よくある階層モデルではなく、ネットワークモデルとシステム思考で知恵の出来上がり方を考えてみる。この図では、なにも意味しないランダムなガラクラの集まりがデータだ。ランダムなガラクラの集まりにラベルが張られて色分けされる。 このラベリングによる分類、分節はシンプルな意味づけだ。つまり、データと情報の最大の違いは意味があるかないか。で意味は、人間が付与することが多いのだが、近年は人口知能も意味づけをする。
知識は、意味がある情報を一定の量ためておいてはじめて得ることができる代物だ。ストックされた情報の断片を繋ぎ合わせてやっと知識が出来上がる。知識は記憶を媒介にして出来上がる情報のひとまとまりのネットワークともいえよう。
データや情報よりも知識が大切だとされる理由は、私たちは知識を得ることで、みのまわりのモノコトを認知し、異なる情報間のつながりを想い描くことができるようになるからだ。言い換えると、知識を身に着けることで想像と創造の扉の前に立つことができるようになる。
しかし、データを情報に転換し、情報を知識に高度化し、知識が真に役立ってくるのは、その先の「洞察」のレベルだ。洞察力とは、問題を深く理解するために知識のネットワークを存分に駆け巡り、遠く離れた知識、普段は気がつかないような異質の知識を新しいパターンを当てはめて見つけ出すこと、たぐり寄せることだ。洞察はInsight。つまり、知識ネットワークの内部にちらばるかけ縁もゆかりもないような知識を紐づけ、関連させてしまう、そして目を凝らして見る(sight)、その契機となる振る舞いがインサイトだ。
知恵とはなんのだろう?洞察によってサーチされた異質の知識同志が橋渡しされ、新しいパターン、結合、組み合わせが出来上がってくる。これらの新しいネットワークを創り上げることを創造という。これらの新しいネットワークが自己組織的に出来上がることが創発だ。
知恵が、なにものかを創造し創発させる。そのようなある種の力を持つモノのことを知恵者という。さてwītisōmは、ゲルマン語の語根である「wītaz」(知識、理解)と「sōm」(状態や性質を表す接尾辞)から派生したといわれる。つまり、wisdomは知識が新しいパターンを得て新しいネットワークを構成した状態だ。
図のドット(entity)は、人であり、脳のニューロンであってもよい。人を当てはめれば人間関係のネットワークになり、ニューロンをあてはめれば、ニューロンの関係性(relation)となる。以上のデータ、情報、知識に加えて知恵があれば、ループさせてデータ、情報、知識から無限の関係性、ネットワーク効果の産物たる知恵を引き出せることになる。かくして、知恵とは、ドット(entity)と関係性(relation)から成り立つ知識のシステムを生成するシステム(system of system)なのである・・・と勝手に思う。
人口知能が作る知恵もあれば、人が創る知恵もあれば、人と人とのつながりが創る知恵もある。世は、知恵の大競争時代、知恵の大創発時代、知恵の器械、人間がまみえて百花繚乱時代に突入している。
どうする、知恵?
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