂回したことになる。

モイレウシ湾で行動食と水を摂る。

いよいよここから海岸線の縦走が始まる。緊張に満ちた瞬間だ。

<引き潮のため歩きやすかったモイレウシ湾北側>

時は満月と重なったため、引き潮も大きく、モイレウシ湾北側の海岸は潮がずいぶんと引いていた。

満潮時には波が容赦なく海岸線を洗い、ヘツっている時に足を滑らせば海へ落下という難所である。

<無残にも靴底が剥がれ落ちるというアクシデント>

海岸の岩をヘツりはじめて10分後、それは突然やってきた。

なんと、2足の靴底が剥がれ落ちたのだ。ぐわ~~~!!、ぎょえ~~~!!

以前、友人が、飯豊連峰を縦走しようとして登山口で靴底が剥がれるという珍奇なアクシデントに遭遇したことがある。それを見聞きして、「ああ、そういうこともあるのか!マサカねぇ?」くらいに思っていた。

嗚呼、そのマサカの非常事態が、今、自分の身に降りかかっているのである!

なんてオレはドジなんだろう!知床にやってくる前に入念に山靴をチェックしておくべきだったのに・・・。アウトドアに生きる者として山靴という基本ツールのリスクマネジメントも出来ていなかったのか!

ああ~~~~~、後悔先に立たず。

と、我が身の不幸をなげきつつも、ここで撤退はありえない、断じて。

思案すること5分、この靴を、自転車ツーリングで使ってきた足首がむき出しの靴に履き替えて歩くことになったのだっ。

グッと足首をねん挫してしまった瞬間、一巻の終わりだ。したがって、ここから先の歩行は、多少ペースが遅くなっても慎重に慎重を期して着実に歩くしかない!

 痛む脚をこらえながらも、どこまでも続く海岸線は絶景の連続だ。

海岸線には、これでもか、これでもか、と言わんばかりに浮き石や浮き岩が散乱している。

足首がむき出しの靴は、これらの浮き石に足がとられて、グニャリと足首が曲がってしまう。

でも、これで歩くしか選択はなかった。トホホ・・・。

<桜井さんとYくん、実に素敵な表情だ>

プロフェッショナルなネイチャーガイドと行動することは、本当にためになる。知床のあらゆる知識、サバイバル技術、知恵といった暗黙知を共有して会得することになるのだ。

こうして、クライアントは、五感を使いながら、expeditionという稀有な経験のなかで、それらの暗黙知を体感する。natureと接するという贅沢なサービスの共創者がガイドであり、クライアントだと思う。

ところで、Yくん、絶景に接するたびに、スゲー!、これぞリア充!インパクト・マックス!などとわけのわからぬ言葉を叫びまくる。

たしかに、言語による描写を拒むような圧倒的かつ峻厳な自然に対峙して、技巧に走る描写を介在させるよりは、単刀直入にそのような非文学的表現(?)に素朴に身を落とした方が、直截かつ正直な内面の吐露というものだろう。

 

 ごろんごろんと大小の岩、石ころがころがる海岸線。

大胆なジャンプはせず、ひたすら、足首を意識して歩く。

< 女滝が見えてきた>

・・・と、突如、行く手に一頭のヒグマが出現。そして後方にももう一頭が。

我々は前方と後方から2頭のヒグマによって挟まれているのである。

さきほどの海を隔ててヒグマを眺めるという状況とは異なり、ヒグマと人間が至近な距離で陸を共有しているという現実は、この上もなく重く、クリティカルなものなのだ。

ヒグマはガサガサと茂みをトラバースして番屋の裏手を北のほうに移動していった。

ことなきを得るまでは、緊張の連続だ。

16:00滝の下番屋に到着。

そこでテントを張り、キャンプ。

漁師の人に頂いたマスと、海岸で拾ってきたコブに味噌で味付けをする。

とほうもなく美味しい料理だ。

<We are in Shiretoko once in a blue moon>

これは、夕日ではない。

満月の月明かりだ。

それもただの満月ではない!

Blue moonなのだ!

今夜2012年8月31日は、数年に一度のブルームーンだ。そしてその時を、こともあろうに、我々は、知床で迎えている。

なんという僥倖!

なんというsynchronicity!

なんというserendipity!

 

ブルーといっても月が青く見えたり、月を見てブルーな気持ちになることではない。

ブルームーンとは、1カ月の間に2回満月が見られるということだ。そもそも、ブルームーンとはどういう現象なのか。通常、満月は1カ月に1度しか見ることができない。それは月が約1カ月かけて満ち欠けをするからだ。

しかし、その「約1カ月」は正確にカウントするト29.5日である。現在の暦では、1カ月は2月を除いて30日か31日という日数を割り当てられている。この誤差が積もり積もって、2~4年に一度1カ月の間に2度、満月を見ることができる。これが「ブルームーン」というわけである。前回は2010年にブルームーンが発生したので、今回は2年ぶりとなる。

英語では非常に珍しい、僥倖ということを”once in a blue moon”と表現する慣用句がある。また、blue moonを見ると幸せになれるという言い伝えがある。

そう、まさに、We are in Shiretoko once in a blue moon.なのだ!

                                               ***

blue moonは、地上の一切の生命あるものに、やさしい波動をおしみなく送ってくる。

霊妙なパワー。

(その霊妙でsubtleなパワーを、体の芯まで受け入れて内部化する特殊な観想で、いただきました)

今晩のblue moonを決して忘れはしまい、というか、このパワーは僕の深層に脈々と生き続けることになった。

                                               ***

それは低く張り詰めた薄い雲を照らし出し、知床の海面に静かに深くきらめきを放っている。

その乳白色と燻銀のような残光を得て、水平線の向こうには国後島の山々が漆黒のシルエットを浮かびあがらせる。

神々しくも煌々と輝く満月の月は、静かに大空を移動してゆく。

そんな風景につつまれて、知床の沢の水をバーナーで熱して湯にし、お湯割りにして飲むウイスキーは格別だ。

ここは知床なのである。 

つづき>>>

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(2)~知床峠から相泊へ~

カテゴリー : イノベーション

翌日は早朝から知床峠アタック。前半戦で狩勝峠、足寄峠、美幌峠などをクリアはしているが、この峠は甘くはない。なにせ、海抜0mから700m以上へと一気に高度を増してゆくからだ。

知床峠は、目梨郡羅臼町と斜里郡斜里町とを一気に結ぶ国道334号、通称「知床横断道路」の峠で標高738 m。峠からは北東の方向に間近にそびえる羅臼岳や、天気がよければ、海の向こうに国後島を望むことができ、知床八景の一つとされている。

でもあいにくこの日の知床峠は乳白色のガスの中・・・。

サイクリストにとって知床峠は高い人気を誇る。否、サイクリストによっては北の宗谷岬と並び称して「聖地」とまで呼ぶ。なるほど、「聖地」という呼称はあながち誇張ではないと思うのだが、知床横断道路を境にしてその東北方面の人がほとんど立ち入らない地域こそが真の聖地なのだ。

だからこそ、われわれは、その聖地に脚を踏み入れるべく、知床峠の向こう側から3人パーティーを結成して知床岬に挑むのだ!

            ***

峠を下って途中、熊の湯の熱い湯につかって知床峠の疲れを癒す。ここ、硫黄の温泉で地元の漁師さんをはじめ、ライダー、チャリダーにとって至福の場所だ。

メールで連絡をとっていると、羅臼からパーティーを組んで知床岬まで一緒に行動を共にするY君は、一足早く羅臼に着いたことが判明。

羅臼ネイチャーセンターで、プロのネイチャーガイドの桜井氏(知床ファクトリー代表)とY君と無自合流!

ハグXハグ♡♡♡

さあ、ここからは3人パーティーだ!

<相泊から先は道路はない>

羅臼の町から北へ20kmほど走ると、そこは相泊。ここから先は道はない。最果ての集落だ。相泊というと、チャリダー、ライダーの間では、「熊宿」が有名だ。ところが、こともあろうに、その熊宿の名物主人の方が病を得て、昨年なくなってしまったという。(合掌)ここから先は道路はない。

ともあれ、札幌からずっと道を走ってきて、ここで道は終わった。

 

自転車を相泊にデポして、明日からは海をシーカヤックで、知床岬までの海岸線を人力=徒歩で移動する。

 

いよいよ、この人力移動の旅は佳境に入ったのだ。

元来、探検とはイノベーティブな行為だ。異質なモノゴトの新しい組み合わせがイノベーションの端緒であるのなら、自転車XシーカヤックX徒歩という組み合わせは、十分イノベーティブだと思うのだが、さて。。

<相泊温泉>

長年、訪れたかった相どまり温泉。

見ての通り、海岸に掘立小屋をしつらえただけの簡素は作り。

硫黄と海水がほどよくまじりあった絶妙な泉質。

 

                          ***

さて、今回のexpeditionが一気に具体化したのにはあるきっかけがあった。

今年の寒い頃に広島と愛媛をむすぶ、「しまなみ海道」を自転車で走った時に、因島の民宿で同宿したサイクリスト氏が登山もよくする人。そのサイクリスト氏とビールをいっしょに飲みながらアウトドアの話に花が咲いている時に、彼が、おもむろに知床岬への海岸線縦走を果たしたというう話をし始めたのだ。

それまで、過去20年間以上、知床岬はいつも頭のどこかにありつづけてきたのだが、しかし、しまなみ海道で遭遇したサイクリスト氏の知床岬への冒険談には心底惹かれるものがあり、その後、彼とメールでやりとりして、プロフェッショナルなnature guideを紹介してもらったりしたのだ。そしていきついた先が、知床ファクトリーの桜井さんだったのだ。

ああ、不思議な御縁!

 

<ライダーハウスMAX>

そんなこともあり、われわれは、相泊の多少羅臼側にあるライダーハウスMAXに転がり込む。

ここに一泊。

屋根がある所はいい。

看板の英語、ちょい意味不明だが・・・

 

<相泊のライダーハウスMAX前の浜で 桜井さん、小生、Yくん>

明日からの行動予定についてミーティング。

ワクワク、ドキドキ・・・

 

<陽気なオジサンたちとの飲み会>

相泊の温泉といえば、そう、相泊温泉。潮風に吹かれながら、あの狭い湯船につかって、今日二度目の温泉。ああ、幸せだ・・・。

さて、ライダーハウスでは夜は、同宿者同士で宴会となる。ごたぶんにもれず、この夜も宴会。聞けば、陽気この上もないおじさんたちは札幌から車で走ってきて、明日は釣りだという。意気投合して、ビールにはじまり、ウイスキー、焼酎とひたすらお酒をふるまってくれる。

ありがたや。最後は、「カレーがあるから食べなよ」ということで、カレーまでご馳走になってしまった。旅は道づれ世は情けか。

釣りをするバカ、自転車に乗るバカ、知床岬まで人力でゆくバカ。

そう、バカが集まるとひたすら楽しいのだ。

            ***

フランスの作家アンドレ・プレヴォの言葉を引いておこう。

「旅するおかげで、われわれは、自分たちのことを確かめることが出来る。たとえ各民族に国境があろうとも、人間の愚行には国境がない。」 

そう!越境する愚行にこそ、真の楽しさがあるのだ。

もうひとつ、米国の政治家、起業家のロイ・M・グッドマンは、こう記している。

「幸せとは、旅の仕方であって、行き先のことではない。」 

幸福とは、人生の旅の終着点にあるのではなく、その旅をどのようにやりとげるのか、その過程、プロセスの中にこそ、存在するということなのだろう。

旅の方法を変えてみてこそ、新たな発見や出逢いがある。旅での新たな邂逅、発見、未知との遭遇、それにどう反応し、どう心動かされ、そして、その幸せを自覚するか否かは、はやり自分次第ということなのだろう。

明日からは自転車を降りて、シーカヤック、そして徒歩による知床岬への縦走となる。たしかに、目標と定めた行き先は知床岬だ。でもそこに至る道程に、どのような情景、困難、感動、出逢い、がわれわれを待ち受けているのだろうか?

そう思うと、遠足を翌日に控えた小学生のように、なかなか寝付かれないのであった。

つづき>>

 

札幌から知床岬まで全行程人力移動の旅(1)~女満別からウトロへ~

カテゴリー : 札幌→知床岬人力移動記

<2012夏:札幌→知床岬全行程人力移動の全体図>

札幌から女満別までが前半の自転車ツーリング(上図黒字ルート、その概要はこちら)、そして女満別から知床峠を経て羅臼、知床岬までが後半の自転車+シーカヤック+徒歩縦走(上図の赤字ルート)の全体マップとなる。

知床岬の詳細図(上の地図の緑色の部分)をさらに拡大した概念図を手書きで作ってみた。

<札幌から知床半島先端までの最後の詰めに向かって>

札幌から約700km走って女満別に着いたところで、いったん仕事、用事などをこなすために千葉へ引き返し、約1カ月間、仕事、執筆、四国への出張、飲み会、親戚の結婚式などをこなして、またまたやって来ました、女満別。

ああ、北海道よ!自転車よ!

北海道で自転車ツーリングをしている時間を、かりに本質的な時間とすれば、あとはしょせん雑事の時間なのか?

そんな極端、エキセントリックな観念に取りつかれても、ことさら積極的に否定もしない自分がいる。そう、cyclist’s mindというaltered state of consciousness(変性意識)に意識は越境しつつあるのだ・・・。

木霊と交流し、山や風の神様からメッセージを稟(う)け、真摯に、それらのメッセージに意味を紡ぎだしてゆく。自らの心臓の鼓動に、息遣いに、気を配りながら、自然から寄せられる豊饒な意味空間はトランセンデンタール。

そうだ、あちら側の豊かな世界に・・・越境、超越してゆくのだ。。

             ***

さて、今回のつづきの旅のために、自転車とキャンプ道具一式を、びほろ後楽園という宿にあづけておいた。夕刻の飛行機で女満別の空港に降り立ち、くだんの安宿に一泊、ここからツーリング自転車によるキャンピング中心だった前半の旅に引き続き、人力移動の第二幕が始まるのだ。

前半、後半を通して、今回の旅の最大の目標は、札幌から知床岬の先端まで、自転車、シーカヤック、徒歩によるすべて人力による移動でこなす!というものだ。

その最後のツメの3日間の行動計画が上に示した手書きの地図だ。最後の3日は、自転車を降りて、シーカヤック、そして徒歩による縦走となる。

まわりの人間にこの構想について話をするとおおむね反応は8:2位の比率で二つにわかれた。

ひとつめは「モノ好きにもほどがある。便利なバスとか鉄道を使って美味しいものでも食べ、もっと楽しんできたらどうか?」ふたつめは、「すごい!ぜひチャレンジを応援したい!」という反応だ。

当然、前者のような反応は失礼にならないように軽くあしらって終わり。後者は、おおむね登山、自転車、アウトドアを趣味とする人間から寄せられる好意的な反応である。

実はfacebookのほうで、後者の反応を示してくれた友人、知人を中心に小さなグループを立てておいて、知床経験者からの貴重な情報を集約したり、ザイルなどの山道具をかしていだだいたり、行動をともにする者を集めたり、ポジティブな反応を得てモチベーションを高めつつ、この計画を進めてきたのである。

facebookなどのSocial network serviceはアウトドア活動を進める上で親和性が高いと思う。(これはこれでひとつのテーマを成すので、いずれどこかで書きたいものだ・・・)

<網走湖の湖畔>

12年目に突入したアルプス・パスハンターベースのキャンピング自転車。玄人筋のサイクリストからは奇異な目で見られなくもないが、ありし日のアルプス店主の萩原さんといろいろ議論してオーダーして創り上げたお気に入りの相棒だ。

朝日に照らされて光り輝くワインレッドの細身のクロモリ・フレームがなんとも言えない。

ツーリング自転車のみが持つ洗練されたdesignのforwardabilityは、美しい風景とよく溶けあう。

 <原生花園>

このあたりの道は、どこまでも果てしなくまっすぐに続く。

2004年に逆方向から自転車で走った道だ。

このあたりからは、斜里岳、海別岳、遠音別岳、羅臼岳、サルシイ岳、そして知床岬の先端が一望のもとだ。札幌からから、この地点までは約700km。よくここまでやってきたもんだ、という感慨もさることながら、この連綿と続く地上の凹凸の風景に接すると、「まだまだ先は長い!」という諦念にも似た感情が湧き上がってくる。

よく見ると、羅臼岳の西側のコル、つまり知床峠あたりには、厚い雲がかかっている。・・・ということは明日予定している知床峠越えは、熱い日光を回避できる。シメシメ。

 <オホーツクへまっすぐ伸びる道>

このたびの前半で訪れた足寄の松山千春の歌詞を思い出す・・・。

北海道でまっすぐな道を走って、松山千春の歌詞を口づさむサイクリストは多いと聞いたが、なるほどと思う。

<オシンコシンの滝>

道のわきに突如、出現する滝。

暑くなった体を冷やすのにはちょうどいい休息ポイントだ。

<国設知床野営場>

女満別から約90kmのことろにある、ウトロの山側にあるキャンプ場でテント泊。

地べたにテントを張り、ねっころがると、ほっとする。

<夕日の見える丘>

キャンプ場のすぐ近くには、その名も、「夕日の見える丘」というビュー・ポイントがある。

あるほど、この日の夕日は、とくだんに綺麗、かつ荘厳なものだった。

夕日のなかには、明日という日が見えるのだ。

つづき>>>