人間関係の「断捨離」から「透観」へ 〜心を整える「選択と集中」の作法〜

社会的な動物である人間は、たったひとりでは生きていけない。無人島でココナッツと会話でもしない限り、我々は人間関係という複雑なネットワークから逃れることはできない。 実際、人のウェルビーイング(幸福感・健康感)は、良好な人間関係によってもたらされることが科学的にも明らかになっている。しかし、それは同時に、人間関係こそが最大のストレス源(脳へのノイズ)になり得ることも意味している。

ここでは、この厄介な人間関係のジャングルを生き抜くための、「選択と集中」のコツを、少し新しい視点――「透観(とうかん:私の造語)」という心の作法――を交えてメモしておく。

■ ステップ1:プロとしての「誠意」は、能動的に作り出す

まず、私の人間関係の基本スタンスは「メリハリ」つまり、選択と集中だ。 謝金、コンサルティング・フィー、授業料を払ってまでも私の話に耳を傾けてくれるクライアント、共同研究病院、そして学生たち。彼らに対しては、持てる力の200%を注ぎ込む。これは単なるビジネス上のギブ・アンド・テイクではない。

脳科学的に言えば、能動的推論モデルの生成(Active Inference)の実践だ。 唯識の言葉では、種子生現行ともいう。推論というと、アタマの中だけの所作のように聞こえるかもしれないが、実は、人の推論は世界と「身体的な行動」を通して不可分に繋がっている。なにげない「こうして、ああする」「こうすれば、こうなるだろう」は、「私」と「世界」を橋渡している。

さて、相手が自分に価値を見出してくれたことに対し、こちらも「この相手は最高の結果を受け取るに値する」というポジティブな現実(モデル)を、あらかじめ脳内で作り出し、全力でその現実に合わせにいくのだ。受け身で仕事をするのではなく、こちらから先に「最高の信頼関係」という枠組みを提示してしまう。このプロ意識こそが、お互いの脳内ノイズ(疑念や不安)を消し去り、非常にクリアで生産的な「共鳴」を生む。

能動的に作りだされた「誠意」や「行動」は、翻って、感想や受講レポート、各種方法、スライドなどのコンテンツを再生産してくれて、「私」にフィードバックされ、再インストールされる。唯識でいえば、さながら現行燻種子だ。こうして、能動的な推論モデルが更新されることになる。さらに、生成AIを活用すれば、さらに飛躍的に「私」という能動的推論モデルに「深み」と「幅」加えることができる。

「こうして、ああする」「こうすれば、こうなるだろう」「こうしたら、ああなった」の「種子生現行」と「現行燻種子」は無限に続く。この無限に続くループの、そこかしこで、新たな論文や著作物がポッコリ生まれることになる。

■ ステップ2:苦手な相手は「借景」として透観する

一方で、どうしてもソリが合わない「イヤな人」や、生産性のない関係もないではないのが現代人の性だろうね。 「断捨離」としてバッサリ切り捨てるのはいかにも大人として味気ない。もう少し味わい深い対処法がある。それが風景(借景)化だ。イヤな相手を「排除すべき敵(異物)」と見なすと、脳は防衛反応を起こし、かえってストレス(摩擦熱)が増してしまう。

そうではなく、自分の心を広大な「日本庭園」だとイメージしてみよう。「苦手なあの人」は、庭の隅っこに転がっている「ちょっとゴツゴツした石」だ。あるいは、遠くに見える「借景(しゃっけい)」の一部だと思えばいい。「ああ、あそこに変な形の石があるおかげで、私の庭の味わいが増しているな」「今日は少し風が強い(機嫌が悪い)けれど、それもまた一興だ」

相手を自分のテリトリーから排除しようと戦うのではなく、「大きな風景の中に、ただそういう現象として置いておく」。これを「透観(とうかん)」と呼ぶ。 相手と自分の間の境界線を取り払い、「私の世界を構成する、ひとつの風景」として透かして観てしまうのだ。そうすれば、イライラはすっと消え、心は静寂を取り戻す。

■ ステップ3:流動性の中で「共鳴」する相手とつながる

かつて私が身を置いた米国コンサルティング業界には「Up or out(昇進するか、去るか)」というシビアな掟があった。 殺伐とした世界に見えるかもしれないが、これは「淀みのない川」のようなものだ。

水が常に流れているからこそ、水質は清らかに保たれる。人間関係も同じだ。「誰とでも仲良く」という固定化されたルール(執着)を捨て、自分の脳と心が「イキイキと共鳴する相手」と能動的につながればいい。

自分が「透観」の視座を持ち、イキイキとした状態(整った脳内OS)でいれば、自然と似たような周波数を持つ人たちが集まってくる。類は友を呼ぶ。これらの「共鳴」の結果として、出版の機会、学会講演、食事会、飲み会の機会を頂いたり、思いがけない方向にネットワークが広がっていくことも多々ある。

■ ステップ4:空いた両手で「本物」を掴む

そうやって人間関係を整理し、ノイズを取り除いたあとに何が残るか? そこで空いた貴重なスペースにこそ、利害関係を超えた「本物」の友人が入ってくる。

学生時代にインドやネパールを自転車で心身を酷使して縦走したクレイジーな仲間たち。 日本中を野宿やテント泊をしながら走りまわった自転車ツーリング仲間。コーネル大学の学生寮で語り合った各国の友人、大学院で苦楽を共にした仲間。彼らとは、言葉を交わさなくても通じ合える「同期(シンクロ)」する妙な感覚がある。卒業してから何年もたってもだ。

いわゆる「以心伝心」であり、お互いの心の波が心地よくリズムを合わせている状態だ。30年以上経っても酒を酌み交わせる彼らは、もはや「友人」でもない。私という人生(システム)のかけがえのない一部として、埋め込まれて統合されているのだ。

結論:関係性を「デザイン」することがウェルビーイングへの道

いまでも日本の初等教育で繰り返されている「誰とでも仲良くしよう」という古い呪縛は、脳のエントロピー(混乱)を増大させるだけだ。日本の若者の主観的幸福感は他国と比べて低いことを示す統計データが多く報告されているが、案外「誰とでも仲良くしよう」という古い刷り込みと同調圧力のせいなのかもしれない。

価値を認めてくれる相手には「最高のモデル」で応える。心の通じる仲間とは「境界線のない一体感」を楽しむ。もしイヤな相手がいるのなら、「庭の石」として風景の一部にする。 この選択と集中のメリハリこそが、AI時代の複雑な社会を生き抜くための、究極の護身術であり、ウェルビーイングへの近道なのかもしれないね。

SNSの友達の数を気にしたり、リアル世界の友人の数にこだわるのではなく、自分の心の庭を美しくデザインするために、石や木(人)をどう配置し、どう眺めるか。 その主導権(主体性)を、自分の手に取り戻そうではないか。

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