日刊工業新聞連載コラム「異見卓見」もくじ

カテゴリー : イノベーション

約半年間連載していた新聞記事をまとめて、もくじにしておきます。拙論を発表する機会を与えていただいた日刊工業新聞さま、ありがとうございました(^∀^)

日ごろ、問題意識を持っていると自覚していることも、いざ、文章を書きはじめて記事原稿にしてみると、その問題意識がぼやっとしていたり、整理整頓されていないことが多かったのです。おおいに反省しました。

執筆依頼はfacebook経由からです。そんな流れもあったので、facebookでちょこっと問題を提起して、いろいろな意見を募ったり、井戸端会議に付き合ってもらいました。そこでの楽しくも知的刺激に満ちたワイワイ、ガヤガヤ、けんけん、がくがくが新聞記事になったという感じです。結果として、アイディアを濾しだしたり、イシューをまったく別の角度から見ることができて、よかったと思います。

新聞記事やブログは、どちらかというと、一方通行的なメディアになりがちです。でも、SNSは使い方によってはアイディアや関係性を創発させるためのメディアとなるでしょう。面白いですね。

第1話 「市場創造、裏舞台に注目を~ものことつくり経営~」

第2話 「地縁、血縁、社縁の復興を~社会イノベーションのすすめ~」

第3話 「アフリカに広がる5S・改善~日本が忘れた有効性伝搬~」

第4話 「出る杭に起業パワー: 創造的奇人変人のすすめ

第5話 「文明転換期のモノコト作り~サービス化する製造業

複雑系適応システムズ(complex adaptive systems)

カテゴリー : No book, no life.

複雑系適応システムズ・・・

複雑性はそれを見る人の目のなかにある・・・と言われるように、システミックなモノゴトを見る時には「構え」が本質的に大事になってくる。

2011.3.11の3日前のことだ。東工大の木嶋先生に呼ばれて、THE FOURTH ANNUAL WORKSHOP AND OPEN SYMPOSIUM ON SERVICE SYSTEMS SCIENCEに参加させていただいた時に、Mary C. Edsonさんと知り合った。

聞けば、学部はCornell hotel admin.ご出身とのこと。彼女が、COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS についてピリッとした秀逸なペーパーを書いている。しばらくして想い出し、一読。う~ん!こういうまとめ方、あったんだ。

SUMMARY OF THE FOURTH ANNUAL WORKSHOP AND OPEN SYMPOSIUM
ON SERVICE SYSTEMS SCIENCE AT TOKYO INSTITUTE OF TECHNOLOGY
Kyoichi Kijima, Ph.D. and Mary C. Edson, Ph.D. Tokyo Institute of Technology, Department of Value and Decision Science, Tokyo, Japan

Mary C. Edson:GROUP DEVELOPMENT: A COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS PERSPECTIVE

Mary C. Edson:A COMPLEX ADAPTIVE SYSTEMS VIEW OF RESILIENCE IN A PROJECT TEAM

 

Tech X Entrepreneurial X Community X Design

カテゴリー : イノベーション

コーネル大学は卒業生コミュニティとのコミュニケーションに力を入れていて、定期的にAlumni向けの大部な雑誌を送ってきます。上は、そのなかのひとつでLinkというHuman Ecology学部のAlumni向けの雑誌です。

特に卒業生のactivityをしている記事が面白いです。大学の成果には、学術論文、知的世界への貢献、教育研究活動などいろいろがるが、世界にちらばって活躍しているvisualな卒業生という存在を抜きにはできません。

当たり前ですね。

で、けっこう驚いたのが、卒後5~20年でいろいろ活躍している人達の仕事の中身の特集。これがまた面白い。

オーガニックフードの熱狂的陶酔者として、だれにでもできるオーガニックフードのレシピを開発して、何冊かの著書を書き、参加型コミュニティを創って多地域にスケールアウトさせているAllison Fishman ’94。

医科歯科志望学生のための医学部、歯学部のinside report(現役の学生がレポートしてそれを編集するスタイル)を一冊の本にしてベストセラーにして、ロースクール向けの同様の本を書いて二つの山を当て、今はオンライン出版のstartupを経営しているBruce Stuart ’86。

環境保護運動で反州政府活動のコミュニティを地道に20年以上つづけ、とうとうメリーランド州の法律改定にまでこぎつけた研究者のGablielle Tayac ’89の物語などなど。

見えてくるのは:

 

   エッジが効いた専門性 

     X 

    起業家的チャレンジ 

          X 

    コミュニティ創発 

          X 

 クリエイティビティの発露としてのデザイン

    X

   (自分情報の発信)

    X

    (ギリギリ世の中に受け入れられるエゴの境界設定)

      

(健全な承認欲求と自己抑制)

 

….で周りの世界にengageしてゆくというキャリア開発の方向性。

どこぞの大企業や官公庁に入って苦節20-30年、やっと役員になりました、社長になりました、局長になりました、大臣になりました、パチパチと拍手ご喝采的なキャリアの人は、リスペクトもされないし、憧れの対象ともなりません。

おきまりの大企業、官公庁、国際機関で働くってことは、もはや(というか30年以上も前から)inでもtrendyでもないのです。そうではなく、edgeが効いた専門性を活かして、entrepreneurとして「自分というパッケージ」を編集して世の中にエンゲージしていく、そしてフラックス(flux)、つまり、とめどもなく流動的な状況の中でも流されずに、フラックスのなかで文脈をつくり楽しめる人。

そういう物語りを描きたい人に大学に来てほしいし、卒後、そうなるのがいいですよ、、というメッセージなんですね。

この雑誌のオンライン版もあります。

 

ボルタ君、「ものこと」つくり、町おこし

カテゴリー : ものつくり

ボルトならぬボルタ君というそうだ。室蘭へ行った友人からのお土産。ボルトを加工していろいろな造形を試みる。たとえば上の写真は「自転車に乗るボルタ」。

サイクリストの僕にとっては、大変うれしいプレゼントなり。

このボルタくん、実は、室蘭市民、道民、いや全国からも熱いまなざしが注がれ、大注目を浴びてきている。2005年12月 に試験販売を開始、2006年4月に20種類500個限定で第1弾の本格販売開始、 それ以降、ほぼ毎月1日に5種類のボルタを発売してきているという。最近のボルタのバリュエーションはこちら

2007年9月には100種類のボルタくんが完成したそうだ。

さて、ボルタくんを考案したのは、室蘭工業大学に通っていた二十代男性だそうだ。当初、その男性は、遊び心半分くらいで「アイアンフェスタの体験溶接」で製作したことにはじまり、そのサイズを3分の1ほどに小さくしたのが今のボルタシリーズ。

ボルタプロジェクトの面白いところは、ボランタリーなバリューチェン。「ものつくり」にこだわり過ぎて失敗することが多いなかで、ボルトの取り組みはいささか趣が異なる。

学生や商店主、市内公務員、製鉄所職員、ウェブデザイナーといった様々な立場の市民が、企画担当、開発担当(大学)、製作担当、マーケティング担当、PR担当、販売担当というふうに加わっている。「モノ」だけではなく、いろいろな「コト」が人を引き寄せ、バリューチェンを創っているところが面白い。

今ではNPO法人テツプロ(つのまちぷろじぇくとボルタ工房)がバリューチェンのマネジメントを行っていて、ボランタリーかつオープンな価値連鎖を目指しているようだ。プロダクトは単純素朴ながら、オープンイノベーションの一つの姿を見る思いがしなくもない。

思いは、室蘭を元気にする、いろいろな人に親しんでもらえる町おこしだそうだ。それやこれやで、2006年7月にはボルタ工房を設置。また、製作が追いつかずにパート・アルバイトも募集したという。

武骨で無異質でお堅いイメージのあるスチールプロダクトが、ちょっとした工夫で、みんなの参画を得て、なんともいえない愛らしいものに生まれ変わるという意外さとあいまってボルタ人気は急上昇。

シュタインバイス大学のアウトリーチ活動と英語

カテゴリー : イノベーション

Steinbeis UniversityのMaster of Business and Engineeringの学生とファカルティ・メンバーが来日したおり、講義を2コマしました。テーマは、Innovation and Marketing: A Cross-cultural Comparisonというテーマです。

シュタインバイス大学は、ミッションにknowledge and technology transfer partnerと謳っているように、ドイツにおける産学連携スキームのプラットフォーム的役割を果たしています。

さて、今回の研修プログラムは、シュタインバイス大学と東京農工大学の学生、社会人が一同に会して約1週間、多摩地域のベンチャーやスタートアップスのフォアフロントでインタビュー、ディスカッションし、戦略提案をまとめるという企画です。プログラムそのものがアウトリーチ活動であり、かつ、アクション・リサーチのコンセプトでデザインされていて、どの学生もとても熱心に参加していました。

ドイツの学生は、質問、コメントなど、大変積極的でうるさいです。それに比べ日本人学生は静かです。

クラスの中で生産的な質問をする、コメントを加える、異なった見方を提供するというのは、知的生産のため重要なことです。このようなことがらは、dialogueに価値が置かれている西洋社会においては自明なことです。

ドイツの哲学者Hegel(1770-1831)は、dialogueを定立(thesis)-反定立(antithesis)-綜合(synthesis)の連続体としてとらえ、ここに弁証法理論が打ち建てられました。日本語では、はしょって正・反・合と簡単にいいます。

ドイツ人学生と接していると、弁証法理論が、そこはかとなくコミュニケーションの土台を支えているように思えてなりません。

ところが、日本では、dialogueそのものが重視されていません。極東の島国の言霊文化は、阿吽の呼吸、以心伝心、同調圧力、同質性志向が中心であり、そもそも、弁証法的な対話文化が希薄です。

そして、異質なことを言う、異なった意見を開陳する、ということが非同調的とみなされます。同調圧力が、日本人が居合わせる場、そして場を支配する空気(ニューマ)にははたらきます。でもそのモードは、異文化間コミュケーションの場ではまったく通用しません。だまっていること=知的な貢献をしていない=無価値なのです。

つまり、一般に日本人学生には、英語運用能力が低いという問題のみならず、根っ子のところには、言語をコミュニケーションの道具として使う「構え」=internal modelの問題があります。

異質なものごとを異種混交させて新しいものごとを創り上げてゆくというのはシュンペーターを引くまでもなく、イノベーションの契機となりえます。異臭混交に対して腰が引けている、というのは、それだけで、貴重な機会を失っているのかもしれません。

日本の高等教育機関も、このところ、「グローバル人材」の育成に熱心になってきました。わざわざお金と時間をかけて留学しなくても、このような機会に参加して、英語を使って、読む、書く、話をする、というトレーニングはできます。やはり、このような異文化間コミュニケーションの場に身を置いてみる、といことは価値あることです。

ぜひとも英語のみならず、対話型のコミュニケーションの構えを学んでほしいと思います。

第18講:日本的経営あるいはジェームズ・アベグレン博士との対話

カテゴリー : アメリカ

 日本的経営が揺らいでいる。半世紀にもわたり日本的経営について観察、助言、論評してきたジェームズ・アベグレン氏との邂逅(かいこう)を下敷きにして、日本的経営にかかわる問題を考えてみたい。日本的経営を支えてきた人事制度とその運用に焦点を絞り込む。

 

 異邦人の観察眼は、しばしば当地で生まれ育った人間では気がつかないような本質を射抜くことがある。特に社会的現象については、社会に暗黙裡に飲み込ま れずに、相対化して分析することができるからだ。その意味で日本の経営事象を「日本的経営」としていち早く分析・記述して、世界へ伝達したジェームズ・ア ベグレン博士の功績は大きい。

 ウィキペディアによると、『ジェームズ・アベグレン(James C. Abegglen、1926年 – 2007年5月2日)は、アメリカの経営学者、経済学者。日本企業の経営手法を「日本的経営」として分析し、戦後の日本の企業の発展の源泉が、「終身雇 用」「年功序列」「企業内組合」にあることをつきとめた。また、「終身雇用」という言葉の生みの親として知られる』と紹介されている。

 だが実は、アベグレンは自ら進んで「終身雇用」(Life-time employment)という用語を用いていたわけではなく、「終身の関係」(Life-time commitment)という用語を使っていたことはあまり知られていない。終身において雇用が誰にでも適用される(つまり誰も失業しない)という「終身 雇用」の制度は存在し得ないが、通俗説として一人歩きしてしまったのだ。

 アベグレンの「終身の関係」(Life-time commitment)というとらえ方は、複雑な社会的現象を説明するための概念であり、社会科学で用いられる理念型(イディアルタイプ)のようなものだ。

 また上記では「アメリカの経営学者」としているが、博士は1997年に日本国籍を取得しているので、正確には「アメリカ生まれでその後日本人となった経営学者」とでも書くべきだろう。なぜ、細部にこだわるのかといえば、生前の博士と筆者は交流があったからだ。

 アベグレンの日本企業研究は、日本的経営の究極的特徴を労使関係、あるいは人的資源管理にあると見立てた経営学者の占部都美(うらべ くによし)によっても注目され、その後の日本人による日本人のための「日本的経営」研究とその実践に先鞭をつけることになった。アベグレンなかりせば、世 界的文脈での「日本的経営」は無きにも等しかったのである。

 

日本的経営は欧米の経営に収斂するのか

 日本的経営論には2つの大きく異なった立場がある。収斂(しゅうれん)説と非収斂説である。収斂説に立てば、工業化と都市化が進むことによって日本社会 も欧米的な社会のパターンに収斂していき、日本的経営はその特殊性を次第に失って欧米的な経営管理制度に変化していくとする。その一方で非収斂説は、工業 化によって同じ近代的な生産技術が導入されても、それは必ずしもその国の伝統的な社会や文化を変革するものではなく、その国の社会や文化に適合した独自の 経営管理制度を生み出すものであり、それらが有効に働くとする立場である(占部 1978)。

 アベグレンは非収斂説の立場で一貫している。「いかなる社会においても、経営組織が効果的であるためには、(その社会の根底にある価値基準や人間関係の パターンと)整合しなければならないということは自明の理である」として、以来、2004年に出版した「新・日本の経営」の中でもこの立場は一貫してブレ がない。

 「社会の根底にある価値基準や人間関係のパターン」については、この連載でも歴史や宗教について書き連ねてきたように、明らかに欧米と日本の間には相違がある。その違いを腹に落とさなければ、日本的経営の奥底を諜知することはできないだろう。

 第15講:どうした?勤勉の倫理と日本的資本主義の精神までの連載でも描写したように、日本社会の根底にある価値基準は、神と人間が循環する多神、多層、多元的なメンタリティーとして、雑多な宗教が折り重なるように習合してできた、特殊な心象基盤の上に作られていった。

 そこでは、「みんな一緒にがんばる」「みんなで分けあう」「世間さまに恥ずかしくないようにする」といった人間関係のパターンとともに、「お天道様が見 ている」「働くことは当たり前」「ご先祖さまのおかげ」「神様、仏様を畏れ敬う」「足るを知る」といった価値基準が暗黙的に共有されてきた。人格的一神教 の影響が微弱だった日本では、人間の上に神はいないし、人間の下に奴隷もいない。ましてや神と人間との契約もない。どこまでも人間が中心にいる人間関係の パターンなのだ。

 日本的経営のあり方は、このような日本社会の根底にある価値基準や人間関係のパターンに多くを負っている。と同時に、それらの価値基準や人間関係のパターンを維持する社会的な装置が日本的経営をいただく日本企業でもある。

 アベグレンの言説を借りれば、日本企業と従業員の関係は、このような価値基準や人間関係パターンを包含する「社会契約」を基礎として出来上がっている。 そして、これが日本的経営の骨格をも作り上げた。ゆえに日本企業は、特定の成果を生み出すことを至上目的とする機能体ではない。自らの存続を目的とし、組 織構成員の価値基準や人間関係パターンを維持するための共同体、という性格が色濃い。

 アベグレンも指摘するように、欧米、特にアングロサクソン系の研究者や経営実務家は世界各国の制度が「収斂」すると論じることが多い。日本では「収斂」というと各国の制度が中間領域のどこかに近づくようなイメージで語られることが多いが、これはナイーブな認識だ。

 そうではなく「収斂」というのは、正しく適切とされる「英米型の制度に近づくこと」を意味する。よって「各国の違いは解消されなければならず、日本の雇 用制度と経営手法が英米型に変化する、あるいは変化させられて近づくことによって解消されてゆくはずだ、そうあるべきだ」というのが「収斂論」である。い わゆる「グローバライゼーション」も「収斂論」の系譜に立った見方である。経営収斂説が欧米において支配的なことの背景には、絶対的な唯一神の教義を頂く 世俗世界の経営という現象さえも収斂させていこうという、ある種の脅迫的な観念を見過ごすわけにはいかないだろう。

 余談だが、現実の世界には頑迷強固な価値判断としての「収斂論」も存在する。新会社法、改正独禁法、郵政民営化法などの「改革」を「要望」した『年次改革要望書』も、その根底には操作主義的な「収斂論」が息づいていることを知るべきである。

 

共同体としての「カイシャ」

 さて価値基準や人間関係のパターンは、人事制度とその運用によって顕著に現われる。すなわち、とかく抽象論に終始しやすい日本的経営論を現場目線で議論をするためには、人事制度の変化を見る必要がある。

 「終身の関係」を労使で共有する人事制度は、あくまで正規従業員が中心である。正規雇用者数は、1997年をピークに減少している。そのため、雇用者全 体に占める非正規雇用者(パート、アルバイト、契約社員、派遣社員など、期間を定めた短期契約で雇われる職員)の比率は1995年以降高まり、非正規化の 急激な進展という結果をもたらした。非正規雇用者数は1995年に1000万人を超え、2006年には1707万人となり、「役員を除く雇用者」の中で 33%を占めている。

 私見によると、戦後の日本企業の人事制度は下の図のようにおおむね20年サイクルで大きな変化を遂げてきている。筆者はこれを「人事制度20年周期変化説」と呼んでいる。

人事制度20年周期変化説
図●人事制度20年周期変化説

 

 日本的経営を支えてきた日本的人事制度は過去に、年功主義、職能主義、成果主義(meritocracy)と変遷してきている。この変化を追跡することによって日本的経営の変化をとらえることができる。

 ちなみに2010年代には4つの「?」マークを入れてある。「?」はいったいどうなるのか、という疑問を留めながら続きを読んでいただきたい。

 

生活保障:1950年代からの20年

 この時代、米国のモノづくり技術を積極的に導入して、第二次世界大戦の敗戦の焦土から日本は復興しつつあった。新産業が勃興して企業は組織的な拡大にま い進した。機能体の衣をまといつつ国民の生活を保障する共同体として企業が登場したのだ。この時代の人事理念は「生活保障」に尽きた。

 役職が最も目に見えるステータスだった。拡大基調にある組織では、係長、課長、部長、役員というようにタテ方向に上がっていける機会は多く、単純な職階制度がとられた。「社員は仲間。善き仲間に厳密な評価は不要」と考えられ、暗黙的な人柄、人格、年功評価が中心だった。

 賃金も年功給がベースとなり、その上に役職給が乗るという構造が中心だった。ベースアップは、賃金表の書き換えと定期昇給によるものだった。イケイケドンドンの時代、人事制度は単純なものだった。

 「一社懸命」に働けば、役職も得ることができる。そして会社は社員という仲間の輪を拡大し、囲い込んでいった。独身寮、世帯寮にはじまり、厚生年金、失業保険など企業が負担する福利厚生や社会保障の提供が普及した。

 一方、農村共同体が崩壊し、企業に雇用される都市住民が急増していった。こうして企業は、機能体でありながらも代替的な共同体(Gemeinde)とし て発展していったのである。そこでは、善き仲間の一員でいること、その仲間から仲間とみなされることが、なにより重要なことだった。いわゆる同調圧力がう まく機能したのだ。

 この時代の人事制度の分析・記述は、日本の組織を相対化して観察することができる外国人の視点が中心だった。その代表格がアベグレンである。こうして 「終身の関係」(Life-time commitment)、年功賃金(Seniority-based wages)、定期雇用(Periodic hiring)、企業内訓練(In-company training)、企業内組合(Enterprise union)などの理念型が立てられた。

 

年功能力主義:1970年代からの20年

 1970年代からの20年間は、オイルショックなどを契機として拡大基調に陰りもあったが、この時代を通してモノづくり企業は躍進した。1980年以降 は、雇用者に占める非正規雇用者の比率が上昇を続けている。このような時代に正規雇用向けに登場してきたのが、「職能資格制度」である。

 職能資格制度は日本ならではのユニークな制度だ。職能資格制度とは、従業員の職務遂行能力(略して「職能」)の程度に応じて会社や会社グループの閉じた空間にのみ有効な「資格」を付与する制度である。

 1970年代を中心にして企業社会に流行し、一部上場企業のうち9割くらいが、この制度を運用しているといわれる。「年功的な人事を見直し、能力基準の 人材登用を可能にする」「役職にとらわれることなく、人の能力を基準にして処遇する」「人を重視する人本主義の具体的な制度への反映」などという言説が流 行ったものだ。

 一言でいえば、過去の主流すなわち職階・年功主義に対するアンチテーゼとして登場し、普及してきたのが職能資格制度だ。しかし運用を経て、年功運用的色彩が織り込まれ、年功資格制度になってしまった。その背景をまとめると、次のようになる。

 

  • 社内職能資格には標準滞留年数がある。能力が急進すれば職能資格も急上昇するはずだが、社内職能資格は急上昇しない。逆に能力が劣化しても、職能資格が落ちることはまずない。
  • 人事評価は、職務遂行能力に対して公正になされることが期待されたが、職場では明確な優劣をつけることがはばかられる。評価における中心化傾向(評価結果が評価スケールの中間付近に集中してしまう傾向)が顕著となった。
  • 職能資格の付与は年功的になる。そして職能資格にリンクしている職能給は、結果として年功給になっていった。

 こうして役職によるモチベーションはかなわなくとも、職能資格の付与とモチベーション維持策が行われるようになったのだ。長期安定雇用を前提にした共同体の仲間感覚の維持は、まだまだこの時代の大きなテーマだった。

 この時代には職能資格制度の理論家として楠田丘や弥富拓海、弥富賢之などの活躍をみる。また経営学の領域で日本的人事が研究対象とされるようになった。 以上の第1期(1950年代~)、第2期(1970年代~)を通して、日本的に特殊な制度が普及したこともあり、日本的経営の「非収斂説」が幅を利かせ た。

 

成果主義:1990年代からの20年

 1990年代からのグローバライゼーションが昂進した時代、それまでの共同体としての企業組織に「成果主義」すなわち機能体の原理が持ち込まれるようになった。その背後にあるのは新古典派経済学であり、それらによって理論武装した市場主義だった。

 企業を成り立たせるシステムとして人事制度は反応性が鈍く、変化するのは遅い。しかしながら、この時代は収斂圧力が強く顕れ、多くの企業が人事制度の改 革に着手している。外需依存型のグローバル企業はおおむね海外人事を成果主義に対応させ、その流れを日本に持ち込み、本丸の人事制度を「成果主義」的に変 更するような手法をとった。

 この時代には、バブル期(1986~1991年)に抱え込んだ「設備、債務、雇用」という3つの過剰を解消するリストラが一般的になった。先に述べたよ うに、正規雇用者数は1997年をピークに減少している。雇用者全体に占める非正規雇用者の比率は1995年以降さらに高まり、非正規化の急激な進展とい う結果をもたらした。

 非正規雇用者数は1995年に1000万人を超え、2006年には1707万人となり、「役員を除く雇用者」の中で33%を占めている。ちなみに女性の 場合は53%である。これらの非正規雇用者は多くの場合、外縁から日本的経営を支えながらも、日本的経営がもたらす直接的なメリットからは疎外されるとい うアンビバレントな位置にいる。

 グローバル経済とのインタフェースが大きな企業ほど、必然的に成果主義の要素を人事制度にも取り込むことになっていった。第1期、第2期は共同体の原理 が中心だったが、この時代の中心概念は機能体の原理だったためである。こうして、日本的経営は異質な非日本的要素と初めて向き合い、対峙することになった のだ。

 そもそも成果を計量的に測定するためには、「職務(Job)」の内容が確定している必要がある。だが、共同体でありつづけた日本の組織に、職務という概 念はなかった。はじめに人ありきで、仕事は人のまわりに融通無碍に形成される。職務は、非属人的・先験的に日本の組織には存在し得ない。

 だから、仲間を思いやりながら人間中心に仕事を進める人々にとって、欧米企業のように「職務記述書(Job Description)」を書くということは、実は異文化経験だったのだ。余談だが、こんな話がある。

 「日本人もアメリカ人も、失業以外のことで仕事の不安を感じることがある。日本人は職務記述書を書くときに、アメリカ人は職務記述書がないときに」。

 

機能体への体質転換剤としての成果主義

 米国では、機能組織としての企業経営、人事制度運営の蓄積がある。よって1980年代以降、米国発のHuman Resources Management(HRM)系のコンサルティング会社が日本でもクライアントを持ち始める。職務分析(Job Analysis)、職務評価(Job Evaluation)、目標管理(Management by Objectives)、成果主義賃金(Pay for Performance)といった手法が本格的に和風にアレンジされ、日本の大企業を中心として移植された。当初は在日欧米企業を中心として、そして前述 したような経緯で日経連(日本経済団体連合会)の所属企業までもが顧客リストに載り始めたのである。

 日本企業が軽視してきた「職務」という機能体の価値観を組織に移植し、もって、職務等級、成果評価、成果立脚型賃金をシステムとして日本企業に埋め込む作業は、要するに、共同体に機能体原理を持ち込む試みである。

 アベグレンはさほど厳しく糾弾しなかったが、共同体には良い面と共に弊害をもたらす面があることも事実だ。共同体の内と外に別々の規範を当てはめる二重 規範(ダブルスタンダード)は、度重なる不祥事やそれらのもみ消し事件の温床となった。なまぬるい仲間主義が馴れ合いを呼び、ホワイトカラーの生産性が低 い一因とも指弾された。また、共同体体質では過去の慣習や因習を否定する自己改革ができないとの批判も根強かった。

 よって、「大胆な戦略実行力が共同体的企業組織にはないのではないか」とトップが判断する企業は、こぞって成果主義という異質を注入したのだ。

 

成果主義の蹉跌

 日経ビジネス(2009年5月11日号)の特集「成果主義の逆襲」には、成果主義に関する次のようなアンケート結果が掲載されていた。

 

  • 「勤務先が成果主義型の制度を取っている」と答えた944人を対象に、勤務先の成果主義の成否を聞いたところ、「失敗だった」とする回答は68.5%に達し、「成功だった」という回答(31.0%)を大きく上回った。
  • 「成果主義に基づく自身の評価に満足しているかどうか」については、「不満である」が43.3%、「満足している」が16.2%。
  • 「職場に何らかの弊害が発生したかどうか」については、「発生した」が65.7%に達した。
  • 「失敗の要因は制度と運用のどちらにあると思いますか」という問いには、「制度そのものより運用上の問題が大きい」とする回答が66.0%、「制度そのものの問題が大きい」は32.5%だった。

 このようなネガティブな反応の本質は、共同体原理が発する「機能体原理への拒絶反応」から生まれている。異質に対する共同体の免疫反応がことさら強かったのは自明の理である。

 成果主義は、株主利益を合理的に追求する圧力を経営者にかけつつ、企業価値を上げることには貢献したのかもしれない。だが会社共同体の内部に向かって は、価値基準や人間関係のパターンの希釈化、希薄化を招き、外部に向かっては、人件費の変動費化の名のもとに非正規雇用者を大量に生みだしたのだ。

 

人本主義という普遍的非収斂説

 しかしながら1990年代の日本的経営論では、大胆な言説の展開がみられた。バブル崩壊までの短期間ながらも経済的に空前の繁栄をみた背景には、日本が相対的に非階層化され、民主化された企業社会を創り出したとする「人本主義」という言説である(伊丹 1993)。

 アベグレンの著書の熱心な読者であった経営学者の伊丹敬之は、資本主義に対照させて「人本主義」という独自の用語を用いて、日本企業の平均的な特徴を三 つのキーワードで説明する。それは、企業の概念で言えば「従業員主権」、組織内分配の概念という点では「分散シェアリング(分配)」、市場取引の概念では 「組織的市場」だ(伊丹 2009)。

 日本経済がバブルの崩壊で低迷してきたこの時代は、アメリカ経済が逆に好調だった。アメリカ型のカネの論理を中心とするヨコモジ経営手法が圧倒的な脚光を浴びていた時代に、伊丹は大胆不敵にも資本主義と対置するかたちで「人本主義」を主張したのだ。

 伊丹は、資本主義は「カネを経済活動のもっとも重要な資源と考え、その資源(カネ)の提供者のネットワークをどのように作るかを中心原理として企業シス テムが作られるもの」とする。それに対置される「人本主義」は、「ヒトが経済活動のもっとも重要な資源であることを強調し、その資源の提供者たちのネット ワーク、つまり人材を提供し、取引をしている人々のネットワークを安定的につくり、それを維持・発展させることこそ大切、と考える原理」であるという(伊 丹 2009)。

 明らかに非収斂説に立っているが、「日本の特殊性を示す言葉」では語らずに、「人本主義」の経済合理性には普遍性があるとした。すなわち、人本主義=普遍的非収斂説の登場である。

 

日本的経営の次は、共同体原理の発展的復活

 企業と従業員によるギブ&テイクの「場」としての職務(Job)を確定し、目標管理でさらに精緻化し、目標の達成度に見合った職務給を支給する、という 成果主義の方向性は、共同体原理と鋭く対立し、被雇用者側に不満をもたらした。第1期、第2期の郷愁と決別できていない正規社員、管理職、役員にとって、 この不満は深く、暗く、そして大きなものだ。

 アベグレンは、筆者との対話でも非収斂説を明快に展開し、アメリカ的な機能体原理を過剰に移植することや、グローバリズムという名のアメリカ中心収斂説 に警鐘を鳴らし続けた。「日本社会の根底にある価値基準や人間関係のパターンを大事にしないと、コミュニティとしての日本企業は崩壊するぞ」と。

 さらに、アベグレンはこう言うのだ。真に業績のいい日本企業は、一見前時代的で、古く、日本的な価値観を組織の奥底に温め、共有し、次世代に継承してきているのだと。

 資本主義のあり方が大きく問われている昨今だ。その中でも日本資本主義の行き方が問われている。日本的経営なくして日本企業はない。また、日本企業なく して日本資本主義もない。日本的資本主義の明日を占うためには、日本企業、なかんずく日本の企業社会の根底にある価値基準や人間関係のパターンを映し出 す、人事制度とその運用を注視しなければなるまい。

 日本的経営にとって、2010年代の4つの「?」は大きく重い。技術立国・日本の方向模索期と重なる時代に、日本的経営に次なる発展があるとすれば、グ ローバル化に即妙に対応しながらも、絆、縁、信頼、触れ合い、分かち合い、といった共同体原理の発展的復活にある。機能体・共同体の異種原理混合によるハ イブリッド化の時代を通過しなければ、日本的経営の新たな地平線は見えないだろう。

 

    【参考文献など】

  • ジェームス・アベグレン、占部都美監訳「日本の経営」、ダイヤモンド社、1958
  • ジェームス・アベグレン、山岡洋一訳「新・日本の経営」、日本経済新聞社、2004
  • 占部都美、「日本的経営論批判」、国民経済雑誌138巻4号
  • 平成20年版「労働経済の分析」(労働経済白書)
  • 伊丹 敬之、「人本主義企業―変わる経営変わらぬ原理」、筑摩書房、1993
  • 伊丹 敬之、「日本企業の人本主義システム」、平成21年宮中講書始の儀におけるご進講

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ –第18講:日本的経営あるいはジェームズ・アベグレン博士との対話 :ITpro

第14講:英語で世界をシノぐ方法(覇権言語ソフトパワーとのつきあい方)

カテゴリー : アメリカ

  日本人がアジア・アフリカの母語を持つ人々とも英語でコミュニケーションをとるのが当たり前の時代となって久し い。だが、読み書きではひけをとらないものの、話すのが億劫という日本人は相変わらず多い。そこで今回は、英語とどのように付き合ったらいいのかを考えて みよう。

 前回はチャイナ的人間関係の話をしたが、筆者は中国の友人と語らう時は英語を使っている。もっとも、世界中どこの人々とであろうが、コミュニケーションのツールは英語になってきている。

 筆者の中国の友人は、北京にある外資系企業の管理職で、海外からやってくるビジネス・パーソンとも英語でビジネスをやっている。

 その友人がショッキングなことを言う。「世界各国のビジネス・パーソンと英語で意思疎通しているのだけど、ジャパニーズの英会話力が最低だ」と。

 たしかに、英語を母(国)語としない人のための英語力総合テスト(TOEFL)の日本人の成績には目を覆いたくなる。なんと、長年、北朝鮮が最下位で日 本はビリから2番目である。中学、高校、大学というように、多くの日本人は6~10年も学校で英語を勉強している。しかも、街には英会話学校が乱立し、教 育ママは幼児向け英会話レッスンにわが子を通わせることが、もう何年もブームとなっている。獲得できる英語リテラシーを英語習得に投じる投資で割り算すれ ば、日本人の英語ROIは極めて低い水準だろう。

 

なぜ日本人は英語がヘタなのか

 自覚があれば、それなりに“英語ベタ”を逆手にとることもできる。だが、英語ベタな日本人は無自覚なままでいると、国際諜報はおろか、異文化間コミュニケーションの現場でおおいに損をしているし、圧倒的に不利になることが多い。

 そう言うと、次のような反論があるだろう。

「わが日本民族は英語民族による植民地支配を退け、それゆえにかつて敵性語であった英語は浸透していないのだ」

「大東亜戦争敗戦後の米国帝国主義に屈しない最後の砦が日本語という言語聖域(言霊)なのだ」

「言語学的に英語と日本語は極端に隔絶しているので、日本人の英語は上達しないのだ」

「学校での英語教育法が間違っているからいけないのだ」

「そもそも英語なんかできなくても生活できる」

 たしかに英語ができない、英語を使いたくない理由は山ほどあるだろう。しかし、ここで重要なことは、消極的にしか英語にかかわらないことで被っている不利益である。そして、ますます影響力を強めている英語の、背後に存在する構造を理解しておくことが大切である。

 英語圏の国々、特に米国と英国にとって英語は「ソフトパワー」の切り札である。ソフトパワーとは、軍事、経済などの力の行使によらず、その国の有する文 化、主義、価値観、政策などに対する理解や共感を広範に醸成することで、間接的に支配力を増長させてゆく力である。ソフトパワーを持つ英語が世界に浸透す ればするほど、英語コミュニティに有利に作用するのである。

 英語ソフトパワーの効用は、英語コミュニティに参加する人口が増えれば増えるほど増加する。したがって、英語を使えるようになると英語ソフトパワーの恩恵にあずかることができる。いわゆるネットワーク効果が英語圏を拡大させているのだ。

 

英語に接する日本人の5類型

 どんな言語でもそうだが、その言語を深く習得し、あるいは内面化するほどに、その言語が使われている地域や国、そして伝統、文化、社会経済の諸制度に愛着、同一化傾向を示すものだ。

 この傾向を熟知する米国寡頭勢力は、この英語ソフトパワーの利用に長けている。せっせと日本から産学官のエリート留学生を受け入れ、ソフトに親米派を醸成してきている。

 英語、特に米語を学ぶということは、この陰微なソフトパワーの影響下に参入しつつ、英語とその背景にある精神、伝統、発想、制度、行動様式を獲得するということである。このあたりの自覚の仕方には、おおむね5通りあると筆者は考えている。

 1番目は、学習の効果が出る前にギブアップしてしまうタイプ。そして日本語という閉じた言語空間、日本という閉じた空間に棲息することを選択する。このような人々を「日本ガラパゴス系」と呼んでいる。

 2番目は、カッコよく話せないが、なんとか聞ける、書けるというタイプ。必要に迫られないと、積極的には英語を用いない人々である。このような人々を「どっちつかず系」という。

 3番目は、その言語に熟達し、その言語の発想様式を取り込んでしまう自分に陶酔するタイプ。このような人々はジェスチャーや表情まで、それ風にするのが心底カッコいいと思っている。留学経験者や外資系企業の日本法人などによくいるタイプだ。「ナルシスト系」という。

 4番目のタイプは、興味の対象が外国語から、その外国語が活用される対象、つまりその文化、制度、その言語で記述される学問へ向かうタイプである。その 対象に傾倒するあまり、へたをするとその言語が使用される海外の大学や大学院まで行ってしまうタイプだ。「思い込み系」という。

 5番目のタイプは少数派。異言語に深く触れることにより、母(国)語に回帰してくるタイプである。この場合、やや過剰な回帰を伴うことが多く、民族の歴史やオリジナリティ、保守思想にまで遡っていくことがある。「伝統リターン系」である。

 

ローカル言語の1つが数百年で“世界語”になった

 いずれにせよ、英語に触れさせ、英語の理解者を増やし、聞いて、読んで、書き、話す、というコミュニケーションを英語で運用してもらうことは、英語圏や英語ネットワークにとって利益となる。

 カエサルがブリテン島に上陸した約2000年前には、英語は存在すらしていなかった。それから紀元500年後あたりから、今の姿とは異なる Englisc(English)が現れた。シェイクスピアがせっせと著作活動にいそしむ頃、500万~700万くらいの人々が英語を用いるようになる。

 その後、英国による植民地支配、産業革命、北米における英語の採用、科学技術の普及などによって、英語は英米のみならず、インド、アジア、アフリカ、南太平洋の島々などの地域にまで広まった。1980年代には7億5000万人に使われるようになった。

 また、マグナカルタ、権利章典、人身保護律、陪審制度、英国コモン・ローを経て独立宣言まで、すべて英語で書かれており、いわゆる権利概念、自由主義、 民主主義理念などは英語の浸透に乗って浸潤してきている。そしてIT、インターネットの出現、普及によって、英語の地位は決定的になりつつある。

 ソフトウエアを記述する言語は基本的に英語のロジックに沿って定められ、世界中のソフトウエア産業で最も使われているのは圧倒的に英語である。普遍的な ニーズを正確に理解して、製品化し、普及させてゆくすべてのフェーズで影響力を持つ言語を押さえれば、圧倒的に有利だろう。そのポジションに英語が納まっ ている。また知的財産権に関連する契約を英語で記述すれば、これまた英語側に有利となる。汎用ソフトウエアとインターネット・サービスの領域で日本発の世 界的なヒットが出ない根源的な理由の1つは、このあたりにある。

 

ますます強固になる英語の地位

 今日、英語を第一言語とする人口は4億人。さらに第2言語とする人口は4億人だ。そして第1、第2言語以外でも英語を使う人口は8億人いる。これらを合わせると約16億人となり、世界中で4人に1人は英語を使っていることになる。

 商談、国際会議、学術会議、国際スポーツイベントなどでは、公用語として英語の地位は高い。さらに、英語を公用語としている国は60以上ある。特にアジア太平洋地域での英語浸透度はすさまじい。もはや英語ができなければ「話にならない」というのが世界情勢なのである。

 そして科学、技術、経営における英語の地位は、他の言語を寄せ付けない。細かなことを除けば近代以降、科学、技術、経営の普及と英語の普及はほぼ同期し ている。これは単なる言葉の表層の問題ではない。これらの領域の専門用語、そして概念は英語で規定され、書かれ、話され、伝達され、共有され、記述される のである。

 だからこれらの領域で勝負しようとすれば、英語ができなければどうしようもない。好むと好まざるとにかかわらず、英語が世界基準、そして世界的価値に着々となりつつあるのだ。

 自分の能力の市場価値を国際的に高めるためには、英語ソフトパワー陣営に与するほうが有利に働く。だからアジア各国のエリート、エリート予備軍たちは英語の習得に余念がないのである。

 

ネット環境は読み書きが得意な日本人に有利

 筆者の周りの日本人ビジネス・パーソンは「話す」ことに自信はなくても「読み」「書き」に自身のある方は多い。この性質を逆手にとれるのがインターネット環境だ。

 海外とのやり取りで最も使われるメディアはインターネット、特にメールである。メールは日本人の特性に合っている。第1に、話すことを回避できる。この メリットは大きい。第2に、交信記録を残して共有できるので、ロジックを押さえておけば、話の勢いやムードで劣位に立たされることなく議論ができる。第3 に、日本人の正確性へのこだわりである。メールならば文法やスペルチェックにいくらでも時間を使うことができるし、それらをサポートするツールは豊富だ。

 実は筆者もこの手をよく使う。英語のコミュニケーションの多くをメールでカバーすれば、読み、書きの面積を拡げることができる。メールで鍛えておけば、 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やTwitter(ツイッター)の英語環境にも十分対応できるようになる。

 筆者の場合、英文契約書の締結といった海外との込み入った交渉事でも、コミュニケーションの7割はメールでのやりとりだ。残りは、電話(テレカンファレンスを含む)が2割、実際に合ってフェイス・ツー・フェイスで詰めるのが1割といったところだろう。

 もちろん、フェイス・ツー・フェイスを疎かにするのではない。読み、書きをネット経由で集中させると、かえって最もリッチなコミュニケーションであるフェイス・ツー・フェイスの価値が高まる。

 ただし、セキュリティの関係で、機密度が高い場合はどうしても対面コミュニケーションに比重がかかるのはいたしかたない。機微に触れるやりとりの王道は対面コミュニケーションである。

 

英語に取り込まれず、英語と付き合う

 このようにネットを上手に利用すれば、「読み」「書き」重視で「話す」を軽視する日本式英語教育でも、案外使えるのだ。ネットでの英語利用を含めて、英語と接してゆく生き方にはおおむね3本の道があるだろう。

 1つめは日本語に徹する生き方。英語に接しない生き方だ。そして日本語に閉じこもるのである。その場合、海外と関係するような仕事には見向きもせず、ひ たすら日本国内でシノいでゆくという生き方である。この方向の人々はすべてに「日本的~」をつけてシノいでゆくことになる。卑屈に英語に接することを断固 拒否するのも立派な態度である。

 2つめは割り切って、英語を道具として活用する生き方。きちんと英語と向きあう道を歩むのである。専門的知識を英語でも理解し運用することを目指す。前 述した日本ガラパゴス系やどっちつかず系を乗り越えていかなければならない。この場合、英語ソフトパワーに身を寄せながら生きてゆくことになる。日本人の 英語の読み、書きのリテラシーは高い。まずはジャパニーズ・イングリッシュを恥じず、堂々と日本的英語で語ろう。

 3つめは、多言語的生き方。これは2つめのシナリオの延長線にある。言語の境界を越境して、時に境界を溶かしつつ、生きてゆく場所を見つけてゆくのであ る。英語に加えて、できればもう1つ使える言語があればいいだろう。英語ソフトパワーの隠微さと機微を十分に自覚しつつ、言語多元的に生きてゆくのであ る。英語に取り込まれず英語を道具として手に馴染ませることが肝要だ。

 覇権国アメリカの地位は微妙に衰退してくるだろうが、英語、米語の比較優位なポジションは当面維持されるだろう。多元的な言語世界と付き合う上で、どのシナリオを選ぶのかは本人の自由。ただし、多言語環境で活躍したい若者には、2つめか3つめのシナリオを勧めたい。

 日本が位置するアジア太平洋地域はおろか、世界における多言語環境の筆頭に位置するのは英語である。「英語に身に寄せることができなければ周りの世界と 絶縁してしまう」くらいの危機感があってもよい。ただし、くどいようだが、健全な間合いをとって、覇権言語である英語ソフトパワーの隠微さと機微を自覚す ることが重要だ。

 

    【参考文献】

  • ロバート・マクラム、ウィリアム・クラン、ロバート・マク二―ル、「英語物語」、1989年

 

引用:諜報謀略講座 ~経営に活かすインテリジェンス~ – 第14講:英語で世界をシノぐ方法(覇権言語ソフトパワーとのつきあい方):ITpro